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瑠璃の星☆彡

写真・イラスト・旅日記

サルタヒコの道標 part.9 叡福寺

叡福寺1

8/7(水)のことです。

この日は、ブログ「火(ホ)と「ニワ」と鍋釜」の執筆者、武部正俊さんと
南海高野線・金剛駅で9時頃待ち合わせして
畿内の神社仏閣へと出かけていました。

武部正俊さんのブログはこちら↓

「火(ホ)と「ニワ」と鍋釜」
http://blog.livedoor.jp/omtakebe/

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ずいぶんまえに、叡福寺に訪れたことがありました。
それは西国三十三か所巡りをしていた時だったと思います。

叡福寺といえば、如意輪観音。

それ以外に強い印象をもってはいなかったので、
久しぶりに訪れると、覚えていないことだらけでした。
なので、初めて来たような感覚でした。

叡福寺2

武部さん曰く、

「聖徳太子廟」は「美具久留御魂神社」と「三輪山」を結んだラインの真下にある。

武部さんのブログには、地図に線が引かれていて、
実地調査もなされていて、さらに関連個所のリンクも豊富です。
私のような感覚人間が読んでいくと、そこには力強い説得力を感じます。

ここにひとりで来ていたら、仏像だけに関心を寄せたかもしれない。
けれどこのときは、如意輪観音のことは、すっかりどうでもよくなっていて (;・∀・)
今回は、だいぶ見方が変わっていたように思います。

叡福寺3

ここもあれかな?
根来の弁柄っぽい色。その造りっぽい。

あ、適当に言ってしまいました。
違ってたらゴメンだけど。。(''◇'')ゞ

叡福寺4

叡福寺5

叡福寺は聖徳太子ゆかりの寺として知られていて
平安時代の嵯峨天皇をはじめ多くの天皇の参拝があったようです。

平清盛は重盛に命じて堂塔の修理をしていて
空海・良忍・親鸞・日蓮・一遍なども参籠したそうです。

三輪山のラインを熟知しての参籠だったのでしょう。

叡福寺6

この石柱がビッシリ取り巻いている姿が面白いです。

こんなケーキがあるよね?
そうそう、シャルロット(Charlotte)♪
女性の帽子に見立てたフランスの洋菓子です。

\( 'ω')/

私が女子力を発揮して妄想を膨らましているなか、

武部さんは、んなこたどうでもいいわ、とばかりに
なにやらスマホを片手にして調べておられました。

叡福寺7

この石柱を凝視していると、

武部さんが、スマホの画面を印籠のように差し出して
石柱に書かれた同じ梵字を見せてくれました。

サ(स、sa)

聖観音(しょうかんのん)

梵名アーリヤ・アヴァローキテーシュヴァラ
(梵: आर्यावलोकितेश्वर [Āryāvalokiteśvara])
種子はサ(स、sa)
キリーク(ह्रीः、hrīḥ、フリーヒ)など。

この石柱は、空海が施したと伝えられているとか。

狭山神社で見た、九曜紋の真ん中も、聖観音で「サ」でした。
やっぱり、ちゃんと繋がっていますね♪

聖徳太子の生誕地とされる、橘寺にも如意輪観音。
橘寺→叡福寺→兵庫県太子町の斑鳩寺とは一直線に並ぶそうです。

如意輪観音といえば、甲山神呪寺との繋がりもありそうです。
甲山周辺にも88か巡りの神呪寺磐座めぐりが設定されています。

花山法皇は、叡福寺の僧だった仏眼上人の導きを得て、
西国三十三所を復興したとも言われます。

これだけ空海や仏眼、花山法皇、聖徳太子などが関わってくると
六甲山周辺のことが、どうしても思い出されてしまいます。

さらに、六甲山系についていえば、
摩耶山天上寺では、現在、33年に1度の秘仏御開帳。

令和元年8月8日は、「四万六千日大祭」といって、
十一面観音様の御利益を一年中で最も多く頂ける日
(観音最多功徳日)として知られています。

8/8~8/9の境の時刻、すなわち9日午前零時には、
ご本尊の観音様に向けて天から除災招福の星がくだるとの言い伝えもあります。
これを、摩耶の夜参り・星下り会式という。
そこは、空海ゆかりの金星台、ビーナスブリッジも近いのです。

摩耶山天上寺の秘仏は十一面観音。

聖観音の縁日は毎月18日。←666
聖観音も、7月10日は特別で、四万六千日。

ふたつの観音の共通点を数霊は教えてくれている。

吉野信子先生のカタカムナでは、33はアマテラスコード。
西国33か所には、太陽神・アマテラスのコードが見いだせる仕組みがありそう。
対する空海の88か所は、摩耶山の祭りを見ても、
星☆彡のコードが散りばめられていると確信します。

叡福寺8

三輪山周辺に来ると、
こうしていつも出雲と六甲のことばかり考えてしまいます。

他を知らないだけかもしれないけれど
探せば幾らでもその理由が見つかってしまいますね。

叡福寺9

石の塔があちこちにあります。

五母音の響きに対応してたりするんじゃないだろうか。。。

叡福寺12

叡福寺北古墳(磯長墓)
裏手にまわっても、二重の結界石が置かれています。

聖徳太子、太子の母・穴穂部間人皇女、太子の妃・膳部菩岐々美郎女が埋葬されていて
「三骨一廟」と呼ばれるそうですが、異説もあるそうです。

私も、それについては、正直よく分かりません。

結界石の意味を知ると、
大切なものが守られているのは確かだと思えるけれど。

叡福寺13

ここに書いたように、
お釈迦様のお母さん・摩耶夫人のお祭りと
聖徳太子廟の共通点を微妙に見つけてしまうと
釈迦・キリスト・太子の三者の関係を
ひとつに結ぶものがありそうな気がしてます。

それも三輪山だったりするのかもしれません。
あるいは、神河町にあるのかな。

いずれにしても、
太陽・月・星が綺麗に光って輝きだす
フトマニ図のように。
そんな仕組みのように思えます。

叡福寺14

なかなか終わりの見えない旅ですが、
霧が少しずつ晴れていくような爽快感があります。

やっぱり楽しいなぁ♪





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  1. 2019/08/12(月) 21:23:44|
  2. 神社仏閣めぐり(大阪)

サルタヒコの道標 part.8 美具久留御魂神社 御旅所の磐座

美具久留御魂神社磐座1

8/7(水)のことです。

この日は、ブログ「火(ホ)と「ニワ」と鍋釜」の執筆者、武部正俊さんと
南海高野線・金剛駅で9時頃待ち合わせして
畿内の神社仏閣へと出かけていました。

武部正俊さんのブログはこちら↓

「火(ホ)と「ニワ」と鍋釜」
http://blog.livedoor.jp/omtakebe/

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美具久留御魂神社の一の鳥居?の近くだったと思います。
「もう一か所、案内したい場所があるから」と
寄って頂いたのがこの磐座がある場所でした。

おぉ~! \( 'ω')/

うっすらとではありますが
天から青い光が射してます。

美具久留御魂神社磐座2

武部さんは、この磐座のことを
ご自身のブログでも紹介されていて・・・

美具久留御魂神社と三輪山
http://blog.livedoor.jp/omtakebe/archives/22961140.html

「美具久留御魂神社」の本殿→拝殿→鳥居→御旅所→二上山の方向は、
ドンピシャで「三輪山」を指示している!

・・・と仰っています。

この岩は、「美具久留御魂神社」の御神輿を乗せる御旅所、ということらしいです。

私は、お供物や捧げものを載せる御饌台なのかな?
病の人々を癒すためのベッドかな?
ウズメが乗って踊る祭祀場のお立ち台なのかな?

・・・などと、いろいろ想像を巡らせていました。

岩のためだけの広場!

遊具が有っても違和感がない場所なのに、
磐座だけのための広場なので、
やけにスッキリしていたのが印象的でした。

武部さんの三輪山に繋がるラインも面白いですが
上森三郎さんが、さらに深みへ誘ってくださってます。↓

美具久留御魂神社の御旅所の石が示す方位
http://blog.livedoor.jp/omtakebe/archives/56367195.html

磐座ひとつから、たくさんのサインを示されています。

美具久留御魂神社磐座3

ここでも、磐座の蔭がモヤっています。

この上で寝転がってみたい衝動にかられました。

注連縄が張られているし、
神聖視されているので無茶はできませんでしたが
いい夢が見れるんじゃないかなぁ~と思いましたヨ。









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  1. 2019/08/12(月) 19:54:05|
  2. 神社仏閣めぐり(大阪)

サルタヒコの道標 part.7 美具久留御魂神社

美具久留御魂神社1

8/7(水)のことです。

この日は、ブログ「火(ホ)と「ニワ」と鍋釜」の執筆者、武部正俊さんと
南海高野線・金剛駅で9時頃待ち合わせして
畿内の神社仏閣へと出かけていました。

武部正俊さんのブログはこちら↓

「火(ホ)と「ニワ」と鍋釜」
http://blog.livedoor.jp/omtakebe/

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この日は午前中、すでに6か所の堺の神社仏閣に参拝していました。
すでにpart.7です。

キツイ山登りは無く、丘陵地帯でしかも近距離。移動が楽。
それにしても、サクサクとよく行ってきたなぁ~と思います。
それでいて、中身はとっても濃いような・・・

ごはんを食べた後で、後半スタート。
失速していくかなと思いきや、ここからがまた楽しかった・・・!

スゴイよ!堺!
ねぇ!武部さん!

というわけで、気持ちもあらたに
美具久留御魂神社(みぐくるみたまじんじゃ)へ参拝しました。
こちらは大阪府富田林市宮町3丁目に鎮座。

美具久留御魂神社2

みぐくるみたま・・・
ミグクルミタマ・・・
migukurumitama・・・

なんかラノベの設定みたいな
中二心をくすぐるネーミングの神社だこと・・・

神社にもキラキラネームってあったんや・・・

(*´∀`*)

失礼ながらそれが第一印象でした。
音の響きに、すごく魅かれるんですよね。
なんだか、可愛らしいというか・・・
大和言葉とはべつの音霊から伝わってくるモノがある感じ。

古代倭国に存在したという、カラ族・クル族の、
クル族に関係している場所なのかもしれないなぁ。
そんなことを、ふと思ったりもして。

そうだとすると、やっぱりラノベが一冊書けるような
妄想の範疇で語っていく事に成るのかもしれないけれど
できるだけ、遺されている文献や伝承からの読み解きを心みたいと思います。

こちらのサイトを見ていると↓

大阪観光案内公式サイト・美具久留御魂神社
https://osaka-info.jp/page/migukurumitamajinja

「みぐくるみたま」という名は、「水泳御魂(みくくるみたま)」
水を司り、山からの水を土地に配分する神を祭ることに由来すると書かれています。
水の気が溢れていたら、それが一番正しいのかもしれない。

美具久留御魂神社3

そんなことを考えながら、鳥居を潜ると、
横にいた狛犬さんが、なにかを抱いている?

美具久留御魂神社4

私 「えーと、なんだっけ?」
武 「さるぼぼ!」

(´・∀・`)ヘー

さるぼぼは、猿の赤ちゃん。
ということは、幼児のサルタヒコかぁ~。 

飛騨高山など岐阜県飛騨地方で昔から作られる人形。
さるぼぼの源流を辿ると、奈良時代に遣唐使が唐(中国)から伝えた
「這子(ほうご)」や「天児(あまがつ)」と呼ばれる形代が原型とされています。

最初に当時の貴族の間で”産屋のお守り”として正絹で作られたものが流行し、
その後家にある余り布などで作られた物が徐々に民間に広がっていく中で
「安産」や「良縁」「子供の成長」「無病息災」などを願うお守りとされていった。

ホツマツタヱの中でも、
9代目天君オシホミミと、皇后タクハタチチ姫の御子のために
アマテル神の側室ハヤアキツ姫が人形を作ったと書かれています。

人形の起源は「縄文土偶」だと私は思います。
人体は宇宙だと知っていた縄文人が大切にエネルギーの形を施した人形。
埴からつくられた土偶から、布への変化は大きいのでしょうけれど
素材や形が変化しいっても普遍の願いを込められるもののひとつがこうした人形だと思います。
未来にも、きっと、無くならないと思います。

野球ボールを持っているから、
これがどうしても勾玉・陰陽ボールに見えてしまうよ。

(⌒▽⌒)アハハ!

美具久留御魂神社5

参道には、面白いかたちの亀石もありました。
釜=亀かな。

美具久留御魂神社6

手水舎に書かれていたのは「水天宮」。

水天宮の総本宮は、福岡県久留米市に鎮座。

・天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、
・安徳天皇、高倉平中宮(建礼門院、平徳子)
・二位の尼(平時子)が祭神。
こちら平家一門の水に関わる神社です。

「美具久留」と「久留米」
ふたつの言霊はアマナグラムとしか思えません。

水天宮は日本全国にあるので、追っていくと
「クル」に関わるヒントになるのではないでしょうか。

いっぽう、岩清水八幡などの八幡神は源氏一門の水。

このカラ族・クル族に関して
興味深い内容のブログを見つけたのでリンクします。↓

新次元の叡智を生きるーBlue dragon for New Earth
2の1、カラ族から…クル族へと繫がるいま

https://trakl.exblog.jp/17862468/

新次元の叡智を生きるーBlue dragon for New Earth
2の2、カラ族から…クル族へと繫がるいま

https://trakl.exblog.jp/17862553/

美具久留御魂神社7

この場所は文献に残されなかった頃の重要聖地なんだなと思い、
ただ感じてみよう・・・と心に決めました。

美具久留御魂神社8

こんなふうに、茂みの中に
龍くんも隠れていたりするもんね・・・

大事なことは隠れてるんだよね、きっと。

美具久留御魂神社9

ただ、ここの盃状穴は深く大きく作られていました。
力強さはヒシヒシと感じます。

美具久留御魂神社10

力強さは、あの門の向こうからも。

美具久留御魂神社11

わ~!

やっぱりオリジナルキャラクターがいた~!

o(。´・∀・`。)o♪ 

みぐくるん! キラキラネームだよ☆彡

美具久留御魂神社12

絵馬にもなってる!
やっぱり謎めいてるから、ファンタジー色が濃いんだよね。

みぐくるんは男神。祭神の大国主命なのでしょう。
緑色と水色は、地球を表わしているようながします。
きっと國魂でもありますね。

美具久留御魂神社13

ここに立つと、出雲の神魂神社に似ているな・・・と思いました。

美具久留御魂神社14

武部さんも、ここはお気に入りの神社だと仰っていました。
関連記事を紹介します↓

美具久留御魂神社と三輪山
http://blog.livedoor.jp/omtakebe/archives/22961140.html

私も、どの神社も、
三輪山によって束ねられているのかなと思います。

美具久留御魂神社15

【祭神】

美具久留御魂大神(大国主命)を主祭神とし、
左殿に天水分神(あめのみくまりのかみ)、弥都波迺売命(みずはのめのみこと)
右殿に国水分神(くにのみくまりのかみ)、須勢理比売命(すせりひめのみこと)を配祀する。

左右殿に同じ神を祀る建水分神社を上水分社と呼ぶのに対し、
当社は下水分社(しものすいぶんのやしろ)とも称された。

美具久留御魂神社16

【由緒による創建】

社伝によれば、崇神天皇10年(紀元前88年)、
この地にしばしば大蛇が出没したので、天皇自ら視察して
「これは大国主命の荒御魂によるものである」と言い、
出雲振根に杵築大社から生大刀・生弓矢を勘請させ
大国主命の神体として祀らせたのに始まるという。

崇神天皇62年、丹波国氷上郡の氷香戸辺が神懸かりして
「玉萎鎮石(たまものしずし)。
出雲人祭(いずもひとのいのりまつる)真種之甘美鏡(またねのうましかがみ)。
押羽振甘美御神(おしはふるうましみかみ)底宝御宝主(そこたからみたからぬし)。
山河之水泳御魂(やまがわのみくくるみたま)静挂甘美御神(しずかかるうましみかみ)。
底宝御宝主也(そこたからみたからぬしなり)」 と宣託した。

天皇は直ちに皇太子の活目入彦命(後の垂仁天皇)を当社に遣わして祀り、
「美具久留御魂(みくくるみたま)」の名を贈り、相殿に四神を配祀したという。

美具久留御魂神社17

祟るから祀りましょう・・・というこの流れ。
出雲神の祟りであるという、同じような話。

ここで崇神天皇の命を受けて
美具久留御魂(大国主)を祀ったのは、皇太子の垂仁天皇。

やがて、その祭祀は、垂仁天皇の息子で
弓矢を望んだ入色入彦命(五十瓊敷命)に引き継がれます。
石上神宮の神宝に纏わる重要人物として、当地にも祭られる神と成ります。

もうひとつの崇神天皇の御代の話として、
三輪山の大物主祭祀に大田田根子が選ばれた出来事とも似ています。

垂仁天皇の御代では、長子の誉津別皇子は、
7歳になっても話すことができなかったが
皇后の夢枕に、天甕津日女命(あめのみかつひめのみこと)が顕われて
「自分にはまだ祝(はふり)がいないので、自分を祭祀してくれる者を与えてくれたなら、
皇子は話せるようになり、寿命も延びるであろう」と祀らせた。

出雲を祀る・・が共通項。

この地域の神社は、何処へ行っても似た話にぶち当たり、驚いてしまいます。
ほんとうに、出雲・蛇を恐れていて、天皇自ら、また天皇の息子、周囲人々が
手厚く祀ってきた歴史が記されています。

美具久留御魂神社18

武部さんの「武部」は、
出雲にも同じ名前の神社があり
出逢った時から気に留めていました。

大国主命も、事代主も、みかつひめも、
出雲に帰れば、みんな私の氏神様。

ここから引き出されていくことが、
きっと大調和への大きなうねりとなるのでしょう。
そんな予感がしています。

美具久留御魂神社19

神社の裏手が古墳という事で、向かいました。

途中のお稲荷さんです。

美具久留御魂神社20

祠からのエネルギーを受けて
樹木が一方方向へ幹を伸ばして枝を広げています。
ダイナミック。

美具久留御魂神社21

水が湧く井戸なのでしょうか。
水泳御魂(みくくるみたま)の名に
相応しい場所に出会えました。

美具久留御魂神社22

お稲荷さんの宝珠が、ちょっと変わってる・・・
これが宣託にでた神宝と関連しているのかなぁ?

美具久留御魂神社23

森の中は、いろんな神社の遥拝所になってるらしいです。

美具久留御魂神社24

神社裏の丘陵のトップに到着しました。

宮神社裏山古墳群
(美具久留御魂神社裏山古墳群)が分布する、とあります。

・古墳時代前期の前方後円墳1基(1号墳)
・後期の円墳3基(2-4号墳)の計4基から構成される古墳群。

そのうち前方後円墳(1号墳)は墳丘長約58メートルを測り、
墳丘上では円筒埴輪(朝顔形埴輪含む)が検出されているほか、
1930年(昭和5年)頃に墳丘付近で銅鏡1面が出土したと伝わっています。

美具久留御魂神社25

奥神籬。

美具久留御魂神社26

ここも、清々しい場所でした。

美具久留御魂神社27

大蛇の伝説があるから、
蛇と遭遇したりするかな~と思ったりしましたが、
見かけなかったですね。

美具久留御魂神社28

美具久留御魂神社29

何処に行っても、虹色の光が降り注ぎます。

そこはやはり、紛れもないゼロ磁場。

鳳凰が降臨する場所なんだと思います。

美具久留御魂神社30

拝殿の下にある鳥居から。
東を見ると真正面に「二上山」が見えます。

美具久留御魂神社31

あの山の真ん中から、
素晴らしい御来光が拝めるなんて素敵です。

水の場所って、太陽の光で輝くのだと思います。

ここに来れて、良かった♪

武部さん、ありがとう。ヾ(o´∀`o)ノ




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  1. 2019/08/12(月) 18:16:46|
  2. 神社仏閣めぐり(大阪)

サルタヒコの道標 part.6 法道寺

法道寺1

8/7(水)のことです。

この日は、ブログ「火(ホ)と「ニワ」と鍋釜」の執筆者、武部正俊さんと
南海高野線・金剛駅で9時頃待ち合わせして
畿内の神社仏閣へと出かけていました。

武部正俊さんのブログはこちら↓

「火(ホ)と「ニワ」と鍋釜」
http://blog.livedoor.jp/omtakebe/

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堺市南区鉢ヶ峯の國神社を後にして、
向かい側の、法道寺(ほうどうじ)へ参拝しました。

立派なお寺です。\( 'ω')/

法道寺2

寺伝によれば、
白鳳10年(670年)に法道(空鉢)によって開基され、
山号は法道が当地に鉢を納めたことによる。

かつては多くの支院・支坊を有し、長福寺(ちょうふくじ)という名称であった。
平安時代前期には空海をはじめ最澄や円仁などがこの寺に参篭したという。
多くの寺領が寄進され隆盛をきわめた時期もあったが、
兵火にあって衰退した時期もある。

江戸時代、8代将軍徳川吉宗の嫡男・長福丸(ながとみまる、後の9代家重)が
将軍後継となったため法道寺と改められた。

法道寺3

山号は鉢峯山
院号は閑谷院

宗派は高野山真言宗
本尊は薬師如来

重要文化財に、
多宝塔や十六羅漢像、鎌倉時代の食堂(じきぞう)があります。
阿弥陀如来坐像や金剛力士像も。

法道寺4

法道仙人の名のお寺・・・

そういえば、法道仙人について
いままでちゃんと書いてなかったような気がします。
このさい、一度おさらいしておきたいと思います。

6-7世紀頃、中国・朝鮮半島を経由して、日本へ渡来。
播磨国一帯の山岳などに開山・開基として名を遺す。

日本に渡るときに牛頭天王と共に渡ったとされ
その牛頭天王は姫路市にある広峰神社に祭られ、
その後現在は八坂神社中の座に祭られたとされている。

法道仙人が六甲山雲ヶ岩(紫雲賀岩)で修業中、
紫雲に乗って出現した毘沙門天を感得する。

雲ヶ岩、六甲比命大善神、心経岩を奥ノ院とする吉祥院多聞寺
(神戸市北区唐櫃)を創建する。
関東でも鉢山町や神泉町など地名が法道由来とされる。

法道寺5

牛頭天王のことも書いておこう。

『祇園牛頭天王御縁起』

牛頭天王の本地仏は東方浄瑠璃世界の薬師如来。
須彌山中腹にある「豊饒国」の武答天王の一人息子として姿をあらわす。
太子は、7歳にして身長7尺5寸、3尺の牛の頭、3尺の赤い角もあった。
王位を継承して牛頭天王を名乗る。
姿形の怖ろしさから、后になる女人はいない。
酒びたりの毎日を送るようになる。

3人の公卿が天王の気持ちを慰安しようと山野に狩りに連れ出す。
そのとき一羽の鳩があらわれる。
山鳩は沙掲羅龍王(八大龍王)の娘のもとへ案内すると言う。
牛頭天王は娘を娶りに出かける。

旅の途次、長者である弟の古単將來に宿所を求めたが断られた。
それに対し、貧乏な兄の蘇民將來は歓待して宿を貸し、粟飯を振舞った。
蘇民の親切に感じ入った牛頭天王は、願いごとがすべてかなう牛玉を蘇民に授ける。
のちに蘇民は富貴の人となった。

龍宮へ赴いた牛頭天王は、沙掲羅の三女の頗梨采女を娶り、
8年をそこで過ごす間に七男一女の王子(八王子)をもうけた。
豊饒国への帰路、牛頭天王は八万四千の眷属を差向け、古単への復讐を図った。
古単は千人もの僧を集め、大般若経を七日七晩にわたって読誦させたが、
法師のひとりが居眠りしたために失敗し、眷属五千余はことごとく蹴り殺された。
牛頭天王は古単の妻だけを蘇民将来の娘であるために助命して、
「茅の輪をつくって、赤絹の房を下げ、『蘇民将来之子孫なり』との護符を付ければ、
末代までも災難を逃れることができる」と除災の法を教示した。


・・・・やっぱり、スサノオっぽい。

ここに出てるのは「鳩」ですが、
鳥はここでも重要な役割を果たしています。

疫病の神である牛頭天皇と
救世の薬師如来。

両者が陰陽関係なところは興味深いです。

法道寺6

サルスベリ(百日紅)の大きな木が花盛りで
とても印象深かったです。

法道寺7

ここに参拝したのは、8/7でした。

次の日、8/8は摩耶山天上寺の秘仏御開帳の日。
正午の法要のあとで、外に出てみると
空には龍と虹色の鳳凰が現われていました。

金鳥・金鶏・鳳凰・・・・光の鳥
それがそのタイミングで空に現れたことと、
前日にここに訪れたことは、繋がっていると思いました。

法道寺8

法道寺9

小さな池。
鏡の役割を果たしているのかな。

法道寺10

法道仙人と祇園の牛頭天皇。
スサノオと熊野。
龍と海神、弓矢と鳥。

いろいろ揃ってて
ラノベが一冊書けそうな感じです。

テーマ:心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル:心と身体

  1. 2019/08/12(月) 13:52:42|
  2. 神社仏閣めぐり(大阪)

サルタヒコの道標 part.5 國神社とその周辺

國神社1

8/7(水)のことです。

この日は、ブログ「火(ホ)と「ニワ」と鍋釜」の執筆者、武部正俊さんと
南海高野線・金剛駅で9時頃待ち合わせして
畿内の神社仏閣へと出かけていました。

武部正俊さんのブログはこちら↓

「火(ホ)と「ニワ」と鍋釜」
http://blog.livedoor.jp/omtakebe/

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堺市南区の桜井神社では、
国宝の拝殿の先へ進んでいくと、合祀された國神社の社があり、
そして元の國神社から運ばれたであろう灯篭や磐座ともご対面できました。

ここが元の國神社。
ということで、やってまいりました。

國神社6

堺市南区上神谷字鉢峯とに鎮座。

道路を挟んで向かい側には、大きなお寺・法道寺があります。
法道仙人ゆかりのお寺で、大きくてとても立派。

対してこちらの國神社は、
ひっそりと茂みの奥に隠れていて目立ちません。
対称的なお寺と神社です。

裏手の丘は墓地になっていて、お墓だらけ。
日が暮れると寂しい雰囲気になりそうですが、
なぜだろう・・・どうにもこうにも、魅かれるものがあります。

鉢峯の丘陵の中で、
いちばん良い位置はココだ!
と直感的に感じるのです。

國神社について、その周辺も含めて
ここはタダならぬ場所だと書いていらっしゃる
武部正俊さんの関連記事はこちらです↓

鉢ケ峯寺の國神社
http://blog.livedoor.jp/omtakebe/archives/55271647.html

鉢ケ峯寺の國神社の不思議-02 國神社の立地の重要性
http://blog.livedoor.jp/omtakebe/archives/77308491.html

國神社4

武部さん曰く、これが聖地を示すとされるカゴノキ、とのこと。
鳥居のすぐそばにありました。

クスノキ科の樹木で
大きくなると樹皮が鹿の子模様になるから、鹿子の木、ということです。

樹皮からイメージできるのは
実は「蛇」なんじゃないか?と武部さん。

私もいま、蛇をモチーフに組紐を組もうとしているので
まさにそれだ!と思いました。

國神社5

「迷彩模様」にも見えますが、
↑これって、ちょっと現代的な見方かもしれませんネ。

色彩豊かで、とにかく絵になる木ですね。
標しとして、ここにあるんだ、と言われたら、妙に納得できます。

國神社2

おぉ・・・

\( 'ω')/

狭山神社の岳主社(大山祇神・猿田彦大神)のところで
降り注いでいたのと同じ光がここにも。

歓迎してくださっているように感じました。

由緒通りに、天照大神が鳳凰となって降臨したという伝承は、
こんな虹色の光の鳳凰だったのかしら・・・と想像します。

8/8、摩耶山天上寺の秘仏御開帳のときに現れた
あの虹の鳳凰のように。虹色スポットです。

鳳凰はいま、六甲周辺・金鳥山周辺に出現していますが
鳳凰自体がいまとてもホットな存在゛あることは間違いないですね。

國神社7

石段を上り詰めると、小さな祠がありました。

ここもちょっと、モヤっています。

國神社8

もういちど撮ると、ちゃんとクリアに写りました。
祭祀場という雰囲気です。

【祭神】
・天照大神
・幸魂奇魂大物主神
・ 天光神・金峯・熊野・白山・山王各権現


時代を経て、神様オールスターズみたいになってるようです。

【由緒】

垂仁天皇八年、天照大神鳳凰の形を現し、襲の峰に降臨せらる。
景行天皇の御宇降臨の跡を祀り社を営ましめらる。
是が国神社の起因である。爾来この地を神の郷という。
上神谷(にわだに)の名亦之に因る。
ついで同帝五十五年神鳳を曽抄の里に遷座せらる。
即ち今の大鳥神社である。祭神天照大神外四権現合祀す。


祭日は10月5日当日朝境内に於いて、鉢ヶ峯保存会により「鼓踊 こをどり」を奉納す。
明治四十三年に片蔵の式内桜井神社に合祀された。


神奈備にようこそ・國神社址より
http://kamnavi.jp/en/izumi/hatimine.htm

國神社9

現在は、鉢峯と呼ばれるこの地域。
由緒にあるように、垂仁天皇の時代、天照大神が鳳凰となって降臨・・の頃は
ここは襲の峰として知られている場所だった。

「襲」という字は、ちょっと穏やかではない印象を受けますが
どんな意味が込められているのかな?と気になりました。

漢字教育士ひろりんの書斎・「襲」と「おそう」
http://hccweb6.bai.ne.jp/~hgd17901/hirorinhp/1%20kanji/1%20ronkou/syuuosou!.html

・「襲」には「襲撃」「強襲」などの用法と、「世襲」「襲名」などの用法がある。
・また、「おそう」という日本語にも、人に攻撃を加える意味と、人のあとを継ぐ意味とがある。
・襲は「衽(えり)を左にしたる袍(ほう=わたいれ)なり」とされ、衣服の一種である。
・「字統」では、襲は龍と衣との会意文字で、死者の衣上に呪飾として龍の文様を加えたことによるといい、
・「字訓」では、霊を受けるために着る呪衣であり、覆うて身につけることを言うという。
・「字通」では、「即位嗣襲のときに服するものであるらしい。


ここに立つと、風が吹いてきました。
蒸し暑い日でしたが、清々しい涼風に感じられました。

國神社の背後が、現代はお墓だらけであることが気になっていました。
國神社って、現代でいう「護国神社」や「靖国神社」のような役割を
果たしているのかもしれません。

そして、是が国神社の起因で、以来、この地を「神の郷」という。

ここで、最初に参拝した狭山神社の摂社、
狭山堤神社(さやまつつみじんじゃ)のことを、ふと思い出す・・・

堤神社の祭神は、入色入彦命(五十瓊敷命)

この方は、垂仁天皇と日葉酢媛命(2番目の后)の子で、
弟の景行天皇(ヤマトタケルの父)とは血を分けた兄弟同士。
彼は皇位継承者でありながらそれを望まず弓矢を望み、
狭山池を掘ったりして堤神社の祭神となっています。

菟砥川上宮(うとのかわかみのみや)、
大阪府泉南郡阪南町の菟砥川流域)にて、剣1千口を作り
石上神宮(奈良県天理市)に納めました。

そして以後、五十瓊敷命は石上神宮の神宝を管掌した。

狭山堤神社の起因は、この国神社。出発点。

本来は、是國神社 と呼ぶべきかもしれないです。

それとも、國是神社となるのかな?

うーん、、やっぱり 國神社 でいいのか。

シンプルなほどインパクト大ですね。 

「是」の意味するもの。

・ただしい。正しいと認める。 「是正」「是認」
・よいとして定めた方針。「国是」「社是」
・これ。ここ。この。「色即是空」

反対は「非」

「堤」は、「是」に「土」を足して「つつみ」と読む。
狭山神社でみた九曜紋。
その真ん中の大きな〇は、「土」であり聖観音でした。
ほんとうは、狭山堤神社も「國是神社」なんだと思います。

私は、最初に訪れていた
狭山堤神社で降りていた虹色の光が気になっていました。
それはまさに、虹の鳳凰で「國」是であるよ・・・との
メッセージだったからではないかと感じます。


また、垂仁天皇には、
最初の后・狭穂姫との間に生まれた、
誉津別王(品牟都和気命、ホムツワケ)という皇子がいました。
誉津別王は、14人いる子の中で最初に生まれた御子。長男です。

彼に纏わるエピソードがとても気になります。
それは、この國神社とも無関係ではないと思います。
ちょっと長いですが、wikiから抜粋します。

-------------

誉津別王

【出生】

名の由来を記では稲城の焼かれる火中で生まれたので、
母により本牟智和気御子と名づけられたとする。
母の狭穂姫命はその兄狭穂彦の興した叛乱(狭穂毘古の反乱)の際に自殺。
紀では反乱の前に生まれていたとするが、火中から救い出されたのは記に同じ。
火中出産は木花咲耶姫の誓約につながるとの指摘がある。

誉津別皇子は父天皇に大変寵愛されたが、
長じてひげが胸先に達しても言葉を発することがなく、
特に『日本書紀』では赤子のように泣いてばかりであったという。

【言葉を発するまで】

『日本書紀』によると皇子はある日、鵠(くぐい、今の白鳥)が渡るさまを見て
「是何物ぞ」と初めて言葉を発した。
天皇は喜び、その鵠を捕まえることを命じる。
湯河板挙(鳥取造の祖)が出雲(一書に但馬)で捕まえて献上し、
鵠を遊び相手にすると、誉津別命は言葉を発するようになった。
ここに鳥取部・鳥飼部・誉津部を設けたとある。

一方『古事記』では、誉津別皇子についてより詳しい伝承が述べられている。
天皇は尾張の国の二股に分かれた杉で二股船を作り、
それを運んできて、市師池・軽池に浮かべて、皇子とともに戯れた。
あるとき皇子は天を往く鵠を見て何かを言おうとしたので、
天皇はそれを見て鵠を捕らえるように命じた。
鵠は紀伊・播磨・因幡・丹波・但馬・近江・美濃・尾張・信濃・越を飛んだ末に捕らえられた。
しかし皇子は鵠を得てもまだ物言わなかった。
ある晩、天皇の夢に何者かが現れて「我が宮を天皇の宮のごとく造り直したなら、
皇子はしゃべれるようになるだろう」と述べた。
そこで天皇は太占で夢に現れたのが何者であるか占わせると、
言語(物言わぬ)は出雲大神の祟りとわかった。
天皇は皇子を曙立王・菟上王とともに出雲(現:島根県東部)に遣わし、
大神を拝させると皇子はしゃべれるようになったという。
その帰り、皇子は肥長比売と婚姻したが、垣間見ると肥長比売が蛇体であったため、
畏れて逃げた。すると肥長比売は海原を照らしながら追いかけてきたので、
皇子はますます畏れて、船を山に引き上げて大和に逃げ帰った。
天皇は皇子が話せるようになったことを知って喜び、菟上王を出雲に返して大神の宮を造らせた。
また鳥取部・鳥甘部・品遅部・大湯坐・若湯坐を設けたという。

さらに、『釈日本紀』に引く『尾張国風土記』逸文では阿麻乃彌加都比女の祟りとする。
それによると誉津別皇子は7歳になっても話すことができなかったが、
皇后の夢に多具の国の神・阿麻乃彌加都比売が現れて、
「自分にはまだ祝(はふり)がいないので、自分を祭祀してくれる者を与えてくれたなら、
皇子は話せるようになり、寿命も延びるであろう」と言った。
そこで天皇は日置部らの祖・建岡君にこの神がどこにいるかを占わせた。
建岡君は美濃国の花鹿山に行き、榊を折って鬘(髪飾り)を作り、
ウケイして「この鬘の落ちたところに神はいらっしゃるだろう」と言った。
すると鬘は空を飛んで尾張国丹羽郡に落ちたので、建岡君は同地に社を建て、
また同地も鬘が訛って阿豆良(あづら)の里と呼ばれるようになったとある。

多具の国とは、出雲国の多久川流域とされ、
また阿麻乃彌加都比売は『出雲国風土記』秋鹿郡伊農郷にみえる
天ミカ津日女(もしくは楯縫郡神名樋山の項の天御梶日女)と同神とされる。

これらの話は神話研究では、記紀でのスサノオが大人になっても泣いてばかりであったことや、
また『出雲国風土記』でのアジスキタカヒコネが口が利けなかったという神話と比較されている。

國神社10

社の近くのカゴノキ。

「襲」の意味のひとつとして、
死者の衣上に呪飾として龍の文様・・・とありますが
カゴノキの樹皮も、そのような龍のウロコ紋もに見えてきます。

武部さんが仰るように、
「蛇」に見えるということは、「龍」でもあるということです。

古代出雲のトーテムは「龍蛇」
龍蛇が「地」なら、鳥は「天の日・月・星」の象徴かもしれない。

狭山神社に祀られていた堤神社の祭神、
垂仁天皇の皇子・入色入彦命(五十瓊敷命)は、
どうして皇位を望まずに「弓矢」を望んだのでしょうか?

弓矢は
・狩りが収穫をもたらすとして、幸(さち)・箭霊(さち)・幸福を現します。
・狩り・シャーマンの祈祷・呪術道具に使われ
・ハープ(竪琴)弦楽器の発祥起源でもあります。

いっぽう、腹違いの兄である誉津別皇子は、
鵠(くぐい)を見て言葉を発することが出来るようになった。

鵠(くぐい)は、
・白鳥はくちょうの漢名。
・弓の的の中心にある黒い星。ほし。

鵠(くぐい)には、こんな諺があります。

燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや
小人物には、大人物の志は理解できないということのたとえ。
「燕雀」は小さな鳥の意から転じて小人物、
「鴻鵠」は大きな鳥の意から転じて大人物のこと。

鴻鵠の志
大人物の志。
「鴻」は大鳥、「鵠」は白鳥のことで、どちらも大きな鳥。
転じて大人物のこと。

正鵠を射る
物事の要点・急所をつくこと。
「正鵠」は「せいこう」とも読み、要点・急所の意。

出雲には、星神信仰があったんだと思います。

天津甕星(あまつみかぼし)
=香香背男(かがせお)
=金星 

その信仰がありました。

『出雲国風土記』に登場する、
天甕津日女命(あめのみかつひめのみこと)
別名
・天御梶日女命 (あめのみかつひめのみこと)
・阿麻乃弥加都比女(あまのみかつひめのみこと)
・・・は金星を象徴する女神とも言われています。

天照大神の荒御魂
=撞賢木厳之御魂天疎向津媛命
(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと)
との関連も見られます。

=神功皇后が筑紫の小山田邑の斎宮で祈った時に神がかりした神
向津媛命は瀬織津姫(せおりつひめ)とも。

「みかつひめ」、「みかじひめ」、「むかつひめ」

響き・音。
それが言霊・言葉になるのだから。

天照大神が鳳凰になって降臨・・は、
金星・明けの明星を象徴する上記の女神なのかもしれません。

垂仁天皇の御代は、ホツマツタヱの中でも、
ヒボコの渡来などと共に語られていて
真実が暗喩となっているようで
霧や雲が懸かるようなニュアンスで記されています。

崇神天皇の頃からそれは始まっている・・・
想像力を逞しくしなければ、見えにくい世紀だなとつくづく思います。

國神社11

國神社の裏手は、ほんとうにお墓だらけで
ちょっと登っていくと、
丘の頂点にも石の祠がありました。

六甲山中の山神も、
こんふうに石の祠にして祭られている場所があます。
そこもカタカムナ伝承で名高い、金鳥山への登山道に。

まさに「鳳凰のあしあと」ですね。

國神社12

これが板根の木かぁ~。 
強そう。\( 'ω')/

國神社13

國神社=大國魂神だと思います。

ここの祭神・幸魂奇魂大物主神は、三輪山の神。

幸魂奇魂守給幸給・・・
(さきみたま くしみたま まもりたまえ さきはえたまえ)

これは、最も重要な唱詞(となえことば)です。

大己貴神(オホナムチ)が国造りの半ばで少彦名命(スクナヒコナ)に
常世郷に先立たれて困難に直面し、出雲国に至り言挙げした時、
海のかなたから、光る神が近づいてきた。
それが「幸魂奇魂」(さきみたまくしみたま)であった。

「今何処にか住まむと欲ふ」との問いに
「三諸山(みむろのやま)に住まむと欲ふ」と答えたので、
大己貴神その地に宮を作り大三輪の神となった。

大国主大神は、「幸魂奇魂」の存在を知り、
そして自分自身の中に潜む「幸魂奇魂」の霊力により「縁結びの神」になられた。

「幸魂奇魂」の「幸」(さき)は、「咲き」や「裂き」であり、増殖や分裂である。
「幸魂奇魂」の「奇」(くし)は、「串」や「櫛」であり、「整え」や「統一」を意味する。
「幸魂奇魂」は「分化繁殖」したモノを「整え統一」させ、大国主大神の道に神習い、
明るく和やかな日々が送れるということを意味する。

神様のエネルギーは、私たちの中心にあって
4つの性質のバランスを取りながら生きています。

それが、きっと、こういう場所に立つと
整っていくんだと思います。

三輪山もそんな場所であり、ここもゼロ磁場。
幸魂奇魂大物主神は、そのことを伝えてくれています。

國神社頂点1

ここに来てから、
書ききれないほどのストーリーが頭の中をめぐります。
いろいろありすぎて、うまく纏まらないんです。

もうひとつの國神社に纏わる石の祠が有るポイントへと
武部さんは案内してくださいました。

場所は、法道寺からも、ほど近い所。
でも、ご近所の皆さんにも
そこはあまり知られていないようなところらしいです。

國神社頂点2

お地蔵さんが目印となっているようです。

國神社頂点4

通りすがりに立ち止まり、手を合わせる。
そしてまた道なりに歩き出す・・・そんな場所。

でも、その裏手の藪を、私たちは
ガシガシ切り込んで登っていくんですね~!

まだ道にもなっていない山道を行く・・・

國神社頂点5

木々の茂る丘の上に到着。

すると、ビックリ。 (◎_◎;)

さっき見ていた國神社の裏手の丘にあった石の祠と
同じような小さな御殿が、ここにも出現しました。

國神社頂点6

近くで見ても、同じような祠。
ここはきっと、神聖なサルタヒコの道標。
それを仁王立ちで見下ろしている図です。

國神社頂点7

ここで、上森三郎さんがプロデュースされた
フラーレン構造のゼロ磁場装置・テラファイト・コアを
宝珠の代わりになるかな・・・と思い、乗っけてみました。

國神社頂点8

テラファイト・コアを中心にして、
手を合わせていると風が吹いてきました。

爽やかな風です。

幾ら地元とはいえ、、こんなところを
独自の感覚とインスピレーションで探し当ててしまうとは。
やっぱり武部さんは只者ではないな・・・と思いました。

そして、國神社について、ますます興味が湧いてきました。

今回書いていることは、ここに来て感じたままのことや
知っていたことを照らし合わせて掴めたことです。
新たに調べて、やっぱり、と確信することもありました。

そしてそれは、ほんの一部に過ぎなかったりします。
少しずつ、関連していくことを、
これからも書き出していけたらいいなと思っています。

たぶん、たくさん歩くことにもなるでしょう。

続きます。。。


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  1. 2019/08/12(月) 11:53:23|
  2. 神社仏閣めぐり(大阪)

サルタヒコの道標 part.4 国宝・桜井神社

桜井神社1

日付が前後していますが、8/7(水)のことです。

この日は、ブログ「火(ホ)と「ニワ」と鍋釜」の執筆者、武部正俊さんと
南海高野線・金剛駅で9時頃待ち合わせして
畿内の神社仏閣へと出かけていました。

武部正俊さんのブログはこちら↓

「火(ホ)と「ニワ」と鍋釜」
http://blog.livedoor.jp/omtakebe/

-----------------------------

桜井神社(さくらいじんじゃ)に参拝しました。
大阪府堺市南区片蔵に鎮座。式内社です。

上神谷八幡宮(にわだにはちまんぐう)」とも呼ばれているそうです。
こっちの名前の方がカッコイイですね!

桜井神社2

拝殿は国宝に指定されているそうですが、
肝心の国宝を撮り忘れていました。 (''◇'')ゞ

鎌倉時代の建築で意匠が凝らされているようですが
私のいまの関心はソコじゃないので、
スルーしてしまったのかもしれません。

もっとよく見ておけばよかったかな。
ちょっと残念だっかな。
また機会があれば、関心を寄せてみたいと思います。

しかし、拝殿の壁板がうるわしの弁柄だったのが、妙に印象的。
紀州は岩出市の根来寺周辺を歩いたときのことを、ふと思い出しました。

その関連記事はこちらです。↓

「ねごろ歴史の丘」と、うるわしの根来塗
http://ruri87.blog18.fc2.com/blog-entry-2237.html

漆の歴史は縄文から始まっているので
国宝指定もその由縁かなとも思えました。

桜井神社3

武部さんの桜井神社の関連記事です。

火(ホ)と「ニワ」と鍋釜・桜井神社
http://blog.livedoor.jp/omtakebe/archives/47094151.html

このときは、(´・д・`)フーン 

と思いながら拝見していましたが

桜井神社4

こちらの記事を見てから↓

鉢ケ峯寺の國神社
http://blog.livedoor.jp/omtakebe/archives/55271647.html

(ホ)と「ニワ」と鍋釜
鉢ケ峯寺の國神社の不思議-02 國神社の立地の重要性

http://blog.livedoor.jp/omtakebe/archives/77308491.html

妙に気になりだしました。

( ´・д・)エッ

國神社って?
あの岩は?

桜井神社5

・・・というわけで、私も例の岩だけを撮りました。

垣根の間から、
デジカメのズームレンズを最大限に伸ばしてパチリ。

閉じられた本殿。
ひとけのない境内。

張り巡らされた垣根の隙間から、
そこをふたりで無我夢中で覗き込む。

その姿は、端から見れば、めちやくちゃアヤシイ!

でも、誰もいないから、気にしない。

こんな小さなおにぎり型の岩に
誰が目を留めて立ち止まるでしょうか・・・
普段、そんな人はなかなか訪れないと思うんです。

国宝そっちのけで、これだけを見に来た!という感じなので
ここでは武部さんの熱い磐座愛を感じずにはいられませんでした。

・:*:・:(ノ'∀`*):・:*:・

元は国神社にあったという燈籠が、
この場所に置かれるのも確かに不思議な話だと思います。

桜井神社6

この木も神籬なんじゃないか、と武部さん。
私にはよくわからないけれど、
眺めていたら話しかけてくれそうな御神木でした。

桜井神社7

Wikiに書かれた伝承によると・・・

この地方に住居していた桜井朝臣の一族が
その祖先である武内宿禰命を奉斎したのが創祀という。
また推古天皇5年(597年)には八幡宮を合祀したという。

延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では
和泉国大鳥郡に「桜井神社」と記載され、式内社に列している。
また後世に当社に合祀された山井神社・国神社もそれぞれ式内社に列している。

天正5年(1588年)、織田信長の根来攻めのため拝殿以外を焼失するが、その後、再建される。


織田信長の根来攻め!?

(; ・`д・´)

ここで弁柄・漆塗りの根来とも繋がるとは。

根来衆は、信長からも秀吉からも戦国時代に責められた。
桜井という名は、桜井松平家とは無関係なのだろうか・・・

キリシタンの時代ともシンクロしていると
マリア意識が伝えてくれている。

そんな気がしないでもないんだけど、どうなのかなぁ。
新しい疑問が湧いてきて、とりとめがなくなってきました。

とりあえずは岩だけを見ていたいと思います。

桜井神社8

真夏の桜かと思うような、
百日紅の花が満開でした。

次はいよいよ気になる國神社です。


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  1. 2019/08/11(日) 12:35:34|
  2. 神社仏閣めぐり(大阪)

サルタヒコの道標 part.3  多治速比売神社(たじはやひめじんじゃ)

多治速比売神社1

日付が前後していますが、8/7(水)のことです。

この日は、ブログ「火(ホ)と「ニワ」と鍋釜」の執筆者、武部正俊さんと
南海高野線・金剛駅で9時頃待ち合わせして
畿内の神社仏閣へと出かけていました。

武部正俊さんのブログはこちら↓

「火(ホ)と「ニワ」と鍋釜」
http://blog.livedoor.jp/omtakebe/

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こちらは3番目に参拝した神社です。
多治速比売神社(たじはやひめじんじゃ)

大阪府堺市南区宮山台2丁3番1号に御鎮座。

多治速比売神社2

多治速比売神社
荒山宮(こうぜんのみや)

【由緒】 (公式HPより)

当神社は和泉国大鳥郡の延喜式内社二十四座のひとつで、
西暦580年頃の御創建と伝えられている。
明治初年までは総福寺と併存した神宮寺であったが、
神仏分離の際神社のみとなった。
現在の本殿は室町時代の建造物
(天文年間1539年~1541年に再建)で
国の重要文化財に指定されている。

主祭神は多治速比売命(たじはやひめのみこと)で女神として
厄除・安産・ 縁結びの神として崇敬が厚く、
また本殿には素盞嗚尊(すさのおのみこと)、
菅原道真公も合わせて祀られ、
特に道真公は学問の神(天神様)として厚く信仰されている。

境内には十三の末社【坂上社(式内社)、鴨田社(式内社)、大神社、住吉社、天照社、
八幡社、春日社、 熊野社、白山社、弁天社、稲荷社、福石社、水天宮】があり
合わせて荒山宮 (こうぜんのみや)とよばれている。

なお、昭和三十八年に泉北ニータウンの造成計画に伴い、
由緒ある当神社のご神威をさらに発揚すべく 境内の整備、
拝殿・参集殿等の大改築を行い現在に至った。

当時社有地の大部分は住宅、公園用地として買収され、
神社周辺は堺市の公園として荒山公園 (こうぜんこうえん)と名付けられ、
そこには「花の名所づくり」の一環として 市により梅林が整備され、
約1,340本の梅が植樹されている。

当神社は荒山公園の中心として緑の森に囲まれ、
春は梅・桜・山つつじ、夏は青葉、秋は紅葉、
冬は木々に積もる雪景色と四季折々の眺めは言わん方なく、
遠く望めば東に金剛・葛城の連峰 南に和泉葛城の連峰 、
西には茅渟海に浮かぶ淡路島と壮大な姿が展開され
自然に恵まれた景勝 の地となっており、年間を通じて参詣者が絶えない。

多治速比売神社3

比売神の社殿だからか、宇佐神宮っぽい佇まいです。
琉球の匂いも感じるような。。。

多治速比売は、よく分からない姫だけれど
ヒルコ(ヒミコ・日巫女)のような印象を受けます。

はたしてここには宇佐の御許山に比定されるような
荒山の磐座はあるのでしょうか。

そして、ここでも素盞嗚尊と菅原道真公の名を見ることになるとは・・・
堺近辺では、きっとデフォルトなんだね。

多治速比売神社5

神社の周囲には、桜や梅が本当にたくさん植えられていて
春になると華やぎがあるんだろうな~と想像します。

真夏のいまは・・・ちょっとツマラナイです。
境内では夏の花すら見かけないので
ぜひ春に行って見てください。
きっと花盛りで素晴らしいだろうなと思います。

多治速比売神社4

社殿には、多種類の彫刻・彩色が施されていて、目を見張りました。

龍、雲、浪、牡丹、唐獅子、宝珠、
菖蒲、桐、鯱、山茶花、松、幣、鯉、滝、蓮、海藻、貝など・・・。

本当に多彩で雅。華やかなのです。

その中に、ここでしか見られないという

芭蕉と蟷螂(かまきり)

というのも彫られていたらしい!

このとき私は、完全に見逃してしまっていたので、
後になってそれを知りました。

こちらのサイトで紹介されています。↓

堺観光ガイド・ 多治速比売神社
https://www.sakai-tcb.or.jp/about-sakai/eetoko/12_5.html

スペっぷファン・多治速比売神社
http://spap.jp/fan/2014/03/1691.html

多治速比売神社6

境内で目立つ岩は、これくらい。

開発されているとはいえ、荒山宮周辺は
掘ったらいろいろ出てきそうな藪が広がっていました。

多治速比売神社7

かわいい夫婦岩。ちっちゃいです。

芭蕉と蟷螂を見た後では、
大きい方が比売神なのだろうなぁ・・・と思うようになりました。

カマキリのオスはメスよりも身体が小さい。
彼らは食べられるのを覚悟でメスに近づき、交尾まで持ち込もうとするが
交尾前に食べられてしまったり、交尾最中に食べられてしまったり
もしくは交尾の後に・・・・・子孫繁栄のためには、命がけの生殖を行う種族なのです。

そんなカマキリさんが、ここでは注目の的。
ということは、きっと逞しく強い姫神なだろうなぁ~。

女性にはククリヒメやマリア意識が宿っていますが
男性の中のククリヒメやマリア意識は、
こんなところに宿っているのかもしれないですね。

母系社会の中にあっての男性の立場は、
慎みに包まれながらも、土台を支えて繁栄させる
芯の強さがあるのだと思います。

多治速比売神社8

多治速比売神社9

アラカシの御神木に虹色の光が降りていました。

もう少し樹木や自然に注目したいと思います。

芭蕉は、バナナの木。
やはり南国の氣が感じられます。

カマキリは、日本では昔から拝み虫(おがみむし)と呼ばれてきたそうです。

カマキリ類の学名は、ギリシャ語の名前"mántis"に由来。
"mántis"は、「予言者」の意味。
これは、英名のmantis、mantidの元にもなっているそうです。

英語では、praying(祈る) mantisとも呼ばれ
preying(捕食する) mantisとは同音。

言葉ってやっぱり面白いですね。

芭蕉とカマキリの彫刻は、
ここが祈りの場であることを伝えてくれていたのです。

合掌♪ 

素戔嗚(スサノオ)=牛頭天皇として知られる京都の祇園。
その祇園祭には、「蟷螂山」という山鉾があり、
からくり仕掛けで動くカマキリが乗っているそうです。

韓詩外伝のなかの故事
「蟷螂の斧(とうろうのおの)」を元として作られているそうです。

堺という地は、平安京の京都・スサノオ・牛頭天皇と繋がりが非常に濃く、
文化同志の結びつきも強い場所であるように感じます。

-----------------------------

祇園祭・蟷螂山の大カマキリが修理を終えお披露目



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  1. 2019/08/11(日) 10:25:25|
  2. 神社仏閣めぐり(大阪)

サルタヒコの道標 part.2  陶荒田神社(すえあらたじんじゃ)

陶荒田神社1

日付が前後していますが、8/7(水)のことです。

この日は、ブログ「火(ホ)と「ニワ」と鍋釜」の執筆者、武部正俊さんと
南海高野線・金剛駅で9時頃待ち合わせして
畿内の神社仏閣へと出かけていました。

武部正俊さんのブログはこちら↓

「火(ホ)と「ニワ」と鍋釜」
http://blog.livedoor.jp/omtakebe/

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書きたいことがいろいろ出てくるので
シリーズ化して記しておこうと思います。

狭山神社を後にして、次に参拝したのは
大田田根子縁の 陶荒田神社(すえあらたじんじゃ)でした。

陶荒田神社2

扁額が、須恵器のような美しい色彩です。
夏の青空に映えてるなぁ~。\( 'ω')/

陶荒田神社3

ここに出ている雲も、
フォトショのアーティステックのテクスチャーみたいで面白い♪

陶荒田神社4

以前、関西ホツマツタヱの分会メンバーと
一緒に参拝する機会があったけれど、
その時はなんとなく乗り気になれなくて
参加を見送ってしまっていました。

たぶん、自分にとっては
その時期ではなかったんだと思います。

しかし2019年8月7日
ついに訪れることが出来ました。
万歳。\( 'ω')/

陶荒田神社5

【由緒】

崇神8年(紀元前90年)、崇神天皇により、陶邑の大田の森(現在地)に住む太田田根子が神主として選ばれた。
彼の祖霊を祀る目的で創建された神社が、当神社である。創建年は崇神8年前後であろうとされている。

当時大規模な疫病がはやり、国土が荒廃した。
ある夜、大物主の神が崇神天皇の夢枕に立ち、
太田田根子を神主に立てて自分を祀るなら、病を治めようと告げた。
天皇は、茅渟県陶邑(ちぬのあがたすえむら)に太田田根子を探しあて、
奈良の三輪山の神主として選び、大物主神を祀らせた。

名前の由来は、同じ陶邑の大田の森に住む「荒田直」(あれたのあたひ)にあやかってつけられた。
荒田直は祭神である高魂命の直系の子孫だったとされている。

(Wikiより引用)

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【祭神】

・高魂命(たかみむすび)
・劔根命(つるぎねのみこと)
・八重事代主命(ことしろぬし)
・菅原道真公

・摂社 戎殿 「八重事代主命」
・弁天社 「市杵嶋姫命」
・山田神社 「活玉依姫命」 (太田田根子命)
・太田神社 「太田々弥古命」 (太田田根子の母)
・玉の緒神社 「天御中主命」

陶荒田神社6

天満宮とは、菅原道真。

陶荒田神社7

ここで気になるのは、劔根命(つるぎねのみこと)という存在。

いまの流れ的には・・・・やっぱり、言霊の神。

ホツマツタヱでは、
八重事代主命(エビスさん)=クシヒコさん。
この方は、二代目の大物主とされています。
大物主はソサノオからの世襲で
剣臣=八重垣の剣臣とも呼ばれています。

ソサノオ=和歌の神=剣
ということで、やっぱり言霊の神と言えるよね。 

陶荒田神社8

玉の緒は、勾玉で。
八咫鏡は、真ん中で拝む。

劔は自分の中から出てくる
真の光の剣という解釈で良いのだと思う。

陶荒田神社9

お賽銭箱には、梅ではなく、桜でした。

ふと、大田田根子が詠んだ
ホツマツタヱ奉呈文の最後のウタが頭をめぐりました。

「しわかみの こころほつまとなるときは はなさくみよの はるやきぬらん」

「いそのはの まさこはよみて つくるとも ほつまのみちは いくよつきせし」

みわのとみ ををたたのこか ささけんと ふもみそよとし つつしみておす


心が秀真と成る時、花咲く御代の春や来ぬらん
これは「令和」という新しい御代を迎えた、
666真心しか通じない「いま」なのではないかと思う。

どうか皆さま、言霊・数霊で真心で読んでみて欲しい。

陶荒田神社10

玉の緒の社でも
蝉が私の頭をかすめて飛んできて、
扁額の縁に留まりました。

陶荒田神社11

新しいサイクルを迎えているからだと思います。

陶荒田神社12

玉の緒は、渦の中心でありゼロ点。
天御中主命が奉られています。

ここは自分の中心と繋がる場所。

陶荒田神社13

弁天社 ・市杵嶋姫命

陶荒田神社14

開運子授けの絵馬は、鶴が描かれていて
赤と青のツートンの袋を加えています。

袋は「マナの壺」を象徴していると思います。

・鶴=母音=日本の象徴
・子授け=子音=シオン=ユダヤ 

かもしれません。

それに、袋の模様はちゃんと 堺=左海 に見えるように描かれています。
絵馬の絵ひとつでも、なかなか深いですよね。

三輪山の神は、言霊の神であり
大國魂であり、大和國魂でもあります。

陶荒田神社15

真夏に花が咲いているのは、この水辺だけ。

陶荒田神社16

黄色の睡蓮の花言葉は「甘美」「優しさ」
英語での睡蓮の花言葉は「purity of heart(清らかな心)」

陶荒田神社17

陶荒田神社18

「老松社」に目が釘付けになりました。

立派な松の御神木も老松もなく、若くて細い松が植わっています。
そのため、見過ごしてしまうようなところにありますが、
ここから重要なメッセージを発信してくれています。

私は観世流梅若派能楽師の井上和幸先生から
謡曲「老松」の仕舞を教わっていましたので
ふと、その謡が、ここに来ると脳内再生されていきました。

それは以下の通り・・・

これは老木の  神松の
千代に八千代に  さざれ石の
巌となりて  苔のむすまで
苔のむすまでまつたけ(待つ・松竹)  鶴亀の
齢(ヨワイ)を授くる  この君の
行く末守れと  わが神託の
告げを知らする  松風も梅も
久しき春こそ  めでたけれ


詳しくは、以下のサイトの開設をご覧ください↓

謡曲初心者の方のためのガイド「老松」
http://www.harusan1925.net/1202.html

銕仙会「老松」
http://www.tessen.org/dictionary/explain/oimatsu

君が代・鶴亀・梅に桜に松・・・
新しい御代を寿ぐ
「令和」をどう生きるか

老松は、知恵をって歩んでいくための祝い謡であると思います。
長く厳しい時代を幾多も潜り抜けての、久しき春なのです。

「心が秀真と成る時、花咲く御代の春や来ぬらん」
この歌を遺した大田田根子は、
大宰府の道真と同じ心持で伝えてきたのかもしれません。

ホツマはたくさんの秘密を隠しているように感じますし
どうしても、深読みしたくなってきます。

何が正しいのかは、
自分自身の経験の幅で決まるのかもしれないけれど。

言葉でも行動でも、これからも
たくさんの花を咲かせていきたいものです。

陶荒田神社19

空に雲が渦を巻いていました。

八重垣の剣のようにも見えます。


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  1. 2019/08/11(日) 01:12:26|
  2. 神社仏閣めぐり(大阪)

サルタヒコの道標 part.1 狭山神社(さやまじんじゃ)

狭山神社1

日付が前後していますが、8/7(水)のことです。

この日は、ブログ「火(ホ)と「ニワ」と鍋釜」の執筆者、武部正俊さんと
南海高野線・金剛駅で9時頃待ち合わせして
畿内の神社仏閣へと出かけていました。

武部正俊さんのブログはこちら↓

「火(ホ)と「ニワ」と鍋釜」
http://blog.livedoor.jp/omtakebe/

境は、摂津国・河内国・和泉国の「境」で、「左海」でもあります。
つまり三国の中心。まるで臍のような重要な場所に違いありません。
そんな大事な場所にいらっしゃる武部さんは、
まだ知られざる、歴史に埋もれた磐座への道先案内人としてご活躍中です。

私は長年、武部さんのブログを拝見してきましたが
そこで紹介されている場所が、とても気になっていました。

同じ場所に立って同じ眺めを見てみたい、と思うようになり
お願いして連れて行っていただきました。

ありがとうございます。 (^o^)
念願がかないました~!

狭山神社2

・・・ということで、
最初に向かったのが、狭山神社でした。
南海高野線の金剛駅の近くです。

狭山神社3

こちらの武部さんの
狭山神社と三輪山とを結ぶラインについての記事も
あわせてご覧ください。

「火(ホ)と「ニワ」と鍋釜」
狭山神社と三輪山


この日は8月7日。

ホツマツタヱの33アヤには、こんな記述があります。

はつきなか とはやかちはら
めくはしめ おおみなくちと
いせをうみ みたりみかとに
つけもふす ゆめにかみあり
たたねこお おおものぬしの
いはひぬし しなかおいちお
おほやまと くにたまかみの
いはひぬし なさはむけへし


これは、以下の「日本書紀」の記述と同じことが伝えられています。

8月7日。倭迹速神淺茅原目妙姫(ヤマトトハヤカミアサヂハラマクハシヒメ)と
穗積臣(ホヅミノオミ)の遠祖の大水口宿禰(オオミクチスクネ)と
伊勢麻績君(イセノオミノキミ)の三人が同じ夢を見て、天皇に報告した。

『大田々根子命に大物主を祀る主として
市磯長尾市を倭大国魂神を祀る主にすれば必ず天下太平となる』


ここ、狭山神社は
大田々根子命と三輪山に関わる重要ラインらしいです。

狭山神社4

台風の影響はほんの少し。
風が少し強いかなと思う程度の、夏空でした。

丸い雲がプカプカ浮いてて、
そのかたちが可愛くて面白かったです。

狭山神社5

この茅葺屋根。
なにげに目立っています。

散歩途中に腰かけるには丁度良い場所かも。
ここでお茶など振舞われていたこともあったのかもね。

狭山神社6

手水舎の龍。

狭山神社7

紫色に近いピンクのカーネーションを背負っています。
女子力高いな。

狭山神社8

盃状穴がたくさん作られていて、
どんな意味が込められているのか気になります。

めずらしいことなのかと思ってたら、この地域では結構普通のことらしい・・
そして、この後も、手水舎の盃状穴をあちこちで見かけました。

これまで真ん中の龍とか、水の流れにばかり注目していたけれど
杯や盃になる受け皿的な部分にも
なにか意味が込められているってことなんですね。

武部さんが教えてくれるまで
こんなとこには注目したことが無かったので
ちょっと見方が変わってしまいました。

狭山神社9

「牛頭天皇・御神前」と彫られています。

(´・∀・`)ヘー

牛頭天皇(素戔嗚)は
紫ピンクのカーネーションが好き♪

狭山神社11

狭山神社の主祭神は、天照皇大神と素盞嗚命。
臣狭山命(狭山連の祖神)・天児屋根命も配祀されています。

狭山神社12

狭山神社の本殿は立派だけれど、
なんとなく横の社も気になりました。

狭山神社13

こちらは、狭山堤神社(さやまつつみじんじゃ)
祭神は、入色入彦命。

狭山神社の近くには、日本最古の溜池の一つとされる狭山池という池があるそうです。
記紀によると、第11代垂仁天皇の皇子・印色入日子命(五十瓊敷入彦命)が
狭山池を作ったと伝えられていて、鎮守の神としてここに祀られているようです。

狭山神社14

わわわ・・・
虹色の光がいっぱい。

入色入彦命には個人的に注目してみたいと思いました。
とても気になる人物です。

『日本書紀』(wiki)によると・・・

垂仁天皇30年1月6日条
垂仁天皇が五十瓊敷命・大足彦尊兄弟に望むものを聞いたところ、
五十瓊敷命は弓矢を、大足彦尊は皇位を望んだ。
そこで天皇は五十瓊敷命には弓矢を与え、
大足彦尊には皇位を継ぐように言った。

垂仁天皇35年9月条
五十瓊敷命は河内に遣わされ、高石池(大阪府高石市)
・茅渟池(ちぬいけ:大阪府泉佐野市)を造った。

垂仁天皇39年10月条
五十瓊敷命は菟砥川上宮(うとのかわかみのみや:
大阪府泉南郡阪南町の菟砥川流域)にて剣1千口を作り、
石上神宮(奈良県天理市)に納めた。
そして、以後五十瓊敷命が石上神宮の神宝を管掌した。

同条別伝によると、五十瓊敷命は菟砥河上で大刀1千口を作らせ、
この時に楯部・倭文部・神弓削部・神矢作部・大穴磯部・泊橿部・玉作部
・神刑部・日置部・大刀佩部ら10の品部を賜った。
また、その大刀は忍坂邑(奈良県桜井市忍坂)から移して石上神宮に納めたという。

垂仁天皇87年2月5日条 五十瓊敷命は老齢のため、
石上神宮神宝の管掌を妹の大中姫命に託した。
大中姫命は、か弱いことを理由に神宝を物部十千根に授けて治めさせた。
これが物部氏による石上神宮での神宝管掌の起源という。


石上神宮の神宝を知るためのとても重要な人物みたい。

狭山神社15

九曜紋。

この〇は9つの星神で、
平安時代の神仏習合では「九曜曼荼羅」として信仰されていたようです。

・土曜星・凶星(土星)-聖観音
・水曜星(水星)-弥勒
・木曜星(木星)-薬師
・火曜星(火星)-虚空蔵
・金曜星(金星)-阿弥陀
・月曜星(月)-勢至
・日曜星(太陽)-千手観音
・計都(けいと)星・凶星(月の降交点・月の遠地点・彗星・流星)-釈迦
・羅睺(らごう)星・凶星(月の昇交点)-不動明王-日食-スサノオ-道祖伸


日食と月食に関わる凶兆の星だから、
羅睺(らごう)星を司る、素戔嗚(牛頭天皇)が
ここでも祀られているんでしょうね。

土星=西洋ではサタン・ルシファー
クリスマス=五芒星シンボルのサタン信仰でもあるらしい。

そんな多岐にわたる土星は
九曜紋のど真ん中の大きな〇に位置します。
真ん中は聖観世音でもあります。

神聖・聖書の「聖」

占星術・インド神話・キリスト教・仏教・・・ぜんぶ繋がり
カタカムナでも、しっかりと繋がりますね。

土地の開拓、治水、田畑を豊かにすること、海上貿易など
人々の生活に関わることのすべては、
天空の星々の巡りを見ながら、
自然と対話していくことで成り立ってゆく。
9で整うこと=ゼロ点・ゼロ磁場を産み出す事に繋がるのだと思う。

土曜・聖観音菩薩の種子は、サ(स、sa)
だからここも「狭山」なのかもしれないですね。

太陽・月・星への信仰は、古代からずっと今日まで
かたちを変えて伝えられてきているんだなと実感できます。

狭山神社16

お稲荷さんにも手を合わせました。

狭山神社17

ひときわ光が降り注いでいるのは、
岳主社(大山祇神・猿田彦大神)でした。

歓迎されているみたいで、
とても嬉しくなりました♪ \( 'ω')/

狭山神社18

こちらは末社の岐社
祭神は伊弉諾命と塞神

塞の神とは、堺の神。
塞=狭山でもあると思います。
これは武部さんもそう仰っていたような。。

九曜曼荼羅の信仰よりもまえの
縄文古代の陰陽和合の結び神。

境って、分離されていることを表しているけれど
結ばれるための場所でもあるんだよね。

狭山神社19

ここに蝉が留まっているのも、
宇宙のサイクルの中ではほんの一瞬である
私たちの成長・脱皮・変容の生まれ変わりサイクルを
身をもって教えてくれているように思いました。

結びは回転し続ける事でもあるんだね。

狭山神社20

狭山ということで、「狭」がつく人物を挙げると、

・垂仁天皇の別名も、活目入彦五十狭茅尊(いくめいりびこいさちのみこと)
・皇后は狭穂姫(さほひめ)
・狭穂姫の兄の狭穂彦(さほひこ)

三者には悲しい結末の物語があります。



「狭山」の名からは、他にもいろいろ連想しました。

たとえば、埼玉県にも狭山市があります。
ここは武蔵国のはじまりの地でもあると思うのですが
狭山の由来は、武蔵丘陵からであると伝えられています。
なだらかな景色の地を想像します。きっとこの近辺に似ているはず。
武蔵国にも古墳はたくさんつくられていて、
埼玉の県章は8×2=16の陰陽勾玉で出来ています。
豊かな文明が築かれていた土地だったはずです。

また、九州の西都原古墳群には、
・男狭穂塚古墳(おさほづかこふん)-帆立貝形古墳(被葬候補者:瓊瓊杵尊)
・女狭穂塚古墳(めさほづかこふん)-前方後円墳(被葬候補者:木花開耶姫)
ともに長さ176m。5c前半に作られています。

ヒミコがいた九州王朝時代と、武蔵国の古墳群を知ることで
知られざるヤマトが見えてくるかもしれません。

大田田根子の出生地とされる、
須恵器がつくられる陶邑(スエムラ)も近くである
・・・ということで、ここから次は、陶荒田神社へ移動しました。

須恵器も、埴土・水・火の産物ですもんね。
狭山と名付けられる場所だからこそ、産み出せるものなのです。

狭山神社10

掲示板に貼られていた神社からのメッセージです。

8月15日は終戦の日
護国神社にお参りしましょう


あぁ、そんな時期なのね、、と思いながら見ていました。

ちょうど今回、堺の地域の神社巡りをしているタイミングで
マリア・グラチア・縷衣香(るいこ)さんの書かれた
「マリア・コード―私体験による聖母マリアの秘号」という本を読んでいました。
2006/12/01 に、たま出版から出された本です。

ちょうどマリアさまと戦争についての記述があり、
その意味深さについて考えていました。
少し引用します。

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1974年夏、私は広島、長崎を訪ねた。
長崎でなく本当は小倉の軍事工場の上空から
原爆が投下される予定であったことことをタクシーの運転手より教えられた。
その予定が、曇って視界がきかず風の都合もあり思いあぐねた時、
一瞬長崎の上空が晴れ、浦上天主堂という
マリア様のために捧げられた聖堂の正面に落下することとなった。
浦上は過去400年、激しい迫害のもとに信仰を持ち続けた聖なる地である。
だからこそ、神の怒りをなだめる犠牲として、ふさわしい子羊の役を果たしたのであろう。

太平洋戦争は昭和16年12月8日、聖母マリアの無原罪のお宿りの祝日に始まり、
昭和20年8月15日、聖母マリアの被昇天(帰天)の祝日をもって終結した。
そして、サンフランシスコの平和会議の調印式は昭和26年9月8日、
マリア様のお生まれになった誕生日である。

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どうして、あの日、あの場所で、あの出来事が起こったのか・・・
そこには仕組みがあり、全てに意味があると思っています。

マリアさまの女性原理の働くところは、
聖なるウツワ(杯)として、設定されている場ではないかと感じています。

たとえば、月が描かれている旗をもつ国々の受難を見ていてもそれを感じます。
月信仰・月の暦で生きる国々の人・太陽の国で生きる人。それも現われています。

たとえば、女性が祭祀の中心として社会を築いていた琉球なども、
戦争で激しい本土戦の場となって、いまも基地問題に揺れていますが、
でも、だからこそ、どんな出来事であっても、強く、逞しく、しなやかに、愛をもって、
すべてを引き受ける役目を背負っているから
大調和のために、なにをすべきかが見えてきます。

そこで生きる人たちの心には、「みつ」が
光・密・水・允・実が・・・溢れているはず。

どんな理不尽も、大きな宇宙の仕組みとして
俯瞰した目で見つめていくことで
愛と赦しと調和に向けて進んで行けるはずだから。

耐え忍んで生きて来られたのだと思います。

倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭しうるはし

そのヤマトタケルの想いを、
私たちは新しい大調和の時代に実現していくために
ここに立って、一緒に背負って、生きているのだから!

狭山神社22

裏参道にある祠にもご案内してくださいました。

狭山神社23

牛滝社

なんだか、真打が登場しそうな社の名です。

ここは、地元の人たちも
あまり立ち寄らないような雰囲気を醸しています。

狭山神社24

太神宮夜燈は、これからなにを語ってくれるのでしょうか。

これから楽しみです。


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  1. 2019/08/10(土) 22:44:30|
  2. 神社仏閣めぐり(大阪)

文明法則 徒然なるままに・・・

難波神社1

6/17(日) 
久しぶりに、大阪本町~心斎橋界隈を歩きました。

写真は難波神社です。
この日は林英臣先生の勉強会に参加してきました。

「関西林英臣勉強会」
日時:6月17日(日)午後1時半~4時半 難波神社
演題:『徒然草』で味わう中世の心
鎌倉武士と質実剛健、東国と都の違い、もののあはれと無常観 他

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徒然草を読み解いていくと、兼好法師と鎌倉武士の関係、
武士道精神とその心得などが語られているようです。

ただ読んだだけでは掴めない部分を
松下政経塾一期生で、武道にも明るい
林先生の言霊で語られる徒然草の世界は
私のそれまでの認識に新しい光を当ててくださいました。

古典や歴史的価値の高い文芸作品には
志を持って生きるための智恵がたくさん詰まっているようです。

これからの自分の創造にどう役立てて行こうか
ちょっとワクワクしてきます。(^o^)

難波神社2

本日は早朝に、大阪・北摂を震源とした地震がありました。
阪神大震災を経験した人たちが多い地域ですから、
みんなが当たり前のように
大きな地震を受け入れられています。
そうとう肝が太くなっていますよね。

地震も火山噴火も頻繁に起こる土地、それが日本列島。
ぜんぶ受け入れて、自然とともに生きてゆきましょう。

林英臣先生は「文明法則史学」(文明800年周期論)を
故・村山節氏から学ばれ提唱されてきました。

母親が子を産む時には、陣痛が始まります。
スムーズなお産を促すために呼吸のリズムを調えます。

地球にとっても同じことです。
新しい文明・そのサイクルのために、必要な動きの一環。

古代から日本列島に住む人々が受け入れていたように
私たちも地球の呼吸・リズムと共に生きていきましょう。

徒然なるままに・・・

テーマ:心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル:心と身体

  1. 2018/06/18(月) 20:21:02|
  2. 神社仏閣めぐり(大阪)
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