
11/15(月)
那覇の波上宮(なみのうえぐう)を参拝しました。
琉球八社の一つで沖縄総鎮守です。
所在地は沖縄県那覇市若狭一丁目25番11号
隣にあるのは護国寺です。
空海さんの高野山真言宗のお寺でした。

波上宮の御祭神は
伊弉冊尊・速玉男尊・事解男尊
熊野の神さまが祭られています。
御由緒より
当宮の創始年は不詳であるが、遙か昔の人々は洋々たる海の彼方、
海神の国(ニライカナイ)の神々に日々風雨順和にして
豊漁と豊穣に恵まれた平穏な生活を祈った。
その霊応の地、祈りの聖地の一つがこの波の上の崖端であり、
ここを聖地、拝所として日々の祈りを捧げたのに始まる。11/15は七五三の日。
本殿では着物姿の女の子たちが
神主さんの御祓いを受けていて
とっても可愛らしかったです。

天照大神の浮島神社。
お供えの処にキジバトさんが留まってました。

沖縄っぽい御神木。
ガジュマルなのかな?

昭和天皇の和歌です。
思はざる 病となりぬ 沖縄を たづねて果さむ つとめありしを
周辺を散歩しました。

ハイビスカスやブーゲンビレアの花が
あちこちに咲いていて
温かい風に揺れていました。
あぁ~ 沖縄に来たんだなぁ・・・
しみじみそう感じてしまう風景です。
(o´∀`o)
神戸ではライトダウンや
コートを羽織るくらいが丁度よい今日この頃。
こちらではまだTシャツ姿の人たちを多く見かけます。
重ね着をしてきたので、歩いていると汗をかきました。

展望台の近く。
海が見えます。

対馬丸記念館が近くにあります。
こちらは「小桜の塔」
対馬丸遭難者遺族会によって
戦争の犠牲になった子供たちのために
慰霊塔が建立されました。
愛知県の児童たちの募金によって
資材が集められたそうです。
合掌。
ここで西王母をうたいました。

慈愛の観音様が見守られています。

波上宮の下のビーチで夕日を拝むことにしました。
海底の変動で漂着してきた軽石がここにも。
救い上げる作業が大変そうです。

波が綺麗♪
これまで沖縄で訪れたことがあったのは、
那覇・南城・恩納村でしたが
今回は遠方まで出かけてきました。
簡単にご紹介していきたいと思います。
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- 2021/11/20(土) 00:35:11|
- 神社仏閣めぐり(沖縄)
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ヤハラヅカサへとやってきました。
ここで皆で
アワウタを歌いました。
とても清々しい場所です。

「ヤハラヅカサ」とは?
・ヤハラ=柔らかい・癒される・優しい
・ヅカサ=塚
ここは沖縄・琉球の祖先神
女神アマミキヨが降り立った場所とされています。
天から舞い降りたのか
船で渡ってきたのか

アマミキヨは、
ニライカナイと呼ばれる海の彼方の理想郷(ウフアガリジマ)から
沖縄・琉球に上陸し、この地を繁栄させていったとされています。
ヤハラヅカサから浜川御嶽を経て、
ミントングスク・玉城城跡・知念城跡・糸数城跡等を作り
人々に教えを説いていったとされています。

樹木の幹や根っこがダイナミックに絡み合う聖地。
なんだか、尊天信仰の京都・鞍馬山を彷彿とさせる景色に見えました。
鞍馬には海は無いけれど・・・貴船に出れば水音に出会えます。
どこか似ている空気です。
なにか繋がりがありそうです。
源為朝と舜天
源義経と尊天
金星やシリウスとも関連しているのかな。

岩陰の向こうはニライカナイの入り口でしょうか。
空と海が一望できるビーチが出現します。

南城市玉城村
百名ビーチ海岸
琉球石灰岩で作られた石碑が見えます。
いまは満潮時に近い?ので、近づくことは出来ませんでしたが
干潮時には寄ってみたいです。

アオサのような緑の海藻?藻?が大量発生していましたが
なにか絵になる風景ですね。

浜辺で、おっきい~やどちゃんたちに出会いました。
オカヤドカリって、成長したら大きくなるのね~。
我が家のチビやどちゃんの2倍くらいの大きさです。
我が家のやどちゃんは、家に帰ってみると
またしても行方不明となっていました。
どうやら、土の中で2度目の脱皮のもよう。。。
何も言わず、消えるそぶりも見せずに居なくなってしまうので
ちょっと寂しい気持ちになります。
そのうちに会話ができたらいいのにね。

この海には、そんな海の仲間がいっぱい生息していて
みんなアマミキヨの可愛い子供たち、ってことになるんでしょうね。
見えないけれど、確かに存在している仲間たち。
ホツマ的には、ヤ(8)・ハラ(蓬莱)・ツカサ(宮) とも言えるのでは?
ホツマ×琉球で出会えた皆様も
きっとアマミキヨの子供たち。
ここで出会えたことに、ありがとうございます。
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- 2018/02/16(金) 11:01:03|
- 神社仏閣めぐり(沖縄)
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とうとうやってきました。
斎場御嶽(せいふぁーうたき)
以前から一度は訪れてみたい、と思っていた場所です。
念願がかなって、嬉しいです。 (^o^)
久高島がここから見えます。
空が曇っていたので、写真ではちょっと分かりにくいかな。
あの島はやっぱり、特別なんですね。
御門口(うじょーぐち)琉球の御嶽は男子禁制。
たとえ国王であっても、ここから先に入っていくには
袂の合わせを女装に改める必要があったと言われています。
トウツルモドキ籐蔓もどき?
そんな名前の、ちょっと珍しい植物です。
葉っぱの先がクルンクルンに渦を巻いているんです。
こんな植物は初めてみました。
絡まり合いながら、天につるを伸ばしていくそうな。。。

よく見ると、とっても神秘的なトウツルモドキ。
フィボナッチだね。
宇宙銀河の渦巻き
フトマニの「ア」ゥ「ワ」のかたち♪

王国最高の「斎場御嶽」は
「聞得大君」という最高神職の女性が管理していました。
聞得大君は琉球王国最高位の権力者である国王と
王国全土を霊的に守護する存在で
国王の姉妹など、おもに王族の女性が任命されたそうです。
大庫理(ウフグーイ)大広間や一番座という意味らしいです。
最初に出会う祈りの場です。

聞得大君の就任儀式
「御新下り(おあらおり)」はこの場所で行われたようです。

儀式の説明が書かれています。
聞得大君が最高神職に就任する儀式。
聖水を額に付けると、神霊を授かり、神と同格になったとされました。
儀式の準備には御仮屋が建てられたり道路が整備されたりと
準備に数か月もかかったといわれています。
琉球王国で最大規模の神事。
シキヨダユルとアマダユルの壺規模の大きな拝所にやってきました。
三庫理(さんぐーい)に近いところです。

二本の鍾乳石から滴り落ちる
「聖なる水」を受けるための
2つの壺が置かれています。

自然と一体化しているように見える
2つの壺でした。

横から見てもダイナミック。
鍾乳石のかたちも、ちょっと不思議。

ここが最奥 三庫理(さんぐーい) の入り口なのですね。

曇っていたけれど
タイミングよく、光が射してきました。
綺麗♪

琉球の創世神・アマミキヨが渡来して
住み着いたと伝えられる知念・玉城の聖地を拝する行事を
東御廻り(あがりうまーい)というそうです。
首里城から見て、大里、佐敷、知念、玉城を東四間切
または
東方(あがりかた)というそうです。
三庫理(さんぐーい)からも
久高島を望むことができます。
久高島=麦の発祥地
知念(ウファカル)・玉城の受水走水(三穂田)=米の発祥地と伝えられているそうです。
ここ↑重要なのかも!
シキヨダユルとアマダユルの壺
2つの壺はこの2種の穀物とも関係があるのでは?
・・・とふと思いましたが、真相はいかに?
教えて 誰か偉い人。
気になってしょうがないです。(◎_◎;)

チョウノハナ(京のはな)」という最も格の高い拝所。
クバの木を伝って琉球の創世神であるアマミクが降臨するとされています。

祈りの場は久高島から運ばれた白砂で
敷き清められたと伝えられています。
三庫理(さんぐーい)ここから勾玉などの宝物が出てきているそうです。
金の勾玉、中国の青磁器、銭貨など。。。
また別の機会があれば、ぜひ見てみたいものです。
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- 2018/02/16(金) 00:14:38|
- 神社仏閣めぐり(沖縄)
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月代宮・佐敷城の奥へと入っていきました。
サシチグスク・イーグスク・つきしろの宮いろいろな呼び名があります。
遠方へ出かけて宿泊すると、TVを付けてローカル番組を見ます。
ホットな方言やタウン情報などを知ることができるからです。
ここへ来る前にも沖縄のBSローカル番組を見てました。
御嶽やグスク、首里城などの有名どころや、
知る人ぞ知る・・・みたいな聖地が丁寧に紹介されていて、
思わず時間を忘れて、昨晩は遅くまで、見入ってしまっていました。
その映像で見ていた、同じところに訪れることが出来て、ちょっと面白かったです。

私たちの他には誰もいない・・・
ちょっとワクワクします。
第一尚氏 (琉球最初の統一王朝を創った王族)の
尚思紹と息子の三山統一を成した
尚巴志の居城跡と伝えられています。
尚巴志は与那原港に出入りする異国船から鉄を購って
農具を製造して民に与え、信頼を得ていったようです。
月代宮 =つきしろ
月は彼ら王統の守護神だったようです。

1979年の発掘調査によって
青磁・白磁のお椀や皿、土器、石器、
鉄釘や小銭などが出土しているそうです。
柱の穴のあとや土留めの石積みも確認されているそうですが、
沖縄各地のグスクにみられるような
石垣はまだまだ発見されていないようです。

王統の先祖神。
きっと、町のみんなに崇敬されてきたのでしょうね。

上グスク之嶽。

佐敷町教育委員会による案内版によると、
『琉球国由来記』には、祭神として
「ステツカサノ御イベ」・「若ツカサノ御イベ」の二神が記されています。
もともとこの場所にあったのかは、まだ分かっていません。・・・親子神なのでしょうか。

周囲には白い花や野草がたくさん咲いていました。
ここは冬枯れなんて無縁の世界なのかもね。

この木は、
インドゴムノキというそうです。
インド原産です。
常緑の高木で幹より気根をだしています。
昔は、この木の乳液からゴムをとっていたそうですよ。
鉢物として室内装飾にも使われています。
大きかったです~。
葉も大きいね。



大きな御神木。
「ソウシジュ」というそうです。
こちらも常緑の高木で、葉は刀剣状に変化した羽柄。
4~5月には球形の黄色花が多数咲くそうです。
花の咲く頃に訪れてみるのも良いかも♪ (^o^)
台湾・比島原産。
立派な樹木に囲われてて、清々しいところですね。
内原の殿
(ウチバル ヌ トゥン)
南城市教育委員会によると・・・
内原の殿は、上城の殿ともよばれ、女官たちの働いていた場所といわれており、
もともとはカマド跡付近にあったと考えられているそうです。
以前は粟石の柱で壁はなかったそうです。
昭和55年にコンクリートのほこらに建て替えられたそうです。
佐敷ノロ殿内ノロ(ヌル)は、琉球王府時代に村落のお祭りを行い
宗教的に村落を管理支配した女性神役です。

ノロ殿内とは、ノロの
火の神を祭ってある建物のこと。
初代・佐敷ノロは、苗代大親(尚思紹)の長女でした。
佐敷ノロは代々、喜友名家の系統の女性が昭和初期まで継承していたそうです。
最後のノロが他界してからは、後継者は途絶えてしまったようです。
祭壇っぽい白磁器が遺されています。

ノロ殿内の上には、桜が咲いていました。

黄色い竹。
ちょっと珍しくて、写真に撮ってきました。

港も近いですね。
ここは祈りの場に最適の場所だったんですね。
大きなお城、その調度品なども
丹精を込めて造られた魅力があります。
それとはまた違った、深い緑に囲まれた
素朴で質素な石組の城などにも心を惹かれていきました。
私たちはバスで楽々移動ができるけれど
まだ整備がされていない時代は
アシや湿地の植物が、もっと生い茂っていたのかもしれないし・・・
きっと、大変な思いをして、祭祀や交易の移動を行っていたのかな。
あれこれ想像が膨らみます。
こんな場所が、幾つぐらいあるのかな。
興味は尽きませんね。
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- 2018/02/15(木) 21:25:30|
- 神社仏閣めぐり(沖縄)
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2/10のいときょう先生のホツマ×琉球講演会では
今まで知らなかったことに沢山触れられた、有意義な会でした。
参加されている皆様も、沖縄ゆかりの方たちばかり。
私も、自分ではまだ知らないだけで、きっとなにか深いつながりがある。
そう実感させられました。
次の日 2/11は、聖地ツアーに参加しました。
沖縄県南城市の
月代宮 佐敷城(さしきぐすく)へとやってきました。
那覇方面とはまた違った風を感じられる場所へやってきました。

グスクの入り口です。

石の祠の後ろには、大きな樹木が育っていました。

宇佐・・・宇佐・・・と書いてあるけれど、
正確には読み取れず。。。
「宇佐 月代宮」 で検索してみると
沖縄年鑑 (沖縄タイムス社, 1978)が出てきて、次のような記述がありました。
357 ページ
総人口九、ニニ九人(一九七七年十一月一日現在男四、五三五人、女四、六 0 六人)、
人口密度八八九人、世帯数二、一 0 八【村の人車】役場所在地—佐敷村宇佐敷五六
番地 V 村長,山城時正、助役,宮城繁、収入役宮城福光、教育長,崎山喜禄、総務課長,
... 落(尚巴志旧居城跡)、佐敷ゆうどれ、ハマ【名所旧^】佐銘川御殿、つきしろの官例祭【
主な年中行事】村文化まつり、月代宮【主要生産物】砂糖きび、野菜、畜産、八、七二三
二、予備費三〇、五四四、歳入合計八九復旧費六、公战费三二、四五七、諸支出金五、
〇〇 ... このあたり一帯は
「佐敷村宇佐敷」と呼ばれる地域みたいですね。
久高島とも近いですし
宇佐との交流は頻繁だったのでは?
琉球王朝誕生、それ以前からも
八幡神との関わりは強く意識されてきたのかな・・・なんて思いました。

周辺には、尚巴志に関する文化財が散在しているようです。

これから奥へと入っていきます。
楽しみです。
テーマ:心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル:心と身体
- 2018/02/15(木) 17:18:28|
- 神社仏閣めぐり(沖縄)
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そうそう、1か所ほど書き忘れていました。
首里に着いてから、偶然見つけたお寺が有ったので
ふと立ち寄ってみたのです。
それが首里城公園にほど近い、達磨峰 西来院でした。
(那覇市首里赤田町1丁目)

どうして導かれるように、すぅ~っと入ったのか。。。
臨済宗妙心寺派の寺院だからでした。
私の実家も、臨済宗妙心寺派のお寺の檀家。
同じ匂いを感じてしまうんですよね。

開山は菊隠宗意。山号は達磨峰、寺号は達磨寺。
万暦年間(1573~1619)に建立されたと伝わっています。
実際にはもっと古くて、観音菩薩を本尊とする寺院でした。
儀保町から現在地に明治時代に移転。
沖縄戦で焼失。再建されて今に至るそうです。

菊隠宗意は琉球の人。
幼い時から出家の志があり剃髪して僧となったそうです。
その後、日本に遊学し、
京都五山大徳寺古渓禅師の法を継ぎ
禅寺に登ったそうです。
万暦37年(1609)尚寧王(位1589~1620)の治世下、
薩摩が琉球に侵攻。
菊隠宗意はかつて日本に行った時に、
薩摩藩主島津家久に対面していて顔見知りだったそうです。
そのため、尚寧王とともに薩摩藩主の命によって江戸に行き、
和睦のために尽力した、ということが伝えられています。
知ることのなかった歴史と出会えるのも
陰の功労者的な人物と出会えるのも
気ままな旅の醍醐味かもしれないですね。

折しも今年の大河ドラマの主役は西郷隆盛さんです。
薩摩と和睦を結んだとされる菊隠宗意のような
隠れたヒーローがどこまで出現するのでしょうか?
琉球が舞台のストーリーも見てみたいものですね。
達磨さんをナデナデ。。。


戌年なので、ワンちゃん達もナデナデ。。。
沖縄の地を踏んでからというもの・・・
どういうわけか猫さまたちとばかり出会うので、
久しぶりにお犬さまと出会って、ちょっと感激しました。

それにしても臨済宗って。
やっぱり縁があるんだなぁ~。
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- 2018/02/15(木) 16:01:41|
- 神社仏閣めぐり(沖縄)
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2/9 那覇の
奥武山公園を歩きました。
沖宮~護国神社~心海上人之墓 と歩いて、
次に
世持神社(よもちじんじゃ)へと行ってみました。
公園内の中心です。
近くに遊具の広場があって、
途中で小さな子供たちとすれ違いました。

登っていくと
またしても、別の招き猫さまが御出現・・・! (@_@;)

ここでも、ふたたび
「まかせろ 付いてきな」
って言われてる気がしました。
行くしかないわ。。。

ここの近辺には
「産業恩人記念碑」があり
沖縄の産業界に貢献した、三大恩人
・野国総管
・儀間真常
・具志頭文若(蔡温)の功績が称えられています。

1934 年、沖縄県知事を会長とする「神社創立期成会」が結成。
沖縄文化協会の島袋源一郎氏の提案によって
神社名を「世持神社」とされました。
「世持」とは、沖縄のことばで「ユームチ」というそうです。
(世の中をささえるという意味)
三人は沖縄の産業をささえた恩人として祀られることになりました。
1935年3月 那覇市奥武山公園内に認定。
1937年2月28 世持神社創立の認可が正式決定。
祭神は、
出雲の大物主が刻まれていますが、
沖縄産業界の三大恩人は、国土開発や整備に尽力された
偉大な方たちだったんでしょうね。

こちらのサイトに詳しく神社の御由緒が書かれています。
沖縄産業界の先達さんたちの記録です。
↓ご興味のある方はぜひご覧ください。
●世持神社の祭神●http://www.town.kadena.okinawa.jp/kadena/soukan/book/42.html
散歩していると、中国の方たちと違います。
ここは沖縄・・・
日本なのかな・・・と思うことも、しばしば。
明治時代の中ごろまでは、中国の歴史と関係が深くて
日本の歴史と異なる特徴をもった琉球の歴史を学ぶことは否定されていたそうです。
大正時代に入ると、琉球の歴史文化は日本の古い姿を残していると評価が高まったそうです。
昭和10年代~戦争が激しくなると、沖縄の村々にある御嶽が
日本の古い宗教の形を残している聖地として位置づけられ
「一村一社」として神社に統合されて、御嶽に鳥居をたてる動きが起こります。

いま、産業の融合・歴史の融合・みんなの意識の融合が
起こり始めているんだな・・・と感じられます。


えんむすび♪
出雲の神の願いも、ここに込められているのかもしれません。
テーマ:心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル:心と身体
- 2018/02/14(水) 13:34:11|
- 神社仏閣めぐり(沖縄)
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2/9那覇に着いてから、ひとりでぶらぶらと
天燈山(てんとうざん)/奥武山(おうのやま)の周辺を歩きました。
ここは
沖縄県営奥武山公園。
沖縄県初の運動公園として1959年(昭和34年)6月に開設されたそうです。
毎年10月には「那覇まつり」「産業まつり」の主会場であるそうです。

琉球八社・沖宮~護国神社へと参拝した後、
招き猫さまがご登場。

ブルーの瞳がキラリと光る猫さま。
「こっちだよ 付いてきな」
って言われてるような気がしました。

ブチの猫さまもご登場。

ここは猫公園でもあるのか。。。

そして、猫さまに導かれて向かった先には・・・
心海上人(しんかいしょうにん)のお墓。お墓を護っている猫さまでしたか。
心海上人とは、いったい、どんな人物なんだろう・・・?
沖宮(おきのぐう)の由来に
心海上人のことが書いてありましたので、引用します。
現在は、橋や埋め立てにより陸続きになっている奥武山は
その昔、漫湖の入江に浮かぶ島でした。
琉球王国時代の奥武山は、美しい景勝地で、
江戸時代の有名な絵師
葛飾北斎が
「琉球八景」のひとつとして描いているほどです。

1710年頃には、心海上人(しんかいしょうにん)が
護国寺の隠居寺である
龍洞寺(りゅうとうじ)を
奥武山に創建したという記録があります。
弁財天堂の蓮池と浮見堂があったという記録から
花鳥風月が麗しい趣ある寺社であったことが想像されます。

1721年の「中山伝信録」には
「奥武山は、もと蛇のすみかであったが、僧心海がここを開いてから
蛇は海を渡って逃げてしまった。
堤を築いて潮をせき止め、泉をひき松を植え、五・六軒の家を構えた。
前に沼があり、小亭が二つ。
仏桑花やソテツなどをたくさん植えてある」との記録があります。

また、こんな民話もあるそうです。
琉球のその昔、ミミズは奥武山にのみ棲んでいたという。
ある十五夜、ミミズが揃って月見を楽しんでいたところ、
長老ミミズが涙ながらにこう言った。
「奥武山のミミズは増えすぎた。このままだと、食べる土が絶えてしまう…」と。
これを聞いた若ミミズたちが悲しみのあまり、一斉に泣き始めた。
この騒動を聞き付けた青大将が言った。
「渡地(わたんじ)に渡れば土はたくさんある」。
これは渡りに舟と、ミミズたちはフクギの葉を舟に漕ぎ出した。
それから、土を求めてミミズは琉球のすみずみにまで広まったそうな。

奥武山が公園になったのは明治34年(1901年)
東宮(皇太子殿下)のご成婚を記念して、沖縄初の運動公園として開設されたそうです。
琉球では、シーサーもよく見かけるけれど
龍のモニュメントもあちこちで見かけます。
シーサー=猫さま
ミミズ=龍
なのかなぁ・・・?
そんなことを考えながら、ぶらぶらと散歩してました。
散歩するにも退屈はしません。
招き猫さまのお導きに感謝します。
テーマ:心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル:心と身体
- 2018/02/14(水) 08:08:41|
- 神社仏閣めぐり(沖縄)
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奥武山には、琉球八社・沖宮と、
沖縄県護国神社が鎮座していました。
そのふたつの社のあいだに、小路を見つけたので
登ってみることにしました。

樹木で生い茂る、御嶽を見つけました。
ネットでここを紹介している人は少ないのかな?
調べても、あまり情報が出てきませんね。

琉球神道では、神がいる他界概念として
「ニライカナイ」と
「オボツカグラ」が伝えられています。
「ニライカナイ」は海の彼方、あるいは地底。
豊穣と命の根源となる異界。
ニライカナイ信仰は東方信仰と混交。
東方にあると考えられるようになった。
「オボツカグラ」は天空にあると考えられる異界。
国頭地方の信仰。
琉球王国時代に喧伝され宗教支配の為の権威付。
西方は魔界があるとされている。

ここの御嶽の碑文を見ていると、
「ニライカナイ」と結びついている場所らしいと、なんとなくわかります。
沖宮では、女神がたくさん祀られていたけれど・・・
ここは最奥の神聖な御嶽。
奥宮にあたるところなのかも?
東王父と呼ばれる、=トヨケさま ではないでしょうか?
あるいは、
沖縄開拓に関するウエツフミの記述 に関連する神様かもしれません。
今回のホツマ×琉球講演会では、いときょう先生から
「ウエツフミにおける紀元前琉球開拓の神話」を教えて頂きました。
その後、ネットで検索したら、同じテーマの
琉球開拓史に書かれているサイトさんが出てきました。
こちらの記述も少しずつ拝見しています。とてもタメになります。
(
ウエツフミとウガヤフキアエズ王朝の研究
----大分に実在した古代国家----https://ugaya.jimdo.com/ より)
原文はちらのサイトで紹介されています。
ウエツフミ「琉球の開拓」そんな開拓使に関わる神様なのかもしれません。
まだ詳しく知らないのですが
「ニライカナイ」が少しずつ見えてきた気がします。

さらに登っていくと
木々に覆われた山頂にも祀られている神様が。。。

こちらが祭政一致の、政を司る
男神の天照大神なのでは・・・!?

沖宮の、さらに眺めの良い場所に祭らられていますから
そんなふうに感じられました。

若人(わこうど)の森。
若人=ワカヒトさまなのではないでしょうか。

勝手なことを書いてますが、
またじっくりと検証してみたいところです。

モノ言わぬ翁様。教えてください~。
ここは改祖開拓の地なのです。
沖宮からも、護国神社からも、
どちらからも、拝むと
ここを拝する位置関係となっています。
大事な場所の輪ようです。
とても清々しい場所でした。
テーマ:心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル:心と身体
- 2018/02/13(火) 08:36:39|
- 神社仏閣めぐり(沖縄)
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那覇の奥武山に来ています。
ちょっと散歩するだけのつもりが
ディープな慰霊の旅となってゆきました。
次に、沖宮の反対側にある、沖縄県護国神社に参拝いたしました。
スカッと晴れていたのに、ここに来ると、分厚い雲に覆われて、どんより。。。
よくあることです。(^-^;

沖縄県護国神社はもと招魂社と称し
日清、日露の戦役以降国難に殉ぜられた御英霊を奉斎。
昭和15年7月1日内務省令第407号を以て、指定護国神社となりました。

平和のモニュメント。
女神の髪の毛が飛ぶ鳥?のかたち。

体温が感じられるような銅像です。

沖縄県関係の戦死者だけでなく、
第二次世界大戦の沖縄戦に殉じた本土出身者や
犠牲となった一般市民も祭神として祀られています。
平成17年(2005年)10月現在の祭神の数は17万8689柱。




弥勒世よ 願て 揃りたる 人たと 戦場の跡に 松よ植ゑたん
鹿子じもの ただ一人子を 捧げしと 護国神社に 語る 母はも
天皇陛下・皇后陛下の御歌です。

今年は戌年。
2108の絵馬。

宝船にもワンちゃん。
ナカキヨノ トオノネフリノ ミナメサメ ナミノリフネノ オトノヨキカナ

東京九段下の靖国神社の桜も
こちらに植樹されていて・・・

桜の花が咲き始めていました♪
沖縄では、もう桜の時期を迎えているんですね。
ここまで期待はしていませんでしたが・・・
開花を知ることができただけで、もう最高に嬉しかったです。 (≧▽≦)

早咲きの桜も、開花しています。
メジロちゃんがやってきました。

長く留まってくれていて
たくさん写真を撮らせてくれました。

歓迎されていたのかもしれません。

嬉しい出来事が続きます。

沖縄の旅は、慰霊の旅でもあるようです。
ご先祖様たちと、もっと繋がり合えたなら、
一緒に新しい国造りをしていけると信じます。
テーマ:心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル:心と身体
- 2018/02/13(火) 00:55:23|
- 神社仏閣めぐり(沖縄)
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