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瑠璃の星☆彡

写真・イラスト・旅日記

2021冬至 久津媛の金銀錯嵌珠龍文鉄鏡が来ました☆彡

鉄鏡レプリカ1

2021年12月22日 冬至

邪馬台国・卑弥呼に関係していると思われる
日田で発見された「金銀錯嵌珠龍文鉄鏡」のレプリカを頂きました♪
21センチの実物大の鏡です。

鉄鏡レプリカ3

金銀錯嵌珠龍文鉄鏡
(きんぎんさく がんしゅ りゅうもん てっきょう)

大分県日田市日高町にあったとされる、
ダンワラ古墳から出土しています。

鉄鏡レプリカ4

鉄鏡


Legend mirror  金銀錯嵌珠龍文鉄鏡
by 金銀錯嵌珠龍文鉄鏡 関連資料作成保存実行委員会




金銀錯嵌珠龍文鉄鏡関連資料作成保存実行委員会
日田歴史発見講座伊藤塾
全国邪馬台国連絡協議会九州支部
日田邪馬台国の会


さまざまお立場から、ヒミコの鏡を顕彰されてきた皆さまが
この金銀錯嵌珠龍文鉄鏡のレプリカ制作に関わられています。
とても熱い郷土愛を感じます。

2021年12月22日
冬至の日に届いたのも、きっとなにか大きな意味があるのでしょう。
これから新しいヒミコの物語がはじまりそうな予感がしますね。
楽しみです♪

伊藤塾主宰の佐々木祥治さま、みなさま
ありがとうございます。

神戸・大阪を中心に、私も顕彰していきたいと思います。

とても美しい鏡です。
けれど、まだほとんど知られていない鏡なのです。

多くの方に関心を寄せて頂けたら嬉しいです。

°˖☆◝(⁰▿⁰)◜☆˖°

金銀錯嵌珠龍文鉄鏡


金銀錯嵌珠龍文鉄鏡moon1web

神功皇后とは

 『記紀』神話のここで神功皇后について詳しくは述べないが、
ヤマトから九州へ出向き九州を統治した女性である。
そして夫は仲哀天皇。宇美で応神天皇を産んだとされる。

そこで歴史作家関裕二先生がとなえるように、
日田を拠点として神功皇后は北部九州を統治していったという仮説は矛盾するわけでない。
豊臣・徳川も日田を拠点として北部九州を統治していた事実は邪馬台国論争にも影響を及ぼす事実なのだ。
こんな日田の田舎で何ができようかという方、そこでアナタがヤマトの権力者として
筑後川流域を支配するなら何処に拠点をつくる?かんがえてみて。

筑後川の北岸と南岸を最大限利用すると考えると
日田を統治してそれから筑後川という高速自動車道を活かすのが最適ではないだろうか。
日田は盆地でまわりを山に囲まれいかにも筑紫ににらみをきかすには最大の良い場所に位置する。
筑紫から日田に突入としても夜明けという地名の場所は
山と山の間を流れる筑後川という地理は日田への進路を困難にする。
この時間を利用して山国川を利用して宇佐や中津への逃亡も可能である。
これは江戸時代における日田天領とおなじ事。

『記紀』神話に登場しない日田であるが、
日田には神功皇后伝承が多くのこり、また山国町にも神功皇后伝承がある。
ここに神功皇后は日田を九州司令部の本拠地にして、筑紫の勢力と戦ったというのが本当の姿で、
そして武内宿禰も本当は日田を・・・。
武内宿禰=浦島太郎(二人とも300年生きた)であれば北部九州は竜宮城であろうが、
その二人の竜宮城は日田であった可能性がある。
そこで応神が生まれても不思議はない。
その事実を『記紀』神話は封印したというのが事実ではないか。
その事実が暴かれると、大和朝廷にも負い目というか不利になる立場であるから「書けなかった」という事。
関裕二先生が言われるように、小迫辻原遺跡は最後焼き尽くされた形跡が考古学で証明されている。
そして再建された形跡はない。
個人意見だがこの遺跡はヤマトによる仕業であり、神話の出雲の崩壊という事実を伝えている証拠ではないか。


日田は出雲

「出雲風土記」には、大巳貴神が国を譲るかどうかを子供の事代主神に相談している。
そして事代主神が自分で判断している。
そんな権力を持った事代主神が風土記には書かれていない。
この出雲は舞台にして借りたものである。本舞台は何処かの場所にあるはずだ。

大阪教育大学名誉教授ー鳥越健三郎教授

 『日本書紀』の崇神(すじん)天皇60年に、出雲本国の征服を示唆する説話が見える。
天皇が、出雲大神の神宝を見たいと望み使者を派遣した。
神宝を管理していた出雲臣の遠祖の出雲振根(ふるね)は、
筑紫に行っていたため会えず、弟の飯入根(いひいりね)が神宝を奉った。
筑紫から帰った振根は入根を恨み、斐伊川の止屋やむやの渕ふちに入根を誘い、
あらかじめ用意していた木刀を入根の刀とすり替え、入根をだまして切り殺した。
入根の弟から報告を受けた朝廷は、吉備津彦(きびつひこ)と
武淳河別(たけぬなかわわけ)を派遺して出雲振根を殺した。
出雲臣らは恐れて、しばらく出雲大神を祭らなかったという。

この物語は、出雲の崩壊をしめしている。


『古事記』には出雲の大神に参拝して帰る途中、
斐伊川の仮宮で口がきけきるようになったという説話がある。

出雲国造の祖「岐比佐都美」(きひさつみ)が、川下に青葉の山のような飾りを造り、
食事を献上したとき王子は口をきき、「川下に青葉の山のように見えるのは、
石(いはくま)の曾宮(そのみや)に坐す葦原色許男大神を祭る神職の祭場ではないか」と言ったという。

ここにきて『古事記』は、葦原色許男大神(大穴持大神)が、
杵築大社ではなく、曾宮に祭られていたのを認めているのである。


この岐比佐都美という人物は誰なのか。
『豊後国風土記』の久津媛(ひさつひめ)にそっくりでないか。
曾宮も日田の会所山(よそやま)と呼び名もちかい。


岐比佐都美(キヒサツミ)ト称ス。
垂仁天皇ノ二十三年甲午冬ノ十一月朔乙未皇子本牟智和気命(ホムヂワケノミコト)出雲大社ニ参・
(別名)来日田維穂命(キヒタイホノミコト)拝シ、始テ言ヲ発セラレ、
還啓ノ後、天皇歓喜シ給ヒ、即チ菟上王(ウナカミワウ)ヲ遣シテ出雲神宮ヲ造営セシム。

別名来日田維穂命という呼び名からも日田との関連を想像する。

日田だけが出雲神話ということではない。
もちろんヤマトだって大物主神からも出雲の世界であるかから、
出雲神話もヤマトー出雲ー日田という広域での視野でとらえた方が良いのではないでしょうか。

日田の金銀錯嵌珠龍文鉄鏡は出雲の神宝であろうし、
必死にヤマトは探したがみつからなかった。

そして今その鏡は甦ったというわけだろう。

関裕二先生が著書でも述べてるように。
巨大化しすぎて権力を持ち始めた神功皇后はヤマトも恐れる権力を九州で身につけそれをヤマトは危惧する。
そしてヤマトは身内を襲いその事実は後世祟りとして大田田根子を探し出すという物語で伝えている。

(伊藤塾さんのサイトからの抜粋です)



久津媛とは誰?

これまでずっと、
このブログでも伝えてきた私の産土様
いくつもの名前で呼ばれている姫神様なのだと思う。



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  1. 2021/12/23(木) 12:13:51|
  2. 邪馬台国ラプソディ 聖地巡礼

日田が誇る ☆ 金銀錯嵌珠龍文鉄鏡

鉄鏡

Legend mirror  金銀錯嵌珠龍文鉄鏡
by 金銀錯嵌珠龍文鉄鏡 関連資料作成保存実行委員会


邪馬台国・卑弥呼に関係していると思われる
日田で発見された「金銀錯嵌珠龍文鉄鏡」のサイトが
内容が深く濃く充実してます。
熱い郷土愛も感じます。

北部九州に御縁のある方は
ぜひご覧ください。

金銀錯嵌珠龍文鉄鏡moon1web

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  1. 2021/10/01(金) 09:52:42|
  2. 邪馬台国ラプソディ 聖地巡礼

やはり曹操と卑弥呼を繋ぐ鏡? 『金銀錯嵌珠龍文鉄鏡』

三国史展

東京国立博物館では、
日中文化交流協定締結40周年記念 特別展「三国志」が開催中です。
2019年7月9日(火) ~ 2019年9月16日(月)

「リアル三国志」を合言葉に、漢から三国の時代の文物を最新の成果によって読み解きます。
2世紀末、漢王朝の権威がかげりをみせるなか、各地の有力武将が次々に歴史の表舞台へと躍り出ました。
そうして魏、蜀、呉の三国が天下を分かち、新時代へと向かう大きなうねりとなりました。
近年、三国志をめぐる研究は曹操高陵(そうそうこうりょう)の発掘など空前の活況を呈しています。
それらは実物ならではの説得力と、歴史書や物語をしのぐ迫力があります。

(公式サイトより)

そして、こんなニュースも。

金銀錯嵌珠龍文鉄鏡

日田市の伊藤塾で郷土の歴史研究をされている
佐々木しょうじさんから教えて頂きました。

曹操の墓と日田市のダンワラ遺跡から、
同じ鏡ではないか?と調査が進められている鏡
 『金銀錯嵌珠龍文鉄鏡』に光が射していると!


2010/07/19 に公開

「睡蓮」 ピアノ演奏:yurichopin
http://www.youtube.com/user/yurichopin

コンピューター・グラフィックスによる復元
邪馬台国 卑弥呼の鏡

金銀錯嵌珠龍文鉄鏡 (金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡)
きんぎんさくがんしゅりゅうもんてっきょう
http://www.netpia.jp/history/kagami.htm

九州の古代王国
http://hitakodai.web.fc2.com/
http://hitakodai.web.fc2.com/index2.html

コラージュ・アートギャラリー ガランドヤカフェ
http://garandoya.web.fc2.com/

女王の鏡の修理人
http://blog.livedoor.jp/miketoranoabi/

-----------------------------

大分県日田市の金銀錯嵌珠龍文鉄鏡については、
ホツマツタヱと魏志倭人伝から構想を練られて描かれた
川鍋光慶氏の処女小説「『邪馬台国ラプソディ』でも紹介されています。
ご興味があれば、ぜひ読んでみてください。
卑弥呼を中心にして曹操に繋がる一連の流れを掴みやすいかと思います。
古代九州王朝と大和王朝を、考古学的視点から書かれた新説が満載です。



私は川鍋氏に出会うまで、日田市からこのような美しい鏡が出土していることを知りませんでした。
そして現地で顕彰されている伊藤塾の佐々木氏から鏡のレプリカを見せて頂いたときに
この鏡はもっと世に広く知られるべきだと思いました。
現地に行くと、隠されていることが山のようにあるんだと思い知らされます。

関連記事はこちらです。↓

邪馬台国ラプソディ 卑弥呼の履歴書
http://ruri87.blog18.fc2.com/blog-entry-1936.html

『邪馬台国ラプソディ』 聖地巡礼 24 天領日田資料館
http://ruri87.blog18.fc2.com/blog-entry-1978.html

金銀錯嵌珠龍文鉄鏡と久津媛
http://ruri87.blog18.fc2.com/blog-entry-2177.html


東西南北どこを向いても、それぞれの信仰のなかで
独自の天神地祇を執り行ってきた歴史があるのだと思います。

それを表わしているのがフトマニ図で、その流れはトーラスです。
日本から始まって、出て行って、そしてまた帰って来るものです。

鏡は私たちの外側と内側の天地宇宙を表わしているので
『金銀錯嵌珠龍文鉄鏡』の存在が知られていく意味は大きいですよね。
いつか私も実物が見たい。\( 'ω')/

『平成』」の由来は、『史記』五帝本紀の「内平外成(内平かに外成る)」、
『書経』大禹謨の「地平天成(地平かに天成る)」
「内外、天地とも平和が達成される」・・・でした。
夏王朝「禹」の顕彰碑は、調べてみると日本中に存在しています。

『令和』の由来も九州からでした。
麗しい時代の幕開けのように感じられました。

共産党の独裁支配が終わるとき
私たちは、知恵と経験を最大限に活かして
温故創新の文化交流を始めてゆくことになります。

真善美を見つめる眼を磨いていきたいものです。


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  1. 2019/09/10(火) 10:22:27|
  2. 邪馬台国ラプソディ 聖地巡礼

『邪馬台国ラプソディ』 聖地巡礼 46 九州旅のおみやげ

おがたまの木1

2018/3/14(水)~3/20(火)に旅してきた
小説『邪馬台国ラプソディ』 の聖地巡礼レポートです。

邪馬台国2

------------------
聖地巡礼の、これがラスト記事です。
エピローグであります。

ここまで読んで下さった皆様へ
ありがとうございます。(^O^)

九州は魅力的な古代史蹟の宝庫でした。

頭での理解と検証作業は大事ですが
肌で感じることも大切だと思います。
ご興味のある方は、ぜひ訪れて見てください。

旅を終えて・・・
発信できることが増えました。
私だけでなく、一緒に行った皆さまもそのようです。
正博氏はフェイスブックで発信されていますが

川鍋光慶さんはブログを開設されました。

邪馬台国ラプソディ
http://yamataikokurhapsody.blog.fc2.com/

ぜひご覧になってください。 (^O^)

318九州国立博物館1

写真は、3/18に行った、太宰府市にある九州国立博物館です。
例の鏡は、こちらで特別展示されることもあるそうです。
ここでお土産を買いました。

318九州国立博物館2

博物館の売店で、
愛くるしいフィギュアが売られてたんです~! 


。o.゚。ヵゎ(´・ェ・。`人)ぃぃ。o.゚。

じつは、こちらの埴輪&土偶はすでに入手済み。
今回の記念に、仲間を増やすことにしました。

おがたまの木2

武人埴輪はガチャポンで出しました。
それと、お馬さんの埴輪
縄文の遮光器土偶を購入しました。

「おーい!はに丸」の世界に土偶ちゃんが遊びに来た感じ?

鉢植えの木は、高千穂の天岩戸神社で購入した
御神木の一部・「オガタマの木」です。

いちばん小さい木を選んで持って帰ってきましたが
鉢に植え替えたらすぐに新芽が出てきて
少しずつ成長しています。
そのうち、立派な御神木となってくれることでしょう。

仲良く一緒に飾ります。
弥生と縄文が、木の下でひとつに。

いろいろ組み合わせて遊んでます。

(´∀`艸)♡   楽しいぃ~

成長し続ける、九州みやげでした。

皆様も、素敵な魂の旅路を♪



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  1. 2018/04/10(火) 08:16:52|
  2. 邪馬台国ラプソディ 聖地巡礼

『邪馬台国ラプソディ』 聖地巡礼 45 旧蔵内邸

320旧藏内邸1

2018/3/14(水)~3/20(火)に旅してきた
小説『邪馬台国ラプソディ』 の聖地巡礼レポートです。

邪馬台国2

------------------
3/20 
旅の最終日です。
すべての行程を経て、最後に訪れたのは、 
福岡県築上郡築上町にある旧藏内邸でした。

320旧藏内邸2

明治時代~昭和前期まで、
福岡県筑豊地方を中心に炭鉱を経営し、
大分県などで鉱山も経営した
藏内次郎作、保房、次郎兵衛の、藏内家三代の本家住宅です。

ここでも、盛大にお雛祭りが催されていました。

明治~大正~昭和の風情を残す御屋敷内。

その大広間や玄関、茶室などは、
やはり一般家庭とは違う「華麗なる一族」の設えです。

全国から集められた雛人形が並んでいて
華やかで優しい桃色の世界が広がっていました。

320旧藏内邸4

大正ガラスの向こうには、
蹲踞(つくばい)や水路が取り入れられた庭園です。
山水愛好と煎茶趣味の融合です。


320旧藏内邸3

藏内邸の茶室は煎茶室でした。

煎茶は奈良時代に遣唐僧によって中国から齎されました。
嵯峨天皇の平安時代には風雅な喫茶文化が広まります。

一方、抹茶は鎌倉時代の臨済宗僧・栄西が宋から伝えました。
茶葉をすぐ蒸すことで鮮やかな緑色に保たれ、
新鮮なお茶の香りと味が楽しめます。
「茶の湯」文化が広がります。

煎茶が一般に普及するのは、江戸時代中期頃。
黄檗宗・隠元禅師や、京都で煎茶を売っていた
高遊外売茶翁らによって文人たちに流行していきました。

・・・ということで、
この日は、八女産の煎茶を頂きました。

玉露のような香りです。
お菓子の「寒菊」も美味でした。


私は出雲の家では、お茶といえば煎茶ばかりで
他のお茶は、普段はほとんど飲むことはありません。
紅茶やコーヒーを飲むようになったのは、実家を離れてからでした。
松平不昧公が嗜んだ煎茶文化の中にいたからだと思います。
もともと馴染み深いせいか、煎茶は大好きです。
煎茶のルーツを知ると、邪馬台国とは無関係ではないとわかります。
島津氏と大友氏の護っていたものを知る必要もあるのかもしれない。
九州は、とてつもなく大きいな・・・


ここで美味しいお茶を頂きつつ、
川鍋親子・正博氏・私の4名は今回の旅を振り返っていました。

伝えたいことが、どんどん溢れてくる旅でした。
これから今回の旅の経験を、
活かせるような創造を続けていきたいと思っています。

また、これから訪れる方のお役に立てたら幸いです。

ご案内して下さった、川鍋さん&ユリさん、
同行してくださった正博さん
旅で出会ったすべての方に、
ありがとうございます。 (^O^)





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  1. 2018/04/10(火) 07:42:29|
  2. 邪馬台国ラプソディ 聖地巡礼

『邪馬台国ラプソディ』 聖地巡礼 44 御所ヶ谷神籠石

320御所ヶ谷神籠石1

2018/3/14(水)~3/20(火)に旅してきた
小説『邪馬台国ラプソディ』 の聖地巡礼レポートです。

邪馬台国2

------------------
3/20 旅レポートです。
この日も、ほとんど日中は雨でした。
それでも古代の山城跡にこれから登ろうとしています。

ここがその
御所ヶ谷神籠石(ごしょがたにこうごいし)の入り口です。

雨が降ろうと、槍が降ろうと、
瑠璃の星☆彡 は、いつでもチャレンジし続けますっっ・・・!

╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ !

320御所ヶ谷神籠石5

・・・と身構えてはいたものの、
現地へ到着してみると、雨は上がっておりました。

\( 'ω')/  やったー

「日頃の行いがイイからーーー」

と皆が言うので、そういうことにしておきましょう。
ラッキィです。

320御所ヶ谷神籠石2

「ここから先は国指定史跡です」

弥生人さんからのご案内です。

320御所ヶ谷神籠石3

御所ヶ谷神籠石(ごしょがたにこうごいし)は、
福岡県行橋市・みやこ町にまたがる御所ヶ岳(ホトギ山)に築かれた、
日本の古代山城(神籠石系山城)です。

城跡は1953年(昭和28年)11月14日、国指定史跡に指定されました。

320御所ヶ谷神籠石4

この山城分布図で、邪馬台国時代の領地が想像できるかも!?

320御所ヶ谷神籠石6

花崗岩の切石列石で積まれているそうです。

遺構として、
土塁・石塁・水門・城門跡・礎石
築かれているそうです。

専門的なことは分かりませんが、
現場で見て、歩いて見ていると
説明書きで書かれていることは把握できます。

320御所ヶ谷神籠石7

663年の白村江の戦いで、
唐・新羅連合軍に大敗したことを契機に
7世紀後半頃に築かれたことが判明しているそうですが・・・

それよりも実際は、も~っと古い時代の城跡に
上書きされるように築かれているそうですよ。

320御所ヶ谷神籠石8

歴史書もそうですよね。
勝者が「上書き保存」して
後世に伝えていく回転の渦。

しかしその渦は、
突き抜けることで
逆回転を始めました。

320御所ヶ谷神籠石10

この山城跡もまた
白村江以前の歴史の流れを
私たちに教えてくれようとしています。

320御所ヶ谷神籠石21

春日市の奴国の丘歴史資料館に行った時に
現地のガイドさんに詳しく教えて頂きました。

土塁・石塁・水門・城門跡・礎石
その技術は古代朝鮮(高句麗)から伝わってきた技術で、
白村江の戦いで敗れた直後には
奴国はあっという間に、
城の周囲に防壁を張り巡らせることができたんだ、と。

すでに優れた施工者、技術者たちは奴国やその周辺には存在していて、
敵の侵入に対しての充分な備えを築くことができたのです。

つまり、弥生の最初の頃から、強固な山城を作る技術は
すでに存在していたということ。

こちらは、見晴らしの良い山。
そうとう大きな山城で
外部からは難攻不落に見えたはず。

この時も、祠周辺の工事が行われていて
工事現場からしっかりと見ておきなさい、という
神々からのメッセージのように思えました。

320御所ヶ谷神籠石13

☆彡----------------------------------------------------------

「じゃあ、この神籠石が造営されたのは、結局いつなの?」

「御所ヶ谷神籠石はとても大きな遺跡にもかかわらず、
行橋の福原長者原遺跡同様、何も記録が残されていないんだよ。
だから、いつ造営されたかは謎だ。

それで、神様が誰も知らないうちに造営されたってことから
神籠石と呼ばれるようになった、といわれてる。

記紀は、卑弥呼、瀬織津姫、福原長者原、
そして御所ヶ谷神籠石を封印した。
記紀が歴史の闇に葬ったということは、
この四つは深い縁があるはずだ」


『邪馬台国ラプソディ』 P306 第八章 邪馬台国の在り処 より
☆彡----------------------------------------------------------


320御所ヶ谷神籠石14

「御所ヶ谷」の地名は
景行天皇の熊襲征伐にあたり
この地に行宮がおかれたとの伝承によるそうです。

山の見晴らしの良いところに
景行神社が鎮座するそうなので
そちらに向かいました。

320御所ヶ谷神籠石15

結構、がんばって登りましたよ・・・

320御所ヶ谷神籠石17

もう少し・・・

320御所ヶ谷神籠石22

見えてきました。
標高121メートルの尾根です。

320御所ヶ谷神籠石23

こちらが景行神社の拝殿になっています。

320御所ヶ谷神籠石24

その奥に、石の祠がありました。

320御所ヶ谷神籠石25

すぐそばに、礎石建物跡がありました。

320御所ヶ谷神籠石26

古代山城の建築跡と言われています。

320御所ヶ谷神籠石33

320御所ヶ谷神籠石27

奥の院へ、行ってみました。

320御所ヶ谷神籠石28

わ~ 霊場みたい~ 

ここにも山伏さんが・・・?

320御所ヶ谷神籠石30

どうやら、
ここが奥の院のようでした。

320御所ヶ谷神籠石31

ふだんは、あまり人の訪れが無いのかな?
ちょっと寂しい感じがしました。

山城のてっぺんに近い所なので
ここまでたどり着くのは
気合が要るのかもしれませんね。

山城は、やはり難攻不落でないと意味がない。
それが、ここまで来るとよくわかりました。

320御所ヶ谷神籠石32

御所ヶ岳(ホトギ山)まで行ってしまうと
時間がかかるうえに、日が暮れるので、ここで引き返しました。

320御所ヶ谷神籠石34

ほんとうに、
下から攻め入るのは困難かもしれないけれど
上からの見晴らしは抜群です。

敵の侵入には、
充分に備えられる場所かもしれないと感じました。

320御所ヶ谷神籠石35

そして大事なのは水脈です。
清浄な水の流れがあればこそ、
城を築くことを可能とさせてくれるでしょう。

320御所ヶ谷神籠石36

ここには巨大な山城が、記紀以前から存在していた。
それは歩いて見て本当に想像することができました。

夢にも出てきそうな場所であります。

山城跡をくまなく歩いて、
帰ろうとすると、再び雨が降り出しました。

ご加護を下さった神籠石の神様に感謝いたします。









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  1. 2018/04/09(月) 10:50:04|
  2. 邪馬台国ラプソディ 聖地巡礼

『邪馬台国ラプソディ』 聖地巡礼 43 香春(かわら)神社

320香春神社1

2018/3/14(水)~3/20(火)に旅してきた
小説『邪馬台国ラプソディ』 の聖地巡礼レポートです。

邪馬台国2

------------------
3/20の旅レポです。

福岡県田川郡香春町にある
香春神社(かわらじんじゃ)に訪れました。

田川郡は山あいの田圃が多い集落でした。
小高い山も多くて、そこには小さな鳥居があったりして・・・
よく見ると、それは古墳だったりするそうです。

320香春神社2

香春神社の本殿の後ろに聳えている山。
御神体・香春岳です。

このあたりでは代表的な、
大きな銅山なのでした。

香春岳は一ノ岳、ニノ岳、三ノ岳の3つの山からなるそうです。
その全ての山がご神体。

・・・まるで大和三山のようでね。

320香春神社4

「香春」と書いて、「かわら」と呼びます。

320香春神社5

鹿さんが彫られています。

香春=鹿春 

ということですね。(^o^)

320香春神社6

「豊前國風土記」
香春神社の由緒について
記されているそうです。

新羅から國神が到来して
自ら河原に住み着いたことで
鹿春(かわら)神という名がついた


新羅(朝鮮)から渡ってきた渡来人
その神を祭っているという事ですね。

320香春神社7

☆彡----------------------------------------------------------

僕は天神家の始祖は秦氏だと思っている。
秦氏は鉱業と鋳造、金属加工に長けており、
日本に渡来して初めに香春に住み着いた。
それで香春にはたくさんの秦氏の痕跡が残されている。

だから放生会では、初めに香春で銅鏡を鋳造するんだ。
イザナギの時代に行橋に都を移し、
アマテルの時代に中津に遷都したので、
宇佐神宮の放生会はその遷都の歴史を
行事として残したものだと推測している。
それから、凶首塚に立ち寄って蜷や貝を海に放つのは、
卑弥呼の殉死者の霊を慰めるためのものだと思う。

『邪馬台国ラプソディ』 P302 第八章 邪馬台国の在り処 より
☆彡----------------------------------------------------------


320香春神社8

長い参道が続いています。

320香春神社9

【御祭神】

・辛国息長大姫大目命
・忍骨命
・豊比売命


320香春神社15

【御由緒】

第一座辛国息長大姫大目命は神代に唐土の経営に渡らせ給比、
崇神天皇の御代に帰座せられ、豊前国鷹羽郡鹿原郷の第一の岳に鎮まり給ひ

第二座忍骨命は、天津日大御神の御子にて、其の荒魂は第二の岳に現示せらる

第三座豊比売命は、神武天皇の外祖母、住吉大明神の御母にして、第三の岳に鎮まり給ふ

320香春神社10

320香春神社11

鳳凰でしょうか
不死鳥なのかな

320香春神社16

香春神社の例祭は、5月5日に執り行われるそうです。

忍骨命(オシホミミ尊・オシヒト)が祀られているので
端午の節句の日が選ばれているのかな?

ここに来る前に参拝した直方の多賀神社は
3月3日の雛祭由来の桃花がいっぱいでした。

320香春神社17

創建は不詳とされていますが
約1300年前と書かれています。

新羅國神八幡神の習合。

320香春神社14

3つの小さな石の祠が祭ってあり、
そのひとつだけが開かれていました。

なぜ? (; ・`д・´)

それはヒルコ姫の祠でした。

320香春神社18

86トンの巨大な石灰石。

神が宿る「山王石」として祭られています。

御神体山の香春岳の山頂から
轟音とともに転がり落ちてきてここに鎮座したそうです。

Σ(・ω・ノ)ノ!

神殿は直撃しなかったそうですが
ビックリしたでしょうね~。

320香春神社19

山王石の反対側です。

320香春神社20

石の近くには、お稲荷さんが祀られています

320香春神社21

空海さんと、不動明王。

銅は産業発展の大事な資源だったのでしょう。
加工するには、豊富な水と火を使っての製錬
その拠点として香春の地は重要だったのでしょう。

香春は河原であり、水辺にはお不動さんが祀られる。
周囲の景観を見ていると、そんな想像が豊かに広がるのです。

秦氏の遺した業績は、本当に大きかったんですね。

320香春神社22

320香春神社23

美しい羽衣を纏う観音様。

320香春神社24

本殿の横には、見事な枝垂桜が咲いていました。
拝殿に隠れているので、花は表からは見えません。

320香春神社25

裏手にまわると、優美な観音様が立ち並び、
桜が滝のように咲き誇り。
まるで桃源郷のような世界。

裏面を観よ、
ということなのかもしれません。

320香春神社26

鹿さんたちも、本殿の傍にいました。

香春は鹿春。 
奈良の春日をどうしても思い浮かべてしまいます。

320香春神社27

ふのゐさめ  あらかねわけて  ねりきたえ  かまもつるきも  かそえやわらく

フトマニの128首の中にある歌です。

香春神社の御神体山は銅山。
鉱業・鋳造・金属加工に関わる内容と思います。

ごはん2香春道の駅

参拝を終えて、 香春の道の駅に立ち寄り
皆で遅めのお昼ご飯を頂きました。

牛蒡の天ぷら入り・うどんです。


そして、移動中に友人からメールが入り
田川「新しい古墳・謎の丘陵発見」のニュースを教えられました。 


田川前方後円墳ニュース

-------------------------------

Σ(・ω・ノ)ノ!

えぇぇぇぇぇ
ここ田川なんだけど!
近くにいるんだけど!

ビックリしました。

友人は私が九州を旅していることも知りません。
なんというタイミングでしょうか。

うーん・・・なにか、始まっちゃってるんだね。





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  1. 2018/04/09(月) 00:53:45|
  2. 邪馬台国ラプソディ 聖地巡礼

『邪馬台国ラプソディ』 聖地巡礼 42 平尾台 カルスト台地

320平尾台カルスト台地1

2018/3/14(水)~3/20(火)に旅してきた
小説『邪馬台国ラプソディ』 の聖地巡礼レポートです。

邪馬台国2

------------------
3/20の旅レポです。

平尾台(ひらおだい)にやってきました。 \( 'ω')/

320平尾台カルスト台地2

平尾台は福岡県北東部に位置しています。

北九州市小倉南区、行橋市、田川郡香春町、京都郡苅田町・みやこ町
そこらを大きくカバーしているカルスト台地。

・標高370~710m
・台上面積約12km2
・結晶質石灰岩から成る
・花崗閃緑岩(東部の一部)
・国の天然記念物

320平尾台カルスト台地3

☆彡----------------------------------------------------------

「この近辺は神社もたくさんあるよ。
伊耶那岐命、伊耶那美命、豊玉姫命を祀る白山多賀神社が、
平尾台と呼ばれるカルスト台地にある。
その近くの青龍銅という名の鍾乳洞の中には、
豊玉姫命が祀られている」


『邪馬台国ラプソディ』 P284 第八章 邪馬台国の在り処 より
☆彡----------------------------------------------------------


320平尾台カルスト台地5

こんな岩は、見たことなかった~~~~~  っていう岩が
視界いっぱいに広がっています。

320平尾台カルスト台地6

【三大カルスト】

・秋吉台 (山口県)
・平尾台 (福岡県)
・四国カルスト (愛媛県・高知県)


320平尾台カルスト台地7

カルスト台地に訪れたのは今回で2度目です。

320平尾台カルスト台地8

子供の頃に家族旅行で秋吉台(山口県)に訪れたことがありました。
その時は鍾乳洞に入りました。

今回は、天候不良と時間切れで、
鍾乳洞はスルーでしたが・・・

お近くの方は、ぜひ行って見てくださいネ。

320平尾台カルスト台地9

それにしても、見れば見るほど
不思議な地形ですよね~。

自然の神秘です。\( 'ω')/

320平尾台カルスト台地10


320平尾台カルスト台地12

320平尾台カルスト台地11

320平尾台カルスト台地14

320平尾台カルスト台地13

野生動物がいるのかな?

ここはどこ(・・?
不思議な国に迷い込んだ気分になります。

とても絵になる風景でした。 (/・ω・)/





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  1. 2018/04/08(日) 13:06:16|
  2. 邪馬台国ラプソディ 聖地巡礼

『邪馬台国ラプソディ』 聖地巡礼 41 直方 多賀神社

320多賀神社33

2018/3/14(水)~3/20(火)に旅してきた
小説『邪馬台国ラプソディ』 の聖地巡礼レポートです。

邪馬台国2

------------------

3/14から始まった1週間の九州・邪馬台国の旅は、
最終日の3/20に突入しました。

この日は、福岡県直方市の多賀神社参拝から始まりました。

320多賀神社1

旅の下調べをしていたときから、
すごぉ~~~~く、気になっていた神社です。

320多賀神社3

桃子土鈴 (もものみどれい)
夫婦鶺鴒 (めおとせきれい)

これです!

これなんです・・・!! °˖☆◝(⁰▿⁰)◜☆˖°

320多賀神社2

御祭神

・伊邪那岐大神
・伊邪那美大神

創建不詳。
元禄5年(1692年)に妙見神社から社名を改めたそうですが、
実はそうとう歴史の深い由緒があるはずです。

桃子土鈴 (もものみどれい)
夫婦鶺鴒 (めおとせきれい)

↑これがすべてを物語っています。

320多賀神社5

とつきとは めのにわなふり
をゆれなく をとりなきさる
またあるひ をとりよそおふ
めかしりて あひましわれは
あめよりそ とりにつけしむ
とつきのり

【ほつまつたえ 天の巻】


320多賀神社6

にわなふり =鶺鴒(セキレイ)

にわなふり(鶺鴒(セキレイ))の雄と雌の求愛ダンス

=イサナギイサナミの婚姻・嫁ぎ法(まぐわい・性交)

320多賀神社4

桃子土鈴 (もものみどれい)
夫婦鶺鴒 (めおとせきれい)

桃と鶺鴒
一緒になっている由来とは・・・?

320多賀神社23

320多賀神社13

多賀神社には、桃の木がたくさん植わっていて
花盛りになりつつあります。
盛大にお祝いされるようです。

擲桃祭(てきとうさい:春季大祭)は、
両神によって、世の人々を苦しみや悩みより助けるようにされたため。
厄年の人ばかりでなく、今年災するかも知れない病気や災難を未然に祓い清めて、
心爽やかに、幸せを招く、多賀神社の重要神事とされています。

其の坂本にある桃の子三箇を取りて持ち撃ち給ひしかぱ、
八雷神、千五百の黄泉軍悉く逃げ帰りき。
茲に伊邪那岐命、その桃子に告り給ひしく
「汝、呉を助けし如く、葦原中国に有らゆる
うつしい青人草の苦しき瀬に落ちて患ひ惚む時助けてよ」
と告り給ひて、意富加牟豆美命といふ名を給ひき。
《日本書記》


320多賀神社14

☆彡----------------------------------------------------------
エシナズはヒルコ姫の髪を撫でながら囁いた。

「ヒルコ姫は髪が長くなり、美麗な乙女へと変身しましたね。
今から雛祭りの話をしますので、よく聞いてくださいね。

とても昔に、日子山の北の麓のタガの地に
木の実をお持ちになってお生まれになった
男女の御子がありました。
その種を庭に植えておいたところ、
三年目の三月の三日に百の美しい花が咲いて、
初夏になると香りの良い実が百なりました。
花も果も百に付いたので、この花を桃の花と名付け、
実を桃の果と呼び、モモの木と呼ぶようになりました。

そしてこの若い両神の名前も百の木と実にたとえて、
男神はモモヒナギと呼ばれ、
女神はモモヒナミと名付けられました。

桃の節句と呼ぶのは、幼少時代のモモヒナギ様と
モモヒナミ様に係るこの伝承からきています。
後にお二方はご結婚されて、ウビチニ様、
スビチ様と名乗られ四代目天神を継がれました。
ここまでは分かりましたか?」

ヒルコ姫はゆっくりと頷いた。


『邪馬台国ラプソディ』 P68 第一章 若日孁生誕 より
☆彡----------------------------------------------------------


320多賀神社21

おみくじも、桃色♪です。

320多賀神社22

桃の花が咲かない冬でも、まるで満開の桃祭りのよう。

°˖☆◝(⁰▿⁰)◜☆˖°

320多賀神社8

鶺鴒は、7代目天神のイサナギ・イザナミの婚姻の象徴です。
は、トヨクンヌの跡を継いだ、4代目モモヒナキ・モモヒナミが由来です。

モモヒナキ・モモヒナミは、夫婦の交わり後
ウヒチニ・スヒヂと名が変わりました。

320多賀神社7

まさかきの うゑつきゐもに
みつるころ よつきのをかみ

うひちにの すひちおいるる
さいあひの そのもとおりは
こしくにの ひなるのたけの
かんみやに きのみおもちて
あれませは にわにうゑおく
みとせのち やよいのみかに
はなもみも ももなるゆえに
もものはな ふたかみのなも
ももひなき ももひなみなり

【ほつまつたえ 天の巻】


320多賀神社9

ウヒチニ(モモヒナキ)・スヒヂ(モモヒナミ)と、
イサナギの関係は、

曾祖父・曾祖母と、ひ孫の関係なのです。

創建不明の多賀神社で、由緒に記されてはいませんが
桃と鶺鴒は、世代を超えた夫婦神がお祭りされてることを顕していました。

320多賀神社10

モモヒナキ・モモヒナミの両神は
桃の節句・雛祭りの由来の神様です。

九州では、ほんとうに各地の雛祭りが盛大です。

桃を象徴するふたりの天神は、
後の国造りを引き継いだ
イサナギ・イサナミ夫婦の理想だったのかもしれません。

320多賀神社11

私も一応、女子なので
雛祭りの時期はトキメキます。 °˖☆◝(⁰▿⁰)◜☆˖°

女のコのお祭りは、盛大にしてあげてください。

320多賀神社15

320多賀神社18

320多賀神社20

多賀神社は直方城下町の鎮守で、
歴代藩主の信仰が篤かったそうです。

妙見宮として現在地の北の山上にあったそうですが
藩主黒田長清の居館建設のために、1691(元禄4)年、現在地に移ったようです。

社殿はこのときに整備され神名も多賀大神の古名にあらためられました。

320多賀神社24

イサナギ・イサナミ夫婦から
最初に生まれた第一子のヒルコ姫のお社です。

その後、
第二子・天照大神(ワカヒト)、
弟三子・ツキヨミ
弟四子・ソサノオ  が生まれます。

ヒルコ姫と、両神の社殿は、向かい合うように建っています。

桃の木がたくさん植わっている参道から最初にみえるのがヒルコ姫の社。
密かに大切に、桃の節句を祝われているかのようです。

320多賀神社28

貴船神社  ---闇淤加美神 (伊邪那岐大神の御子神) 
秋葉神社  ---火之加具土神  (伊邪那岐・伊邪那美二神の御子神)

を司る神です。

320多賀神社29

【納骨堂 日の若祖霊殿】

由緒によると・・・

直方市街地を一致する皆様の「お多賀さん」。
御祭神イザナギの大神が、終の住処と定められた
「日の若宮(日本書紀)」が御座います。
格式の高さと厳かさ。
「日の若祖霊殿」はその御庭に、静かにたたずむ納骨堂です。
総本山としての当社は夫婦円満の神社としても知られており、
みなさまの子々孫々に至るまでの末永い幸せを祈って、
ご先祖の御霊をお祀りするのに ふさわしい御霊舎と存じます。

---------------

イザナギ=タカヒト=お多賀さん (・・?

320多賀神社30

向鶺鴒(むかいせきれい)

夫婦円満・家内円満・長寿

みしめ縄  かけて祈らむ  いと長き   よはひを守る  多賀の社に  
《正三位 有功》


遂に合交せむとす。而も其の術を知らず。
時に鶺鴒有りて、飛び来りて真の首尾を揺す。
二の神、見して学ひて、即ち交の道を得つ。

《日本書記》


320多賀神社31

320多賀神社32

320多賀神社34

320多賀神社35

鶺鴒と桃が一度に拝める多賀神社。
桃の花が咲く頃に訪れることができて感動しました。

°˖☆◝(⁰▿⁰)◜☆˖°

お雛祭りの由来に心を寄せて
女のコの成長を祝う大切さを継承していきましょう。





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  1. 2018/04/08(日) 11:28:38|
  2. 邪馬台国ラプソディ 聖地巡礼

『邪馬台国ラプソディ』 聖地巡礼 40 九州各地を味わう

ごはん4やまさスッポン

2018/3/14(水)~3/20(火)に旅してきた
小説『邪馬台国ラプソディ』 の聖地巡礼レポートです。

邪馬台国2

------------------

ところで、今回の聖地巡礼では
行く先々で、美味しいお料理を頂いてきました。

少し考古学や日本史から離れて
ちょっと一息いれたいと思います。(^o^)

今回はユルイ感じの息抜き記事です。
楽しんで見てくださいね。

314鼈やまさ旅館3

3/14 旅の初日です。
大分県宇佐市・安心院(あじむ)の「料亭やまさ」で頂いた、
すっぽんのコース料理です。
器までもがすっぽんでできていました。
安心院は、安曇族との関連が深い土地でした。
三女神の過ごした地でもありました。

ごはん5神仙2

3/15~3/16
宮崎県・高千穂の旅館「神仙」では、
有田焼の器に盛られた日本料理が芸術的に美しかったです。

316神仙7

ごはん5神仙1

ソムリエの美人女将さん
おススメのシャンパンも美味でした。
夜神楽も拝観し、良い夢に包まれました。

ごはん3天領水1

3/17~3/18
大分県日田市では、天領水が有名ですが
道の駅でも販売されていました。 
足湯のコーナーもあって、
やっぱり大分は「おんせん県」なのね~と実感しました。

ごはん3天領水2

美味しいお水は無料で提供されています。
日田天領水で炊かれたご飯を、お宿でも頂いたのですが
本当に炊き立てごはんが美味しいです。

ごはん1嬉野華翠苑1

3/17~3/18
佐賀県の吉野ヶ里遺跡を訪ねて・・・
嬉野温泉「華翠苑」で一泊しました。

ごはん1嬉野華翠苑2

嬉野の温泉は、美人湯と言われるだけあって、
肌がツルツル・スベスベになる不思議な湯でした。

お豆腐が絶品で、温泉水で炊くと蕩けそうになります。
ここでしか食べられない御馳走でした。

ごはん1嬉野華翠苑3

朝食も彩良く。

ごはん1玄海ロイヤル

9/19
玄界灘を見渡せる、玄海ロイヤルにて。
宗像大社の沖津宮・沖ノ島についての説明が書かれています。

ごはん1玄海ロイヤル2

海の幸が豊富の玄海灘です。
新鮮な烏賊のおつくりを頂きました。


日頃の私は、地味で質素な食卓なのですが
彩り豊かな最高の御もてなしを、各地で頂きました。

一人旅をしていると、一日何も食べずに歩き詰め・・・
なんてことも、しばしばあります。
今回は、清水の舞台から飛び降りてしまいましたね。

川鍋さんは
「バックパッカーの旅では経験しないような旅も良いでしょう」
と仰います。

ほんとに。(^O^)
美味しく頂きました。

これから頑張ろう!
そんなエネルギーが湧き立ってきます。
食は命の源ですね。

旅で味わった満足感のおかげさまでしょうか。
このレポートも、楽しく書いています。


これからも、聖地巡礼は続きます。


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  1. 2018/04/07(土) 15:29:23|
  2. 邪馬台国ラプソディ 聖地巡礼
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