
3/28のことです。
埼玉の佐藤さん&西原さんとともに、東国三社巡りをしています。
鹿島神宮から、
息栖神社(いきすじんじゃ)へとやってまいりました。
\( 'ω')/ 三社のうちの二社めです。
茨城県神栖市息栖2882に鎮座。
茨城県鹿嶋市の鹿島神宮、
千葉県香取市の香取神宮とともに
東国三社の一社であります。
ここ、気になってたトコです。
参拝できて嬉しいです~!

駐車場に辿り着くと、
猫さまたちが寛いでいらっしゃいました。

こ、このドヤ顔は。。。
まさかの猫さまが主祭神の神社・・・!? (; ・`д・´)

主祭神は、
久那戸神 (くなどのかみ・岐神)でした~。
鹿島神・香取神による葦原中国平定において、
東国への先導にあたった神ということです。

相殿神は
天鳥船命 (あめのとりふねのみこと) 『古事記』では、建御雷神の副神として葦原中国平定に赴いたとされます。
住吉三神 (すみよしさんしん) 上筒男神・中筒男神・底筒男神の3柱。

ホツマツタヱでは、タケミカヅチ(鹿島神)の娘・ヒメと
フツヌシ(香取神)の甥・アマノコヤネが結ばれたとされていて
この夫婦縁の場所とされています。
桜の花や椿、朱色の神殿などを見ていると
夫婦和合の神殿に相応しい感じに思えるんですよね。

社伝では・・・・
第15代応神天皇の代に日川の地(にっかわ:現・神栖市日川)に創建されたという。
その後大同2年(807年)4月13日、藤原内麻呂によって現在地に移転したと伝えられます。


桜が満開です。\( 'ω')/
良い時期に参拝することが出来ました。嬉しいです。

『日本三代実録』では、「於岐都説神」、
また元亨元年(1321年)の古文書で
「おきすのやしろ」と記されているそうです。
おきつせ・おきす = 沖洲

お稲荷さんが、みんな赤ずきんちゃんでした。

う~ん・・・なんだろう?
何かに似ていて、どこかで見たよ。 (◎_◎;)
しばらく経ってから
( ゚д゚)ハッ!
と気が付きました。
高千穂の夜神楽(岩戸神楽)で見た、
鈿女のコスチュームです。
『邪馬台国ラプソディ』 聖地巡礼 19 高千穂 神仙と夜神楽http://ruri87.blog18.fc2.com/blog-entry-1973.html
そっくり☆

お揃いでカワイイ。
忍者みたいでもありますね。

お花がいっぱいで、なんとなく嬉しくなります。

椿の花も赤・白・斑いりと、
3種類以上あって見頃となっていました。

招霊木(オガタマノキ)もあります。
天照大神の天岩戸隠れのときに、
天岩戸の前で舞った天鈿女命が手にしていたとされるオガタマノキ。
九州の高千穂や天岩戸を訪れたのも
雨が降り止まぬ日で、ちょうど1年前のことでした。
見ているものがオーバーラップしていって
ここにも猿田彦や鈿女が
ここにいる?ような感覚になってしまいます。
久那戸神 (くなどのかみ・岐神)=猿田彦和合・結びの神が
沖洲に繋がる利根川水系の水運を
束ねているということなのですね。

こちらが一の鳥居。
左右には
「忍潮井(おしおい)」と呼ばれる2つの井戸があります。
「日本三霊泉」の1つ。

社伝によると、神功皇后3年に造られました。

こちち
「女瓶」目に見える生き物は、
なにも住んでいませんが・・・

こちらの
「男瓶」のほうは、大きくて
鯉が悠々と泳いでいました。


鯉は龍の化身かもしれません。
魚の里と書くから。
瓶は、甕でもあるのでしょう?

ふと、男瓶の横を見ると石の祠があります。
そこに手を合わせると・・・

なんと、「有限会社(善)猿田水産」という
文字入りの建物がそこに。
(@ ̄□ ̄@;)!
汽水域だから、しじみが採れるんですね。
まるで汽水湖である宍道湖のように。
しじみが採れちゃう。
鈿女(ウズメ)の舞がつくる渦は
「女瓶」と「男瓶」の陰陽交わる水の渦であり
海水と淡水の交わる汽水の渦でもあり
水面に様々な渦巻きを示しているのかもしれません。
鯉が優雅に泳ぐ様を見つめていたらそう感じました。
ここは結びの場なんですね。
出雲との繋がりが、ここにも。
猿楽の猿でもあるのかな。
猿田さん宅も見かけたので、
お話したい気持ちにもなりました。
猿田彦さんの微笑みが
ここでも見えたような気がしました。
楽しいです♪

そして帰りも猫さまたちが見送ってくれました。
ここに参拝出来て良かった♪
ありがとうございます。
テーマ:心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル:心と身体
- 2019/04/06(土) 07:37:47|
- 神社仏閣めぐり(茨城)
-
| トラックバック:0
-

3/28のことですが
埼玉の佐藤さん&西原さんとともに
常陸国一宮 鹿島神宮を参拝いたしました。
全国にある鹿島神社の総本社です。
茨城県鹿嶋市宮中2306-1
駐車場から大鳥居まで400mほど歩きました。
石畳がちょっと伊勢の門前町っぽいですね。
こちらは伊勢ほどの賑わいはないけれど
これくらいの落ち着いた佇まいのほうが、
個人的には好きだったりします。

歩くことで知り得たこともあります。
高龗神・闇龗神を祀る靇(りゅう)神社です。
水神・淤加美神(おかみのかみ)のことを示しています。
古事記の国産み神話に登場する罔象女神(みづはのめのかみ)でもあります。
水神は、蛇神・蛟信仰とも結びついていて、
私たちはこの日も、組紐を身に着けていました。
また、こんなお話もあって興味深いです。↓
「雨龍(あめりゅう、あまりょう)文様」について この日の天気予報は関東地方は晴れと出ていても
ピンポイントで鹿島方面は雨と予想されていました。
雨降らしの龍神さんが最初に歓迎してくださった賜物なのか・・・
森に入っていくと、雨がパラパラと降りだしました。
鹿島神宮では、水を大切に護られてきたのかもしれないですね。
水運を巧みに司る事で、たくさんの命を繋いでいける。
古代からこの地でも大規模治水事業など
国土開発に従事してきた人々により、時代を超えて
手厚く水神が信仰されてきたのかな・・・と思いを馳せます。

大鳥居に到着。
白無垢の花嫁さん・紋付袴の花婿さんの
結婚式が執り行われるようです。
今日は大安で、とっても日が良いようです♪
そして、しのぶさんからは、
タイミングよくLINEでメッセージが。
「今日は三つ葉の日でした」と。
旧暦2/22 下弦の月。
やっぱり雨龍・罔象女神(みづはのめのかみ)の歓迎だったか~。
組紐にも宿っているんでしょうね。 \( 'ω')/
雨の日に白無垢は大変だろうなぁ~と思いつつ
龍神さんたちにも祝福されたおふたりの結婚を祝福しつつ
私たちは鹿島神宮の大鳥居をくぐりました。

・・・というわけで、ちょっと予想はしていましたが
雨降らしの龍さんとともに進んでいく旅となってしまったので
以降の写真は、みんなダークグレーのレイヤーを
被せたみたいなビミョーなカラーになっています。
インスタとか、やってるわけじゃないんですけど、
ここぞとばかりにフォトジェニックな写真を
ちょこっと期待していただけに・・・非常に残念ですぅ。
(´;ω;`)ウゥゥ
たびたび来れる場所じゃないし。
ちょっとは晴れてくれても良いんじゃない?
期待しすぎたのかな。
天にお願いしても通じないのは
日頃の行いを改めなきゃいけないのかもね。。。

鹿島神宮の主祭神は、
タケミカヅチ(武甕槌/建御雷)。
古事記では・・・
イザナギ(伊弉諾尊)がカグツチ(軻遇突智)の首を切り落とし、
剣についた血が岩に飛び散って生まれた3神のうちの1神。
日本書紀では・・・
ここでタケミカヅチ祖の
甕速日神(みかはやひのかみ)が生まれたとする。
また、天孫降臨に先立つ葦原中国平定においては、
アメノトリフネ(天鳥船神:古事記)
またはフツヌシ(経津主神:日本書紀)とともに活躍した。
神武東征に際してタケミカヅチはイワレビコ(神武天皇)に神剣(フツノミタマ)を授けた。
ただし『古事記』・『日本書紀』には鹿島神宮に関する言及はないため、
タケミカヅチと鹿島との関係は明らかでない。
『常陸国風土記』では・・・
鹿島神宮の祭神を「
香島の天の大神(かしまのあめのおおかみ)」と記し、
この神は天孫の統治以前に天から下ったとし、記紀の説話に似た伝承を記す。
しかしながら、風土記にもこの神がタケミカヅチであるとの言及はない。

鹿島神宮の本殿は東向き。
出雲大社の本殿は西向き。
『常陸國風土記』と『出雲國風土記』を読み解くと
共通するものが見えてくる気がします。
なかなか深いところに
入っていけないままですが・・・
大甕神社に参拝してからは、
その思いはますます強くなりました。
「ミカ = 甕」その伝承と神名を思うとき
鹿島と出雲の国譲り神話も
変わってしまうような気がするのです。
去年今頃は九州縦断をしていて
志賀島とか、香春とかで見てきたことを
ちょっと思い出したりもしていました。

鹿島神宮の森。
思ってたよりも広いです。\( 'ω')/

わぁ~ °˖◝(⁰▿⁰)◜˖°

天然記念物である鹿島神宮の森。
極相林(森が到達する極限の状態)である鹿島の森の香気は
和らぎと明日への活力を与えてくれると書かれています。

和らぎは、
新元号「令和」の意味を象徴されています。
生きることに、いちばん大切。

仮殿(国の重要文化財)

鹿園。

ほとんどじっとしていて、動かない鹿さんたち。

思わず私も眼を細めてしまう~。

奥参道の森は心地よく、
何時間でもここに居たい、、、という気持ちになってきます。
都内の明治神宮の森も好きだけれど
ここの極相林は、時間をかけて育まれた命の森。
ただ、有難い・・・という気持ちになりました。

鹿さんの角のような枝が拡がる木々。

こちらも鹿さんの後ろ姿のように見えました。

境内社の熱田社(あつたのやしろ)
祭神:素戔嗚命・稲田姫命

奥宮
祭神:
武甕槌大神荒魂
北面して鎮座する境内摂社です。
『吾妻鏡』では仁治2年(1241年)の火災で
「不開御殿奥御殿等は焼かず」という記録があるそうです。
現在の社殿は、江戸時代初期の慶長10年(1605年)徳川家康により
関ヶ原戦勝時の御礼として建てられた本宮の旧本殿。
元和5年(1619年)の造替により現在地に移され奥宮本殿とされた。


ちゃんと仕事しないといけなくなった気がします・・・


御手洗池に来ました。

鏡のような池ですね。

ここにきて詳しく知ってしまった
『鹿島七不思議』です。
・要石 (←今までコレしか知らなかった!)
・御手洗池の水深
・末無川 - 境外の高天原で湧出した水の行方が辿れなくなる。
・境内三笠山の藤の花 - 藤の多く咲く年は豊作、少ない年は凶作。
・鹿島灘の海鳴 - 波音が北方に聞こえる時は晴れ、南に響く時は雨。
・根上りの松 - 神宮の松は幾度伐っても芽が出て枯れない。
・松の箸 - 神宮の松で作った箸からは脂が出ない。自然が教えてくれる不思議7種ですね。

さざれ石がカッコイイかたちです。
君が代は32文字、ということを聞きました。
祓いの歌でもあるそうです。
ここで一緒になったガイドのおじさんのお話も聴きました。
コノハナサクヤヒメと、イワナガヒメのエピソードから
君が代は生まれたという解説でした。

ほんとにこの姿勢を崩さない鹿さんたちでした。

樹齢約600年の、
大鳥居になった御用材。
その切株です。
ダイナミックです。\( 'ω')/

大黒社(だいこくのやしろ)
祭神:大国主命

大黒社のすぐそばに桜が咲いていました。

要石のところにも行きました。

囲われているんですね

こちらが要石。
真ん中が凹んでいるとこが面白いです。
高校生くらいの体育会系男子グループと
ここで合流するかたちとなり
ひとつの石を一緒に眺めて見ていました。
みんな部活でサッカーとかやってて
試合の必勝祈願だったのかなと思います。
彼らの世代が、要となって活躍する時代。
私たちはどんなふうに支えていったら良いのだろう。
和らぎをもって、ともに歩いて行けたら良いですね。

お昼時となり、
参道のお店でお蕎麦を頂きました。
美味しかったです♪
いつかまた、晴れの日に
参拝することが出来たらいいなあ。\( 'ω')/
テーマ:心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル:心と身体
- 2019/04/05(金) 18:06:12|
- 神社仏閣めぐり(茨城)
-
-

3/25の最後の参拝です。
とうとう日没を迎えてしまいました。
駆け足で、
大洗磯前神社(おおあらいいそさきじんじゃ)へ。

茨城県大洗町にある神社です。
ひたちなか市にある酒列磯前神社と兄弟関係です。
水戸藩主の徳川光圀・綱條により再興され、
本殿・拝殿・随神門が茨城県・大洗町の文化財に指定されているそうです。

主祭神
大己貴命 (おおなむちのみこと)大国主命の別名。
国造りを行うため、境内前方の岬の岩礁に降臨したとされる。
配祀神
少彦名命 (すくなひこなのみこと)酒列磯前神社の祭神。
大己貴命とともに国造りを行なったとされる。
大黒さん&恵比寿さんコンビです。
出雲の国土開発神のコンビ。

ここに来て、どうしても沖縄~出雲と同じ匂いが感じられてならないです。
クリスタルと波のイメージ。
琉球イリキヤアマリ伝説も重なります。

大己貴命は兎を助けるんだよね。

波乗り兎ならぬ、波乗り亥でした。

本殿は一間社流造で茅葺。
趣があり印象的でした。

本殿の横・・・
ここはいったい、どんな建物の跡だったんだろう?

『ガールズ&パンツァー』
(ガールズ アンド パンツァー・GIRLS und PANZER)
略して「ガルパン」
戦車同士の模擬戦が伝統的な女性向けの武道として競技化され、
戦車道と呼ばれて華道や茶道と並ぶ大和撫子の嗜みとして認知されている世界を舞台に、
戦車戦の全国大会で優勝を目指す女子高生たちの奮闘を描くオリジナルアニメ・・・だそうです。
し、知らなかった~。
ん~ 嫌いぢゃないよ~。 \( 'ω')/
こんど見てみよう。
武道は鹿島神道流なのかな?
茶道は乙女のたしなみ・・・
河野先生のお顔が浮かびました。
大和撫子の鏡のような方だと思っています。
強靭な物体・戦車がユルユルに見えてしまうという不思議。
時代は変わりつつあります。
3/25の出来事を綴っていますが
今日はすでに日付が4/1となりました。
新元号が発表されました。
「令和」時代のはじまりです。
「令和」の出典は、現存する日本最古の歌集『万葉集』の
「梅花(うめのはな)の歌」三十二首の序文、、ということですが
「レイワ」は、チベット語で「希望」の意味があるという。。。
人類みんなが「希望」を抱いて生きられる時代に。
そうして生きて行こう。

いろんな場所に、いろんな聖地が出来るね。
楽しい♪ ヾ(o´∀`o)ノワァーィ♪
私は堅苦しいことは苦手なので
適当にゆるく、でも真面目に
これからも自分らしく何ができるか
探しつつ楽しみながら生きてゆきたいですね~。

日の出はこんな感じなのね。

・・・と、視線を階下に移すと、
もう日が沈んでいました。

ずーっと、日の沈む西の出雲から、日の出をずっと見てきました。
いまは真っ先に日の昇る東の大洗から、日没後の
闇に包まれようとしている海を見つめています・・・
逆の景色も見てみたい。
まったくあべこべですね。
それもまた、私らしい人生の1ページなのかもしれないです。
テーマ:心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル:心と身体
- 2019/04/01(月) 23:42:02|
- 神社仏閣めぐり(茨城)
-
-

3/25 茨城の旅のつづきです。
埼玉の佐藤さん&西原さんとご一緒に
茨城県ひたちなか市の
酒列磯前神社(さかつらいそさきじんじゃ)へ向かいました。
日が暮れてきたので急ぎました。
黄昏時ですね♪ (/・ω・)/

主祭神
少彦名命(すくなひこなのみこと) 大名持命とともに国造りを行ったとされています。
配祀神
大名持命 (おおなもちのみこと) 大洗磯前神社からの分霊とされています。
ある夜、製塩業の者が海に光るものを見た。
次の日、海辺に二つの奇妙な石があった。両方とも一尺ほどだった。
さらに次の日には20あまりの小石が怪石の周りに侍坐するように出現した。
怪石は彩色が派手で、僧侶の姿をしていた。
神霊は人に依って「われは大奈母知(おおなもち)・少比古奈命(すくなひこなのみこと)である。
昔、この国を造り終えて、東の海に去ったが、今人々を救うために再び帰ってきた」と託宣した。
— 『日本文徳天皇実録』 斉衡3年12月戊戌条そして、大己貴命(大奈母知)が大洗に、
少彦名命(少比古奈命)が酒列に祀られ、
両社の創建となったと伝えられているそうです。
当社周辺海岸の岩石群は南に約45度に傾斜して並んでいるが、
その内の一部の北に傾いた部分、すなわち「逆列(さかつら)」の地名が社名の由来とされる。
のちに酒の神様を祀るところから「酒列」となったとされる。
wikiより
----------------------
約45度。
伸ばした先になにが存在するのか。
亀さんは知っているようです。
叶結びもヒントのようですヨ。

ここ酒列磯前神社では、
少彦名命=七福神のえびす
大名持命=大黒天
と見なされているようです。
太平洋から茨城の港に辿り着いたのは
国土開発神たちが福をもたらせてくれた
宝船だったのでしょうか。
亀さんがその象徴のように見えます。
きっと甲羅にはトーラスを描く数霊を背負っているんです。
亀さんは縦に描いていく渦で
張り巡らされた注連縄は横軸らせんコイル。
順風満帆の航海を願うなら、
綺麗な螺旋を描くことが秘訣なのでしょう。
この写真を整理しているタイミングで
J-ARTさんからメールを頂きました。
プロジェクトフェニックスの
バルセロナ~モンセラート御神楽奉納は、
えべっさん航海ルートを巡る旅でした。
少彦名さん御一行は、
大船団の亀船に乗って来たんでしょうね。

水戸斉昭公腰かけの石
水戸藩2代藩主・徳川光圀~3代藩主・綱條により再興されたそうです。



大海原の表玄関かな。
見晴らしが良さそうです。

駆け足で、兄弟の大洗町にある大洗磯前神社へ向かいました。
大黒さん~!
大名持命さん~!
逢いに行くから待ってて~! \( 'ω')/
テーマ:心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル:心と身体
- 2019/03/31(日) 23:22:57|
- 神社仏閣めぐり(茨城)
-
-

3/25のことです。前記事の続きです。
佐藤さん&西原さんとともに
茨城県日立市の泉神社に参拝いたしました。
だいぶ日が暮れてきましたね。
泉神社http://izumi-jinja.sakura.ne.jp/注連縄がちょっと変わってる・・
どこかで同じタイプのを見たかな?
ちょっと印象に残りました。

御祭神は、
天速玉姫命(あまのはやたまひめのみこと)
天速玉姫命は、記紀には登場しない神。
『茨城県神社誌』によれば、
「天速玉姫命は天棚機姫命の女で、
天太玉命の后神、
天比理刀咩命とも云う」
フトタマは、アマテラスが岩戸から顔をのぞかせると、
アメノコヤネとともにその前に鏡を差し出した、とされる神。
やっぱり、泉は鏡ですね。
速玉=清泉

ここの龍も眼が金色。\( 'ω')/


椎や松から成る「泉ヶ森」です。
まるで鏡の池ですね。

湧泉は『常陸国風土記』に「密筑の里の大井」として記述されているそうです。

おのころ・おのころ・おのころ・・・と
国生み神話の、あのイメージですね。
泉はすり鉢のように池の中心に向かって急に深くなり、
大小20余の泉穴があるそうです。

大甕駅の北東約1 kmに、
こんなに綺麗な湧泉があるなんて・・・
ひっそりとした場所ですが、強く印象に残りました。


泉には、アメリカザリガニさんがお住まいでした。

おさかなさんは、見当たらなかったです。
日本のザリガニは見かけなくなってしまったね。
アメリカザリガニさんは
鮮やかな緋色で、水面に映えていたけれど
もしかして弁天さんの化身だったのかな。
テーマ:心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル:心と身体
- 2019/03/30(土) 09:01:27|
- 神社仏閣めぐり(茨城)
-
-

大甕神社へ向かう前にお昼ご飯を頂きました。
茨城県日立市にある国道245号の道の駅です。
東海村と大甕のあいだにある、
港に近い道の駅です。\( 'ω')/
道の駅 日立おさかなセンターhttps://hitachi-osakana-center.com/

とっても新鮮なしらす丼を頂きました。
おさかなが希少となっているそうです。
こちらのお店のしらす丼は
無くなり次第終了の限定食となっていました。
海の潮の流れが変わってきているのでしょう。
私たちが住む地表の世界では知り得ない、
海中世界では何が起こっているのかな・・・と気になります。
天候のことはいつも気にかかるのに、
地中や海中のことはよくわかりません。
おさかなさんの生態系を日々観察されている漁師さんにこそ
もっと話を聞く機会を設けるべきなんじゃないかな。
しらすいっぱいのお食事がとても有難く感じられます。
美味しく頂きました。
ごちそうさまでした。
テーマ:心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル:心と身体
- 2019/03/30(土) 08:49:24|
- 神社仏閣めぐり(茨城)
-
-

3/25(月)のことです。
茨城県日立市大みか町にある
大甕神社(おおみかじんじゃ)に参拝いたしました。
関東方面へお出かけするのは久しぶりです。
埼玉にお住まいの佐藤克紀さんと
西原眞理子さんとともに参拝いたしました。
小笠原礼法総師範である河野典子先生のもとで
学んでいらっしゃるおふたりです。

早朝4:44発の最寄りの阪神電車~新幹線に乗り、
つくばエクスプレスの三郷中央駅で9:30に待ち合わせ。
神戸から茨城は遠いかな・・・と思っていたけれど
途中で寄り道しながらも、早起きすれば
充分、あちこち観光することができるんですね。
楽しくて眠気も吹っ飛びました。
鳥居を潜ると、とても立派な社務所に驚かされました。
最後に宮司さんが中に招き入れてくださり
玉串捧げる正式っぽい(?)参拝をさせて頂けたことも驚きでした。
素敵な神計らいです♪\( 'ω')/

大甕神社は、皇紀元年(紀元前六六〇年)創祀。
御由緒によると・・・
此の地の住民、国土開発と国家安寧に尽力された神として、
大甕山上の古宮の地に祀り祭祀が行われておりました。
時は移り、江戸期元禄八年旧暦四月九日藩命により
甕星香々背男の磐座、宿魂石上に遷座されてより
三百年の星霜を経て今に至ります。
御祭神
主神:
武葉槌命(たけはつちのみこと)地主神:
地主神:甕星香々背男(みかぼしかがせお)

ピカチュウもいました~! ヾ(o´∀`o)ノ
眼が金色に光ってます。
甕星香々背男社です。
「宿魂石」に甕星香々背男の荒魂が鎮められているそうですが、
それをお参りする拝殿として建立されました。

『日本書紀』神代には、
下総国一宮である香取神宮の祭神経津主神と
常陸国一宮である鹿島神宮の祭神武甕槌神の二柱の神が
邪神をことごとく平定したが、
星の神の香香背男だけは従わなかった。
そこで倭文神建葉槌命が使わされ、
これを服従させたと記されているそうです。

水戸藩神名録には
大甕神社=「倭文神宮」とされています。
常陸の国風土記など、もっとちゃんと知りたくなります。

甕星香々背男の荒魂には、
五芒星の神額。

一緒に同行してくださっている
埼玉在住の佐藤さんと西原さんに
ここぞとばかりに、映画「翔んで埼玉」の話題を振っていたので
こ、これは・・・
あの鳥のシルエットの白石は・・・
埼玉の平和のシンボル「シラコバト」では? (; ・`д・´)
と思ったのは勘違いでした。
海なしランドパワーの平和の象徴ではなく
浜辺にはアオサギが飛んでいる・・・
そうです、ここはシーパワー全開の茨城県なのです。
大漁旗が舞い磯の香りがしてきそうな気配なのです。

甕星香々背男の荒魂は、
封じ込められていても、
平和的な存在だったはずです。

心地よい氣が立ち込めていて
歓迎してくださっているように感じられたから。

青い光がいっぱい。

周囲のどこにいても、
光の中に包まれています。

甕星香々背男は、出雲の国にも祀られていて
私の生まれ故郷は、まさに星神の聖地なのです。
まるで故郷にいるかのように思えました。
甕星香々背男と、出雲神
出雲神=蛇=カカ=輝
輝く星は金星
甕星香々背男は天津甕星(あまつみかぼし)
「出雲国風土記」に登場する、阿遅須枳高日子の祖父である
赤衾伊努意保須美彦佐倭気(あかぶすまいぬおおすみひこさわけ)の
妻神は、天甕津日女(あめのみかつひめ)。
天甕津日女もまた「甕」の名を持つ、輝く甕星=金星
シリウス→金星→地球に来た女神 ☆彡
・・・でしょう ☆彡

出雲の氏神・天甕津日女(みかつひめ)と
六甲・西宮の向津姫(むかつひめ)とは響きが似てます。
どうしても繋がりがあるように思えてなりません。
直感だけれど、説明できない出来事が多すぎるのです。
これからわかるのでしょうか。
甕星さんに祈ろう。。。
大甕神社から眺める朝日はどれほど清々しいんだろう。

茨城は日が昇っていく東の地。
出雲は日が沈んでいく西の地。
私は沈みゆく陽光を、朝日の地で見送っている。
いつかここで朝日が拝めたらいいな。
私たちの生命活動は、陽光を浴びて
肉体のチャクラも背を伝い躍動し、
夕日が沈むようにまた鎮まってゆく・・・
その波をを繰り返し、繰り返し、生きています。
滞りなく、澱みなく、生きられるように
自然とともに祈ってきたことでしょう。
太陽と月と星と・・・ここにいると
星々がめぐる空ばかり気になっていました。

磐座の山の上に、
武葉槌命をお祀りされています。
現在の本殿は昭和8年に建て替えられたそうです。



西原さんの献茶と
佐藤さんがお供えしてくださった宮水の郷です。
宮水は六甲の伏流水が発祥です。
くわしくはこちらをどうぞ。↓
宮水=西宮の水 ~宮水発祥の地~
神様にお供えしたあとは、皆でお茶を頂き
お酒も何事もなかったかのように持ち帰りました。
ありがとうございました。 ☆彡





石神伝説は奥深いです。
地上の磐座を結んでいくことは
天界に輝く星結びで
おおきな和合の一歩だと感じています。
テーマ:心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル:心と身体
- 2019/03/30(土) 01:39:23|
- 神社仏閣めぐり(茨城)
-
-