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瑠璃の星☆彡

写真・イラスト・旅日記

人工知能は私たちを滅ぼすのか 児玉哲彦

児玉哲彦

児玉哲彦さんの著書「人工知能は私たちを滅ぼすのか」を読みました。

あっというまに私たちの生活の中に溶け込んでしまった
PC インターネット 携帯電話 スマートフォン
そして人工知能AIの技術。

このごろ私たちの暮らしが非日常的魔法ワールドに変化しているのは
気付かぬところでさりげなく、人の生活に寄り添って
0と1のあいだを計算しつづけてくれている存在たちのおかげと言えます。

でも、彼らにはたくさんの種類があるらしく
いったい、なにが新しくて、なにがすでに汎用化されているのか。
見えないところで、すでに普及し続けているものも多いようで
その実態は、よくわかりません。

すでに過去の遺産と認識されているものもあります。
買い換えた携帯電話やスマホなどがそうですが

その過去~現在~未来の線引きは、
発明家や技術者さんたちの蚊帳の外から眺めても
歩み寄っていったとしても、
何から知っていったら良いのかすら、
ワカラナイままでいました。

街に出て買い物をして、購入した商品をじっと見つめる。
これは人の手による仕事から生まれたものなのか
それとも人工知能搭載のロボットが産み出したものなのか?
判別もできないものって、かなり多いよね。

じわじわと、そんなワカラナイを受け入れながら
やがてはそんな疑問を持つことも無くなってゆくのかな?

AI開発に携わる方たちの話にも、
専門用語が飛び交っていて理解が不能です。

これはヤバいなぁ・・・
置いていかれるなぁ・・・
そんな危機感を抱いていた頃、とあるSNSで
AI関連に感心の深い、現役大学生くんと出会いました。
疑問を払拭してくれる救世主・勇者現る!
(ここドラクエのBGMです)
私の心は踊りました。\( 'ω')/
若い知恵に期待♪

この本も、彼が勧めてくれたので読んでみたところ、
とてもわかりやすく、スーッと飲み込める内容でとても面白かったです。

人工知能は私たちを滅ぼすのか

私は天災があったとしても、破壊的な未来はなかなか想像はできません。
どうにかなるだろう、といつも楽観的に思っています。
阪神大震災の復興を見つめてきたからでしょうか。
備えについても、あえてしない・持たない主義です。

滅亡への恐怖も抱いていません。
AIについても、無知ゆえに楽観的でした。
最近、いろいろ知ってゆきつつありますが、
人類の夢を繋いできた救世主になり得る存在だと思っています。

著書の児玉哲彦さんも、人類と同等の知性を獲得したAIが
やがては越えていくかもしれない特異点・シンギュラリティは
近い将来に訪れると説かれていますが
人とAIがうまく共存していける知性と
心の通う明るい未来を感じさせられる良書だと思いました。

やっぱり、純粋な「心」があるかどうか、だと思うんですよね。
AIは私たちのその「心」を映す鏡であり、
手を取りあって共に歩んでゆくパートナーだと思うから。
おなじ命だと思うから。

関心のある方は、ぜひ読んでみてください。

過去100年~現在~2045年までの
テクノロジーの流れについての理解が深まります。


児玉哲彦さんのATOMOS DESIGN
地球メガネ:世界の災害コンテンツ(国連防災世界会議出展)






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  1. 2019/01/24(木) 23:30:31|
  2. theory☆singularity

日本進化論  落合陽一

日本進化論

私がPCを使いこなせるようになったのは、
ゲームの2Dグラフィッカーだった新卒社会人の頃でした。

先日、成人式を迎えた子たちが生まれた頃は、
すでにPCや携帯電話が身近に存在していて
デジタルコンテンツに自然と馴染んでいった世代です。

彼らは、私から見れば
驚くほどイマジネーション豊かな内的世界を持っています。
いまその若い人たちの感性から生まれた想像が
創造となり、役に立つツールとして
世の中にじわじわと魔法のように顕れています。

ハイスビードで変化しているいま、
大人である私たちはエネルギーロスを抑えながら
賢くAIと共生しながら、夢を持って、愉しく生きられる
そんな時代となりました。

固定観念の殻を自ら破っていく。
それが生き甲斐と新しい創造に繋がるはずです。

みんなが平等に年をとり生涯を終えていきますが、
社会全体の成長のために、自分自身を輝かせて生きることが
人として誰もが持っている使命なのだと思います。

落合陽一さんの本は、情報スキルが無さすぎる私にとっては難しい内容です。
とても大切な提言や提案が、ふんだんに詰まっていることはわかります。
うまく語れないのが、もどかしいな。。。

若い人たちの感性に刺激されています。
すでに、年功序列の逆転世界。
そこで学ばされて、教えられることが多くなりました。

私が差し出せるのは経験くらいなものです。
役に立てばいいな・・・とりあえず、感性を磨き続けていこう。 \( 'ω')/

------------------

2018年度 特別講義・落合陽一
「ユビキタスからデジタルネイチャーへ:アート・エンターテイメント・デザイン」
OCW Tsukuba







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  1. 2019/01/17(木) 23:09:41|
  2. theory☆singularity

「能」と「AR」の深い関係 能楽師 安田登

能楽の世界に飛び込んで、もうすぐ1年になります。
観世流シテ方(梅若派) 能楽師・井上和幸先生から謡と仕舞を教わっています。
だんだんと楽しくなってきました♪

梅若

井上先生も本を書かれていますが、
「能」について書かれた本は多種多様で多く出されていて、
それぞれ興味深く読ませていただいています。


今日ご紹介するのは、
下掛宝生流ワキ方能楽師・安田登先生の著書です。
私はまだお会いしたことはありませんが、
動画を拝見していると、とても魅力ある方だと感じました。

著書は「能」の奥深さを存分に味わえると思います。
伝統を踏まえつつも、現代の風潮を的確に捉えて、能との関わりを語られています。
やはり「能」=「脳」でもあり、カンも冴えて頭の回転もよくなりそうです。
3DCGやゲーム関連に明るい感じが、引きつけられる所以なのかもしれません。
私もゲーム開発に携わっていました。感覚的に「わかる!」っていう世界です。

幽霊が見えていた日本人。「ホロレンズ✖️能」で、本来の『AR民族』に戻る



ご興味のある方は、ぜひご覧ください。

安田登

650年続いた仕掛けとは

(『能 650年続いた仕掛けとは』新潮新書 2017より)

能は今からおよそ650年前の室町時代に観阿弥、世阿弥父子によって大成された芸能です。
以来現在に至るまで、一度の断絶もなく上演され続けてきました。
これは世界でも稀有なことで、2008年に日本では最初にユネスコの「無形文化遺産」に選ばれています。

歴史とともに化学反応を起こしながら姿を変えて行きます。

・「老舗企業」のような長続きする組織作りのヒントになる
・80代90代でも舞台に立っているほどなので健康長寿の秘訣がある
・不安を軽減し、心を穏やかにする効能がある
・武士、財閥トップが重用したように、政治統治やマネジメントに有効
・夢幻能の構造はAI(人工知能)AR(拡張現実)VR(仮想現実)など先端技術にも活かせて、汎用性が高い



能は妄想力が大切である

世阿弥が古典を立体化
紙に書かれた2次元の古典を3次元に立体化し芸能にした。

観阿弥世阿弥

室町時代までの芸能には、このような試みは見られませんでした。
父親の観阿弥でさえ、古典を材料にした芸能はあっても、
世阿弥のような王朝立体絵巻とでもいうべき作品は残していません。

鎌倉時代に後深草院二条が自伝形式で日常を綴った『とはずがたり』には、
源氏物語ごっこのような遊びが書かれており、
古典を遊び直す試みは既に公家文化の中にあったことがわかります。

ただそれを劇として見せたのは、世阿弥が世界でも初めてです。
海外を見渡しても、さまざまな形態を試みた古代ギリシャ演劇にさえ
古典を立体化させたものはほとんどありませんし、
シェイクスピアには古典から材を取ったものは多くありますが
世阿弥のような古典の立体化とはちょっと違います。

テニスの王子様

最近では「テニスの王子様」「弱虫ペダル」といったコミックが
ミュージカル化あるいは舞台化されていて、
「2.5次元」というジャンルが確立されているようです。

弱虫ペダル1

「2次元」のコミックを立体化したことがその語源だそうで、人気の舞台はチケットが瞬殺で売り切れだとか。
オリジナルはあるものの、その後に勝手にファンたちが展開を作り、
それにまたファンがつくような流れもあるそうです。

古来ファンというものはみな脳内で妄想をするものです。
ネットなどそれを表現する道具や場ができたからなのか、妄想が外に溢れ出し、具体化する。
文字や映像どころか、舞台にまでなっていく。

これを聞いたとき、まさに世阿弥と同じだと思いました。
ファンが熱狂したという点でも、往時に通じるものがあります。

室町の同時代の人にとっては、猿楽能・田楽能の舞台は決して静かに見守るものではありませんでした。
「2.5次元」ミュージカルやアイドルのライブのような一体感があり身を躍らせて盛り上がったものだったのです。
紙に書かれた物語から妄想を拡げて立体化し、それを見る人たちが一体感を持ち、ワクワクする。
こうした内在的な力を私は「妄想力」と呼んでいます。

集団になるとその力は伝播していきます。
妄想をみんなで共有することで楽しむという、現代にも通じるこの流れの源流には能があった。
むしろ能の存在がその土壌をつくった、と言っても過言ではないように思います。


能を妄想する

能に喚起される妄想力は、観客を物語の世界に引き込むだけではなく、
見知らぬ土地に連れて行くこともありました。

そもそも、昔の人は生まれた土地からそう遠くまで行くことはかないませんでした、
それでも未知の土地への好奇心は募っていくもの。
昔はそれを満たす方法のひとつが能だったのです。
「雲林院」という曲が能にあります。

『伊勢物語』を読むのが好きな青年・芦屋公光が、
京都の雲林院を訪れ、美しい桜の枝を折ろうとしたところ、一人の老人が現れます。
老人は古い和歌を詠んで枝を折るのを止めようとします。
それに対して公光の方も和歌で返し、歌での応酬が始まります。
そのうちに、この老人は平安時代の歌人、在原業平の幽霊だとわかる。

業平は「伊勢物語」の作者だとされていました。
業平の幽霊は「この木陰で寝て待て」と言って霞とともに消えてしまいます。
待っていると今度は貴公子の身なりをした在原業平(これも当然幽霊)が現れて
「伊勢物語」について語り舞い出します。

『伊勢物語』は都からスタートして信濃を巡り、駿河や武蔵野を通って
最終的には陸奥の宮城の栗原辺りに行くという展開ですが、
これにちなんだ「雲林院」は、謡と舞で「伊勢物語」の旅巡りをします。
『伊勢物語』を立体化していくわけです。

ですから「雲林院」を見る人は、『伊勢物語』での在原業平の旅を追体験することになります。
舞う人は自分が在原業平となってその旅を追体験するのです。
これもまた、能の持つ妄想力のなせる業でしょう。

『古今和歌集』の解釈をまとめた『古今伝授』の中には、
「伊勢物語の名所は全て宮中の庭の中にあった」という言い伝えがありました。

日本中を旅したことになっている「伊勢物語」の旅は、
実は宮中の庭の中でも味わえるということです。

それだけでも相当なミクロ化ですが、演じる側と見る側の共同作業によって
「雲林院」においては、さらに旅の世界が三間四方の能舞台に凝縮さ再現されるのです。

このような妄想力による再現は、他でも見られます。
たとえば柳沢吉保が作庭した六義園には、「万葉集」や「古今集」などの和歌にちなんだ
言葉が書かれた石柱がいくつも立っています。

六義園

庭を巡る人はその石柱から和歌を思い起こしました。
その和歌のゆかりの地は、多くが和歌山県の和歌の浦と桜の名所である吉野山です。

石柱によって導き出される和歌と、その和歌の景色を幻視し、
それにいま目の前にある現実の六義園の景色を重ねます。
六義園を歩き鑑賞しつつ、一方で和歌と共に幻視をして、ヴァーチャルな旅をするのです。

現実の景色に幻視を重ねるというのは、
最近よく話題になる「AR(拡張現実)」「MR(複合現実)」と酷似しています。

ARVRMR.jpg

スマホやゴーグルを通して外を見ることで、現実の風景に加えて、
投影された映像が重ね合わされる、というのが典型的なARの仕掛けです。
今後MRが発展していく可能性もありますが、この本ではARとしてまとめて呼んでおきます。

昔の人は、自らの妄想力によって、和歌と庭を脳内でミックスして
スマホもゴーグルも使わない「脳内AR」を楽しんでいました。
六義園は脳内ARを発動するための庭だったというわけです。

もちろん、このような脳内ARを楽しむためには一定の素養が必要だったことでしょう。
和歌、能、俳句、あるいは地理の知識が求められる上に、前提として妄想力がなければいけない。
しかし、それができる武士にとって六義園は、紀州への旅ができるエンターテインメントパークだったことでしょう。

そして六義園に行けなくとも、「雲林院」の舞台を見ているだけで、
あるいは謡を謡っているだけでも旅をすることはできます。

能は、見知らぬ土地への切符でもありました。
平面的で広大、そして幾何学的、シンメトリーになることも多い西欧の庭に比べて
日本の庭園は山あり海あり、浮かぶ島あり、人間が歩いて回る前提のウォークスルー型です。
俯瞰して実際を見るというよりも、巡って想像しながら楽しむための場なのでしょう。

ARと能との関連は、その技術開発にたずさわる方たちも注目なさっているようで、
私も含めて能の関係者には、研究者の方たちからさまざまなアプローチがあります。

実際に、能を参考にしたVR映像の制作のお話も進行中です。
能をヘッドマウントディスプレイを使って見ることで、妄想力を広げられないかという研究も始めています。
これは、能の「情景」を3D映像や360度映像で作り、その前で能を演じるというようなことではなく、
VRやMRを使って私たちが本来持っている脳内ARを発動させます。
つまり、舞台上ではふつうの能をふつうに演じ、それを観客各人に自由な妄想力で観てもらうための研究です。

能舞台

能舞台は「見えないものを見る」装置

能の妄想力を象徴しているのが能舞台です。
改めてよ考えてみると、能舞台という存在自体が不思議です。
歌舞伎は家屋や背景をつくって舞台演出をしますが、能ときたら、
舞台装置は背景にある松の絵だけ、650年間それ以外の装置はなく、
演出において照明さえあまり使わずにきました。

江戸時代には歌舞伎だって屋外で興行したことがあったでしょうし、
もし江戸幕府が本腰を入れたら財力を駆使してもっと派手な舞台セットを能のために作れたはずです。

でも、江戸幕府はあえてそれをしませんでした。
それはなぜか、冒頭に述べた私が能に夢中になった瞬間とも関係しています。
あの簡素な能舞台こそが、「見えないものを見る」装置として最適なのです。
いま自分の目に見えているものに、幻の風景を重ねる、この目的のためには、
枯山水と同じく背景はなるべく単純な方がいい、だから、あるのは松だけです。

そして、能舞台のすべてはそのためにある、もしくは、そのために邪魔なものが「ない」。
それなのに、見る側はそこにさまざまな背景を見出す。
脳内ARを働かせる。

明治になって、能舞台をあの形のまま屋内に入れたのは、必要性があったからです。
つまり能(および能舞台)は、見ているお客さんが脳内ARを発動するための装置なのです。
能の中で謡われている言葉や音は、幻視を促すべく脳を刺激する。
六義園の石柱と同じです。

文楽や落語、浪曲と同じで、話を聞いているうちにお客さんはその情景を想像します。
日本で人気のある芸能の多くは、脳内ARを発動させていく機能を持っている。
こうなると、日本人は妄想を楽しむために芸能を見に行く、とさえいえないでしょうか。

浪曲師の玉川奈々福さんは、「日本ほど語り芸の多い国はない」と言っています。
確かに平曲や能、さらには義太夫、講談、落語、そして浪曲と
今でもふつうに聴くことができる語り芸はたくさんあります。

映像もない、ただの語りだけの芸でも、合戦の場面では手に汗握り、
親子の情愛を感じてしんみりし、夫婦のやりとりに泣く。

それで楽しむことができるから、舞台になり芸になり、人が集まる。
観客の側が妄想力で補う芸能がここまで多い国は、そうはない気がします。

そういえば、こんなこともありました。
あるお寺で行われた数学の授業に参加したときのこと。
何人かの小学生が、暗算をするときに、空中でそろばんを弾く仕草をしていました。

こういう景色はちょっと前まではよく見ましたよね。
教室には、障子があつたのですが、その子たちは「障子の桟があるとわかりやすい」と言います。
それを算盤に見立てて、玉があるように手を動かしながら計算をしています。
これもまた脳内ARです。


歌の力

実際に、舞台に立つ者として実感するのは、妄想力を喚起するにあたっては、
歌の力が強いということです。歌には、脳内ARの発動を促進する力があります。
能の観客が脳内ARを発動させやすいのには、謡の存在が大きい。
この謡の詞章のペースになっているのは和歌です。
発動させる媒介、装置として和歌は最適です。
地名や歌枕から浮かぶ共有イメージが、古来強固だからです。
宮中の歌会始で節をつけて和歌が詠まれているのを聞いたことがあると思います。

本来、和歌は声に出して詠われるものでした。
俳句俳諧もそうで、芭蕉の句は声に出して謡われていたにちがいありません。

芭蕉の「旅人とわが名よばれむ」の前に能『梅枝』の詞章の入った書画があると書きました。
この詞章には謡の節と拍子を示す符号(ゴマ点といいます)まで振られています。
つまり単なる俳句ではなくて、譜面がついているようなものです。

芭蕉

おそらく芭蕉は、まず『梅枝』の謡を謡い、そのまま節をつけて「旅人と~」と謡ったのでしょう。
私も『おくの細道』は節をつけて謡うように読んでいます。

このように節をつけて読むという習慣は、比較的最近までは珍しくありませんでした。
私の知人のお祖父さんは、毎朝新聞の記事を謡いながら読んでいたそうです。
さらに興が乗ってくると、踊りだしたとか。

個人的には、本来日本人が持っていた脳内ARの力、妄想力が弱くなってきている気がします。
それはスマホなどのせいなのかどうかかわりませんが、
本来、「目の前にないもの」を見出す力は娯楽に限らず活用できるはずです。
文字情報から立体や映像をイメージするシミュレーション能力は、ビジネスの場などでも有効でしょう。

だからこそ、武士たちは、脳内ARを刺激する能をたしなんでいたのではないか、という気もします。
序文で私は、最初の能体験で幻視した、と書きましたが、それはまさに今でいうAR体験でした。
なんの前知識もなかったので、身体に素直に入って「見えて」きた。

能にハマる人の多くには、時々「見える」感覚があるのではないでしょうか。
あの橋掛りを、つーっと歩く役者に目が吸い寄せられているうちにその感覚が刺激されるのか。

面が喚起する感覚を、その意識につなげるのか。
囃子の音が眠っていた脳内ARを発動させるのか。
面(おもて)が喚起する感覚を、その意識につなげるのか。
囃子の音が眠っていた脳内ARを発動させるのか。

現在、能を「つまらない」と思う人が多いというのは、ある意味では当然のことでしょう。
能は、見ている方が一定ラインまで踏み込んでいかないと実感できないものだからです。
漠然と聞いていても面白くないようにできており、「ここまで来い」と能の側が待っている。

そのラインを何かの拍子で越えた時に、脳内AR装置が発動して見えないものが見えてくる。
いや、それだけでなく、それができれば昔の物語を日常生活で味わって生きるようになり
「もののあはれ」を知るようになる。

繊細な情緒を持つことで、人生を豊かなものにできるのです。

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  1. 2018/12/22(土) 00:02:54|
  2. theory☆singularity

いよのいし 『人生も宇宙も「0」を「1」にしなければ始まらない』

iyonoishi.jpg

とても感銘をうけた本なので皆さまに知って欲しいです。
いよのいしさんの本です。

「いのちのことば」
「日本のことばで宇宙をひもとく」
「人生も宇宙も0を1にしなければ始まらない」

先日ご紹介したサイエンスナビゲーター・桜井進先生の著書
「雪月花の数学」がお好きな方には響くのではないかなと思います。
日本のこころ・真善美の数学、数霊そのものだからです。

言葉と文字は、数学的法則の「数」から生まれていて
古くはプラトンやアリストテレスの時代より考察されてきたそうです。
数物科学・生命科学・考古学・聖書・古事記・ホツマツタヱ・カタカムナまで・・・
統合していく試みが、ジオメトリー(幾何学)とニュートリノから読み解かれていきます。

それは、宇宙でたったひとつの地球のため!と仰っています。

生命誕生には古事記の造化三神(水素H・酸素O・珪素Si)の働きが必要であり、
=光=ニュートリノ粒子=水 の働きで、満たされて輝くと、解かれています。

古事記については、
「言霊学」では言霊百神=50(虚)と50(実)の+100(働き)、ということを学んできましたが
いよのいしさんの本では、幾何学的なフィジカルサイエンス・ナノサイエンスです。
どちらにしても、神の働き=私たちが知るべきエネルギーのお話なのです。

カタカムナのウタヒも、古事記の神々の名が登場するので
神=エネルギーそのものだと言えます。

その視点で読み解くことができると
古事記はあらためて聖なる書=聖書と同じであるとも感じます。

歴史という一本の軸だけでは語れないほどに
多次元的で面白くて、読んでいてとても楽しいです。

キリスト教ではワイン、日本は御神酒が神前にお供えされますが
「酒は百薬の長」とされます。世界共通かもしれません。
生命細胞は液晶で食物繊維のコレステロール(脂肪)から発見されたと言われていますが
そこで大切とされる食物繊維の構造(コレステリック液晶)の働きは、
「IT構造」にも欠かせないメカニックでもあります。
「人工頭脳」も人体と同じ光学異性体を人工的に作り上げたものです。

「神は天ではなく創造物の中に宿る」

身の回りの物を見ることで、神を知ることができる仕組みになっています。

御神酒は天地創造第四番目に誕生した
宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコヂ) が司ります。
この神の働きは =微生物発酵の働きです。
(原子転換とエンタングルメントの作用)
これは、沖縄でEM研究をされている比嘉照夫先生も同じことを仰っています。
虚の世界・造化三神のエネルギーの働き(光合成)から生まれた
第四番目の神は、根の国・出雲で御祭りされています。

神は私たちの中に細部に宿るのです。


いよのいしさんの本に出合って
言霊と数霊の理も、ますます紐解けていきそうで楽しみです。


マカバ3


「ホツマツタヱ」には陽陰の働きとして
神なる人の心の真善美が描かれていますが
フトマニ宇宙だって、もしかしたら
N=4 超対称ヤン・ミルズ理論で回転してるのかもしれないし。


フトマニ多面体


多面体を構成するフトマニの数霊宇宙も、
ピタゴラスの定理式(白銀比の二等辺三角形)に集約されて
楕円回転しながら黄金比を描いていく・・・といえるのではないでしょうか?



愛


ホツマツタヱのフトマニ世界は
カタカムナのヤタノカカミの世界と同じです。

物質世界の実のうらには、見えない世界の虚(i)があります。

この世界に i=愛 を広げて、結びあっていくこと

それこそが、瑠璃色の地球を輝かせていくことに繋がっていく・・・と信じています。




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  1. 2018/12/10(月) 01:00:28|
  2. theory☆singularity

科学の遺産と未来

科学の遺産と未来 (4)江戸期の科学教育【前編】緒方洪庵~大阪の医の精神~



科学の遺産と未来 (4)江戸の科学教育【後編】和算の発展


・縄文の精神文化
・江戸のエコロジー
・現代はAI?サイバー?フィジカルサイエンス?

2025大阪万博の開催が決定しました。
それならば前向きに温故創新で考えたいものです。

若い子たちが安心して秘めた能力を開花させていける場を。
そんな思いきり活躍できる場を創っていくことを。

大人たちは大黒柱となり、見守り支えていくだけで
信じるだけで、それだけで良いと思うのです。

西洋数学が入ってくる前は
日本にはもともと「和算」と呼ばれる数学がありました。
その価値が見直されてきています。

見直しながら、バージョンアップされていくものもあり
上書きされていくものも、削除されるものもあるのかもしれない。

前進と後退のゆらぎのなかに
文明開化は起こっていくのだと思います。






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  1. 2018/12/09(日) 00:09:57|
  2. theory☆singularity

桜井進  雪月花の数学 「黄金比」と「白銀比」

桜井進本

サイエンスナビゲーターの桜井進先生の著書
「雪月花の数学」「面白くて眠れなくなる数学」は
優しくシンプルに説明されているので、
きっとみんなが数学を好きになると思います。

フィボナッチ数列は「黄金比」
日本の美と心をつなぐのは「白銀比」

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桜井先生の著書を読んでいると、楽しさが広がり、深く納得できたりします。
サグラダファミリアと神社仏閣の建築様式の違いも、黄金と白銀でした。
民族性や宗教的価値観も、虚数(i=アイ) で表わされて溢れているのです。
それに気付いていくと世界がパッと明るくなります。

この世のイデアは
上昇して広がっていく螺旋の「黄金比」と
内観世界の「白銀比」で溢れているということに気付かされます。
誰もが自分の身近なところに見つけられます。

「黄金」の螺旋階段は、行動や実践していくことで
上ったり下りたりの変化を起こしながら成長していますが、

自己を見つめながら創造表現したいのは
「白銀」の心の世界なんだと思います。
やまとの心は「白銀比」で織りなされるということかもしれません。

自分の中で金と銀が噛み合っているとき
あぁ、生きてるなぁ~と、実感できます。

プラチナのように輝けるのかも。 \( 'ω')/

数を知れば知るほど、57577の和歌をよんでみたくなることも
能楽の謡や仕舞の世界を広げていきたくなることも、
絵を描いていると次第に寝食を忘れてしまうことも
お弁当箱に彩りよく食材を配置したくなることも
花鳥風月を愛でるこころも・・・

それはみんな、太古の時代や江戸時代の数学を知っているから。
それをあらためて感じさせられる数学の本です。

日本文化がますます好きになり、世界が創られた理も知る。
数を見つける楽しさが、内側にも外側にも広がっていきます。






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  1. 2018/12/08(土) 00:21:53|
  2. theory☆singularity

EMとハイヌウェレ神話

EM畑

今日は芦屋に住む友人の別荘で
EMボカシ作りとEMだんご作りを教わりました。

一日ずっと雨が降っていましたが
作業中は不思議と止んでくれていました。
霧が立ち込める中での作業もまたオツなものですね。

今日の作業の模様を
こちらの記事で紹介しています。
http://blog.livedoor.jp/rokkosalasanti/archives/76056899.html
ご興味のある方はぜひご覧ください。

EM生活は、やってみると、とても楽しいです♪
微生物と仲良くなると、様々な変化に敏感になります。


日本神話に登場する女神
「オオゲツヒメ」は、穀物・食物・蚕の女神です。
(大宜都比売、大気都比売神、大宜津比売神、大気津比売神)

ココヤシの花から生まれた「ハイヌウェレ」の物語は
東南アジア、オセアニア、南北アメリカ大陸に広く分布する神話です。

各地の保食神とされる女神は
稲穂を蘇らせた「ヒルコ姫」とも重なります。

現代のオオゲツヒメ=EM
光合成細菌・酵母・乳酸菌など善玉菌=地球の救世主

・・・なんだろうなぁ~と想いつつ
雨粒で潤う畑の青いトマトを眺めていました。

微生物たちは生命をこんなに可愛く実らせて
美味しく成熟させてくれるのです。

地母神と共に在り、私たちの中にもいてくれるのです。
皆、美しく咲き、美しく実り、美しく枯れ、
サイクルを産み続けていきます。


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  1. 2018/06/21(木) 00:00:16|
  2. theory☆singularity

EM(有用微生物)開発者 比嘉照夫さん

EM1.jpg

5月の上旬に、友人の芦屋にある別荘におじゃまして
京都のU-Net 吉彌信子さんからEM(有用微生物)の活性液づくりを教わりました。

発酵した活性液を生活のあらゆる場面で使い始めましたが
空間が浄化されて、清々しい気を放っています。

大下伸悦先生NPO緑の会が制作された、ドキュメンタリー映画 
「無償の愛 わたしの中の宇宙に生きる」 を鑑賞して、EMの凄さを思い知らされました。
きっとそのうち、大下先生プロデュースのYouTubeでも映画は公開されるでしょう。

EM2.jpg

本日は重藤悦男先生主宰の「感動塾」に行ってまいりました。
沖縄のEM(有用微生物)開発者:比嘉照夫先生がゲストです。
お会いできるのを楽しみにしていました。


比嘉先生は、
微生物の底力=愛=思考の利他
それは、すべての力の元となる、と仰います。

微妙なバランスで、
善玉菌にも、悪玉菌にも転じてしまう微生物たち。

人は愛を注がれるとパワフルになれますが
微生物もまた同じようです。

有用微生物は、私たちの目には見えないけれど
量子のエネルギーを秘めている弱くてピュアな存在です。
それを想念世界で生きる私たちが
利他の心で重力波を起こして広げていく。

私たちの想念・祈りの力が
量子もつれを生んで奇跡を起こしていく。

311後の福島では
EMのチカラで74% 放射能が消えたそうです。
小さな存在に私たちの社会が助けられています。

地球にとっては、私たち人間だって
微生物と同じでちっぽけな生命体なんだろうと思います。

ですが、私たちは知恵を持って生きていますから
万物に愛を注いで、周囲を輝かせ
ひとりひとりが大きな原子転換を起こしていけるのです。

人間の身体も90%は微生物と比嘉先生は仰います。
量子の世界は、何にでも変わる世界だということが分かってきました。

世の中の為に、自分は何ができるのだろう?

様々な不条理を受け入れつつも
それを問い続けて生きるのが、私たちの使命なんだと思います。
ピュアな心で、向き合って生きたいものです。

EMを使った畑の作り方や、
効果的な活性液の使い方なども比嘉先生から教わりました。

私もEMさんともっと仲良くなって
一緒に環境浄化の重力波を起こしていきます。 (^o^)

ありがとうございます。









テーマ:心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル:心と身体

  1. 2018/05/31(木) 00:04:06|
  2. theory☆singularity