瑠璃の星☆彡

写真・イラスト・旅日記

比売許曽神社(ひめこそじんじゃ)

比売許曽神社1

ニギハヤヒを巡る旅part.8のつづきです。

6/8(水)、近畿地方は梅雨入りしていますが、この日は晴天に恵まれました。

生駒山西麓の「元春日」 河内国一宮 枚岡神社へ参拝して
神奈備山である神津嶽(かみつだけ)へ登拝いたしました。

縄文の神の息吹に充てられて
もうこの時点で、この日の旅は、いっぱい・いっぱいとなりました。

充実感に包まれたまま、待ち合わせのスタート地点・近鉄奈良線鶴橋駅まで戻り、
駅前の喫茶店に腰を落ち着けて、私たちはお茶を飲みました。

向山さんの提案で、近くに
比売許曽神社(ひめこそじんじゃ)という神社があるから行ってみよう、ということになり

この日の最後は、比売許曽神社(ひめこそじんじゃ)への参拝で締めくくりとなりました。

比売許曽神社2

こちらが、比売許曽神社(ひめこそじんじゃ)です。

鶴橋駅のすぐ近くでした。
賑わいのある街中に、ひっそりと佇む神社です。

比売許曽神社3

比売ということで、祀られているのは女神のようです。

主祭神  ・下照比売命
配祀  ・速素盞嗚命・味耜高彦根命・大小橋命・大鷦鷯命・橘豊日命

江戸時代の天明年間までは、牛頭天王を主祭神とする牛頭天王社であったようです。

『古事記』には、新羅から来た阿加流比売神が難波の比売碁曽の社に坐すと記されており、
『日本書紀』にも同様の記述があるそうです。

比売許曽神社4

阿加流比売は、
別名・阿加留姫命(あかるひめのみこと)

玄松子さんのサイトに分かりやすく紹介されていたので
以下に転載させていただきます。
http://www.genbu.net/saijin/akaru.htm

……
新羅の阿具沼の辺で、一人の女が昼寝をしていた。
その陰部に日光がさし女は赤い玉を産んだ。
その玉から変じた美女・阿加流比売を、新羅の王子・天之日矛は妻とした。
ある日、天之日矛は気嫌を損ね、激しく阿加流比売を罵った。
阿加流比売は「私はあなたの妻となるべき女ではない。
祖国へ帰ります」と言って小舟を操り、日本に戻って難波で暮した。

阿加流比売の出自神話(赤玉誕生)は、類似の話が朝鮮に多い。
例えば、高句麗の「東明王朱蒙」や、新羅の「赫居世王」などの出生伝説も同系のものである。
日光感精による卵生説話が朝鮮に根強くあったものだろう。

阿加流比売は元来太陽神の妻であると信じられた巫女であったものと思われる。
またこの阿加流比売は、よく大国主神と多紀理毘売命との間にできた、
下光比売命と混同されたり、 または大国命の婿で、
天より遣わされた天若日子の従者である、天佐具売(天探女)と混同されることもある。

……


比売許曽神社5

阿加流比売の伝承は、向山さんによると
ホツマツタヱの中にもみられるそうです。

駒形さんの解読ガイドをリンクしましょう。
http://gejirin.com/src/Si/siraki.html
このあたりのお話になるのでしょうか。
この時代のことは、私にはまだ、なかなか見えてきません。

自分の生まれ故郷・出雲の地にも関連している話のようにも思えるので
深く知っていきたい気持ちもあるのですが・・・
ちょっと頭が混乱してきました。(@_@)

比売許曽神社6

鶴橋の近くには、玉造という地名があります。
ここも水に対する信仰が厚い場所なのでしょう。

出雲にも宍道湖の南に、八束郡宍道町に「玉造」という場所があり、
そこは古代から青メノウ・赤メノウの有名な産地として知られています。
その地も大国命と関係が深い場所ですし、
その時代からの宝飾加工の技術交易と
のちの新羅の国の発展の歴史などは
いろいろと探っていくと、繋がっていくのかもしれません。

ふと、思い出したのですが・・・
六甲山の古代祭祀場である、堡塁岩(ほうるいいわ)を訪れたときに
私は出雲の玉造「伝承館」で購入した赤メノウのアクセサリーを失くしています。
これは、偶然ではないような気がしています。

出雲-六甲-畿内の生駒周辺ルートは、
鏡などの他にメノウなどの宝飾品もたくさん運ばれてきたのでしょうね。
ニギハヤヒ・物部の頃はそれが盛んだったのかもしれませんよね。

出雲や九州の地は、大陸への門。
これからほんとうの歴史が現れていくのかもしれません。

比売許曽神社7

神紋は、なんの花だろう? と謎でしたが
調べてみると「榊の花」とありました。

ちょっと珍しいかも。

比売許曽神社8

う~ん 
そのとおりだなぁ~と想いました。(@_@)

毎日を大切に生きていこう。
人生はあっという間に過ぎていきます。
いまも立ち止まれない日々を過ごしている感じ。

比売許曽神社9

比売許曽神社10

比売許曽神社11

比売許曽神社12

ここのオリヅルランも先祖返りしています。

比売許曽神社13

つがいのキジ鳩に出会いました。

人を恐れません。
威風堂々としていますね~。
羽には赤みが差して綺麗に光っていますね。

阿加流比売と、新羅の王子・天之日矛の化身かしら。。。

比売許曽神社14

雀ちゃんもいます。

比売許曽神社15

大きな神木があり、
よく見ると、カラスさんたちが巣を作っていました。

比売許曽神社16

彼らは針金ハンガーで大きな巣を作っています。

とても器用ですね。

新羅から渡来した技術集団も、逞しく
生み出すエネルギーに溢れる人たちだったのかもしれないですね。

比売許曽神社17

石柱に描かれた文字は枚岡神社の宮司様作でした。

なにかと繋がっていますね。

古代の畿内は出雲や九州と深いつながりがあるようですが、
これから先、いろいろなことが分かってくるといいな・・・と感じた
ニギハヤヒを巡る旅part.8でした。

一緒に旅してくださった関西ホツマの皆様
今回もありがとうございます。 (^o^)

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  1. 2016/06/09(木) 12:41:05|
  2. ニギハヤヒの軌跡旅

【元春日】 枚岡神社  神津嶽本宮

平岡・神津山1

6月8日に行ってきた、ニギハヤヒを巡る旅part.8のつづきです。

今回のスタートは、元春日・枚岡神社でした。
そして神奈備山である、神津嶽の登拝です。

平岡・神津山2

いよいよ、神津嶽本宮へと進んでいきます。

平岡・神津山3

この注連縄の先が、本宮への御神域です。

縄文の香りが漂う山の空気に包まれながら
何度も深呼吸して歩いて来ました。

ここは間違いなく、紛れもない「元春日」です。

入口に差し掛かると、光の玉がたくさん映し出されて
私たちを歓迎してくださっているようでした。

ありがとうございます。

平岡・神津山4

この神津嶽が、枚岡神社・創祀の地です。

ここ神津嶽に一大磐境を築き、
天児屋根命・比売御神を祀って国の平定が祈られてきました。

社伝によれば、初代神武天皇即位前3年
神武天皇の侍臣で中臣氏の祖の天種子命(あめのたねこのみこと)が
天皇の命で神津岳の頂に祖神の天児屋根神を祀ったのが創建とされています。

「平岡(枚岡)」の社名は、神津岳の頂が平らだったことによる、とあります。

このあたりの天種子命(あめのたねこのみこと)の伝承は、
ホツマツタヱにも記されているそうです。

平岡・神津山5

古くは柵が設けられ禁足地であったそうです。
昭和56年に石碑が建てられ、平成5年に石の社殿が築かれました。

平岡・神津山6

神津嶽の周りには、たくさんの古代祭祀跡と考えられる場所が存在し、
太古を偲ばせるとても神聖な場所とされています。

古代人にタイムトリップした心持で、いざ出立です。

平岡・神津山7

トカゲちゃんと出会いました。

平岡・神津山8

季節の花もたくさんみかけました。

平岡・神津山9

平岡・神津山10

大きなビワの実もたくさん。

平岡・神津山11

平岡・神津山12

ホタルブクロの花。

平岡・神津山13

白い花は珍しいかも。

平岡・神津山14

平坦な道もありましたが
長く階段が続く上り坂もあり
山歩きになれていないと、ちょっときついかもしれません。

平岡・神津山15

山頂までは300mとすこし・・・
中間地点よりも、やや高いところまで登ってきたでしょうか。

展望台が現れて
森の中から、いっきに視界が開けていきました。

平岡・神津山16

大阪平野を始め、瀬戸内海、淡路島が一望できます。

枚岡大神の広大無辺なる御稜威御神徳を感じることができます。

平岡・神津山17

向かい側に見えるのは、六甲山です。

ここから見える六甲山は絶景です。
六甲山の背後から夕日が沈む姿を想像してみました。
きっと、オレンジやピンクのグラデーションで美しく綺麗な稜線が描き出されるのでしょうね。

畿内一帯は、神武天皇が東征して治められるまでは、
ニギハヤヒノミコトが大王として君臨し、ナガスネヒコらと治めていた場所でした。
彼らは古代において、ここから一大開拓事業に従事されていた・・・
その今では消失してしまった軌跡を、私たちはこれまで訪ね歩いてきて、ここにたどり着きました。

ここ神津嶽は、高い日の光が照らす美しい山です。

ここから眺める六甲山への女神信仰も、
もしかしたら、その時代にも生きていて後世まで伝えられていたのではないのかな・・・と感じます。

枚岡神社の摂社・若宮社奥にあった白水井は、別名「出雲井」と呼ばれているそうです。

出雲の物部さんたちは六甲を通過ポイントとして、
ここにたどり着いたとしたら、なおさらではないかと思うのです。

神津嶽と六甲山の間は、その当時は水を湛えたチヌの海だったはずですから
ふたつの山は、夫婦岩ならぬ、夫婦山のように当時の人々には讃えられていたのかもしれません。
船での往来も私たちの想像を超える盛んなものだったのではないでしょうか。

山は潜象エネルギーを降ろす装置としても重要だということが知られつつあります。
人々の営みを豊かに調える役割として、縄文人たちは私たち以上に山を大切にしてきたと思います。

・・・あくまで私の想像です。

展望台に立つと、いろいろな想いが沸いてきます。

ニギハヤヒとセオリツ姫が夫婦神と云われる所以も
ひょっとしたら、このあたりに秘密があるのかもしれませんね。
古代祭祀と信仰の伝承が新たな歴史を創造していくのかも。

ここに立たれた方は、よく眺めて、検証してみてください。
なにか気づかなかった重要なことが見えてくるかもしれません。

平岡・神津山18

展望台から、本宮をめざして進んでいくとき
ふと、太陽を見上げると・・・

「日暈(ひがさ)」が出現していました。

\(◎o◎)/!

平岡・神津山19

びっくり。

瞳みたいです。

キラキラしていて、ほんとうに綺麗ですね。

平岡・神津山20

日暈(ひがさ)を眺めてから、さらに森の奥へと登りつめていきます。

ついに見えてきました。
本宮です。

平岡・神津山21

わりと現代的な鳥居と社殿です。

ふだんから、多くの参拝者さんが訪れる場所なのでしょう。

平岡・神津山22

ここで、皆で「あわうた」を歌いました。

この日は夏のように日差しが強く、
汗だくになりながら登ってきましたが
山頂に流れる風は涼しくて心地が良かったです。

平岡・神津山23

蝶がぐるぐる舞っていて
祠に留まっていました。

平岡・神津山24

神武さんも、歌やお笑いが好きなのかな。

枚岡神社には、たくさんの歌い手さんやお笑い関係の方たちの参拝があります。
この日の参拝は、歌手の方も同行なさっていて、
いつものあわうたも、より伸びやかに響いていたのかもしれません。

すべてはうまくいっている♪ ヽ(^o^)丿

平岡・神津山25

社殿は、南の方角を向いているようでした。

平岡・神津山26

本宮内の御神木。

三股に別れて太陽の登る南の方向へ枝を伸ばしていました。


平岡・神津山27

紫陽花の花が、これから見ごろを迎えようとしています。

平岡・神津山28

神津山の麓には梅林があり、
たくさんの梅が実をつけていました。

平岡・神津山29

追伸:
ちょうど枚岡神社参拝と神津山に私たちが訪れていた時、
神戸でも日暈の出現が話題になっていようです。
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神戸新聞NEXT 
6月9日(木)7時30分配信記事より


神戸に巨大な「日暈」 神秘の円、虹色に輝く
 8日の兵庫県内は各地で梅雨の晴れ間が広がった。
神戸市内では昼前、太陽をぐるりと囲む光の輪「日暈(ひがさ)」が現れ、
虹色に輝く神秘の円に気付いた人らが歓声を上げた。
 神戸地方気象台によると、薄いベール状の雲が高い空に広がった際に、
雲を通る太陽光が氷の粒に反射して見える現象だという。
 神戸港で結婚式後の記念撮影に臨んでいた新郎(27)は
「雨が上がった上に珍しい虹まで見られ、祝福された気分です」と喜んでいた。
 同気象台によると、9日は県内の広い範囲で天気が崩れ、午前中を中心に雨が降りそう。(小林良多)


日傘6月8日神戸の日暈

やったね♪
祝福のアークでした。ヽ(^o^)丿

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  1. 2016/06/09(木) 10:00:21|
  2. ニギハヤヒの軌跡旅

【元春日】 河内国一宮 枚岡神社

平岡神社1

はい。 6/8(水)晴天の本日は
関西ホツマのメンバーさんとともに行く「ニギハヤヒを巡る旅」part.8となりました。 

平岡神社2

今回のスタートは、元春日・枚岡神社でした。
そして神奈備山である、神津嶽の登拝です。

久下さんのまとめてくれた旅のご案内を
ここに覚書しておきましょう。
---------------
神武天皇東征の砌、孔舎衛坂で長髄彦軍と戦い
五瀬命が肘を射られて退却を余儀なくされました。

「われは日の孫 日に向ふ 天に逆えば退きて 神を祀りて 日のままに 襲はば敵も破れん」

この『神を祀った』所と言われている神津嶽に登り、
神武天皇が国土統一を固く決意し、「東から北西へ攻め上がる」作戦を
天に奏上し、初代人皇となった偉業を偲びます。
---------------


数日前に、橿原神宮から六月大祓のご案内が届いていたばかりです。

六月大祓いを目前にして、これも節目なのかなと思い、
今回はきっと象徴的なサインがくるのかも・・・という少しの期待を込めつつ
近鉄奈良線・枚岡駅を降りたち、ここまでやってきました。

わくわく。。。

平岡神社3

枚岡神社は、大阪府東大阪市出雲井町にある神社です。
出雲ということで、私にとっては、
なんとなく生まれ故郷とリンクしていくようで、心がソワソワしてきます。

私は今回、はじめて参拝しましたが、
枚岡神社での「お笑い神事」に参加している皆さんのお顔が浮かんできます。
「あわの歌会」の皆さん、舞と笑氣功の美濃部さん、「ラフターヨガ」をやってる皆さんとか。

ここで、あっはっはっは・・・・♪

・・・って、やってるんですね~。

笑いを大切にしている人の笑顔は
いつもニコニコ気持がイイですし、見た目も美しいと感じます。
そして、なによりも周囲に元気を広げてくれています。
幸せのおすそわけ・連鎖ですね。

私もそんな人と一緒にいたいし、そんな人でありたい。
ここに来て、鳥居の前に立つと、そんなふうに感じました。

平岡神社5

変わったかたちの注連縄ですね。

はっはっはっは♪ の、笑い転げた八の字でしょうか。

きっと8=∞なんだね。
転がり入っていく「8」は無限大。

参拝の後で、最後に私たちも、あっはっはーーー・・・と、メンバー8人で「お笑い神事」しました。

8日に集まった8人で、88888・・・♪

「8」尽くしの参拝となりました。

平岡神社4

「経矛」の「矛」かな。

平岡神社6

枚岡神社の神域や神津嶽の麓を散策していると
「元春日」と言われるだけあって、
そこかしこに春日大社と同じフィーリングだと気付かされます。

初めて訪れたのに、全然そんな気がしないという、不思議な感覚でした。

ここには鹿さんはいないけれど、
鹿さんの像が歓迎してくれています。

平岡神社7

とても凛々しくてカッコいい鹿さんですね。
神津山の伏流水が神社の境内いっぱいに流れていて
本殿の前には、鯉の池もありました。

水気が強いですが、
お日様の光もいっぱいに降り注いで
清々しさに溢れています。

どこを見ても、清浄な気が満ちていて、とても美しいです。

平岡神社8

昭和天皇の御製も掲示されています。

平岡神社9

狛犬ではなく、狛鹿さんです。

平岡神社10

なんと親子の狛鹿さんでした。

祭神・武甕槌命が神鹿に乗って旅立たれたという故事(鹿島立ち)にちなみ
「なで鹿」といって親しまれているそうです。

親子で仔鹿を優しく育んでいて、
健康・家族の平安・子供の幸せ、旅行の安全などを念じて撫でるそうですよ。

平岡神社11

現在の祭神は次の4柱。
本殿4棟(第一・第二・第三・第四殿)に各1柱が祀られています。

第一殿: 天児屋根命(あめのこやねのみこと) - 中臣氏祖神。
第二殿: 比売御神(ひめみかみ) - 天児屋根命の后神。
第三殿: 経津主命(ふつぬしのみこと) - 香取神宮(千葉県香取市)祭神。
第四殿: 武甕槌命(たけみかづちのみこと) - 鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)祭神。

もともとは、神津嶽に、天児屋根大神・比売大神の、二柱の夫婦神が祭られていて、
のちに春日大社に勧請されたので「元春日社」とされているようです。

そして後に、春日大社から、武甕槌大神・斎主大神を勧請し、
同社と同じ神(春日神)を祀られるようになりました。

平岡神社12

第一殿: 天児屋根命(あめのこやねのみこと) から
第四殿: 武甕槌命(たけみかづちのみこと)の社殿の並びが
ここ元春日・枚岡神社と、春日大社や他の春日神を祭る神社では、
真逆になっていると禰宜さんが仰っていたのが妙に気になりました。


御由緒によると・・・

枚岡神社の創祀は、皇紀前まで遡り、
初代天皇の神武天皇が大和の地で即位される3年前と伝えられています。
神武御東征の砌、神武天皇の勅命を奉じて、
天種子命(あめのたねこのみこと)が平国(くにむけ)(国土平定)を祈願するため
天児屋根命・比売御神の二神を、霊地神津嶽(かみつだけ)に
一大磐境を設け祀られたのが枚岡神社の創祀とされています。

平岡神社13

神武天皇(かむやまといはれびこのみこと)は、
日本の国を治めるため、九州の日向高千穂から東に向かわれ、
地方を治めながら日本の最中大和の国、
畝傍山の橿原の地でご即位されたと日本書記には記されています。
これを神武御東征といいます。

浪速(今の大阪湾、当時の湾はかなりいりくんでいたと伝わる)に上陸され、
生駒の山を越えて大和の国へ進もうとされたが、
生駒の豪族であったナガスネヒコの大軍がこれを阻止しようと戦がおこってしまいます。
思うように進むことができないばかりか、
兄である五瀬命(いつせのみこと)が流れ矢によって負傷してしまうなど、
かなりの痛手を負い、ここに神武天皇は、神のお告げによって
「天照大御神の子孫でありながら、日に向かって敵を討つことは神の道に逆らうものである」と悟られ、
天神地祇を祀った後、皇軍を還して和歌山紀州路から吉野を通り、
日を背にむけて大和へ進むことを決意されます。
この時に、天児屋根命・比売御神の二柱の神を霊地神津嶽にお祀りし、
国土の平定を祈願され、その後、熊野を経て大和橿原の地に即位されます。

・・・・以上が、御由緒からの抜粋です。

ちょっとホツマの記述と合致するところがあるみたい。。。

私は、このあたりのことは、あまり詳しく知りません。

向山さんによれば、ここ枚岡神社は、
神武天皇が難攻の局面で、方向転換したことで運が開けた、
左回りの回転・開運の、重要地点だったのかもしれない・・と
そんな説を打ち立てていらっしゃいました。

う~~ん。
なるほど、と想いました。

ここもいわゆるゼロ地場なのかもしれませんね。

そう云われたら、
ほんとうにそうとしか思えなくなってしまいます。
インスピレーションって大事だと思います。

そして、来てみてはじめて、その体感で、確信に至れるのです。

今日もちょっと掴めた気がしました。
きっと皆さんもそう感じられたと思います。

平岡神社14

平岡神社15

とても丁寧に神社のことを教えてくださった禰宜さんが、
大きな御神木の元へ案内してくださいました。

平岡神社16

びゃくしんの木です。

ここまで大きくなるのは珍しいそうです。
海辺で成長していく樹木なのだそうです。
ここ枚岡周辺は太古は海だったことの証明ですね。
捻じれた太い幹を眺めていると、
大きな渦の潜象エネルギーが充満しているのを感じさせられます。

このびゃくしんの木も、向山説に大きく「yes」と言ってくれているように感じます。

そういえば、三輪山周辺の御神木も、
こんなふうにして守られているよね。。。

平岡神社17

若宮神社です。

天児屋根命・比売御神に繋がる
天種押雲根命の社です。

天児屋根命・比売御神~天種子命と天押雲根命
このあたりの関係が、まだまだ私には見え辛くて
ちょと混乱して覚えてしまっています。

残されている僅かな伝承から
イマジネーションを働かせないと見えてきません。

教えて押雲根さーん。  |ω・`)ノ

平岡神社18

白水井

別名「出雲井」とも呼ばれています。

枚岡・出雲井の地名の由来が神津嶽の水の御神徳とは雅ですね。

物部の祖・ニギハヤヒの神宝を祀る石上神宮にも「出雲井」の社がありました。
古代の鏡や剣を造り祭る際に、水や埴が重要視されていたことが
出雲井の名前からも窺えるような気がします。

(6/15追記)↑上記の内容を訂正します。「出雲井」は、若宮社の近くにあるそうです。
ここはそのまま白水井と呼ばれていて、
こことは違う、もうひとつの井戸、そちらが「出雲井」」と呼ばれているようです。
私の中には、記憶になくて残念です・・・そちらもちゃんと見ておきたかったな~と想いました。


この袋の中身は千羽鶴です。
たくさん詰められていました。

元春日では、たくさんの折鶴を見かけました。

平岡神社19

末社には、春日大社と同じように、たくさんの神様が祭られています。

平岡神社20

ここでのフィーリングも、春日大社の摂社や末社と同じです。

ここにも袋が吊るされていて、たくさんの折鶴が詰められていました。
なにか懸命に祈願されているのでしょうね。

新しい夜明けの時代を、皆で平安に迎えられますことを意図します。

平岡神社21

賽銭箱には、渦巻き模様のカタツムリが。。。

フィボナッチの渦。

ここからまた新しい渦が生れ出て、
光の回転を興していけるはず。

昨日は雨で、今日は晴天でした。

元春日の地に、益々の光あれ・・・!

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  1. 2016/06/09(木) 01:53:16|
  2. ニギハヤヒの軌跡旅

大酒神社と広隆寺

大酒神社1

関西ホツマのメンバーさんと、ニギハヤヒを巡る旅part.7。

京都・太秦編です。

蚕ノ社から、少し歩いて次に訪れたのは大酒神社でした。

大酒神社2

兵庫県赤穂市の「大避神社(おおさけじんじゃ)」には、秦河勝が祀られていますが、
どうやらこちらの大酒神社のほうが、より深い歴史を秘めているようです。

大酒神社3

ちょっとおもしろい形状の、
皇紀2600年記念碑。

大酒神社4

刀?剣?のかたち?

どうして丸い穴が空いているの?

弥勒菩薩の指先がつくる輪っかなのか。

はたまた、太陽の光を通す日時計的なモニュメントなのか
見えない鏡を想像するための穴なのか・・・

とても気になる形でした。

鳥居の真正面に壁のように存在していて、本殿を遮ります。
光の射す方向を追って行ったら、なにかおもしろいことがわかるのかも・・・と思いました。

考えすぎかなぁ・・・?

大酒神社8

大酒神社の名前のとおりに、ワンカップのお酒がいくつか並べて供えられていました。

大酒神社7

大酒神社の由緒書

祭神:秦始皇帝(しんのしこうてい)、弓月王(ゆんずのきみ)、秦酒公(はたのさけきみ)
相殿:兄媛命(えひめ)、弟媛命(おとひめ、呉服女、漢織女)
神階:正一位、治歴4年4月(1068)


当社は、延喜式神名帳葛野郡二十座の中に大酒神社(元名)、大避神社とあり、大酒明神ともいう。

「大避」称するは秦始皇帝の神霊を、
仲哀天皇8年(365)に皇帝14世の孫・功満王(こうまんおう)が漢土の兵乱を避け、
日本朝の淳朴(じゅんぼく)なる国風を尊信し始めて来朝し此地に勧請す。
これが故に「災難除け」「悪疫退散」の信仰が生まれた。

后(のち)の代に至り、功満王の子・弓月王、
応神天皇14年(372)に百済より127県の民衆18,670余人を統率して帰化し、
金銀玉帛(ぎょくはく)等の宝物を献上す。

また、弓月王の孫・秦酒公は、秦氏諸族を率いて蚕(かいこ)を養い、
呉服漢織に依って絹綾錦の類をおびただしく織出し朝廷に奉る。

絹布宮中に満積して山の如く丘の如し。
天皇御悦の余り、埋益(うずまさる)と言う意味で秦酒公に禹豆麻佐(うずまさ)の姓を賜う。
数多の絹綾を織出したる呉服漢織の神霊を祀りし社が
大酒神社のかたわらにありしが明歴年中破壊に及びしを以て、当社に合祀す。

機織(はたおり)のみでなく、大陸及半島の先進文明を我が国の輸入するに努め、
農耕、造酒、土木、管絃、工匠等産業発達に大いに功績ありし故に、其二神霊を伴せ祀り三柱となれり。
今大酒の字を用いるは秦酒公を祀るによって此の字に改む。

広隆寺建立后、寺内 桂宮院(国宝)境内に鎮守の社として祀られていたが、
明治初年政令により神社仏閣が分離され、現在地に移し祀られる。
現在広隆寺で10月10日に行われる、京都三大奇祭の一つである牛祭りは、
以前広隆寺の伽藍神であった時の当社の祭礼である。

なお、603年の広隆寺建立者・秦河勝(はたのかわかつ)は秦酒公の6代孫。
また、大宝元年(701)に子孫・秦忌寸都理(はたのいみきとり)が松尾大社を創立。
和同4年(713)には秦伊呂具(はたのいろぐ)が伏見稲荷大社を建立した。
古代の葛野一帯を根拠とし、畿内のみならず全国に文明文化の発達に貢献した、秦氏族の祖神である。

大酒神社5

大酒神社の由緒書から、
この時代のことを、もっと知りたいと思うようになりました。

大酒神社6

ひとことで秦氏といっても、
日本に渡来してきた秦氏には、
いろいろな人たちが居たんだろうなぁ。。。

現代の移民問題の中にも、
その幻影が見えてきそうな気がしました。

2600年前の記憶が目覚めたら
そこからなにを伝えていけるんだろう・・・?

いろいろな想いが頭の中を駆け巡っていきました。

広隆寺1

その後、広隆寺へ。

広隆寺2

境内は撮影禁止となっていたので、
楼門のみ御紹介します。

弥勒菩薩半跏像、久しぶりにご対面いたしました。
対面しているあいだ、私の魂の家族たちに、少し想いを馳せてみました。

広隆寺3

太秦周辺を走っている京福電車は、とっても可愛いです。

この日は晴天に恵まれて、太陽神の祝福と受け留め、喜んでいた私たちです。

風はまだとても冷たくて、京都の冬の厳しさも同時に感じられた一日でした。

広隆寺4

駅前の土手には、芝桜が咲いています。

こんなに早くからすでに満開になっていることに驚き、嬉しくなりました。

属名の学名「Phlox(フロックス)」は、ギリシア語の「phlogos(火炎)」が語源なのだそうです。

「合意」「一致」「忍耐」「燃える恋」「華やかな姿」

弥勒菩薩さんの想いと
今でも、これからも
同じところに居られたら嬉しいなぁ。

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  1. 2016/02/27(土) 23:54:55|
  2. ニギハヤヒの軌跡旅

蚕ノ社・木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)

2016蚕ノ社1

今日は、関西ホツマのメンバーさんと、ニギハヤヒを巡る旅part.7です。

晴天の京都・太秦へ出かけてまいりました。

2016蚕ノ社2

久しぶりの、木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ、木島坐天照御魂神社)です。

京都府京都市右京区太秦森ケ東町にある神社。
式内社(名神大社)で、旧社格は郷社。

通称「木嶋神社(このしまじんじゃ、木島神社)」または「蚕の社(かいこのやしろ、蚕ノ社)」とも呼ばれていて
古くから祈雨の神として信仰されていた神社です。
境内には珍しい三柱鳥居があることで知られています。

2016蚕ノ社3

秦氏ゆかりの神社としても知られています。
まだいまひとつ、秦氏についてはよくかわりません。

でも、ここへ来ると、なんだか心地のいいフィーリングに包まれていきます。
どうやら、自分とも、とても縁が深い場所のように感じられます。

2016蚕ノ社4

木嶋(地名)に鎮座する天照御魂神の社、ということで、
本来は「天照御魂神(あまてるみむすびのかみ/あまてるみたまのかみ)」を祀った神社とされています。

ここ以外にも、大和国・摂津国・丹波国・播磨国・対馬国など
天照御魂神・天照神・天照玉神を祀る祠の存在が見られる場所には、
古代の国土開発に関わる青銅器や、鏡などの装飾品が出てきていたり
大規模な国土開発が行われてきた痕跡を見つけることができました。

一連のニギハヤヒ旅を続けているうちに
「○○坐天照御魂神社」と名のつく神社参拝で分かったことは、
天照大神(皇祖神)とは別の神格の太陽神が祭られてきたことです。

主祭神は、天照国照天火明命(天火明命)=ニギハヤヒ尊の父君

そこが確信的となりました。


天火明命=尾張氏祖神ということで、
この蚕ノ社は、お蚕さんの天白神信仰とも結びついていると教えてくれています。

たぶん、これからまた尾張氏関連の場所を
歩くことになるんじゃないかな・・・と感じています。

ここにきて、整理できたこともあれば
ますます広がることもあって、今回はひとつの記事にうまくまとめていくことができません。

秦氏と聖徳太子のその時代の関係も
とても気になるところです。

2016蚕ノ社5

2016蚕ノ社6

三柱鳥居です。

2016蚕ノ社7

真ん中が、光っています。
ちょうど、太陽の光が中心に下りる時間に訪れていました。

三位一体って、美しいかたちですね。
こうしてみていると、あらためてそう思います。

三柱鳥居の方位が
稲荷山・松尾山の冬至線、比叡山四明岳・愛宕山の夏至線に関係すると見て、
境内の元糺の池に日が差すという構造から、
朝鮮半島の日光感精型の信仰に基づく半島系の太陽神(日の御子)とする説もあるようです。

そのほか「ミムスビ」という神名から、境内の湧水によって穀物を生成するムスヒの神とする説もあるとか。

2016蚕ノ社8

ここに水が流れていると、ほんとうに神秘的に見えるでしょうね。。。

2016蚕ノ社9

2016蚕ノ社10

境内社には、「椿丘神社」という、
お稲荷さんを祀る社が鎮座されています。

ちょうど、椿の花が咲いていました。

私は、今日は、ここに寄るためにやってきたのかな・・・と感じました。

「控えめな素晴らしさ」「気取らない優美さ」「気取らない魅力」
「見栄を張らない」「慎み深い」「高潔な理性」「謙虚な美徳」

どれも、決して背伸びをしていない、
心のままの美しさを表した言葉

それが赤い椿の花言葉なのだそうです。

それは、私が描いていきたい女神像にも通じます。
私自身もまた、そうでありたいと、理想の在り方を椿の花に重ねます。

2016蚕ノ社11

秦氏と、私の魂は、無関係ではなさそうだけれど
どんな関わりがあったのかは、いまだに掴めないままです。

それでも、小さな自然が、花が、
彼らの信仰していた太陽神からのメッセージを、
間接的に伝えてくれているような気がしました。

心を磨くこと 
それを忘れないで

そう彼らから伝えられている気がしました。

2016蚕ノ社12

椿神社には、カエルのかたちの磐座がありました。

カエルさんの向こうからは、幼稚園の子供たちの合唱が聞こえてきました。
それは、卒園ソングの定番「BELIEVE」でした。

「BELIEVE」

【作詞・作曲】杉本竜一


たとえば君が 傷ついて
くじけそうに なった時は
かならずぼくが そばにいて
ささえてあげるよ その肩を
世界中の 希望のせて
この地球は まわってる
いま未来の 扉を開けるとき
悲しみや 苦しみが
いつの日か 喜びに変わるだろう
アイ ビリーブ イン フューチャー
信じてる

もしも誰かが 君のそばで
泣き出しそうに なった時は
だまって腕を とりながら
いっしょに歩いて くれるよね
世界中の やさしさで
この地球を つつみたい
いま素直な 気持ちになれるなら
憧れや 愛しさが
大空に はじけて耀(ひか)るだろう
アイ ビリーブ イン フューチャー
信じてる

いま未来の 扉を開けるとき
アイ ビリーブ イン フューチャー
信じてる 


2016蚕ノ社13

ホアカリ尊、ニギハヤヒ尊、
弓月君(ゆづきのきみ)

「BELIEVE」は
太陽神からのメッセージのように感じられて、
ちょっと泣きたくなりました。

生きる世界が違っていても
信頼しあって共に歩いていく
いつも繋がっているから

それが私たちの交わした約束だったのかもしれません。

いつでもそばにいてくれて、ありがとう。

-------------
Believe

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  1. 2016/02/27(土) 00:29:14|
  2. ニギハヤヒの軌跡旅

黒塚古墳と三角縁神獣鏡

黒塚古墳1

1/26(火)
最後に行ったのは、史跡・黒塚古墳と天理市立黒塚古墳展示館です。

ここの竪穴式石室から、大量の三角縁神獣鏡が出土しているそうです。

黒塚古墳2

小規模ながら、
鏡のことを調べるのにはとてもお役立ちの施設でした。

黒塚古墳3

黒塚古墳の石室の内部が、忠実に復元されています。

鏡の配置や、ほかの副葬品の配列など
多少の自然の影響を受けつつも、
きちんとこの時代まで遺されていることに新しい感動を憶えました。

黒塚古墳は古墳時代前期(3世紀後半から4世紀)の古墳と推定されています。
古墳の規模は現状で全長約130mの前方後円墳とのことです。

現在は柳本公園の一画にあり周辺は池に囲まれていて
古墳が作られた当初の姿をほぼ良好にとどめているようです。

大和古墳群学術調査委員会が中心となり、
平成9~10年の2ヵ年をかけて調査が行われたそうです。

そして、後円部では長大な竪穴式石室の存在が明らかになり、
副葬品も三角縁神獣鏡を中心として多数出土しました。

黒塚古墳4

竪穴式石室は、後円部の中央に前方後円墳の主軸に直交して作られていました。

全長約8.3mの長大な規模で、
川原石と板石を用いた合掌式の特殊な石室であることがわかっているそうです。

石室中央には長さ6m、直径1m以上のクワの巨木をくり抜いた木棺が使用されていました。
現在、木棺は腐り、粘土の棺台が残っています。

黒塚古墳5

黒塚古墳からは33面の三角縁神獣鏡が出土しました。

この型式の鏡は、背面に神獣を配し
周縁が山形に鋭く尖る形をしているために
このように呼ばれています。

鏡は直径が平均して22cm、重さは1kgにもなり、
鏡の裏側には中国の吉祥句を記した文章や
神仙、霊獣などが表現されています。

古代の首長たちが、鏡に表現された不老不死や
神仙思想という中国の思想を受け入れたと考えられています。

また黒塚古墳が出土した三角縁神獣鏡は、
初期ヤマト政権のあり方や邪馬台国の所在地論争とも無関係ではなく、
これからの解明が待たれます。

(・・・以上、黒塚古墳展示館の資料から引用しています)

黒塚古墳6

微細で美しい模様は、いつまで見ていても飽きない感じです。
写真okの展示館だったので、
鏡をたくさん撮影してきました。

黒塚古墳7



黒塚古墳8

鏡の鋳造と鋳型

現代の鋳造では、原料である銅が約1600度まで熱せられ、完全に流動化している。
これを湯と呼んでいるそうです。

青銅の原料は銅が70パーセント、錫25パーセント、鉛5パーセント程度の合金である。
展示品は鏡の周辺に漏斗状の湯口(鋳込み口)と、
鏡にまんべんなく原料が流れるようにした湯道がパリとして付着している。

鏡の仕上げではバリはすべて取り払われ、表裏とも磨き上げられる。
鋳型は鋳流した時に発生するガスを抜けやすくするため、
主として砂型により作られている。

内面には型抜きをしやすいように炭素が吹きつけられている。

黒塚古墳9

こちらは小さい鏡です。

「画文帯神獣鏡」というそうです。

黒塚古墳10

「画文帯神獣鏡」を大きく写してみました。

棺内の頭部付近に、文様面を南に向けて立った状態で出土したそうです。
中国の後漢末から三国時代にかけて盛んに制作され
日本にもたらされた鏡とされています。

三人の神仙のうち両手の裾をたくしあげて、
膝に琴を置くのは、琴の名手である伯牙(はくが)であろう。
左右の神仙は東王父西王母であろう。

文様の外側には「吾作明鏡自有紀□□公宜子」の文字がある。

黒塚古墳11

神仙と霊獣

三角縁神獣鏡の主要モチーフは、神仙と霊獣の織り成す世界観を
直径20cmの空間に表現していることである。

奈良県新山古墳の鏡には、
「西王母」「東王父」という文字が神像の傍らに鋳出され、
これから崑崙山に住む不老長生の神々であることがわかる。
獣も虎や龍など、神仙世界に住む霊獣であり、
こうした鏡の持つ霊力が現実の王権により強く意識されていたのであろう。

倭王権は、地域支配の一環として、このような霊力の宿る三角縁神獣鏡を、
列島各地に配布した説が有力である。

黒塚古墳12

神のポーズ・獣のポーズ

鏡に鋳出された神像は、顔を正面に向けた座像で
両手を襟の前で合わせている。
服の袂は大きくふくらんで威厳を表している。
頭には三連の山形をした冠や、両端から内側に蕨のように巻き込んだ冠がみられる。
三山形は東王父をあらわし、蕨型は西王母をあらわしている。
衣服の肩付近から伸びるのは、神仙世界の象徴ともいえる雲気が表現されている。

獣は顔が正面で胴体は横を向く。
主文様の獣は虎と龍が表現されるが、
胴体に刻まれた体毛と鱗の文様により区別される。

黒塚古墳13

規則性と自由な表現が絶妙なバランスの三角縁神獣鏡。
こうして見つめていると
やっぱり美しいな~と感じました。

黒塚古墳14

周囲が公園の黒塚古墳。
古墳のてっぺんは、こんな感じです。

黒塚古墳15

私たちが立っている地面の下にも
まだまだ、たくさんの思いがけない宝物があるのかも。

黒塚古墳16

いつか探しだされる時期を待ちながら
静かに眠っているのかもしれませんね。

そう思っていたら
とても楽しいですね。

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  1. 2016/01/28(木) 16:55:49|
  2. ニギハヤヒの軌跡旅

景行天皇陵と崇神天皇陵

景行天皇陵1

1/26(火)に出かけてきた、三輪山周辺のニギハヤヒを巡る旅。
さらに続きます。

・他田坐天照御魂神社 (おさだにますあまてるみたまじんじゃ)
・箸墓古墳
・桧原神社

・・・と山の辺の道をてくてくと歩いて
すでに15時頃になっていたでしょうか。

今回は、やたらと道に迷ったり
行きつ戻りつしながらの珍道中となりました。

年明け最初の旅で
みんな調子が狂っていたのでしょうかね?
まぁそんなことも、たまにはあっても良いのかも。

あとで振り返ると、そういうことが記憶に強く残るってもんです。
失敗の数だけ成功が生まれるんだから。

波の無い人生にはドラマなど生まれないのだ。
そんなのツマラナイのだ。
ねぇ?そうでしょ。

景行天皇陵2

そんなこんなで、
グダグダになりながらも
やっと、たどり着いた景行天皇陵です。

大きいなぁぁぁ~~~~。

あの鳥居の向こうに、美しの森が。。。

景行天皇陵3

二羽の青鷺が木々に止まっていて、
私たちの上空をぐるぐる旋回してくれていました。

ヤマトタケをより身近に感じられるような気がしました。

景行天皇陵4

ここには現在地を示す地図がありました。

向って左側の前方後円墳が、崇神天皇陵。
向って右側の前方後円墳が、景行天皇陵。

このふたつの巨大な古墳を見つめる先には(視線を山側へ)
ヲガタ塚という水領と桜の名所に辿りつくようです。

とても気になります。
ちょっと行ってみたくなりました。
それこそ、桜の時期にでも。。。

崇神天皇陵と、景行天皇陵。

こうして見るとふたつの古墳は
ヲガタ塚への桜並木を境にして
まるで鏡あわせのように向かい合っていますよね。

両者の歴史的な背景を、
もっと私たちは知っていくことが大事なのでは・・・?
そんな気持ちにさせられました。

崇神天皇陵1

こちらが、崇神天皇陵です。

崇神天皇陵2

さきほどの平坦だった景行天皇陵とは対照的に、
こちらは丘への階段が続いています。

崇神天皇陵3

崇神天皇陵4

なみなみと水を讃えた堀には、
たくさんの鴨たちが群れて泳いでいるのが象徴的でした。

こっちはたくさんの鴨。

青鷺と、鴨かぁ・・・

ふたつの古墳の印象は、
地図で見ている限りではそっくりだけれど
足を踏み入れると、そのフィーリングはまるで違っていました。

崇神天皇陵5

崇神天皇陵6

最後に、鏡がたくさん出土している黒塚古墳へと向かいます。

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  1. 2016/01/28(木) 16:00:39|
  2. ニギハヤヒの軌跡旅

2016 桧原神社

桧原神社1

今回も三輪山周辺・ニギハヤヒを巡る旅のつづきです。

1/26(火)巻向駅から降りて、
他田坐天照御魂神社 (おさだにますあまてるみたまじんじゃ)を参拝し
箸墓古墳へと歩いていきました。

これから桧原神社へと向かいます。

桧原神社2

途中の井寺池で、ちょっと一休み。

ここの付近ですれ違った、軽トラに乗った地元のおとうさんが
摘みたてのフキノトウを見せてくれました。

もう土手にいっぱい出てきているそうです。

w(*・o・*)w  へぇ~ びっくり。

この日は水溜りが凍るほど寒かったのですが
2016年1月は暖かい日も続いていたからかな。

三輪山周辺も
春と冬が交互にやってきていたんですね。

井寺池の周辺でフキノトウを探してみようと思いましたが
もっと奥の湿地へ入っていかないと見つからないみたいです。

ここにも歌のモニュメントがありした。

桧原神社3

川端康成の直筆で
ヤマトタケの詠んだ歌が綴られています。

景行天皇陵から三輪山に繋がるこの位置に。。。

後の世まで、ここで大和の国を見つめてきたのかな。

ふたりの魂は、いまは何を想うのだろう。。。

桧原神社4

池は自然も私たちも天の心も
すべてを映す鏡だと思います。

ヤマトタケの心も、この池から読み解けるような気がしました。
ここに自分の姿を映すことで繋がりあいたいとも思いました。

桧原神社5

桧原神社に到着しました。

桧原神社6

お昼どきに訪れたので
太陽の光が心地よかったです。

桧原神社7

過去に何度も紹介してきているので、
桧原神社の詳細は省きます。

桧原神社8

前回訪れたのは、2015年8月でした。

桧原神社と箸墓古墳周辺
http://ruri87.blog18.fc2.com/blog-entry-1491.html

前回は、一番暑い時期に参拝していたんですね。
今回は、一番寒い時期となりました。

桧原神社9

桧原神社10

桧原神社11

桧原神社12

近くの御茶屋さんが出している無人販売の農産物。

山之辺の道を歩いていて、
いろいろなお店をみていくのも
たのしみのひとつです。

桧原神社13

橘が木の幹に盛られています。

寄り集められている姿がなんだか可愛く思えました。

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  1. 2016/01/28(木) 08:25:02|
  2. ニギハヤヒの軌跡旅

箸墓古墳

箸墓古墳1

今回も三輪山周辺のニギハヤヒを巡る旅です。

巻向駅から近い
他田坐天照御魂神社 (おさだにますあまてるみたまじんじゃ)を参拝して、
次に向かったのは、箸墓古墳です。

箸墓古墳2

いつもの私のパターン・・・それは、
三輪山が御神体の大神神社を参拝し
山之辺の道を歩いて桧原神社まで辿りつくと、
もう半日経ってしまいます。

箸墓周辺までくると、いつも夕暮れ時になってしまうので、
今回は、はじめて日が高いうちに
じっくりと歩いてみる機会に恵まれました。

嬉しいなぁ・・・♪

たまには逆周りに進んでいくのも
新しい発見が待っているので良いもんですね。

箸墓古墳3

おぉぉぉ w(*・o・*)w

こんなふうになっていたのかぁ。。。

ちょっと想像と違っていたけれど
堀の大きさにビックリでした。

箸墓古墳4

ぜんぜん水を湛えていない・・・

しかも時期が時期だけに、凍ってるし。

こんなものなのかな・・・? (@_@;)

箸墓古墳5

実際は、こんな感じらしいです。

そうそうそう

これを期待していたのでした。

来る時期を間違えていたのかもしれないです。

湖面に映る、逆さの三輪山。
きっと、綺麗に違いないです。

それをみたら、たぶん
私の中でモモソ姫とヤマト姫のイメージが固まるかも。

いつかまた見にこよう。

こんどは夏が良いかな~。

箸墓古墳6

それにしても、箸墓古墳は大きいです。

ヤマトトトモモソヒメ

どんな存在だったんだろうね・・・?

私がもっとよく知りたいと想っている人物のひとりです。
三輪明神との関係が謎な伝わり方をしているだけに、
いろいろな想像を掻き立てられます。

この箸墓古墳には、
とてつもなく大きな秘密が隠されている気がしてなりません。

箸墓古墳7

箸墓古墳8

足元には、タンポポの綿毛がいっぱい。

私の着ているマウンテンジャケットよりも
あったかそうに見えました。

箸墓古墳9

和歌が刻まれているモニュメントが
あちこちに立っています。

三輪山や大和三山の歌が、たくさん残されていますが
その山が存在している本当の意味が
もしかしたら歌のなかにも隠されているのかもしれませんよね。

ピラミッド山の配置も意味深だけれど、
大規模な古墳が突然出現した背景も気になるのです。

なにかニギハヤヒさんの旅の途中で判ってくるといいな・・・と思っています。

箸墓古墳10

この干上がっている堀の中を見ていて、ふと気がつきました。

砂の川。

出雲の斐伊川っぽいな・・・と感じました。

私の生まれ故郷・雲州平田の中心を流れている斐伊川は、砂の川なのです。

ソサノオのヤマタノオロチ伝説と重なる風景です。
ちょっと懐かしく思いました。

なんだかモモソ姫がなにかを伝えたがっているようで
ちょっと見逃せない気もしました。

出雲地方から、ここ大和朝廷へ
鏡がたくさん運ばれてきた経緯が、
この一連のニギハヤヒ旅の中でも見えてきつつあります。

斐伊川のヤマタノオロチ=タタラ製鉄から川に流れる赤い鉱物
それも本当なのかもしれません。

モモソ姫も、鏡を通して大和と山陰を結ぶ役割をしていたのかな・・・?
モモソ姫さんは吉備津の神社で祭られていることもあって、
三輪にきて箸墓古墳を見ていると、
そのあたりのことが
いつもとても気になってしまいます。

いまは想像の域を越えることはできませんが
いろいろ考えさせられます。

箸墓古墳11

箸墓古墳12

倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の御陵
箸墓古墳の正面へ辿りつきました。

箸墓古墳13

ここで手を合わせて、
皆で「あわうた」を歌いました。

太陽の光に包まれながら歌っていると
とてもすがすがしい気持ちになりました。

モモソ姫さん
ありがとうございます。

しばらくここに佇んでいたいと感じたりしましたが
まだまだ歩いていく予定です。

今度は桧原神社へと向かいます。


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  1. 2016/01/27(水) 08:50:12|
  2. ニギハヤヒの軌跡旅

他田坐天照御魂神社 (おさだにますあまてるみたまじんじゃ)

他田坐天照御魂神社1

1/26(火)、関西ホツマの会の皆さんと
2016年最初のニギハヤヒ旅に行ってきました。

今回は、奈良の三輪山、巻向、箸墓周辺を歩いてきました。

ここのところずっとPCでの細い作業に没頭していたので、
久しぶりに自然の中に出かけることができて、良いリフレッシュとなりました。
明日からもがんばろう。。。

さてさて

最初に参拝した場所は、
桜井市太田字堂久保にある
他田坐天照御魂神社
(おさだにますあまてるみたまじんじゃ)
です。

他田坐天照御魂神社2

今回、こちらに向かうまでは、この神社の存在を私はまったく知りませんでした。

古墳に囲まれた小さな神社です。

初めて歩いてみて、地味だけれど、
とても重要な場所であることがわかってきました。

私が知らないだけで、ホツマのメンバーさんはしっかり勉強されていて
いろいろ教わることが多いです。

御祭神の天照御魂大神
=天照大神荒魂
天照国照火明命、志貴連祖天照饒速日命
とする説があるようです。

ニギハヤヒさんの父にあたるホノアカリさんのようです。

天照御魂神社と呼ばれる神社は
過去に行ってきた、茨木の新屋坐天照御魂神社
京都太秦の、木島坐天照御魂神社があります。

茨木の新屋坐天照御魂神社もホノアカリさんでした。

・・・ということで、次回はいよいよ
太秦の木島坐天照御魂神社(蚕ノ社)かな!?
広隆寺の弥勒菩薩像を拝むのも良いかも~と、思い巡らせていました。

ずっとニギハヤヒさんの足跡をたどっているつもりでしたが
この旅を通して感じることは、
ほとんど文献では語られていない
ホノアカリさんの存在の大きさです。

似ている名前の神々がごっちゃになってしまっていて、
それが親族間のあいだの話だと、
さらに区別がつかない状態で、頭が混乱していきます。

歩いてみて初めて確信できることばかりです。

毎回、驚くことが多すぎますね。。。

他田坐天照御魂神社4

雨樋が、光っていると思ったら、
寒さで氷柱ができていました。

ハートの形がいっぱい。

クリスタルでできているアクセサリーみたいで、素敵だなぁ~と思いました。

貴金属加工の技術も、ホノアカリさんの時代に花開いたのかな・・・などと
想像させられてしまいますが・・・真相はいかに・・・。

他田坐天照御魂神社3

小規模ながら、素敵なスポットがありました。

他田坐天照御魂神社7

ここから明治神宮を拝むのです。

最近設置されたのでしょう。
ここから神宮神宮を繋ぐラインに、いくつの古代の旧跡を見つけられるのかな。
きっと、シンボルとなる山や古墳群や磐座など、たくさんあると思います。

他田坐天照御魂神社5

岩に彫られた天照御魂神社

他田坐天照御魂神社6

文字の横の窪みが、まるで耳のかたちに彫られているように見えます。
おもしろいですね。

他田坐天照御魂神社8

拝殿の横には、大きな楠木。

他田坐天照御魂神社9

本殿は、木々に囲まれていてよく見えません。

他田坐天照御魂神社10

寒さで凍っていました。

他田坐天照御魂神社11

クリスタルの鏡みたいですね。

冬に行くと、なにかと記憶に残るかたちで
自然が姿を変えています。

また、あったかい時期にも訪れてみたくなります。

他田坐天照御魂神社13

他田坐天照御魂神社15

三輪山との距離感。。。

山が青いわ。。。

他田坐天照御魂神社12

太田公民館が横にあります。

太田・・・

タタネコさん?

他田坐天照御魂神社14

その後、箸墓古墳へ向かいました。

テーマ:心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル:心と身体

  1. 2016/01/27(水) 00:10:52|
  2. ニギハヤヒの軌跡旅
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