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瑠璃の星☆彡

写真・イラスト・旅日記

和を以て貴しとなす

野間けやき

野間の大ケヤキのイラストが完成して
大阪府豊能郡能勢町の野間神社へ御奉納が叶いました。
11/5 新月の祝祭日の出来事でした。

お導きくださった御縁のある方々に感謝いたします。

石舞台古墳

11/7 シークレットのリトリートに参加しました。
飛鳥の石舞台古墳と、その周辺の聖地を巡りました。

「和を以て貴しとなす」
これからも描いていきたい世界です。

やわらぎこそが大切。
あらためて気づかされた一連の旅でした。

「いま」が心豊かに満たされているとき
自然とともに私は調和しています。

野間も飛鳥も、
秋風が心地良い優しさに変わりました。


テーマ:心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル:心と身体

  1. 2021/11/08(月) 00:17:08|
  2. 神社仏閣めぐり(大阪)

野間神社と「みつはの里」

野間神社1

本日は、ロキデ淡路島 ランチ会
主催してくださった、せっちゃんからのお誘いで
能勢に鎮座する野間神社へ参拝いたしました。

目指すは
大阪府豊能郡能勢町地黄399


写真は名神高速・豊中ICの近くです。
雨が降らないのに、虹がクッキリと出ていました。

今夜は満月でもあるそうです。

そんな日に野間に行くことには
なにか大きな新展開がありそうな予感がします。

野間神社2

野間けやきを見に、2013年7月に能勢に訪れていたことがありました。
能勢妙見宮に訪れた時にも、ひとりで里山を散策しました。

その時には気が付かなかった、野間神社です。

野間神社3

主祭神は、饒速日命、栲幡比売命、鹿屋比売命

饒速日命は物部氏の祖神です。
ヲシテで書かれたフトマニとも無関係ではありません。

本日は、満月の例祭に参加させていただきました。

御由緒は、こちらの野間神社さんのblogをご覧ください。

野間神社4

こちらは祓戸社

野間神社5

お稲荷さんです。

野間神社6

草野姫命の樹木です。
素敵な御神木ですね。

°˖☆◝(⁰▿⁰)◜☆˖°


野間神社の畑修一宮司は、
そのお名前から秦氏の末裔であるとわかります。

本殿での例祭の後で社務所で
野間神社の御由緒に関するお話をいろいろと伺いました。

そして新嘗祭の前日に執り行われる
鎮魂祭についての打ち合わせも。

石上神宮にも伝わる
十種祓詞をそこに集った皆で奏上し、
安座を組みながらの布留部神業を
惜しげもなく伝授してくださいました。

手技・魂振の術・呼吸法など
一連の神拝方法を教わりました。

秘中の秘を明かしてくださる
畑宮司さんのご厚意に
ちょっと胸が熱くなりました。


十種祓詞とニギハヤヒ・・・

ここに呼んでくださったのは、フトマニの神さま。

じつはすでに、秋分のロキデ・ランチ会の早朝に
野間に続くこの流れを、フトマニカードからの
メッセージで私たちに伝えられていたのです。

コチラの記事に書いた通りです。

------------------------------
ロキデ淡路島 ランチ会 
2021/09/28(火) より 一部抜粋

ロキデ3

あの太陽の昇る先にあるのは
生駒の山々なのだそうです。

ニギハヤヒさんの聖地ですね。

ロキデ4

早朝に海から昇る太陽を眺めながら
あっきー・せっちゃん・私の3人で引いたカードは
オロチのヒレから出る剣。

一(ひ)
二(ふ)
三(み)
四(よ)
五(い)
六(む)
七(な)
八(や)
九十(ここのたり)

布瑠部(ふるべ)
由良由良止(ゆらゆらと)
布瑠部(ふるべ)



私には「布瑠の言」を意識させられる
祝詞に関するメッセージのように思えました。



亡き人を思い偲ぶ・・・
せっちゃんが朝日を見ながら語っていることは、
死者をも蘇らせるパワーを持つ
十種神宝の祝詞そのものを意識させられました。

------------------------------

ロキデで私たちが引いたカードには、
十種神宝のことが示されているとわかりましたが
それを伝えた生駒山のニギハヤヒさんは
なぜこのタイミングでメッセージを・・・?

その時は、よく分かりませんでした。


ですが本日、野間神社の満月祭で
十種神宝の神業を畑宮司から教わって合点がいきました。

オロチ=神宝のひとつ
剣=言霊の奥義

なのです。たぶん。

言霊を伝えていく使命がある者は
参拝する流れになっているのかもしれませんね。

野間神社7

野間神社で合流してくださった
ミカゲさんとツキちゃんが案内してくださった「みつはの里」です。

現代の日巫女が集う場として、ひっそりと佇んでいます。

私の六甲で出会った知人も「みつはの里」で活躍されているようです。
共通の友人知人がすでに訪れていることに驚きます。

「おかえり」と言っていただけて
私は「ただいま」と素直な気持ちで返答していました。

ミカゲさんも仰っていましたが
ここで出会う女性は皆、
かつて一緒に過ごした巫女だったのでしょうね。

改装が進められています。

この場に坐す龍神さんにご挨拶ができました。

野間神社8

野間神社の近くにある
産地直送お野菜の販売店です。

野間神社9

色あせているポスターに目が留まりました。

能勢のPRキャラクター

お浄&るりりん

なんだかちょっと、親近感が・・・ (≧▽≦)

そっか、浄瑠璃ですね。

ここはるり渓へのルートでもあるもんね。


シンクロニシティがてんこ盛りで楽しいです。


そして、野間と言えば、野間の大ケヤキ

けやき4

2013/07/18(木)にupした絵です。

畑宮司さんが仰っていましたが、
この大ケヤキがある場所も
野間神社の境内地ということです。

この絵は未完成。
少し描き加えて、新時代のシンボルツリーとして
アートボードにも新しいイノチを注ぎ込みたいと思います。






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  1. 2021/10/20(水) 23:55:16|
  2. 神社仏閣めぐり(大阪)

信太森葛葉稲荷神社

信太森神社1

10/9 IROHAさんと早朝8:00に京都駅で待ち合わせ。

10/10~10/13の日程で
大阪野田のSpace EN 1Fギャラリーで
私たちふたりで主催するコラボ展

瑠璃×IROHAコラボ
三女神展 〜女神達が結ぶ縁〜


そのイベントの心願成就に
まずは京都の晴明神社に参拝して

次に晴明のお母さんゆかりの神社、
信太森葛葉稲荷神社
(しのだのもりくずのはいなりじんじゃ)に訪れました。

時系列が前後しますが、
備忘録として書き留めておきます。

信太森神社2

信太森(しのだのもり)の所在地は、
大阪府和泉市葛の葉町1丁目です。

京都から3~4回乗り換えたかな。
JR大阪から阪和線への乗り換えが複雑で
すでにルートを覚えていなかったりします。(;''∀'')

信太森(しのだのもり)は、
安倍晴明の母・白狐が住んでいたと伝えられている森です。

信太森神社3

この神紋も葛の葉なのかな。

くずもち、食べたくなっちゃうな。

信太森神社4

主祭神 宇迦御魂神

大己貴命
大宮姫命・素盞男命
猿田彦命
若宮葛ノ葉姫

信太森神社5

お稲荷さんが護っている
この御神木が信太森のマザーツリーのようで
ひときわ大きな存在感を放っていました。

晴明の母・葛の葉は、
この神木から現れたとされています。

樹齢2,000年といわれている楠です。
花山天皇が熊野行幸の際に
「千枝の楠(ちえのくす)」の称を賜っているそうです。

また、清少納言が「森は信太森」と草紙に記して以来、
和歌の題になってきたそうです。

大きく二つに分かれているので『夫婦楠』でもあり、
夫婦円満・良縁成就などのご利益があるとされています。

信太森神社6

真横から見ても、入りきらないスケール。

樹木はやっぱり癒しですね。
ずっとここに居たくなるよ。(*´Д`)

信太森神社7

楠の木で手を合わせようとしたら、
赤い葉がヒラヒラと落ちてきました。

葛の葉さんからのメッセージかな。

白狐さんが纏っている衣みたい。
鮮やかな赤で美しいですね。

信太森神社8

行場の池の水は枯れていたけれど
石の配置が絶妙でした。

信太森神社9

秋分は過ぎたのに
この日はまるで夏の日差しのように暑かったです。

信太森神社10

バステトさまーー

キタワァ.*:.。.:*・゚(n‘∀‘)η゚・*:.。.:*☆

ここでIROHAさんと大興奮。

コラボ展ではバステト様からのアンサーがてんこ盛りでした。
話が長くなるので書きませんが、すごかったんです。えぇ。

「姿見の井戸」のあたりで出会いました。

白狐が美婦人(葛の葉姫)に化現したとき、
鏡に代えて姿を写した井戸が近くにあるのです。

女神とともにいるよ。。。

信太森神社11

千利休作の、ふくろうの灯篭。

灯篭の上にちょこんと乗ってるふくろうさんが可愛くて
何度も撫でてしまいました。(*^▽^*)

鳥と龍はもともとひとつだったんだよね。

信太森神社12

摂社末社がたくさん配置されている信太森。

樹木がとっても美しい白狐さんの里でした。

夢に出てきそうな佇まいで良い風情です。

ぜひ訪れてみてくださいね。


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  1. 2021/10/15(金) 08:22:59|
  2. 神社仏閣めぐり(大阪)

星田妙見宮と磐船神社

星田妙見宮5

1/14(木)
交野市の星田妙見宮と磐船神社に
ご縁あのある方たちとともに参拝いたしました。

星田妙見宮8

最初に訪れたのは、星田妙見宮です。

2020の秋に参拝しているので
今回は写真だけupします。

星田妙見宮9

星田妙見宮10

星田妙見宮15

最奥に鎮座する豊玉彦さんの祠には
光がいっぱいで、もっともまぶしかったです。

とても偉大な方だったのでしょう。(^o^)

星田妙見宮16

星田妙見宮17

星田妙見宮18

星田妙見宮19

冷え込みの厳しい日でしたが
正午ごろの磐座周辺は、ポカポカしていて暖かかったです。

磐船神社1

こちらは磐船神社です。

以前に訪れていたのは2015年でした。
久しぶりの参拝です。

磐船神社2

磐船神社3

磐船神社4

色違いの組紐を持ってきました。
水瓶座のマークのような組紐。
丸源氏組。

私にしては良い出来のものです!

月のワンカップがいっぱい並んでて可愛かったです。

天野川1

磐船の御神体の磐たちは、天野川に鎮座しています。

天野川2

くろんど広場1

くろんど池です。

くろんど広場2

池には氷が張っていました。
まるで天照の鏡のような光景でした。

またご一緒に行きましょう。



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  1. 2021/01/16(土) 00:16:42|
  2. 神社仏閣めぐり(大阪)

1111の日に☆彡 星田妙見宮へ

星田妙見宮1

本日は2020/11/11ですね。

1111は十一十一
プラスマイナスの陰陽であり、鏡でもあります。

「11/11に星田妙見宮に行こう♪」

最近友達になった
西宮在住のこずえさんの提案で
今日は二人で行ってまいりました。

10/19宗像大社~11/1サムハラ~11/11星田妙見宮と、
この秋の行き先が全部繋がっている気がします。

10/19  → 1010 → 11
11/1 → 111
11/11 → 1111

この3か所に参拝した日付が
11. 111. 1111. と綺麗に1が並ぶんですよね。

この日に行くと決めてから
ラッキーデーになるに違いない!と思って、
私たちは超ワクワクしていました。

°˖☆◝(⁰▿⁰)◜☆˖°°˖☆◝(⁰▿⁰)◜☆˖°

星田妙見宮2

少しずつ紅葉が始まっています。

鳥居や灯篭が新しくて綺麗でした。

最新のものは「令和元年」と書かれています。
年号が変わるタイミングで
星の輝きにも大きな変化があるということかな?

星田妙見宮4

細工が凝っていますよね。
こんなに獅子さんが主張している灯篭
初めて見たかも。。。(◎_◎;)

星田妙見宮3

織女(たなばた)し
船(ふな)乗りすらし まそ鏡
清き月夜(つくよ)に 雲立ち渡る
 

大伴家持

祥苑 書

大伴家持が、天平十年(七三八年)二十歳の時に作る

十年七月七日の夜、
独り天漢(あまのがわ)を仰ぎて聊か懐(おもひ)を述ぶる一首

【訳】
織姫が今しも彦星の迎え舟に乗って天の川を渡って行くらしい。
(船出の水しぶきで)晴れ渡っていた月夜に雲が広がってきた。


星田妙見宮5

紅葉の葉が赤く染まっていて・・・
秋葉神社の天狗さんが持つ団扇に見えました。

星田妙見宮6

妙見信仰の伝来がイラスト付きで詳しく語られていました。

星田妙見宮7

聖徳太子、秦河勝、桓武天皇、空海らが描かれていて
北辰祭祀の基盤となる妙見信仰の森羅万象、
調和の心を、わかりやすく伝えられています。

星田妙見宮8

七夕伝説と七曜星の降星伝説も。

七星の特性は
如意輪観音として厚く信仰されてきました。

妙見宮に設置されている祠は
星の位置とも対応しているのかな。

星田妙見宮9

手水舎のそばには、亀石みたいな岩がふたつ。
寄り添うように設置されていて、なんだかカワイイ。

星田妙見宮14

龍たちは、親子?
こちらも寄り添っていました。

星田妙見宮15

ペア。陰陽。

そんな対のものたちが、
あちこちで寄り添っていて、微笑ましいです。

星田妙見宮10

登龍の滝

御由緒によると・・・

当山に伝わる弘仁七年(八一六)七月二十三日の
七曜星降臨縁起の隕石落下地点が、この瀧壺であったようだ。

北斗七星と同じ方向からやって来るペルセウス座流星群、
その母彗星スイフト・タットル彗星からの隕石であったという。

「私の発見したスイフト・タットル彗星のかけらの鉄の部分が、
星田妙見宮に落ちた可能性は非常に高いですねぇ。」

彗星探索家 木内鶴彦氏 『宇宙の記憶』より


星田妙見宮12

隕石の残留エネルギーが
かすかに残っているのかな・・・

星田妙見宮11

馬蹄型の窪み・・・

宗像大社中津宮(織女神社)のある大島にも
馬蹄岩があったのを思い出しました。

どちらも七夕伝説で繋がっているので
面白いですね。

星田妙見宮13

妙見宮への石段をゆっくりと上って行きました。

宗像大社の三女神
(カタカムナの言霊の神。織女・瀬織津姫)と
こちらの星田妙見宮は繋がっている場所です。

吉野先生がカタカムナで読み解かれた
田心姫の心を映す、「胸」「ハート」のマークが
妙見宮のどこかにも、きっと刻まれているはずなのです。
それを見つけてみようと思いました。

まるで宝探しのような心持です♪

星田妙見宮16

そしたらすぐに見つけましたよ。

石畳の中にハート♪

石は意思・意志。
真心が埋め込まれています。

うわぁ~ (≧▽≦)

ここから俄然、楽しくなってきました。

星田妙見宮17

石畳のハートは
絶妙な位置に組み込まれていました。

そこからは、見るものすべてに
愛が溢れているように感じられて
私のハートにもスイッチが入ってしまった感じです。

途中の門の中には、
妙見菩薩(織姫かな?)と天の川が描かれていて、
いいなぁ、私もこんな絵を描いてみたいな、と思ったりしました。
「三光清岩正身の妙見」の図ですね。

千羽鶴は、川の流れのような、DNAのような、
組紐のような、龍、蛇のような。
ひとつながり。

星田妙見宮18

もうちょっとで、お社が見えてきます。
石段に紫色の光が入ってきました。

星田妙見宮19

社務所の前からの景色です。
秋晴れの交野の街が一望できます。

ここ、妙見宮は厚い雲がかかっていて、
曇ったり晴れたりを繰り返していました。

星田妙見宮21

御神水が澄んでいて、清々しいです。

星田妙見宮22

妙見宮の拝殿です。
ようやくたどり着きました。

主祭神は、天之御中主大神。
高皇産霊大神・神皇産霊大神を祀ります。

江戸時代までは、
仏教では北辰妙見大菩薩、
陰陽道では太上神仙鎮宅霊符神であるとされていました。

まわりてめぐる星神です。
日・月・星の大調和を祈る場。
フトマニ宇宙。

星田妙見宮23

東に鎮座する御神体の織女磐座を拝みます。

「東」は「卯」 兎・宇佐にも通じますね。

星田妙見宮24

目力が半端ない。

星田妙見宮25

拝殿の左奥へ行くと、
織女の磐座への案内がありました。

星田妙見宮26

星の森へは入れないけれど、
織女石(たなばたせき)は間近で見ることができます。

星田妙見宮27

星田妙見宮オリジナルの絵馬が
とても凝っていて、しばし眺めていました。

星田妙見宮28

こちらが織女石(たなばたせき)です。

綺麗なフォルムの岩でした。
右横にも対になるような大きな組石がありましたが
この位置からは全体像がよく見えませんでした。

ほんの少し見えることで
存在の大きさを感じられます。

星田妙見宮29

織女石は、高根の花的存在。
こんなに高いところまで登ったのね。

星田妙見宮30

拝殿の右奥からは、ほんのちょっと巨大な石組が見えました。

星田妙見宮31

二対の龍が、星の動きを表わしているよう・・・

星田妙見宮32

例祭日が

2月8日 – 星祭り
7月7日 – 七夕祭
7月23日 – 星降り祭

2016年8月26日に
新海誠監督の映画「君の名は。」が公開されましたが、
同じ年(2016年/平成28年)に、
「星田妙見宮鎮座1200年奉祝大祭」が開催されています。

星神さまのインスピレーションで共鳴し合って
大調和を生みしていく、そのはじまりの大祭典☆彡

星田妙見宮33

カタカムナ宗像大社正式参拝
「平和の詩を響かせる」の時に頂いた、
宝物が描かれたオリジナル巾着。

それと、中津宮(大島)の海岸で拾った小豆石、
チカちゃんが作ってくれた
カタカムナの御神事ではいつもお目見えしているフラーレン、
私の組んだ唐組の組紐。

すべてがカタカムナ神・田心姫の御心に沿う
七夕の織姫・瀬織津姫、
「君の名は。」にも繋がっているアイテム。

それらが、いまこの時に、此処に来て
良い感じに揃ってしまいました☆彡

こずえさんとふたりで、
拝殿の前でのプチ御神事でした。

星田妙見宮34

なんだかハートが熱くなって震えていました。

1111 

この日はやはり、
ひとつの結びを迎えた特別な日となりました。

これからなにか新しい風が吹きそうな
新しい出会いにも繋がりそうな予感がしています。

星田妙見宮35

お尻をあげてる狛犬さんがカワイイ♪

星田妙見宮36

星の森

拝殿からはチラッとしか見ることができなかった磐座群を
下からも眺めてみました。

星田妙見宮37

星田妙見宮38

隕石の塊なのかな。

大きいのはわかるんだけれど、
全体像が把握できません。

岩の森ですね~。

星田妙見宮39

星田妙見宮40

鱗紋の旗が目につきます。三鱗を見つけると
streamくんのことが、ふと気にかかってしまいます。
「君の名は。」と出雲の星神の話を
たくさん聞いてくれて嬉しかったです。
この場所は、きっと私たちにとって大事なところ。

光花さんの関係地もここからは近いので
やはり私たちにとってとても大事なところ。

その延長線上で佐藤さん、西原さんと出会って
大甕神社の磐座群参拝も参拝しました。
星神愛がますます深まりました。

天津甕星・星神香香背男と繋がると
河野先生に教わる組紐が
世界を広げて変えてくださいました。

私の中では織女とは、
故郷・出雲の女神である、天甕津日女命なのです。

ここ数年の、星に纏わる出来事が繋がり絡みあって走馬灯のように。
皆様との御縁は、ほんとうに前前前世からのものですね。

星田妙見宮41

これまで出会った、
すべての皆様に、愛と感謝を。

真に誠に、ありがとうございます。

とても書ききれないけれど、
出逢ったみんなを心から愛しています。

星田妙見宮42

こずえさんとは、出会ったひとたちの中で
まだいちばん浅い関係だけれど、
化学反応のようなスパークが起こっているのを感じます。
ふたりで歩いていると、深く愛した人のことを考えたりもしました。

心にも陰陽。
日々、心の整理ですね。

感謝の気持ちが膨らんだら、
心の振幅の幅も、少し広がったのかな。

とても気分が良かったので、
私たちは「水みくじ」を引きました。

水に浸すと文字が浮かび上がるおみくじです。

私が最初に「十二番」を引いて、
次にこずえさんが「二十番」を引いていました。

また数霊が鏡合わせです。
「十二」と「二十」

イワナガヒメとヒミコを表わす数霊なのです。

なかなか同時には出ないと思うんだけれど
二人して(◎_◎;) びっくり・・・!でした。

鏡の法則通りに、
なんと、ふたりとも「大吉」でした。

おみくじには、良いことばかり書いてあります。
チーム上森の皆様、武部さんにも伝えたくなりました。
すべてはうまくいっている!

山田征さんの新刊「私は愛する」には、
弥勒菩薩=情報と記されていました。
読解力が試されるルシエルたちからのメッセージ。
その情報には天の川を流れる水のようにしなやかに繋がり、
伝達し合って大調和を成していく・・・
新しい風の時代のはじまりを伝えられていました。

この本に書かれた内容を、先日のサムハラ奥宮で
あっきーさん主宰のホツマの言霊グループと最近シェアしていました。
あなあっぱれ☆彡 でした。

星田妙見宮43

こずえさん。
インスピレーションで星田にお誘い下さり、
本日はありがとうございました。

ここに二人で来ることができて、
実際に良いことがいっぱいありました。

嬉しかったです。

星田妙見宮44

暖かいひだまりに包まれた並木道でした。

これから秋が深まっていきますね。

寒さに負けずに元気に過ごしましょう。


テーマ:心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル:心と身体

  1. 2020/11/12(木) 01:12:27|
  2. 神社仏閣めぐり(大阪)

サルタヒコの道標 part.9 叡福寺

叡福寺1

8/7(水)のことです。

この日は、ブログ「火(ホ)と「ニワ」と鍋釜」の執筆者、武部正俊さんと
南海高野線・金剛駅で9時頃待ち合わせして
畿内の神社仏閣へと出かけていました。

武部正俊さんのブログはこちら↓

「火(ホ)と「ニワ」と鍋釜」
http://blog.livedoor.jp/omtakebe/

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ずいぶんまえに、叡福寺に訪れたことがありました。
それは西国三十三か所巡りをしていた時だったと思います。

叡福寺といえば、如意輪観音。

それ以外に強い印象をもってはいなかったので、
久しぶりに訪れると、覚えていないことだらけでした。
なので、初めて来たような感覚でした。

叡福寺2

武部さん曰く、

「聖徳太子廟」は「美具久留御魂神社」と「三輪山」を結んだラインの真下にある。

武部さんのブログには、地図に線が引かれていて、
実地調査もなされていて、さらに関連個所のリンクも豊富です。
私のような感覚人間が読んでいくと、そこには力強い説得力を感じます。

ここにひとりで来ていたら、仏像だけに関心を寄せたかもしれない。
けれどこのときは、如意輪観音のことは、すっかりどうでもよくなっていて (;・∀・)
今回は、だいぶ見方が変わっていたように思います。

叡福寺3

ここもあれかな?
根来の弁柄っぽい色。その造りっぽい。

あ、適当に言ってしまいました。
違ってたらゴメンだけど。。(''◇'')ゞ

叡福寺4

叡福寺5

叡福寺は聖徳太子ゆかりの寺として知られていて
平安時代の嵯峨天皇をはじめ多くの天皇の参拝があったようです。

平清盛は重盛に命じて堂塔の修理をしていて
空海・良忍・親鸞・日蓮・一遍なども参籠したそうです。

三輪山のラインを熟知しての参籠だったのでしょう。

叡福寺6

この石柱がビッシリ取り巻いている姿が面白いです。

こんなケーキがあるよね?
そうそう、シャルロット(Charlotte)♪
女性の帽子に見立てたフランスの洋菓子です。

\( 'ω')/

私が女子力を発揮して妄想を膨らましているなか、

武部さんは、んなこたどうでもいいわ、とばかりに
なにやらスマホを片手にして調べておられました。

叡福寺7

この石柱を凝視していると、

武部さんが、スマホの画面を印籠のように差し出して
石柱に書かれた同じ梵字を見せてくれました。

サ(स、sa)

聖観音(しょうかんのん)

梵名アーリヤ・アヴァローキテーシュヴァラ
(梵: आर्यावलोकितेश्वर [Āryāvalokiteśvara])
種子はサ(स、sa)
キリーク(ह्रीः、hrīḥ、フリーヒ)など。

この石柱は、空海が施したと伝えられているとか。

狭山神社で見た、九曜紋の真ん中も、聖観音で「サ」でした。
やっぱり、ちゃんと繋がっていますね♪

聖徳太子の生誕地とされる、橘寺にも如意輪観音。
橘寺→叡福寺→兵庫県太子町の斑鳩寺とは一直線に並ぶそうです。

如意輪観音といえば、甲山神呪寺との繋がりもありそうです。
甲山周辺にも88か巡りの神呪寺磐座めぐりが設定されています。

花山法皇は、叡福寺の僧だった仏眼上人の導きを得て、
西国三十三所を復興したとも言われます。

これだけ空海や仏眼、花山法皇、聖徳太子などが関わってくると
六甲山周辺のことが、どうしても思い出されてしまいます。

さらに、六甲山系についていえば、
摩耶山天上寺では、現在、33年に1度の秘仏御開帳。

令和元年8月8日は、「四万六千日大祭」といって、
十一面観音様の御利益を一年中で最も多く頂ける日
(観音最多功徳日)として知られています。

8/8~8/9の境の時刻、すなわち9日午前零時には、
ご本尊の観音様に向けて天から除災招福の星がくだるとの言い伝えもあります。
これを、摩耶の夜参り・星下り会式という。
そこは、空海ゆかりの金星台、ビーナスブリッジも近いのです。

摩耶山天上寺の秘仏は十一面観音。

聖観音の縁日は毎月18日。←666
聖観音も、7月10日は特別で、四万六千日。

ふたつの観音の共通点を数霊は教えてくれている。

吉野信子先生のカタカムナでは、33はアマテラスコード。
西国33か所には、太陽神・アマテラスのコードが見いだせる仕組みがありそう。
対する空海の88か所は、摩耶山の祭りを見ても、
星☆彡のコードが散りばめられていると確信します。

叡福寺8

三輪山周辺に来ると、
こうしていつも出雲と六甲のことばかり考えてしまいます。

他を知らないだけかもしれないけれど
探せば幾らでもその理由が見つかってしまいますね。

叡福寺9

石の塔があちこちにあります。

五母音の響きに対応してたりするんじゃないだろうか。。。

叡福寺12

叡福寺北古墳(磯長墓)
裏手にまわっても、二重の結界石が置かれています。

聖徳太子、太子の母・穴穂部間人皇女、太子の妃・膳部菩岐々美郎女が埋葬されていて
「三骨一廟」と呼ばれるそうですが、異説もあるそうです。

私も、それについては、正直よく分かりません。

結界石の意味を知ると、
大切なものが守られているのは確かだと思えるけれど。

叡福寺13

ここに書いたように、
お釈迦様のお母さん・摩耶夫人のお祭りと
聖徳太子廟の共通点を微妙に見つけてしまうと
釈迦・キリスト・太子の三者の関係を
ひとつに結ぶものがありそうな気がしてます。

それも三輪山だったりするのかもしれません。
あるいは、神河町にあるのかな。

いずれにしても、
太陽・月・星が綺麗に光って輝きだす
フトマニ図のように。
そんな仕組みのように思えます。

叡福寺14

なかなか終わりの見えない旅ですが、
霧が少しずつ晴れていくような爽快感があります。

やっぱり楽しいなぁ♪





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  1. 2019/08/12(月) 21:23:44|
  2. 神社仏閣めぐり(大阪)

サルタヒコの道標 part.8 美具久留御魂神社 御旅所の磐座

美具久留御魂神社磐座1

8/7(水)のことです。

この日は、ブログ「火(ホ)と「ニワ」と鍋釜」の執筆者、武部正俊さんと
南海高野線・金剛駅で9時頃待ち合わせして
畿内の神社仏閣へと出かけていました。

武部正俊さんのブログはこちら↓

「火(ホ)と「ニワ」と鍋釜」
http://blog.livedoor.jp/omtakebe/

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美具久留御魂神社の一の鳥居?の近くだったと思います。
「もう一か所、案内したい場所があるから」と
寄って頂いたのがこの磐座がある場所でした。

おぉ~! \( 'ω')/

うっすらとではありますが
天から青い光が射してます。

美具久留御魂神社磐座2

武部さんは、この磐座のことを
ご自身のブログでも紹介されていて・・・

美具久留御魂神社と三輪山
http://blog.livedoor.jp/omtakebe/archives/22961140.html

「美具久留御魂神社」の本殿→拝殿→鳥居→御旅所→二上山の方向は、
ドンピシャで「三輪山」を指示している!

・・・と仰っています。

この岩は、「美具久留御魂神社」の御神輿を乗せる御旅所、ということらしいです。

私は、お供物や捧げものを載せる御饌台なのかな?
病の人々を癒すためのベッドかな?
ウズメが乗って踊る祭祀場のお立ち台なのかな?

・・・などと、いろいろ想像を巡らせていました。

岩のためだけの広場!

遊具が有っても違和感がない場所なのに、
磐座だけのための広場なので、
やけにスッキリしていたのが印象的でした。

武部さんの三輪山に繋がるラインも面白いですが
上森三郎さんが、さらに深みへ誘ってくださってます。↓

美具久留御魂神社の御旅所の石が示す方位
http://blog.livedoor.jp/omtakebe/archives/56367195.html

磐座ひとつから、たくさんのサインを示されています。

美具久留御魂神社磐座3

ここでも、磐座の蔭がモヤっています。

この上で寝転がってみたい衝動にかられました。

注連縄が張られているし、
神聖視されているので無茶はできませんでしたが
いい夢が見れるんじゃないかなぁ~と思いましたヨ。









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  1. 2019/08/12(月) 19:54:05|
  2. 神社仏閣めぐり(大阪)

サルタヒコの道標 part.7 美具久留御魂神社

美具久留御魂神社1

8/7(水)のことです。

この日は、ブログ「火(ホ)と「ニワ」と鍋釜」の執筆者、武部正俊さんと
南海高野線・金剛駅で9時頃待ち合わせして
畿内の神社仏閣へと出かけていました。

武部正俊さんのブログはこちら↓

「火(ホ)と「ニワ」と鍋釜」
http://blog.livedoor.jp/omtakebe/

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この日は午前中、すでに6か所の堺の神社仏閣に参拝していました。
すでにpart.7です。

キツイ山登りは無く、丘陵地帯でしかも近距離。移動が楽。
それにしても、サクサクとよく行ってきたなぁ~と思います。
それでいて、中身はとっても濃いような・・・

ごはんを食べた後で、後半スタート。
失速していくかなと思いきや、ここからがまた楽しかった・・・!

スゴイよ!堺!
ねぇ!武部さん!

というわけで、気持ちもあらたに
美具久留御魂神社(みぐくるみたまじんじゃ)へ参拝しました。
こちらは大阪府富田林市宮町3丁目に鎮座。

美具久留御魂神社2

みぐくるみたま・・・
ミグクルミタマ・・・
migukurumitama・・・

なんかラノベの設定みたいな
中二心をくすぐるネーミングの神社だこと・・・

神社にもキラキラネームってあったんや・・・

(*´∀`*)

失礼ながらそれが第一印象でした。
音の響きに、すごく魅かれるんですよね。
なんだか、可愛らしいというか・・・
大和言葉とはべつの音霊から伝わってくるモノがある感じ。

古代倭国に存在したという、カラ族・クル族の、
クル族に関係している場所なのかもしれないなぁ。
そんなことを、ふと思ったりもして。

そうだとすると、やっぱりラノベが一冊書けるような
妄想の範疇で語っていく事に成るのかもしれないけれど
できるだけ、遺されている文献や伝承からの読み解きを心みたいと思います。

こちらのサイトを見ていると↓

大阪観光案内公式サイト・美具久留御魂神社
https://osaka-info.jp/page/migukurumitamajinja

「みぐくるみたま」という名は、「水泳御魂(みくくるみたま)」
水を司り、山からの水を土地に配分する神を祭ることに由来すると書かれています。
水の気が溢れていたら、それが一番正しいのかもしれない。

美具久留御魂神社3

そんなことを考えながら、鳥居を潜ると、
横にいた狛犬さんが、なにかを抱いている?

美具久留御魂神社4

私 「えーと、なんだっけ?」
武 「さるぼぼ!」

(´・∀・`)ヘー

さるぼぼは、猿の赤ちゃん。
ということは、幼児のサルタヒコかぁ~。 

飛騨高山など岐阜県飛騨地方で昔から作られる人形。
さるぼぼの源流を辿ると、奈良時代に遣唐使が唐(中国)から伝えた
「這子(ほうご)」や「天児(あまがつ)」と呼ばれる形代が原型とされています。

最初に当時の貴族の間で”産屋のお守り”として正絹で作られたものが流行し、
その後家にある余り布などで作られた物が徐々に民間に広がっていく中で
「安産」や「良縁」「子供の成長」「無病息災」などを願うお守りとされていった。

ホツマツタヱの中でも、
9代目天君オシホミミと、皇后タクハタチチ姫の御子のために
アマテル神の側室ハヤアキツ姫が人形を作ったと書かれています。

人形の起源は「縄文土偶」だと私は思います。
人体は宇宙だと知っていた縄文人が大切にエネルギーの形を施した人形。
埴からつくられた土偶から、布への変化は大きいのでしょうけれど
素材や形が変化しいっても普遍の願いを込められるもののひとつがこうした人形だと思います。
未来にも、きっと、無くならないと思います。

野球ボールを持っているから、
これがどうしても勾玉・陰陽ボールに見えてしまうよ。

(⌒▽⌒)アハハ!

美具久留御魂神社5

参道には、面白いかたちの亀石もありました。
釜=亀かな。

美具久留御魂神社6

手水舎に書かれていたのは「水天宮」。

水天宮の総本宮は、福岡県久留米市に鎮座。

・天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、
・安徳天皇、高倉平中宮(建礼門院、平徳子)
・二位の尼(平時子)が祭神。
こちら平家一門の水に関わる神社です。

「美具久留」と「久留米」
ふたつの言霊はアマナグラムとしか思えません。

水天宮は日本全国にあるので、追っていくと
「クル」に関わるヒントになるのではないでしょうか。

いっぽう、岩清水八幡などの八幡神は源氏一門の水。

このカラ族・クル族に関して
興味深い内容のブログを見つけたのでリンクします。↓

新次元の叡智を生きるーBlue dragon for New Earth
2の1、カラ族から…クル族へと繫がるいま

https://trakl.exblog.jp/17862468/

新次元の叡智を生きるーBlue dragon for New Earth
2の2、カラ族から…クル族へと繫がるいま

https://trakl.exblog.jp/17862553/

美具久留御魂神社7

この場所は文献に残されなかった頃の重要聖地なんだなと思い、
ただ感じてみよう・・・と心に決めました。

美具久留御魂神社8

こんなふうに、茂みの中に
龍くんも隠れていたりするもんね・・・

大事なことは隠れてるんだよね、きっと。

美具久留御魂神社9

ただ、ここの盃状穴は深く大きく作られていました。
力強さはヒシヒシと感じます。

美具久留御魂神社10

力強さは、あの門の向こうからも。

美具久留御魂神社11

わ~!

やっぱりオリジナルキャラクターがいた~!

o(。´・∀・`。)o♪ 

みぐくるん! キラキラネームだよ☆彡

美具久留御魂神社12

絵馬にもなってる!
やっぱり謎めいてるから、ファンタジー色が濃いんだよね。

みぐくるんは男神。祭神の大国主命なのでしょう。
緑色と水色は、地球を表わしているようながします。
きっと國魂でもありますね。

美具久留御魂神社13

ここに立つと、出雲の神魂神社に似ているな・・・と思いました。

美具久留御魂神社14

武部さんも、ここはお気に入りの神社だと仰っていました。
関連記事を紹介します↓

美具久留御魂神社と三輪山
http://blog.livedoor.jp/omtakebe/archives/22961140.html

私も、どの神社も、
三輪山によって束ねられているのかなと思います。

美具久留御魂神社15

【祭神】

美具久留御魂大神(大国主命)を主祭神とし、
左殿に天水分神(あめのみくまりのかみ)、弥都波迺売命(みずはのめのみこと)
右殿に国水分神(くにのみくまりのかみ)、須勢理比売命(すせりひめのみこと)を配祀する。

左右殿に同じ神を祀る建水分神社を上水分社と呼ぶのに対し、
当社は下水分社(しものすいぶんのやしろ)とも称された。

美具久留御魂神社16

【由緒による創建】

社伝によれば、崇神天皇10年(紀元前88年)、
この地にしばしば大蛇が出没したので、天皇自ら視察して
「これは大国主命の荒御魂によるものである」と言い、
出雲振根に杵築大社から生大刀・生弓矢を勘請させ
大国主命の神体として祀らせたのに始まるという。

崇神天皇62年、丹波国氷上郡の氷香戸辺が神懸かりして
「玉萎鎮石(たまものしずし)。
出雲人祭(いずもひとのいのりまつる)真種之甘美鏡(またねのうましかがみ)。
押羽振甘美御神(おしはふるうましみかみ)底宝御宝主(そこたからみたからぬし)。
山河之水泳御魂(やまがわのみくくるみたま)静挂甘美御神(しずかかるうましみかみ)。
底宝御宝主也(そこたからみたからぬしなり)」 と宣託した。

天皇は直ちに皇太子の活目入彦命(後の垂仁天皇)を当社に遣わして祀り、
「美具久留御魂(みくくるみたま)」の名を贈り、相殿に四神を配祀したという。

美具久留御魂神社17

祟るから祀りましょう・・・というこの流れ。
出雲神の祟りであるという、同じような話。

ここで崇神天皇の命を受けて
美具久留御魂(大国主)を祀ったのは、皇太子の垂仁天皇。

やがて、その祭祀は、垂仁天皇の息子で
弓矢を望んだ入色入彦命(五十瓊敷命)に引き継がれます。
石上神宮の神宝に纏わる重要人物として、当地にも祭られる神と成ります。

もうひとつの崇神天皇の御代の話として、
三輪山の大物主祭祀に大田田根子が選ばれた出来事とも似ています。

垂仁天皇の御代では、長子の誉津別皇子は、
7歳になっても話すことができなかったが
皇后の夢枕に、天甕津日女命(あめのみかつひめのみこと)が顕われて
「自分にはまだ祝(はふり)がいないので、自分を祭祀してくれる者を与えてくれたなら、
皇子は話せるようになり、寿命も延びるであろう」と祀らせた。

出雲を祀る・・が共通項。

この地域の神社は、何処へ行っても似た話にぶち当たり、驚いてしまいます。
ほんとうに、出雲・蛇を恐れていて、天皇自ら、また天皇の息子、周囲人々が
手厚く祀ってきた歴史が記されています。

美具久留御魂神社18

武部さんの「武部」は、
出雲にも同じ名前の神社があり
出逢った時から気に留めていました。

大国主命も、事代主も、みかつひめも、
出雲に帰れば、みんな私の氏神様。

ここから引き出されていくことが、
きっと大調和への大きなうねりとなるのでしょう。
そんな予感がしています。

美具久留御魂神社19

神社の裏手が古墳という事で、向かいました。

途中のお稲荷さんです。

美具久留御魂神社20

祠からのエネルギーを受けて
樹木が一方方向へ幹を伸ばして枝を広げています。
ダイナミック。

美具久留御魂神社21

水が湧く井戸なのでしょうか。
水泳御魂(みくくるみたま)の名に
相応しい場所に出会えました。

美具久留御魂神社22

お稲荷さんの宝珠が、ちょっと変わってる・・・
これが宣託にでた神宝と関連しているのかなぁ?

美具久留御魂神社23

森の中は、いろんな神社の遥拝所になってるらしいです。

美具久留御魂神社24

神社裏の丘陵のトップに到着しました。

宮神社裏山古墳群
(美具久留御魂神社裏山古墳群)が分布する、とあります。

・古墳時代前期の前方後円墳1基(1号墳)
・後期の円墳3基(2-4号墳)の計4基から構成される古墳群。

そのうち前方後円墳(1号墳)は墳丘長約58メートルを測り、
墳丘上では円筒埴輪(朝顔形埴輪含む)が検出されているほか、
1930年(昭和5年)頃に墳丘付近で銅鏡1面が出土したと伝わっています。

美具久留御魂神社25

奥神籬。

美具久留御魂神社26

ここも、清々しい場所でした。

美具久留御魂神社27

大蛇の伝説があるから、
蛇と遭遇したりするかな~と思ったりしましたが、
見かけなかったですね。

美具久留御魂神社28

美具久留御魂神社29

何処に行っても、虹色の光が降り注ぎます。

そこはやはり、紛れもないゼロ磁場。

鳳凰が降臨する場所なんだと思います。

美具久留御魂神社30

拝殿の下にある鳥居から。
東を見ると真正面に「二上山」が見えます。

美具久留御魂神社31

あの山の真ん中から、
素晴らしい御来光が拝めるなんて素敵です。

水の場所って、太陽の光で輝くのだと思います。

ここに来れて、良かった♪

武部さん、ありがとう。ヾ(o´∀`o)ノ




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  1. 2019/08/12(月) 18:16:46|
  2. 神社仏閣めぐり(大阪)

サルタヒコの道標 part.6 法道寺

法道寺1

8/7(水)のことです。

この日は、ブログ「火(ホ)と「ニワ」と鍋釜」の執筆者、武部正俊さんと
南海高野線・金剛駅で9時頃待ち合わせして
畿内の神社仏閣へと出かけていました。

武部正俊さんのブログはこちら↓

「火(ホ)と「ニワ」と鍋釜」
http://blog.livedoor.jp/omtakebe/

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堺市南区鉢ヶ峯の國神社を後にして、
向かい側の、法道寺(ほうどうじ)へ参拝しました。

立派なお寺です。\( 'ω')/

法道寺2

寺伝によれば、
白鳳10年(670年)に法道(空鉢)によって開基され、
山号は法道が当地に鉢を納めたことによる。

かつては多くの支院・支坊を有し、長福寺(ちょうふくじ)という名称であった。
平安時代前期には空海をはじめ最澄や円仁などがこの寺に参篭したという。
多くの寺領が寄進され隆盛をきわめた時期もあったが、
兵火にあって衰退した時期もある。

江戸時代、8代将軍徳川吉宗の嫡男・長福丸(ながとみまる、後の9代家重)が
将軍後継となったため法道寺と改められた。

法道寺3

山号は鉢峯山
院号は閑谷院

宗派は高野山真言宗
本尊は薬師如来

重要文化財に、
多宝塔や十六羅漢像、鎌倉時代の食堂(じきぞう)があります。
阿弥陀如来坐像や金剛力士像も。

法道寺4

法道仙人の名のお寺・・・

そういえば、法道仙人について
いままでちゃんと書いてなかったような気がします。
このさい、一度おさらいしておきたいと思います。

6-7世紀頃、中国・朝鮮半島を経由して、日本へ渡来。
播磨国一帯の山岳などに開山・開基として名を遺す。

日本に渡るときに牛頭天王と共に渡ったとされ
その牛頭天王は姫路市にある広峰神社に祭られ、
その後現在は八坂神社中の座に祭られたとされている。

法道仙人が六甲山雲ヶ岩(紫雲賀岩)で修業中、
紫雲に乗って出現した毘沙門天を感得する。

雲ヶ岩、六甲比命大善神、心経岩を奥ノ院とする吉祥院多聞寺
(神戸市北区唐櫃)を創建する。
関東でも鉢山町や神泉町など地名が法道由来とされる。

法道寺5

牛頭天王のことも書いておこう。

『祇園牛頭天王御縁起』

牛頭天王の本地仏は東方浄瑠璃世界の薬師如来。
須彌山中腹にある「豊饒国」の武答天王の一人息子として姿をあらわす。
太子は、7歳にして身長7尺5寸、3尺の牛の頭、3尺の赤い角もあった。
王位を継承して牛頭天王を名乗る。
姿形の怖ろしさから、后になる女人はいない。
酒びたりの毎日を送るようになる。

3人の公卿が天王の気持ちを慰安しようと山野に狩りに連れ出す。
そのとき一羽の鳩があらわれる。
山鳩は沙掲羅龍王(八大龍王)の娘のもとへ案内すると言う。
牛頭天王は娘を娶りに出かける。

旅の途次、長者である弟の古単將來に宿所を求めたが断られた。
それに対し、貧乏な兄の蘇民將來は歓待して宿を貸し、粟飯を振舞った。
蘇民の親切に感じ入った牛頭天王は、願いごとがすべてかなう牛玉を蘇民に授ける。
のちに蘇民は富貴の人となった。

龍宮へ赴いた牛頭天王は、沙掲羅の三女の頗梨采女を娶り、
8年をそこで過ごす間に七男一女の王子(八王子)をもうけた。
豊饒国への帰路、牛頭天王は八万四千の眷属を差向け、古単への復讐を図った。
古単は千人もの僧を集め、大般若経を七日七晩にわたって読誦させたが、
法師のひとりが居眠りしたために失敗し、眷属五千余はことごとく蹴り殺された。
牛頭天王は古単の妻だけを蘇民将来の娘であるために助命して、
「茅の輪をつくって、赤絹の房を下げ、『蘇民将来之子孫なり』との護符を付ければ、
末代までも災難を逃れることができる」と除災の法を教示した。


・・・・やっぱり、スサノオっぽい。

ここに出てるのは「鳩」ですが、
鳥はここでも重要な役割を果たしています。

疫病の神である牛頭天皇と
救世の薬師如来。

両者が陰陽関係なところは興味深いです。

法道寺6

サルスベリ(百日紅)の大きな木が花盛りで
とても印象深かったです。

法道寺7

ここに参拝したのは、8/7でした。

次の日、8/8は摩耶山天上寺の秘仏御開帳の日。
正午の法要のあとで、外に出てみると
空には龍と虹色の鳳凰が現われていました。

金鳥・金鶏・鳳凰・・・・光の鳥
それがそのタイミングで空に現れたことと、
前日にここに訪れたことは、繋がっていると思いました。

法道寺8

法道寺9

小さな池。
鏡の役割を果たしているのかな。

法道寺10

法道仙人と祇園の牛頭天皇。
スサノオと熊野。
龍と海神、弓矢と鳥。

いろいろ揃ってて
ラノベが一冊書けそうな感じです。

テーマ:心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル:心と身体

  1. 2019/08/12(月) 13:52:42|
  2. 神社仏閣めぐり(大阪)

サルタヒコの道標 part.5 國神社とその周辺

國神社1

8/7(水)のことです。

この日は、ブログ「火(ホ)と「ニワ」と鍋釜」の執筆者、武部正俊さんと
南海高野線・金剛駅で9時頃待ち合わせして
畿内の神社仏閣へと出かけていました。

武部正俊さんのブログはこちら↓

「火(ホ)と「ニワ」と鍋釜」
http://blog.livedoor.jp/omtakebe/

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堺市南区の桜井神社では、
国宝の拝殿の先へ進んでいくと、合祀された國神社の社があり、
そして元の國神社から運ばれたであろう灯篭や磐座ともご対面できました。

ここが元の國神社。
ということで、やってまいりました。

國神社6

堺市南区上神谷字鉢峯とに鎮座。

道路を挟んで向かい側には、大きなお寺・法道寺があります。
法道仙人ゆかりのお寺で、大きくてとても立派。

対してこちらの國神社は、
ひっそりと茂みの奥に隠れていて目立ちません。
対称的なお寺と神社です。

裏手の丘は墓地になっていて、お墓だらけ。
日が暮れると寂しい雰囲気になりそうですが、
なぜだろう・・・どうにもこうにも、魅かれるものがあります。

鉢峯の丘陵の中で、
いちばん良い位置はココだ!
と直感的に感じるのです。

國神社について、その周辺も含めて
ここはタダならぬ場所だと書いていらっしゃる
武部正俊さんの関連記事はこちらです↓

鉢ケ峯寺の國神社
http://blog.livedoor.jp/omtakebe/archives/55271647.html

鉢ケ峯寺の國神社の不思議-02 國神社の立地の重要性
http://blog.livedoor.jp/omtakebe/archives/77308491.html

國神社4

武部さん曰く、これが聖地を示すとされるカゴノキ、とのこと。
鳥居のすぐそばにありました。

クスノキ科の樹木で
大きくなると樹皮が鹿の子模様になるから、鹿子の木、ということです。

樹皮からイメージできるのは
実は「蛇」なんじゃないか?と武部さん。

私もいま、蛇をモチーフに組紐を組もうとしているので
まさにそれだ!と思いました。

國神社5

「迷彩模様」にも見えますが、
↑これって、ちょっと現代的な見方かもしれませんネ。

色彩豊かで、とにかく絵になる木ですね。
標しとして、ここにあるんだ、と言われたら、妙に納得できます。

國神社2

おぉ・・・

\( 'ω')/

狭山神社の岳主社(大山祇神・猿田彦大神)のところで
降り注いでいたのと同じ光がここにも。

歓迎してくださっているように感じました。

由緒通りに、天照大神が鳳凰となって降臨したという伝承は、
こんな虹色の光の鳳凰だったのかしら・・・と想像します。

8/8、摩耶山天上寺の秘仏御開帳のときに現れた
あの虹の鳳凰のように。虹色スポットです。

鳳凰はいま、六甲周辺・金鳥山周辺に出現していますが
鳳凰自体がいまとてもホットな存在゛あることは間違いないですね。

國神社7

石段を上り詰めると、小さな祠がありました。

ここもちょっと、モヤっています。

國神社8

もういちど撮ると、ちゃんとクリアに写りました。
祭祀場という雰囲気です。

【祭神】
・天照大神
・幸魂奇魂大物主神
・ 天光神・金峯・熊野・白山・山王各権現


時代を経て、神様オールスターズみたいになってるようです。

【由緒】

垂仁天皇八年、天照大神鳳凰の形を現し、襲の峰に降臨せらる。
景行天皇の御宇降臨の跡を祀り社を営ましめらる。
是が国神社の起因である。爾来この地を神の郷という。
上神谷(にわだに)の名亦之に因る。
ついで同帝五十五年神鳳を曽抄の里に遷座せらる。
即ち今の大鳥神社である。祭神天照大神外四権現合祀す。


祭日は10月5日当日朝境内に於いて、鉢ヶ峯保存会により「鼓踊 こをどり」を奉納す。
明治四十三年に片蔵の式内桜井神社に合祀された。


神奈備にようこそ・國神社址より
http://kamnavi.jp/en/izumi/hatimine.htm

國神社9

現在は、鉢峯と呼ばれるこの地域。
由緒にあるように、垂仁天皇の時代、天照大神が鳳凰となって降臨・・の頃は
ここは襲の峰として知られている場所だった。

「襲」という字は、ちょっと穏やかではない印象を受けますが
どんな意味が込められているのかな?と気になりました。

漢字教育士ひろりんの書斎・「襲」と「おそう」
http://hccweb6.bai.ne.jp/~hgd17901/hirorinhp/1%20kanji/1%20ronkou/syuuosou!.html

・「襲」には「襲撃」「強襲」などの用法と、「世襲」「襲名」などの用法がある。
・また、「おそう」という日本語にも、人に攻撃を加える意味と、人のあとを継ぐ意味とがある。
・襲は「衽(えり)を左にしたる袍(ほう=わたいれ)なり」とされ、衣服の一種である。
・「字統」では、襲は龍と衣との会意文字で、死者の衣上に呪飾として龍の文様を加えたことによるといい、
・「字訓」では、霊を受けるために着る呪衣であり、覆うて身につけることを言うという。
・「字通」では、「即位嗣襲のときに服するものであるらしい。


ここに立つと、風が吹いてきました。
蒸し暑い日でしたが、清々しい涼風に感じられました。

國神社の背後が、現代はお墓だらけであることが気になっていました。
國神社って、現代でいう「護国神社」や「靖国神社」のような役割を
果たしているのかもしれません。

そして、是が国神社の起因で、以来、この地を「神の郷」という。

ここで、最初に参拝した狭山神社の摂社、
狭山堤神社(さやまつつみじんじゃ)のことを、ふと思い出す・・・

堤神社の祭神は、入色入彦命(五十瓊敷命)

この方は、垂仁天皇と日葉酢媛命(2番目の后)の子で、
弟の景行天皇(ヤマトタケルの父)とは血を分けた兄弟同士。
彼は皇位継承者でありながらそれを望まず弓矢を望み、
狭山池を掘ったりして堤神社の祭神となっています。

菟砥川上宮(うとのかわかみのみや)、
大阪府泉南郡阪南町の菟砥川流域)にて、剣1千口を作り
石上神宮(奈良県天理市)に納めました。

そして以後、五十瓊敷命は石上神宮の神宝を管掌した。

狭山堤神社の起因は、この国神社。出発点。

本来は、是國神社 と呼ぶべきかもしれないです。

それとも、國是神社となるのかな?

うーん、、やっぱり 國神社 でいいのか。

シンプルなほどインパクト大ですね。 

「是」の意味するもの。

・ただしい。正しいと認める。 「是正」「是認」
・よいとして定めた方針。「国是」「社是」
・これ。ここ。この。「色即是空」

反対は「非」

「堤」は、「是」に「土」を足して「つつみ」と読む。
狭山神社でみた九曜紋。
その真ん中の大きな〇は、「土」であり聖観音でした。
ほんとうは、狭山堤神社も「國是神社」なんだと思います。

私は、最初に訪れていた
狭山堤神社で降りていた虹色の光が気になっていました。
それはまさに、虹の鳳凰で「國」是であるよ・・・との
メッセージだったからではないかと感じます。


また、垂仁天皇には、
最初の后・狭穂姫との間に生まれた、
誉津別王(品牟都和気命、ホムツワケ)という皇子がいました。
誉津別王は、14人いる子の中で最初に生まれた御子。長男です。

彼に纏わるエピソードがとても気になります。
それは、この國神社とも無関係ではないと思います。
ちょっと長いですが、wikiから抜粋します。

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誉津別王

【出生】

名の由来を記では稲城の焼かれる火中で生まれたので、
母により本牟智和気御子と名づけられたとする。
母の狭穂姫命はその兄狭穂彦の興した叛乱(狭穂毘古の反乱)の際に自殺。
紀では反乱の前に生まれていたとするが、火中から救い出されたのは記に同じ。
火中出産は木花咲耶姫の誓約につながるとの指摘がある。

誉津別皇子は父天皇に大変寵愛されたが、
長じてひげが胸先に達しても言葉を発することがなく、
特に『日本書紀』では赤子のように泣いてばかりであったという。

【言葉を発するまで】

『日本書紀』によると皇子はある日、鵠(くぐい、今の白鳥)が渡るさまを見て
「是何物ぞ」と初めて言葉を発した。
天皇は喜び、その鵠を捕まえることを命じる。
湯河板挙(鳥取造の祖)が出雲(一書に但馬)で捕まえて献上し、
鵠を遊び相手にすると、誉津別命は言葉を発するようになった。
ここに鳥取部・鳥飼部・誉津部を設けたとある。

一方『古事記』では、誉津別皇子についてより詳しい伝承が述べられている。
天皇は尾張の国の二股に分かれた杉で二股船を作り、
それを運んできて、市師池・軽池に浮かべて、皇子とともに戯れた。
あるとき皇子は天を往く鵠を見て何かを言おうとしたので、
天皇はそれを見て鵠を捕らえるように命じた。
鵠は紀伊・播磨・因幡・丹波・但馬・近江・美濃・尾張・信濃・越を飛んだ末に捕らえられた。
しかし皇子は鵠を得てもまだ物言わなかった。
ある晩、天皇の夢に何者かが現れて「我が宮を天皇の宮のごとく造り直したなら、
皇子はしゃべれるようになるだろう」と述べた。
そこで天皇は太占で夢に現れたのが何者であるか占わせると、
言語(物言わぬ)は出雲大神の祟りとわかった。
天皇は皇子を曙立王・菟上王とともに出雲(現:島根県東部)に遣わし、
大神を拝させると皇子はしゃべれるようになったという。
その帰り、皇子は肥長比売と婚姻したが、垣間見ると肥長比売が蛇体であったため、
畏れて逃げた。すると肥長比売は海原を照らしながら追いかけてきたので、
皇子はますます畏れて、船を山に引き上げて大和に逃げ帰った。
天皇は皇子が話せるようになったことを知って喜び、菟上王を出雲に返して大神の宮を造らせた。
また鳥取部・鳥甘部・品遅部・大湯坐・若湯坐を設けたという。

さらに、『釈日本紀』に引く『尾張国風土記』逸文では阿麻乃彌加都比女の祟りとする。
それによると誉津別皇子は7歳になっても話すことができなかったが、
皇后の夢に多具の国の神・阿麻乃彌加都比売が現れて、
「自分にはまだ祝(はふり)がいないので、自分を祭祀してくれる者を与えてくれたなら、
皇子は話せるようになり、寿命も延びるであろう」と言った。
そこで天皇は日置部らの祖・建岡君にこの神がどこにいるかを占わせた。
建岡君は美濃国の花鹿山に行き、榊を折って鬘(髪飾り)を作り、
ウケイして「この鬘の落ちたところに神はいらっしゃるだろう」と言った。
すると鬘は空を飛んで尾張国丹羽郡に落ちたので、建岡君は同地に社を建て、
また同地も鬘が訛って阿豆良(あづら)の里と呼ばれるようになったとある。

多具の国とは、出雲国の多久川流域とされ、
また阿麻乃彌加都比売は『出雲国風土記』秋鹿郡伊農郷にみえる
天ミカ津日女(もしくは楯縫郡神名樋山の項の天御梶日女)と同神とされる。

これらの話は神話研究では、記紀でのスサノオが大人になっても泣いてばかりであったことや、
また『出雲国風土記』でのアジスキタカヒコネが口が利けなかったという神話と比較されている。

國神社10

社の近くのカゴノキ。

「襲」の意味のひとつとして、
死者の衣上に呪飾として龍の文様・・・とありますが
カゴノキの樹皮も、そのような龍のウロコ紋もに見えてきます。

武部さんが仰るように、
「蛇」に見えるということは、「龍」でもあるということです。

古代出雲のトーテムは「龍蛇」
龍蛇が「地」なら、鳥は「天の日・月・星」の象徴かもしれない。

狭山神社に祀られていた堤神社の祭神、
垂仁天皇の皇子・入色入彦命(五十瓊敷命)は、
どうして皇位を望まずに「弓矢」を望んだのでしょうか?

弓矢は
・狩りが収穫をもたらすとして、幸(さち)・箭霊(さち)・幸福を現します。
・狩り・シャーマンの祈祷・呪術道具に使われ
・ハープ(竪琴)弦楽器の発祥起源でもあります。

いっぽう、腹違いの兄である誉津別皇子は、
鵠(くぐい)を見て言葉を発することが出来るようになった。

鵠(くぐい)は、
・白鳥はくちょうの漢名。
・弓の的の中心にある黒い星。ほし。

鵠(くぐい)には、こんな諺があります。

燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや
小人物には、大人物の志は理解できないということのたとえ。
「燕雀」は小さな鳥の意から転じて小人物、
「鴻鵠」は大きな鳥の意から転じて大人物のこと。

鴻鵠の志
大人物の志。
「鴻」は大鳥、「鵠」は白鳥のことで、どちらも大きな鳥。
転じて大人物のこと。

正鵠を射る
物事の要点・急所をつくこと。
「正鵠」は「せいこう」とも読み、要点・急所の意。

出雲には、星神信仰があったんだと思います。

天津甕星(あまつみかぼし)
=香香背男(かがせお)
=金星 

その信仰がありました。

『出雲国風土記』に登場する、
天甕津日女命(あめのみかつひめのみこと)
別名
・天御梶日女命 (あめのみかつひめのみこと)
・阿麻乃弥加都比女(あまのみかつひめのみこと)
・・・は金星を象徴する女神とも言われています。

天照大神の荒御魂
=撞賢木厳之御魂天疎向津媛命
(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと)
との関連も見られます。

=神功皇后が筑紫の小山田邑の斎宮で祈った時に神がかりした神
向津媛命は瀬織津姫(せおりつひめ)とも。

「みかつひめ」、「みかじひめ」、「むかつひめ」

響き・音。
それが言霊・言葉になるのだから。

天照大神が鳳凰になって降臨・・は、
金星・明けの明星を象徴する上記の女神なのかもしれません。

垂仁天皇の御代は、ホツマツタヱの中でも、
ヒボコの渡来などと共に語られていて
真実が暗喩となっているようで
霧や雲が懸かるようなニュアンスで記されています。

崇神天皇の頃からそれは始まっている・・・
想像力を逞しくしなければ、見えにくい世紀だなとつくづく思います。

國神社11

國神社の裏手は、ほんとうにお墓だらけで
ちょっと登っていくと、
丘の頂点にも石の祠がありました。

六甲山中の山神も、
こんふうに石の祠にして祭られている場所があます。
そこもカタカムナ伝承で名高い、金鳥山への登山道に。

まさに「鳳凰のあしあと」ですね。

國神社12

これが板根の木かぁ~。 
強そう。\( 'ω')/

國神社13

國神社=大國魂神だと思います。

ここの祭神・幸魂奇魂大物主神は、三輪山の神。

幸魂奇魂守給幸給・・・
(さきみたま くしみたま まもりたまえ さきはえたまえ)

これは、最も重要な唱詞(となえことば)です。

大己貴神(オホナムチ)が国造りの半ばで少彦名命(スクナヒコナ)に
常世郷に先立たれて困難に直面し、出雲国に至り言挙げした時、
海のかなたから、光る神が近づいてきた。
それが「幸魂奇魂」(さきみたまくしみたま)であった。

「今何処にか住まむと欲ふ」との問いに
「三諸山(みむろのやま)に住まむと欲ふ」と答えたので、
大己貴神その地に宮を作り大三輪の神となった。

大国主大神は、「幸魂奇魂」の存在を知り、
そして自分自身の中に潜む「幸魂奇魂」の霊力により「縁結びの神」になられた。

「幸魂奇魂」の「幸」(さき)は、「咲き」や「裂き」であり、増殖や分裂である。
「幸魂奇魂」の「奇」(くし)は、「串」や「櫛」であり、「整え」や「統一」を意味する。
「幸魂奇魂」は「分化繁殖」したモノを「整え統一」させ、大国主大神の道に神習い、
明るく和やかな日々が送れるということを意味する。

神様のエネルギーは、私たちの中心にあって
4つの性質のバランスを取りながら生きています。

それが、きっと、こういう場所に立つと
整っていくんだと思います。

三輪山もそんな場所であり、ここもゼロ磁場。
幸魂奇魂大物主神は、そのことを伝えてくれています。

國神社頂点1

ここに来てから、
書ききれないほどのストーリーが頭の中をめぐります。
いろいろありすぎて、うまく纏まらないんです。

もうひとつの國神社に纏わる石の祠が有るポイントへと
武部さんは案内してくださいました。

場所は、法道寺からも、ほど近い所。
でも、ご近所の皆さんにも
そこはあまり知られていないようなところらしいです。

國神社頂点2

お地蔵さんが目印となっているようです。

國神社頂点4

通りすがりに立ち止まり、手を合わせる。
そしてまた道なりに歩き出す・・・そんな場所。

でも、その裏手の藪を、私たちは
ガシガシ切り込んで登っていくんですね~!

まだ道にもなっていない山道を行く・・・

國神社頂点5

木々の茂る丘の上に到着。

すると、ビックリ。 (◎_◎;)

さっき見ていた國神社の裏手の丘にあった石の祠と
同じような小さな御殿が、ここにも出現しました。

國神社頂点6

近くで見ても、同じような祠。
ここはきっと、神聖なサルタヒコの道標。
それを仁王立ちで見下ろしている図です。

國神社頂点7

ここで、上森三郎さんがプロデュースされた
フラーレン構造のゼロ磁場装置・テラファイト・コアを
宝珠の代わりになるかな・・・と思い、乗っけてみました。

國神社頂点8

テラファイト・コアを中心にして、
手を合わせていると風が吹いてきました。

爽やかな風です。

幾ら地元とはいえ、、こんなところを
独自の感覚とインスピレーションで探し当ててしまうとは。
やっぱり武部さんは只者ではないな・・・と思いました。

そして、國神社について、ますます興味が湧いてきました。

今回書いていることは、ここに来て感じたままのことや
知っていたことを照らし合わせて掴めたことです。
新たに調べて、やっぱり、と確信することもありました。

そしてそれは、ほんの一部に過ぎなかったりします。
少しずつ、関連していくことを、
これからも書き出していけたらいいなと思っています。

たぶん、たくさん歩くことにもなるでしょう。

続きます。。。


テーマ:心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル:心と身体

  1. 2019/08/12(月) 11:53:23|
  2. 神社仏閣めぐり(大阪)
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