瑠璃の星☆彡

写真・イラスト・旅日記

『邪馬台国ラプソディ』 聖地巡礼 46 九州旅のおみやげ

おがたまの木1

2018/3/14(水)~3/20(火)に旅してきた
小説『邪馬台国ラプソディ』 の聖地巡礼レポートです。

邪馬台国2

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聖地巡礼の、これがラスト記事です。
エピローグであります。

ここまで読んで下さった皆様へ
ありがとうございます。(^O^)

九州は魅力的な古代史蹟の宝庫でした。

頭での理解と検証作業は大事ですが
肌で感じることも大切だと思います。
ご興味のある方は、ぜひ訪れて見てください。

旅を終えて・・・
発信できることが増えました。
私だけでなく、一緒に行った皆さまもそのようです。
正博氏はフェイスブックで発信されていますが

川鍋光慶さんはブログを開設されました。

邪馬台国ラプソディ
http://yamataikokurhapsody.blog.fc2.com/

ぜひご覧になってください。 (^O^)

318九州国立博物館1

写真は、3/18に行った、太宰府市にある九州国立博物館です。
例の鏡は、こちらで特別展示されることもあるそうです。
ここでお土産を買いました。

318九州国立博物館2

博物館の売店で、
愛くるしいフィギュアが売られてたんです~! 


。o.゚。ヵゎ(´・ェ・。`人)ぃぃ。o.゚。

じつは、こちらの埴輪&土偶はすでに入手済み。
今回の記念に、仲間を増やすことにしました。

おがたまの木2

武人埴輪はガチャポンで出しました。
それと、お馬さんの埴輪
縄文の遮光器土偶を購入しました。

「おーい!はに丸」の世界に土偶ちゃんが遊びに来た感じ?

鉢植えの木は、高千穂の天岩戸神社で購入した
御神木の一部・「オガタマの木」です。

いちばん小さい木を選んで持って帰ってきましたが
鉢に植え替えたらすぐに新芽が出てきて
少しずつ成長しています。
そのうち、立派な御神木となってくれることでしょう。

仲良く一緒に飾ります。
弥生と縄文が、木の下でひとつに。

いろいろ組み合わせて遊んでます。

(´∀`艸)♡   楽しいぃ~

成長し続ける、九州みやげでした。

皆様も、素敵な魂の旅路を♪



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  1. 2018/04/10(火) 08:16:52|
  2. 邪馬台国ラプソディ 聖地巡礼

『邪馬台国ラプソディ』 聖地巡礼 45 旧蔵内邸

320旧藏内邸1

2018/3/14(水)~3/20(火)に旅してきた
小説『邪馬台国ラプソディ』 の聖地巡礼レポートです。

邪馬台国2

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3/20 
旅の最終日です。
すべての行程を経て、最後に訪れたのは、 
福岡県築上郡築上町にある旧藏内邸でした。

320旧藏内邸2

明治時代~昭和前期まで、
福岡県筑豊地方を中心に炭鉱を経営し、
大分県などで鉱山も経営した
藏内次郎作、保房、次郎兵衛の、藏内家三代の本家住宅です。

ここでも、盛大にお雛祭りが催されていました。

明治~大正~昭和の風情を残す御屋敷内。

その大広間や玄関、茶室などは、
やはり一般家庭とは違う「華麗なる一族」の設えです。

全国から集められた雛人形が並んでいて
華やかで優しい桃色の世界が広がっていました。

320旧藏内邸4

大正ガラスの向こうには、
蹲踞(つくばい)や水路が取り入れられた庭園です。
山水愛好と煎茶趣味の融合です。


320旧藏内邸3

藏内邸の茶室は煎茶室でした。

煎茶は奈良時代に遣唐僧によって中国から齎されました。
嵯峨天皇の平安時代には風雅な喫茶文化が広まります。

一方、抹茶は鎌倉時代の臨済宗僧・栄西が宋から伝えました。
茶葉をすぐ蒸すことで鮮やかな緑色に保たれ、
新鮮なお茶の香りと味が楽しめます。
「茶の湯」文化が広がります。

煎茶が一般に普及するのは、江戸時代中期頃。
黄檗宗・隠元禅師や、京都で煎茶を売っていた
高遊外売茶翁らによって文人たちに流行していきました。

・・・ということで、
この日は、八女産の煎茶を頂きました。

玉露のような香りです。
お菓子の「寒菊」も美味でした。


私は出雲の家では、お茶といえば煎茶ばかりで
他のお茶は、普段はほとんど飲むことはありません。
紅茶やコーヒーを飲むようになったのは、実家を離れてからでした。
松平不昧公が嗜んだ煎茶文化の中にいたからだと思います。
もともと馴染み深いせいか、煎茶は大好きです。
煎茶のルーツを知ると、邪馬台国とは無関係ではないとわかります。
島津氏と大友氏の護っていたものを知る必要もあるのかもしれない。
九州は、とてつもなく大きいな・・・


ここで美味しいお茶を頂きつつ、
川鍋親子・正博氏・私の4名は今回の旅を振り返っていました。

伝えたいことが、どんどん溢れてくる旅でした。
これから今回の旅の経験を、
活かせるような創造を続けていきたいと思っています。

また、これから訪れる方のお役に立てたら幸いです。

ご案内して下さった、川鍋さん&ユリさん、
同行してくださった正博さん
旅で出会ったすべての方に、
ありがとうございます。 (^O^)





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  1. 2018/04/10(火) 07:42:29|
  2. 邪馬台国ラプソディ 聖地巡礼

『邪馬台国ラプソディ』 聖地巡礼 44 御所ヶ谷神籠石

320御所ヶ谷神籠石1

2018/3/14(水)~3/20(火)に旅してきた
小説『邪馬台国ラプソディ』 の聖地巡礼レポートです。

邪馬台国2

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3/20 旅レポートです。
この日も、ほとんど日中は雨でした。
それでも古代の山城跡にこれから登ろうとしています。

ここがその
御所ヶ谷神籠石(ごしょがたにこうごいし)の入り口です。

雨が降ろうと、槍が降ろうと、
瑠璃の星☆彡 は、いつでもチャレンジし続けますっっ・・・!

╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ !

320御所ヶ谷神籠石5

・・・と身構えてはいたものの、
現地へ到着してみると、雨は上がっておりました。

\( 'ω')/  やったー

「日頃の行いがイイからーーー」

と皆が言うので、そういうことにしておきましょう。
ラッキィです。

320御所ヶ谷神籠石2

「ここから先は国指定史跡です」

弥生人さんからのご案内です。

320御所ヶ谷神籠石3

御所ヶ谷神籠石(ごしょがたにこうごいし)は、
福岡県行橋市・みやこ町にまたがる御所ヶ岳(ホトギ山)に築かれた、
日本の古代山城(神籠石系山城)です。

城跡は1953年(昭和28年)11月14日、国指定史跡に指定されました。

320御所ヶ谷神籠石4

この山城分布図で、邪馬台国時代の領地が想像できるかも!?

320御所ヶ谷神籠石6

花崗岩の切石列石で積まれているそうです。

遺構として、
土塁・石塁・水門・城門跡・礎石
築かれているそうです。

専門的なことは分かりませんが、
現場で見て、歩いて見ていると
説明書きで書かれていることは把握できます。

320御所ヶ谷神籠石7

663年の白村江の戦いで、
唐・新羅連合軍に大敗したことを契機に
7世紀後半頃に築かれたことが判明しているそうですが・・・

それよりも実際は、も~っと古い時代の城跡に
上書きされるように築かれているそうですよ。

320御所ヶ谷神籠石8

歴史書もそうですよね。
勝者が「上書き保存」して
後世に伝えていく回転の渦。

しかしその渦は、
突き抜けることで
逆回転を始めました。

320御所ヶ谷神籠石10

この山城跡もまた
白村江以前の歴史の流れを
私たちに教えてくれようとしています。

320御所ヶ谷神籠石21

春日市の奴国の丘歴史資料館に行った時に
現地のガイドさんに詳しく教えて頂きました。

土塁・石塁・水門・城門跡・礎石
その技術は古代朝鮮(高句麗)から伝わってきた技術で、
白村江の戦いで敗れた直後には
奴国はあっという間に、
城の周囲に防壁を張り巡らせることができたんだ、と。

すでに優れた施工者、技術者たちは奴国やその周辺には存在していて、
敵の侵入に対しての充分な備えを築くことができたのです。

つまり、弥生の最初の頃から、強固な山城を作る技術は
すでに存在していたということ。

こちらは、見晴らしの良い山。
そうとう大きな山城で
外部からは難攻不落に見えたはず。

この時も、祠周辺の工事が行われていて
工事現場からしっかりと見ておきなさい、という
神々からのメッセージのように思えました。

320御所ヶ谷神籠石13

☆彡----------------------------------------------------------

「じゃあ、この神籠石が造営されたのは、結局いつなの?」

「御所ヶ谷神籠石はとても大きな遺跡にもかかわらず、
行橋の福原長者原遺跡同様、何も記録が残されていないんだよ。
だから、いつ造営されたかは謎だ。

それで、神様が誰も知らないうちに造営されたってことから
神籠石と呼ばれるようになった、といわれてる。

記紀は、卑弥呼、瀬織津姫、福原長者原、
そして御所ヶ谷神籠石を封印した。
記紀が歴史の闇に葬ったということは、
この四つは深い縁があるはずだ」


『邪馬台国ラプソディ』 P306 第八章 邪馬台国の在り処 より
☆彡----------------------------------------------------------


320御所ヶ谷神籠石14

「御所ヶ谷」の地名は
景行天皇の熊襲征伐にあたり
この地に行宮がおかれたとの伝承によるそうです。

山の見晴らしの良いところに
景行神社が鎮座するそうなので
そちらに向かいました。

320御所ヶ谷神籠石15

結構、がんばって登りましたよ・・・

320御所ヶ谷神籠石17

もう少し・・・

320御所ヶ谷神籠石22

見えてきました。
標高121メートルの尾根です。

320御所ヶ谷神籠石23

こちらが景行神社の拝殿になっています。

320御所ヶ谷神籠石24

その奥に、石の祠がありました。

320御所ヶ谷神籠石25

すぐそばに、礎石建物跡がありました。

320御所ヶ谷神籠石26

古代山城の建築跡と言われています。

320御所ヶ谷神籠石33

320御所ヶ谷神籠石27

奥の院へ、行ってみました。

320御所ヶ谷神籠石28

わ~ 霊場みたい~ 

ここにも山伏さんが・・・?

320御所ヶ谷神籠石30

どうやら、
ここが奥の院のようでした。

320御所ヶ谷神籠石31

ふだんは、あまり人の訪れが無いのかな?
ちょっと寂しい感じがしました。

山城のてっぺんに近い所なので
ここまでたどり着くのは
気合が要るのかもしれませんね。

山城は、やはり難攻不落でないと意味がない。
それが、ここまで来るとよくわかりました。

320御所ヶ谷神籠石32

御所ヶ岳(ホトギ山)まで行ってしまうと
時間がかかるうえに、日が暮れるので、ここで引き返しました。

320御所ヶ谷神籠石34

ほんとうに、
下から攻め入るのは困難かもしれないけれど
上からの見晴らしは抜群です。

敵の侵入には、
充分に備えられる場所かもしれないと感じました。

320御所ヶ谷神籠石35

そして大事なのは水脈です。
清浄な水の流れがあればこそ、
城を築くことを可能とさせてくれるでしょう。

320御所ヶ谷神籠石36

ここには巨大な山城が、記紀以前から存在していた。
それは歩いて見て本当に想像することができました。

夢にも出てきそうな場所であります。

山城跡をくまなく歩いて、
帰ろうとすると、再び雨が降り出しました。

ご加護を下さった神籠石の神様に感謝いたします。









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  1. 2018/04/09(月) 10:50:04|
  2. 邪馬台国ラプソディ 聖地巡礼

『邪馬台国ラプソディ』 聖地巡礼 43 香春(かわら)神社

320香春神社1

2018/3/14(水)~3/20(火)に旅してきた
小説『邪馬台国ラプソディ』 の聖地巡礼レポートです。

邪馬台国2

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3/20の旅レポです。

福岡県田川郡香春町にある
香春神社(かわらじんじゃ)に訪れました。

田川郡は山あいの田圃が多い集落でした。
小高い山も多くて、そこには小さな鳥居があったりして・・・
よく見ると、それは古墳だったりするそうです。

320香春神社2

香春神社の本殿の後ろに聳えている山。
御神体・香春岳です。

このあたりでは代表的な、
大きな銅山なのでした。

香春岳は一ノ岳、ニノ岳、三ノ岳の3つの山からなるそうです。
その全ての山がご神体。

・・・まるで大和三山のようでね。

320香春神社4

「香春」と書いて、「かわら」と呼びます。

320香春神社5

鹿さんが彫られています。

香春=鹿春 

ということですね。(^o^)

320香春神社6

「豊前國風土記」
香春神社の由緒について
記されているそうです。

新羅から國神が到来して
自ら河原に住み着いたことで
鹿春(かわら)神という名がついた


新羅(朝鮮)から渡ってきた渡来人
その神を祭っているという事ですね。

320香春神社7

☆彡----------------------------------------------------------

僕は天神家の始祖は秦氏だと思っている。
秦氏は鉱業と鋳造、金属加工に長けており、
日本に渡来して初めに香春に住み着いた。
それで香春にはたくさんの秦氏の痕跡が残されている。

だから放生会では、初めに香春で銅鏡を鋳造するんだ。
イザナギの時代に行橋に都を移し、
アマテルの時代に中津に遷都したので、
宇佐神宮の放生会はその遷都の歴史を
行事として残したものだと推測している。
それから、凶首塚に立ち寄って蜷や貝を海に放つのは、
卑弥呼の殉死者の霊を慰めるためのものだと思う。

『邪馬台国ラプソディ』 P302 第八章 邪馬台国の在り処 より
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320香春神社8

長い参道が続いています。

320香春神社9

【御祭神】

・辛国息長大姫大目命
・忍骨命
・豊比売命


320香春神社15

【御由緒】

第一座辛国息長大姫大目命は神代に唐土の経営に渡らせ給比、
崇神天皇の御代に帰座せられ、豊前国鷹羽郡鹿原郷の第一の岳に鎮まり給ひ

第二座忍骨命は、天津日大御神の御子にて、其の荒魂は第二の岳に現示せらる

第三座豊比売命は、神武天皇の外祖母、住吉大明神の御母にして、第三の岳に鎮まり給ふ

320香春神社10

320香春神社11

鳳凰でしょうか
不死鳥なのかな

320香春神社16

香春神社の例祭は、5月5日に執り行われるそうです。

忍骨命(オシホミミ尊・オシヒト)が祀られているので
端午の節句の日が選ばれているのかな?

ここに来る前に参拝した直方の多賀神社は
3月3日の雛祭由来の桃花がいっぱいでした。

320香春神社17

創建は不詳とされていますが
約1300年前と書かれています。

新羅國神八幡神の習合。

320香春神社14

3つの小さな石の祠が祭ってあり、
そのひとつだけが開かれていました。

なぜ? (; ・`д・´)

それはヒルコ姫の祠でした。

320香春神社18

86トンの巨大な石灰石。

神が宿る「山王石」として祭られています。

御神体山の香春岳の山頂から
轟音とともに転がり落ちてきてここに鎮座したそうです。

Σ(・ω・ノ)ノ!

神殿は直撃しなかったそうですが
ビックリしたでしょうね~。

320香春神社19

山王石の反対側です。

320香春神社20

石の近くには、お稲荷さんが祀られています

320香春神社21

空海さんと、不動明王。

銅は産業発展の大事な資源だったのでしょう。
加工するには、豊富な水と火を使っての製錬
その拠点として香春の地は重要だったのでしょう。

香春は河原であり、水辺にはお不動さんが祀られる。
周囲の景観を見ていると、そんな想像が豊かに広がるのです。

秦氏の遺した業績は、本当に大きかったんですね。

320香春神社22

320香春神社23

美しい羽衣を纏う観音様。

320香春神社24

本殿の横には、見事な枝垂桜が咲いていました。
拝殿に隠れているので、花は表からは見えません。

320香春神社25

裏手にまわると、優美な観音様が立ち並び、
桜が滝のように咲き誇り。
まるで桃源郷のような世界。

裏面を観よ、
ということなのかもしれません。

320香春神社26

鹿さんたちも、本殿の傍にいました。

香春は鹿春。 
奈良の春日をどうしても思い浮かべてしまいます。

320香春神社27

ふのゐさめ  あらかねわけて  ねりきたえ  かまもつるきも  かそえやわらく

フトマニの128首の中にある歌です。

香春神社の御神体山は銅山。
鉱業・鋳造・金属加工に関わる内容と思います。

ごはん2香春道の駅

参拝を終えて、 香春の道の駅に立ち寄り
皆で遅めのお昼ご飯を頂きました。

牛蒡の天ぷら入り・うどんです。


そして、移動中に友人からメールが入り
田川「新しい古墳・謎の丘陵発見」のニュースを教えられました。 


田川前方後円墳ニュース

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Σ(・ω・ノ)ノ!

えぇぇぇぇぇ
ここ田川なんだけど!
近くにいるんだけど!

ビックリしました。

友人は私が九州を旅していることも知りません。
なんというタイミングでしょうか。

うーん・・・なにか、始まっちゃってるんだね。





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  1. 2018/04/09(月) 00:53:45|
  2. 邪馬台国ラプソディ 聖地巡礼

『邪馬台国ラプソディ』 聖地巡礼 42 平尾台 カルスト台地

320平尾台カルスト台地1

2018/3/14(水)~3/20(火)に旅してきた
小説『邪馬台国ラプソディ』 の聖地巡礼レポートです。

邪馬台国2

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3/20の旅レポです。

平尾台(ひらおだい)にやってきました。 \( 'ω')/

320平尾台カルスト台地2

平尾台は福岡県北東部に位置しています。

北九州市小倉南区、行橋市、田川郡香春町、京都郡苅田町・みやこ町
そこらを大きくカバーしているカルスト台地。

・標高370~710m
・台上面積約12km2
・結晶質石灰岩から成る
・花崗閃緑岩(東部の一部)
・国の天然記念物

320平尾台カルスト台地3

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「この近辺は神社もたくさんあるよ。
伊耶那岐命、伊耶那美命、豊玉姫命を祀る白山多賀神社が、
平尾台と呼ばれるカルスト台地にある。
その近くの青龍銅という名の鍾乳洞の中には、
豊玉姫命が祀られている」


『邪馬台国ラプソディ』 P284 第八章 邪馬台国の在り処 より
☆彡----------------------------------------------------------


320平尾台カルスト台地5

こんな岩は、見たことなかった~~~~~  っていう岩が
視界いっぱいに広がっています。

320平尾台カルスト台地6

【三大カルスト】

・秋吉台 (山口県)
・平尾台 (福岡県)
・四国カルスト (愛媛県・高知県)


320平尾台カルスト台地7

カルスト台地に訪れたのは今回で2度目です。

320平尾台カルスト台地8

子供の頃に家族旅行で秋吉台(山口県)に訪れたことがありました。
その時は鍾乳洞に入りました。

今回は、天候不良と時間切れで、
鍾乳洞はスルーでしたが・・・

お近くの方は、ぜひ行って見てくださいネ。

320平尾台カルスト台地9

それにしても、見れば見るほど
不思議な地形ですよね~。

自然の神秘です。\( 'ω')/

320平尾台カルスト台地10


320平尾台カルスト台地12

320平尾台カルスト台地11

320平尾台カルスト台地14

320平尾台カルスト台地13

野生動物がいるのかな?

ここはどこ(・・?
不思議な国に迷い込んだ気分になります。

とても絵になる風景でした。 (/・ω・)/





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  1. 2018/04/08(日) 13:06:16|
  2. 邪馬台国ラプソディ 聖地巡礼

『邪馬台国ラプソディ』 聖地巡礼 41 直方 多賀神社

320多賀神社33

2018/3/14(水)~3/20(火)に旅してきた
小説『邪馬台国ラプソディ』 の聖地巡礼レポートです。

邪馬台国2

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3/14から始まった1週間の九州・邪馬台国の旅は、
最終日の3/20に突入しました。

この日は、福岡県直方市の多賀神社参拝から始まりました。

320多賀神社1

旅の下調べをしていたときから、
すごぉ~~~~く、気になっていた神社です。

320多賀神社3

桃子土鈴 (もものみどれい)
夫婦鶺鴒 (めおとせきれい)

これです!

これなんです・・・!! °˖☆◝(⁰▿⁰)◜☆˖°

320多賀神社2

御祭神

・伊邪那岐大神
・伊邪那美大神

創建不詳。
元禄5年(1692年)に妙見神社から社名を改めたそうですが、
実はそうとう歴史の深い由緒があるはずです。

桃子土鈴 (もものみどれい)
夫婦鶺鴒 (めおとせきれい)

↑これがすべてを物語っています。

320多賀神社5

とつきとは めのにわなふり
をゆれなく をとりなきさる
またあるひ をとりよそおふ
めかしりて あひましわれは
あめよりそ とりにつけしむ
とつきのり

【ほつまつたえ 天の巻】


320多賀神社6

にわなふり =鶺鴒(セキレイ)

にわなふり(鶺鴒(セキレイ))の雄と雌の求愛ダンス

=イサナギイサナミの婚姻・嫁ぎ法(まぐわい・性交)

320多賀神社4

桃子土鈴 (もものみどれい)
夫婦鶺鴒 (めおとせきれい)

桃と鶺鴒
一緒になっている由来とは・・・?

320多賀神社23

320多賀神社13

多賀神社には、桃の木がたくさん植わっていて
花盛りになりつつあります。
盛大にお祝いされるようです。

擲桃祭(てきとうさい:春季大祭)は、
両神によって、世の人々を苦しみや悩みより助けるようにされたため。
厄年の人ばかりでなく、今年災するかも知れない病気や災難を未然に祓い清めて、
心爽やかに、幸せを招く、多賀神社の重要神事とされています。

其の坂本にある桃の子三箇を取りて持ち撃ち給ひしかぱ、
八雷神、千五百の黄泉軍悉く逃げ帰りき。
茲に伊邪那岐命、その桃子に告り給ひしく
「汝、呉を助けし如く、葦原中国に有らゆる
うつしい青人草の苦しき瀬に落ちて患ひ惚む時助けてよ」
と告り給ひて、意富加牟豆美命といふ名を給ひき。
《日本書記》


320多賀神社14

☆彡----------------------------------------------------------
エシナズはヒルコ姫の髪を撫でながら囁いた。

「ヒルコ姫は髪が長くなり、美麗な乙女へと変身しましたね。
今から雛祭りの話をしますので、よく聞いてくださいね。

とても昔に、日子山の北の麓のタガの地に
木の実をお持ちになってお生まれになった
男女の御子がありました。
その種を庭に植えておいたところ、
三年目の三月の三日に百の美しい花が咲いて、
初夏になると香りの良い実が百なりました。
花も果も百に付いたので、この花を桃の花と名付け、
実を桃の果と呼び、モモの木と呼ぶようになりました。

そしてこの若い両神の名前も百の木と実にたとえて、
男神はモモヒナギと呼ばれ、
女神はモモヒナミと名付けられました。

桃の節句と呼ぶのは、幼少時代のモモヒナギ様と
モモヒナミ様に係るこの伝承からきています。
後にお二方はご結婚されて、ウビチニ様、
スビチ様と名乗られ四代目天神を継がれました。
ここまでは分かりましたか?」

ヒルコ姫はゆっくりと頷いた。


『邪馬台国ラプソディ』 P68 第一章 若日孁生誕 より
☆彡----------------------------------------------------------


320多賀神社21

おみくじも、桃色♪です。

320多賀神社22

桃の花が咲かない冬でも、まるで満開の桃祭りのよう。

°˖☆◝(⁰▿⁰)◜☆˖°

320多賀神社8

鶺鴒は、7代目天神のイサナギ・イザナミの婚姻の象徴です。
は、トヨクンヌの跡を継いだ、4代目モモヒナキ・モモヒナミが由来です。

モモヒナキ・モモヒナミは、夫婦の交わり後
ウヒチニ・スヒヂと名が変わりました。

320多賀神社7

まさかきの うゑつきゐもに
みつるころ よつきのをかみ

うひちにの すひちおいるる
さいあひの そのもとおりは
こしくにの ひなるのたけの
かんみやに きのみおもちて
あれませは にわにうゑおく
みとせのち やよいのみかに
はなもみも ももなるゆえに
もものはな ふたかみのなも
ももひなき ももひなみなり

【ほつまつたえ 天の巻】


320多賀神社9

ウヒチニ(モモヒナキ)・スヒヂ(モモヒナミ)と、
イサナギの関係は、

曾祖父・曾祖母と、ひ孫の関係なのです。

創建不明の多賀神社で、由緒に記されてはいませんが
桃と鶺鴒は、世代を超えた夫婦神がお祭りされてることを顕していました。

320多賀神社10

モモヒナキ・モモヒナミの両神は
桃の節句・雛祭りの由来の神様です。

九州では、ほんとうに各地の雛祭りが盛大です。

桃を象徴するふたりの天神は、
後の国造りを引き継いだ
イサナギ・イサナミ夫婦の理想だったのかもしれません。

320多賀神社11

私も一応、女子なので
雛祭りの時期はトキメキます。 °˖☆◝(⁰▿⁰)◜☆˖°

女のコのお祭りは、盛大にしてあげてください。

320多賀神社15

320多賀神社18

320多賀神社20

多賀神社は直方城下町の鎮守で、
歴代藩主の信仰が篤かったそうです。

妙見宮として現在地の北の山上にあったそうですが
藩主黒田長清の居館建設のために、1691(元禄4)年、現在地に移ったようです。

社殿はこのときに整備され神名も多賀大神の古名にあらためられました。

320多賀神社24

イサナギ・イサナミ夫婦から
最初に生まれた第一子のヒルコ姫のお社です。

その後、
第二子・天照大神(ワカヒト)、
弟三子・ツキヨミ
弟四子・ソサノオ  が生まれます。

ヒルコ姫と、両神の社殿は、向かい合うように建っています。

桃の木がたくさん植わっている参道から最初にみえるのがヒルコ姫の社。
密かに大切に、桃の節句を祝われているかのようです。

320多賀神社28

貴船神社  ---闇淤加美神 (伊邪那岐大神の御子神) 
秋葉神社  ---火之加具土神  (伊邪那岐・伊邪那美二神の御子神)

を司る神です。

320多賀神社29

【納骨堂 日の若祖霊殿】

由緒によると・・・

直方市街地を一致する皆様の「お多賀さん」。
御祭神イザナギの大神が、終の住処と定められた
「日の若宮(日本書紀)」が御座います。
格式の高さと厳かさ。
「日の若祖霊殿」はその御庭に、静かにたたずむ納骨堂です。
総本山としての当社は夫婦円満の神社としても知られており、
みなさまの子々孫々に至るまでの末永い幸せを祈って、
ご先祖の御霊をお祀りするのに ふさわしい御霊舎と存じます。

---------------

イザナギ=タカヒト=お多賀さん (・・?

320多賀神社30

向鶺鴒(むかいせきれい)

夫婦円満・家内円満・長寿

みしめ縄  かけて祈らむ  いと長き   よはひを守る  多賀の社に  
《正三位 有功》


遂に合交せむとす。而も其の術を知らず。
時に鶺鴒有りて、飛び来りて真の首尾を揺す。
二の神、見して学ひて、即ち交の道を得つ。

《日本書記》


320多賀神社31

320多賀神社32

320多賀神社34

320多賀神社35

鶺鴒と桃が一度に拝める多賀神社。
桃の花が咲く頃に訪れることができて感動しました。

°˖☆◝(⁰▿⁰)◜☆˖°

お雛祭りの由来に心を寄せて
女のコの成長を祝う大切さを継承していきましょう。





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  1. 2018/04/08(日) 11:28:38|
  2. 邪馬台国ラプソディ 聖地巡礼

『邪馬台国ラプソディ』 聖地巡礼 40 九州各地を味わう

ごはん4やまさスッポン

2018/3/14(水)~3/20(火)に旅してきた
小説『邪馬台国ラプソディ』 の聖地巡礼レポートです。

邪馬台国2

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ところで、今回の聖地巡礼では
行く先々で、美味しいお料理を頂いてきました。

少し考古学や日本史から離れて
ちょっと一息いれたいと思います。(^o^)

今回はユルイ感じの息抜き記事です。
楽しんで見てくださいね。

314鼈やまさ旅館3

3/14 旅の初日です。
大分県宇佐市・安心院(あじむ)の「料亭やまさ」で頂いた、
すっぽんのコース料理です。
器までもがすっぽんでできていました。
安心院は、安曇族との関連が深い土地でした。
三女神の過ごした地でもありました。

ごはん5神仙2

3/15~3/16
宮崎県・高千穂の旅館「神仙」では、
有田焼の器に盛られた日本料理が芸術的に美しかったです。

316神仙7

ごはん5神仙1

ソムリエの美人女将さん
おススメのシャンパンも美味でした。
夜神楽も拝観し、良い夢に包まれました。

ごはん3天領水1

3/17~3/18
大分県日田市では、天領水が有名ですが
道の駅でも販売されていました。 
足湯のコーナーもあって、
やっぱり大分は「おんせん県」なのね~と実感しました。

ごはん3天領水2

美味しいお水は無料で提供されています。
日田天領水で炊かれたご飯を、お宿でも頂いたのですが
本当に炊き立てごはんが美味しいです。

ごはん1嬉野華翠苑1

3/17~3/18
佐賀県の吉野ヶ里遺跡を訪ねて・・・
嬉野温泉「華翠苑」で一泊しました。

ごはん1嬉野華翠苑2

嬉野の温泉は、美人湯と言われるだけあって、
肌がツルツル・スベスベになる不思議な湯でした。

お豆腐が絶品で、温泉水で炊くと蕩けそうになります。
ここでしか食べられない御馳走でした。

ごはん1嬉野華翠苑3

朝食も彩良く。

ごはん1玄海ロイヤル

9/19
玄界灘を見渡せる、玄海ロイヤルにて。
宗像大社の沖津宮・沖ノ島についての説明が書かれています。

ごはん1玄海ロイヤル2

海の幸が豊富の玄海灘です。
新鮮な烏賊のおつくりを頂きました。


日頃の私は、地味で質素な食卓なのですが
彩り豊かな最高の御もてなしを、各地で頂きました。

一人旅をしていると、一日何も食べずに歩き詰め・・・
なんてことも、しばしばあります。
今回は、清水の舞台から飛び降りてしまいましたね。

川鍋さんは
「バックパッカーの旅では経験しないような旅も良いでしょう」
と仰います。

ほんとに。(^O^)
美味しく頂きました。

これから頑張ろう!
そんなエネルギーが湧き立ってきます。
食は命の源ですね。

旅で味わった満足感のおかげさまでしょうか。
このレポートも、楽しく書いています。


これからも、聖地巡礼は続きます。


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  1. 2018/04/07(土) 15:29:23|
  2. 邪馬台国ラプソディ 聖地巡礼

『邪馬台国ラプソディ』 聖地巡礼 39 宗像大社

319宗像大社1

2018/3/14(水)~3/20(火)に旅してきた
小説『邪馬台国ラプソディ』 の聖地巡礼レポートです。

邪馬台国2

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3/19の旅レポートです。
この日は福岡周辺を巡っています。
筥崎宮・香椎宮・志賀島・宮地嶽山・・・・そして宗像へやってきました。

念願の、宗像大社への参拝が叶いました♪ (^O^)

319宗像大社2

【御祭神】
天照大神の三柱の御子

・田心姫神(たごりひめのかみ) - 沖津宮(おきつぐう) ・・・タケコ姫
・湍津姫神(たぎつひめのかみ) - 中津宮(なかつぐう) ・・・タキコ姫
・市杵島姫神(いちきしまひめのかみ) - 辺津宮 (へつぐう) ・・・タナコ姫

*・タケコタキコタナコは「ホツマツタヱ」での斎名 (いみな)です

三宮の総称が「宗像大社」なのです。

319宗像大社3

三女神の伝承地は
旅の初日 3/14に行きました。

安曇族と宗像族のゆかりの地
宇佐市・安心院(あじむ)「三女神社」についてのレポートです。

とても関係が深いと思われます。
ぜひあわせてご覧ください。↓

『邪馬台国ラプソディ』 聖地巡礼 5 三女神社
http://ruri87.blog18.fc2.com/blog-entry-1959.html

319宗像大社4

以前からずっと、訪れてみたかった場所です。
念願がかなって、とても嬉しいです。 (^O^)

319宗像大社5

【御由緒】

ここ宗像の地は、中国大陸や朝鮮半島に最も近く、
外国との貿易や進んだ文化を受け入れる窓口として、
重要な位置にありました。

日本最古の歴史書といわれる「日本書紀」には、
「歴代天皇のまつりごとを助け、丁重な祭祀を受けられよ」との
神勅(しんちょく)(天照大神のお言葉)により、
三女神がこの宗像の地に降りられ、
おまつりされるようになったことが記されています。

319宗像大社7

さきにもちこか
うむみこは ほひのみことの
たなひとそ はやこかみつこ
ひはたけこ おきつしまひめ
ふはたきこ ゑつのしまひめ
みはたなこ いちきしまひめ

【ホツマツタヱ 天の巻】より


先にモチコが生む御子は
ホヒ尊のタナヒトぞ
ハヤコが三つ子 
一はタケコ オキツシマ姫
二はタキコ ヱツノシマ姫
三はタナコ イチキシマ姫

319宗像大社20

位置関係が、この看板を見て掴めました。

沖ノ島は、要の島。
中津宮は、結ぶ島。
辺津宮は、総社だったんですね。

このときは雨風が激しい日で
翌日は玄界灘の神風にも吹かれました。
神への祈りが生まれる背景が見えてくるようでした。

319宗像大社8

三女神は、天照大神の御子たち。

現代でも知られている祭祀を司る斎宮は
天皇家から選ばれた内親王の御役目です。

大事なお役目を三女神さまたちも
勤められていたのでしょう。

神体・御霊代は
青玉(沖津宮)紫玉(中津宮)八咫鏡(邊津宮)

319宗像大社9

本殿です。

・市杵島姫神(いちきしまひめのかみ) - 辺津宮 (へつぐう) ・・・タナコ姫

319宗像大社23

御神木の相生の樫

319宗像大社10

末社がずらりと並びます。
本殿の周りに、なんと121社もあるそうです。

福岡藩主・黒田光之の寄進で
江戸時代初期の建立とのことです。

行く先々で、黒田氏のご活躍が目立ちますね。

319宗像大社11

祭祀遺跡へ行ってみました。

319宗像大社12

319宗像大社13

319宗像大社14

319宗像大社15

御分霊が祀られています。

第二宮(沖津宮分社)
・田心姫神(たごりひめのかみ) ・・・タケコ姫
第三宮(中津宮分社)
・湍津姫神(たぎつひめのかみ) ・・・タキコ姫

319宗像大社16

祭祀場は、近くにあるのかなと思いきや
道は結構奥まで続いていました。

319宗像大社17

ようやく、それらしき建物が見えてきました。

319宗像大社18

こちらが高宮祭場です。

沖ノ島で行われていた社殿祭祀以前、
自然崇拝の姿を体感できる古代祭場です。

現代でも祭礼日には神職による祭祀が行われています。

319宗像大社19

琉球の御嶽にそっくりですよね。

三女神の母である天照大神の后の一人・ハヤコ姫は
ソサノオとの不倫・謀反の企てが発覚し
中宮・瀬織津姫によって、宮中から追い出され
三女神とともに宇佐で謹慎させられます。

その後、宇佐から逃亡し、オロチ(大蛇)となって彷徨い、
ソサノヲによって退治された後には
コノハナサクヤ姫の姉である
イワナガ姫に転生していくお話が記されています。

これは真実なのかどうか、、、
私にはまだ、ちょっとよくわかりません。(-_-;)


なにか秘密がありそうな気がしてなりません。

ハヤコ姫と八岐大蛇
モチコ姫と九頭龍
南方民族の祖霊信仰
金印「倭奴国王」の蛇
琉球神道や出雲・三輪の蛇神信仰

なんとなく「蛇」を意識させられる場所であります。

319宗像大社21

祭祀場からの帰り道に、蛭子神社を見つけました。

319宗像大社22

ここに導かれていたのかな。

あらゆる道の神としての最高神・貴(むち)の称号を
伊勢神宮(おおひるめのむち)出雲大社(おおなむち)に並び持ち
道主貴(みちぬしのむち)と称す、宗像大社。
神宝として古代祭祀の国宝を多数有し、裏伊勢とも称される。


おおひるめむちである
ヒルコ姫の社は、本殿から離れた
自然崇拝祭祀の祭祀場の入り口近くにありました。

ちょっと遠回りしたくなったのは
ここに立ち寄るためだったのかもしれません。

319宗像大社24

美しい海のブルーの絵馬。
宝物と沖津島が描かれています。

319宗像大社25

319宗像大社26

宝物館には、たくさんの貴重な宝物が展示されていました。

319宗像大社27

319宗像大社28

319宗像大社29

319宗像大社30

宗像大社は大きなお社で、境内も広くて見応えがありました。
もっと時間をかけて、ゆっくり見ていきたいですね。

それにしても、金製の宝物にはウットリしてしまいます。
古代の祭祀の様子が気になりますね。

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  1. 2018/04/07(土) 14:01:27|
  2. 邪馬台国ラプソディ 聖地巡礼

『邪馬台国ラプソディ』 聖地巡礼 38 宮地嶽神社

319宮地嶽神社1

2018/3/14(水)~3/20(火)に旅してきた
小説『邪馬台国ラプソディ』 の聖地巡礼レポートです。

邪馬台国2

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3/19 綿津見三神を奉る志賀島を離れて、
福津市に鎮座する宮地嶽(みやじだけ)神社へと向かいました。

写真の山は、御神体の宮地嶽山(みやじだけ)です。

319宮地嶽神社2

の神様へご挨拶したら
の神様へも会いに行きましょう・・・ということですね。

海の神社には、山の神様も祭られていて、
山の神社にも、海の神様が祭られていて。

海と山、滝と磐、天と地、太陽と月、鶴と亀、
男と女、天津神と国津神・・・

磁石のSとNの関係。

それはホツマツタヱで語られている
「あめなるみち」ということなのであります。

319宮地嶽神社3

宮地嶽神社は、山が御神体と言うことで、
高い位置から御神体山を拝むようです。

石段を登ってくと、山に少しだけ近づけましたが、
振り返ってみると、なんともフォトジェニックな
美しい景色が広がっていました。

2人旅の女子たちに「写真撮ってください♪」と頼まれて
シャッターを押してあげました。
きっと、フェイスブックかインスタグラムで
彼女たちはお披露目しているでしょう。
とても綺麗に撮れたのです。
見かけたらコメントしてあげてください。(^o^)

後ろ姿だけお願いして、私のカメラにも写って頂きました。

私を含めた3人が、一直線に続く道を見つめてる・・・
なにか大志を抱いて突き進みたくなるような、そんな場面となりました。

一期一会の出会い。
でもドラマチックだわ。

319宮地嶽神社4

どうしてこんなに見事な大路が作られているの・・・?
本当に美しいわ・・・・

319宮地嶽神社5

この看板にすべてが顕されていました。

宮地嶽神社・・・
なにやらスゴイ場所に来てしまったようです。 \( 'ω')/

319宮地嶽神社6

宮地嶽が綺麗に見えるように
鳥居がいくつも並んでいます。

319宮地嶽神社7

形がとにかく綺麗なんですよね。
人工的につくられた山なのかな。

319宮地嶽神社8

逞しくマッチョな狛犬さん。
いろいろなタイプな狛さんに出会えて楽しいです♪

319宮地嶽神社11


319宮地嶽神社12

【御祭神】

息長足比売命 [おきながたらしひめのみこと] =神功皇后
勝村大神 [かつむらのおおかみ]
勝頼大神 [かつよりのおおかみ]


319宮地嶽神社13

【御由緒】より

ご創建は、約1700年前。
当社のご祭神「息長足比売命(おきながたらしひめのみこと)」
別名「神功皇后(じんぐうこうごう)」は第14代仲哀天皇の后で応神天皇の母君にあたられます。

古事記、日本書紀等では渡韓の折、この地に滞在され、宮地嶽山頂より大海原を臨みて祭壇を設け、
天神地祇(てんしんちぎ)を祀り「天命をほう奉じてかの地に渡らん。希(ねがわ)くば開運をた垂れ給え」
祈願され船出したとあります。その後、神功皇后のご功績をたたえ主祭神として奉斎し、
随従の勝村・勝頼大神を併せ、「宮地嶽三柱大神(みやじだけみはしらおおかみ)」としてお祀りしました。

以来、宮地嶽三柱大神のご加護のもとで事に当たれば、どのような願いもかなうとして
「何事にも打ち勝つ開運の神」として多くの方に信仰されるようになりました。
当社は、全国に鎮座する宮地嶽神社の総本宮です。

319宮地嶽神社14

大注連縄が、印象的。

319宮地嶽神社15

直径2.6メートル、長さ11メートル、重さ3トンの日本一の大注連縄。

えっ 出雲大社が日本一ではないの? (;゚Д゚)

この注連縄は、毎年掛け替えをするそうです。
約2反の御神田に、昔ながらの稲を生育させて
丹精込めたワラにてなわれるそうです。

319宮地嶽神社16

地域で特色があるのですね。 

319宮地嶽神社17

うぅ~ん・・・
出雲大社の注連縄の方が、大きい気もするけれどね・・・

どっちも同じ大きさにみえるわ。 (´-∀-`;)

319宮地嶽神社18

詳しい方、真相を知る方、どうぞ教えてください。

私は出雲贔屓ですが、
宮地嶽神社も今回訪れて見て
素敵な御神体山と神社だなと思いました。

だから、どっちが日本一でも良いんですけれどね。

夕日が映える神社としても共通しています。
海と山の祖霊神信仰も共通しているのかもしれません。
深い関係がありそうに思えます。

319宮地嶽神社19

319宮地嶽神社20

桜の樹が満開で見事でした。

319宮地嶽神社21

前方後円墳にも見える、夕日の参道。

宮地嶽神社ならではの絵馬ですね♪

319宮地嶽神社22

社務所の後ろが、宮地嶽

319宮地嶽神社23

奥の宮・八社めぐりにも行ってみました。

319宮地嶽神社24

奥の宮・八社めぐりは、
七福神さんめぐりみたいなものでしょうか。

その起源は日本最大級の石室古墳発掘を機に
不動神社(史跡)を奉祀したことによるそうです。

319宮地嶽神社25

こちらが、三番社・不動神社です。

横穴式石室古墳の中に、「お不動様」がお祀りされています。

びっくり!ですね~。 \( 'ω')/

日本最大級の巨石古墳が奥にあるのです。
社で囲まているので、一見、そうは見えませんが、古墳なのです。

残念ながら、古墳の中は撮影はできません。
でも、ふつうに古墳内部に入れます。
ご想像ください。

発見は260年前。
古墳が作られたのは、6紀末~7世紀頃。
全長23m、高さと幅は5m。
大きな石を積み重ねて作られています。

馬具、刀装具、緑に輝く瑠璃玉やガラス板など、
およそ300点が発見され、
どれも第一級のすばらしいものであり、
そのうち十数点は国宝に指定されているそうです。

いったい、どんな人物が所有していたのでしようか。
神功皇后のものなのでしょうか。
うーん、年代がぜんぜん違うかぁ・・・。
古墳の主が気になります。

319宮地嶽神社26

金銅製頭推太刀柄頭と、金銅製壷鐙が描かれています。
馬具の細工なども、美しい文様が施されています。

九州に来て、様々な古墳からの出土品を見ていたら驚くことばかりですね。
弥生の文化や古墳時代は、機能性の優れた防具や祭祀道具が溢れていて
洗練された宝物も盛りだくさんで埋葬されていました。

歴史の教科書ではなにも伝えられてなかったですよね。
そして、これまで知るきっかけもなかったです。
書きかえが必要だと思います。

319宮地嶽神社9

馬具がたくさん発見されたこともあってか、
お馬さんの像があちこちにありました。

319宮地嶽神社10

さまざまな個性のお馬さんでした。

319宮地嶽神社27

参道沿いには、
たくさんのお土産物屋さんや
お茶屋さんがありました。

ここでお昼休憩をすることになりました。

みやCafé 美心(びしん) さん。

319宮地嶽神社28

なんと、お店のオーナーさんは、宮地嶽神社の女性神主さんでした。
神主さん自らが、ランチを運んでくださいました。

「あごだしの松きのこうどん」です。
トウモロコシ味噌と、地元産のイチゴも付いています。
青菜は、神社内の畑で作られた無農薬野菜。
お茶もオリジナルで、無農薬の十八種類の素材「十八宮美茶」

とても美味しかったです。

オーナーの女性神主さんは、
以前はまったく別のお仕事をされていたそうです。
ある時期に呼び戻され、神道の勉強をされて
いまでは宮地嶽神社のために尽くされているそうです。
訪れる方との不思議な体験、様々な触れあい
それまでとは違った御縁を感じさせられる出会いが
起こってきているとお話してくださいました。

一緒にお話していた私たちも、そんな状況です。
しかも、共通の知人がいる感じです。
大変興味深くお聞きしていました。

まったく。。。
縁とは異なもの味なもの、ですね。 (*^▽^*)

319宮地嶽神社29

宮地嶽神社の注連縄は、
縁結びの象徴なのだと思います。

またしても、楽しい出会いがありました。
まるでRPGゲームをしているような感覚です。

小説のシナリオどおり?

いぇいぇ、描ききれないくらいの情報に出会い
見えない世界との触れあいは、
いったい何冊分のストーリーになるのでしょうか。
神のみぞ知る、なのかもしれません。











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  1. 2018/04/06(金) 22:20:52|
  2. 邪馬台国ラプソディ 聖地巡礼

『邪馬台国ラプソディ』 聖地巡礼 37 志賀海神社 

319志賀海神社39

2018/3/14(水)~3/20(火)に旅してきた
小説『邪馬台国ラプソディ』 の聖地巡礼レポートです。

邪馬台国2

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3/19の旅のレポートです。
私たちは博多から志賀島を訪れました。
金印公園に行って、その後に志賀海神社へ参拝しました。

この日もどんよりとした空模様で雨が降り続いていましたが
だいたいこんな時は、出雲のよくある天気と同様、
龍神さんの歓迎であると、私は勝手に思っています。

319志賀海神社1

ここ志賀島は、志賀海神社
古来より「海神の総本社」「龍の都」と称えられる島です。

319志賀海神社2

鳥居の横には、御潮井(清めの砂)がありました。
砂で身を清めてから進みます。

319志賀海神社4

石段を上って、それから長い参道が続いていました。
きっと、見晴らしの良い海が眺められるんでしょう。

周囲の島も見渡せるように。

319志賀海神社5

石造宝篋印塔 (有形文化財)

上部から
宝殊・八葉の花台
九輪・八葉の請花・八角の伏鉢からなる塔です。

8の数はどうやらとても重要らしいです。

東南西北に対応するように
「ウーン 阿閃如来」」「タラーク 宝生如来」
「キリーク 阿弥陀如来」「アク 不空成就如来」


金剛界四如来の種字を薬研彫りされています。

319志賀海神社6

参道には、山の神様も祀られていました。

特殊神事として、「山ほめ祭」とも称されるお祭りがあるからかな?

神功皇后による三韓出兵の際、
対馬豊浦に滞在中に志賀の海士がもてなしたという伝説に因むそうです。

神事では、志賀三山(勝山・衣笠山・御笠山)を祓い、三山をほめる。
次いで鹿を射る所作(狩の行事)、鯛を釣る所作(漁の行事)を行う。

319志賀海神社7

そして、なぜか、この山の神様には、
参拝者が財布を奉納するという・・・こちらも特殊ですね。

どうしてこうなった??

319志賀海神社20

志賀海神社は創建不詳。

古くは志賀島北部の勝馬に「表津宮」「仲津宮」「沖津宮」の三社が建てられ
それぞれ「表津綿津見神」「仲津綿津見神」「底津綿津見神」が祀られていました。

319志賀海神社8

2世紀~4世紀のあいだに、現在の場所に遷座し
併せて仲津綿津見神、表津綿津見神が奉祀されたと伝えられています。

綿津見三神を祖神とする
阿曇族が代々奉斎してきました。

319志賀海神社9

平城天皇の大同元年(八〇六年)に阿曇神に神封八戸が寄進され、
清和天皇の貞観元年(八五九年)に従五位上の神階が授けられました。

319志賀海神社22

☆彡----------------------------------------------------------

越人は長い間、朝鮮に暮らしていたが、
奴国が繁栄するようになると、越人のシマツヒコ(嶋津彦)は対馬に辿り着き、
安曇(あずみ)族を興して海人として対馬や壱岐を支配した。
その後、シマツヒコの息子のオキツヒコ(沖津彦)が粕屋に進出し、
粕屋の地を切り開いて面土国の貿易拠点とした。そして、
オキツヒコの子のシカヒコ(志賀彦)が帆ワニ船を考案した。
シカヒコは志賀島で祭祀を始めた。

安曇族は後に宗像族と婚姻による血縁関係を築き、
安曇族と宗像族は一つになって鉄の道を制した。
そしてその子孫が住吉族となる。

越のトーテムは鹿だ。安曇族を祀る志賀海神社は鹿を祀っている。
また藤原家に続く中臣家の神社の春日大社や鹿島神宮でも
鹿を大切にしているので、安曇族や藤原家は越人の末裔といえる。

『邪馬台国ラプソディ』 P215 第六章 渡来人の道程 より
☆彡----------------------------------------------------------


319志賀海神社24

磯の香りが漂ってくるようなお社です。

319志賀海神社27

左殿:仲津綿津見神(なかつわたつみのかみ)
左殿相殿:神功皇后(じんぐうこうごう)


中殿:底津綿津見神(そこつわたつみのかみ)
中殿相殿:玉依姫命(たまよりひめのみこと)


右殿:表津綿津見神(うはつわたつみのかみ)
右殿相殿:応神天皇(おうじんてんのう)


ワタツミ(海・綿津見・少童)三神

海 = ワタ・ワタノハラ

海=宇美=産み

319志賀海神社25

拝殿にも、御潮井の砂がありました。

319志賀海神社26

319志賀海神社11

社務所にも、御潮井があります。

319志賀海神社14

御神木の下には、亀や海の生物っぽい石がたくさんありました。
可愛い。(^O^)

319志賀海神社15

【鹿角堂(ろっかくどう)】

鹿角堂とは・・・鹿の角です。

京都の聖徳太子ゆかりの
「六角堂」とは無関係なのだろうか・・・とふと、思いました。
真相はいかに。。。

319志賀海神社16

越のトーテムは鹿、ということで
安曇族のシンボルでもあるのね。 (^O^)

関連する神社がいくつあるのか、見つけてみたくなります。

319志賀海神社18

鹿角堂にはなんと、
1万本以上ともいわれる多くの鹿の角が奉納されていました。

これにはびっくりでした。 (@_@;)

319志賀海神社28

今宮神社(いまみやじんじゃ)

御祭神
・宇都志日金拆命
・住吉三神
・阿曇磯良丸 神孫阿曇諸神


【志賀島に残る数々の神功皇后伝説】

神功皇后は三韓出兵に際して、志賀島の阿曇磯良を召されました。
そして龍神より干珠満珠を授かり、無事に三韓を平定して帰還されました。
志賀海神社にはその様子を描いた神功皇后出兵絵巻が残されています。
志賀島には神功皇后伝説にちなんだ地名が多く残っています。
阿曇磯良を海国から召し出そうと7日7晩神楽を奏したところが舞能ヶ浜、
志賀島にお着きになり願いがかなったと仰せられたところが叶ヶ浜、
皇后が馬から下りられたところが下馬ヶ浜、
志賀大明神に奉賽した際に馬が喜びいなないたので勝馬となったといわれています。
また志賀海神社裏手の山を勝山と称され、そこに櫂を奉られました。

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319志賀海神社29

こちらは、遥拝所。

沖津宮(おきつぐう)見えるかな?

319志賀海神社30

遥拝所には、石が祀られています。

319志賀海神社31

「亀石(かめいし)」と呼ばれる石で
神功皇后による三韓征伐の際、
阿曇磯良が亀に乗って皇后らの前に現れたという伝承に因んで
後世に奉納された霊石ということです。

浦島太郎の伝説がありますが、
阿曇磯良もそのモデルのひとりなのかもしませんね。

319志賀海神社32

319志賀海神社33

境内末社も多くて
志賀に12社、勝馬に5社、弘に1社、大岳に1社
計19社が鎮座するそうです。

319志賀海神社13

漁猟に関する例祭も多いみたいですが
「七夕祭り」も気になります。

私は8/7が誕生日ですが、
ちょうど例祭日の「七夕祭り」に生まれています。

そして志賀海神社の所在地は、 福岡県福岡市東区志賀島877
日田の有王社は、 〒877-0000 日田市夜明、でした。

なにかと今回の旅では
87のナンバーが目についていて
ちょっと気になってしまいました。

私自身も、87に因む海や川辺とは
切っても切れない縁があるみたいです。

ぜひ七夕の時期に訪れてみたいものです。(^O^)

319志賀海神社10

お魚天国の志賀島。

こんな可愛い看板も♪

319志賀海神社35

絵馬だって目出度いんです。
愛でタイ。。。

319志賀海神社34

319志賀海神社36

319志賀海神社41

拝殿の前で、カタツムリさんにも出会いました。
ずっと雨が降っていたので、出てきてくれたのでしょう。

陸の生き物だけれど、水辺の生き物でもあるよね。

319志賀海神社37

鹿さんと

319志賀海神社38

龍さん。

319志賀海神社3

こちらは末社です。 

【印鑰社】

御祭神  ・久那土神  ・天磐楠船神  ・迦具土神

雁の巣の航空隊にあった奉安殿の移築とともに
合祀された社ということです。

航海航空がひとつに。

319志賀海神社40

フトマニの歌の中にも、海の真砂に関するものもあります。

もやまとの  みちはつきせし  ありそうみの  はまのまさこは  よみつくすとも

安曇族のお祭りや、
神宮皇后のお姿が浮かんできそうです。
景観と歌が、見事にはまっていると思いました。

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君が代<だい>は 千代に八千代に 
さざれいしの いわおとなりてこけのむすまで
あれはや あれこそは 我君のみふねかや
うつろうがせ身骸<みがい>に命<いのち> 千歳<せんざい>という
花こそ 咲いたる 沖の御津<おんづ>の
汐早にはえたらむ釣尾<つるお>にくわざらむ
鯛は沖のむれんだいほや

志賀の浜 長きを見れば 幾世経らなむ
香椎路に向いたるあの吹上の浜 千代に八千代まで
今宵夜半につき給う 御船こそ たが御船ありけるよ
あれはや あれこそは 阿曇の君のめし給う 御船になりけるよ
いるかよ いるか 汐早のいるか 磯良<いそら>が崎に 鯛釣るおきな

—山誉祭 神楽歌—








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