瑠璃の星☆彡

写真・イラスト・旅日記

多神社(おおじんじゃ)

多神社1

関西ホツマのメンバーさんたちと行く「ニギハヤヒさんをめぐる旅 part.5」

今回の旅は、朝から晴天に恵まれて、サクサクと歩きたい場所を歩き
全行程を難なくこなす事が出来た、とても充実した旅でした。

だいたい、私が余計なチャチャを入れつつ、寄り道しながら歩いていきます。
いちいち気になるものが出現して、真っ直ぐに歩けない・・・
そのためいつも遅れ気味になってしまい、申し別けないな・・・と気にかけつつ。

今回はとっても、良かった~よかった~と、思えた旅でしたぁ。

皆さんも、そう思ってくださっているはず。です。たぶん。


最後に訪れたのは
多坐弥志理都比古神社(おおにますみしりつひこじんじゃ)です。
多神社(おおじんじゃ)とも呼ばれている神社です。

多神社2

所在地は、奈良県磯城郡田原本町大字多字宮ノ内569

多神社3

多神社(おおじんじゃ)=多社、多坐神社、太社、意富社

・・・とも書かれるようです。

多神社4

多神社5

いい青空です。 爽やか♪

これまでの鏡作神社とは、明らかに違う。
小杜神社の森に包まれた空気ともちょっと違う。

秘められた場所から、オープンな場所へ躍り出たという感じです。

多神社6

御祭神

第一社 神倭磐余彦尊(神武天皇:神八井耳命の父)
第二社 神八井耳命
第三社 神沼河耳命(綏靖天皇:神八井耳命の弟)
第四社 姫御神(玉依姫命:神八井耳命の祖母)


このほかに、『古事記』を編纂した太安万侶も祀られています。
当地は多氏の拠点であり、多氏の祖神である神八井耳命を祀ったものとみられる。

『延喜式神名帳』には「大和国十市郡 多坐彌志理都比古神社二座」と記されている。

久安5年(1149年)に当社禰宜多朝臣常麻呂が国司に提出した『多神宮注進状』では以下の2座とし、
また、社名より水火知男女神(みひしりひこひめのかみ)が『延喜式神名帳』の2座であるとも書かれている。

珍子 賢津日霊神尊(うつのみこ さかつひこのみこと) 皇像瓊玉坐 河内国高安郡春日部坐宇豆御子之社と同神
天祖 賢津日孁神尊(あまつおや さかつひめのみこと) 神物圓鏡坐 春日部坐天照大神之社と同神


元文2年(1737年)の『多大明神社記』では現在の四座になっているが、
明治時代の『神社明細帳』では本殿の第一社・第四社は摂社の扱いとなっており、
主祭神は神八井耳命・神沼河耳命の二座としている。

社名の通りであれば弥志理都比古(みしりつひこ)を祀る神社ということになるが、
これは神八井耳命のこととされる。神武天皇の長子でありながら弟に皇位を譲ったので、
「身を退いた」という意味で「ミシリツヒコ」とも呼ばれる。

古くは春日宮と称し、現在の社領地は約1万m²余を有するが、
『大和志料』によると、天文21年(1552年)、当地の領主・十市遠勝より
周囲6町四方の土地(約42万m²)を寄進されたとあり、四方に鳥居があったという。

(wikiより引用)

多神社7

こちらの多神社は、訪れる前から、ホツマのメンバーさんの中では
「なぜかとても引き付けられて気になる・・・」といったフィーリングがあったようです。

きっと、奥深くからの魂のひびきが
今日は皆で参拝しようと、向かわせたのだと思います。

そんなことを聞いているうちに
私の中には、その中のメンバーに加えていただけることになって
とてもありがたいな~♪という気持ちが湧き上がっていきました。

本当にうれしいです。

この気持ちを、この旅の最後の記事に記しておけることも、とても幸せです。

多神社8

まろちゃんがふたりいる・・・

狛犬さんのように、並んでいて
ちょっとほほえましいな~と思いました。

私はどこであっても
こういうノリがやっぱり好きなんだなぁ~と実感しました。

多神社9

手を合わせて、多氏のこれまでの御功績を称えていたら・・・

中で笛の練習をしていたグループの音に呼ばれていたのか、
フワフワと漂う、たくさんの玉響が、音にあわせて踊っているかのようにみえました。

多神社10

御神霊さんが、扉の向こうから、コンニチワ~~。

多神社11

なんだかどんどん、神社仏閣の御神霊さんたちと
宇宙的な対話になってきていますね。

こんなふうに
ちゃんと顕現されていくのだもの。。。

私は、素直な心で応えていくだけ。
一緒に歩いて行くだけ。

それだけで、とってもたのしいな~と感じます。

多神社12

記紀神話には、「神八井耳命は皇位を弟に譲り、自らは神祇を祭る」とあり、
それが当社の始まりであるとしている。

綏靖天皇2年(紀元前580年)、神八井耳命は春日県(後の十市県)に邸宅を造り、
そこに神籬磐境を立てて自ら神祇を司り、春日県主の遠祖・大日諸神を祭祀者として奉祀せしめた。

崇神天皇7年(紀元前91年)、その神祠を改造し、天津日瓊玉命・天璽鏡劔神を祈賽したと伝える。

『正倉院文書』の天平2年(730年)大和国正税帳に
「太神戸稲壱萬伍伯伍拾弐束伍把 租壱伯参拾捌束肆把 合壱萬陸伯玖拾束玖把」と記され、
太(多)神社の神戸が有する稲は、田租用の138束4把と合わせて1万690束9把という、
他社と比べて大きな経済力を持っていた。

『延喜式神名帳』では「大和国十市郡 多坐彌志理都比古神社二座」と記され、
名神大社に列し、月次・相嘗・新嘗の幣帛に預ると記されている。
永治元年(1141年)の『多神宮注進状草案』では神階正一位となっており、
「正一位勲一等多大明神」の扁額が一ノ鳥居に掲げられていた。

明治時代に多村の郷社に列格し、大正12年(1923年)に県社に昇格した。

多神社13

多神社14

多神社15

多神社16

多神社17

多神社18

多神社19

太陽のように輝くコスモス。
周辺の畑にたくさん咲いていて、とても綺麗でした。

多神社20

稲穂も、実ってきています。

もうすぐ実りの秋。

種まき~成長~実りを迎えて、収穫し、きちんと刈り取って、味わう秋。

これからどけだけ充実した秋を迎えることが出来るでしょうか。

魂のみぞ知る、ですね。

ちゃんと見えてくるまで、しっかりと歩き続けたいです。

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  1. 2015/09/13(日) 00:56:43|
  2. ニギハヤヒの軌跡旅

小杜神社(こもりじんじゃ)

子杜神社7

さて、「ニギハヤヒさんをめぐる旅 part.5」もクライマックスに近づきました。

今回は、奈良の石見~田原本町の「山之辺の道」を中心に歩いて
「三種の神器」の鏡にまつわる鏡作神社をたくさんまわっていきましたが、

実際にまわってみて、やはりどうしても、
物部氏を中心とした、縄文と渡来文化の融合
その中の鋼鉄加工技術などを外しては、
ニギハヤヒさんを中心に語っていくことはできないんだな・・・と、思い知らされていってます。

本当に、終わりが見えません。

でも、知ることや、ひとつひとつを見ていきながら
寄り道しながら歩いていくことは、とても面白いなと思っています。

子杜神社1

小杜神社(こもりじんじゃ)へやってきました。

所在地は、奈良県磯城郡田原本町多272 

子杜神社2

森の入り口に差し掛かると、
待ってましたとばかりに
大きなバッタさんが<足元に飛んできてくれました。

w(*・o・*)w

御祭神の化身のようにみえました。

歓迎してくださって、ありがとうございます。

子杜神社3

御祭神
太朝臣安萬呂(現在)
『多神社注進状』瓊玉戈神命


由緒
多坐弥志理都比古神社の摂社の扱いで、四皇子神の一。
樹森神社、木ノ下神社、小社神命神社とも言う。

(「神奈備へようこそ!」さんより引用)

子杜神社4

【延喜式神名帳】小社神命神社 大和国 十市郡鎮座

   【現社名】小杜神社
   【住所】奈良県磯城郡田原本町多272
       北緯34度32分2秒,東経135度47分14秒
   【祭神】太朝臣万呂
       『多神宮注進状草案』瓊玉戈神命
       『五郡神社神名帳大略注解」天児屋根命

   【例祭】3月12日
   【社格】旧村社
   【由緒】多神社の皇子神として祭られてきたが、沿革については不明

   【関係氏族】多氏
   【鎮座地】多神社との関連からこの地に鎮座していたと思われる

   【祭祀対象】多神社の皇子神
   【祭祀】江戸時代は「木ノ下神社」とも称していた
   【社殿】春日造
       
   【境内社】
多坐弥志理都比古神社摂社。多神社南200mに鎮座する。
昭和15年、皇紀2600年祭にあたり、県社に昇格し、本殿・境内の拡張が行なわれたが、
戦後はその継持が困難となり、社地は全く荒廃し、祭神は多神社に合祀されている。
但し、この処置は仮のものとして正式には登録されていない。
現在は本殿の西後方に小祠ありこれがもとの本殿である。


多遺跡

所在地:田原本町多
多遺跡とその摂社の小杜神社を中心に、現在の飛鳥川両岸に広がる遺跡です。
標高は約55mの沖積地で微高地上に位置します。
拠点集落と見られていますが、大和で遺跡や遺構・遺物が増える後期の時期に、
この遺跡では遺構・遺物がほとんど見つかっておらず、検討の余地があります。

遺跡の調査が始まったのはまだ新しく、昭和47年の多神社境内の調査からです。
以降、現在までに十数次の調査が行われています。
確認された遺構には、環濠、溝、方形周溝状遺構、土坑墓、壺棺、柵列状のピットなどです。
まだまだ、全体の様子は分かりませんが、多神社を含めた北側に遺跡の中心があるようです。

延喜式神社の調査さんより引用)

子杜神社5

多氏の祖先が祀られている場所・・・ということで
古事記の編纂者として名高い、太朝臣安萬呂さん縁の神社です。

子杜神社8

そして、ホツマのメンバーで訪れるからには、
多氏といえば、忘れてはならない大切な存在
オオタタネコさんが真っ先に浮かんできます。

オオタタネコさんは、ホツマツタヱの最終編纂者だから。

ここに訪れることができて良かった。。。

祖先との魂の対話を、またひとつ重ねていくような
これからも重ねていけるような
そんな暖かな心で向き合うことが出来たと思います。

きっと、一緒に訪れた皆さんも、なにか感じられたのではないでしょうか。

子杜神社6

ここは、オオタタネコさんの鎮守の森。

とても居心地の良い空間でした。
ただ、薮蚊がとても多かったけれど。。。

たくさん刺されて痒かったなぁ。。。

子杜神社9

ここに来て、はじめてちゃんと知ることが出来ました。

これまでの鏡作り神社での神剣クロス十字。
それがクッキリと形に表されていて、
ほんとうに鏡に対する剣だったんだなぁ・・・と答えあわせができて、感無量でした。

直感ってやっぱり大事なんですね。

子杜神社10

子杜神社11

子杜神社12

子杜神社13

子杜神社14

今回の旅の締めくくりに、
この後、多神社へと訪れました。

つづく。

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  1. 2015/09/13(日) 00:13:14|
  2. ニギハヤヒの軌跡旅

鏡作伊多神社(かがみつくりいたじんじゃ)(保津)

鏡作伊多神社(保津)1

ひとつ前の記事では、
鏡作伊多神社(かがみつくりいたじんじゃ)の(宮古)のほうへと参拝いたしました。

宮古の鏡作伊多神社と、ここ保津の鏡作伊多神社は、同名神社。
どちらも式内・鏡作伊多神社です。

環濠集落の中にあって、
周囲は迷路のようにぐるりとまわってたどり着ける場所にあります。

鏡作伊多神社(保津)2

所在地は、奈良県磯城郡田原本町保津150

鏡作伊多神社(保津)3

鏡作伊多神社(かがみつくりいた)

祭神
石凝姥命
摂社 宇間志麻遅神社「宇間志麻遅命」

由緒

大和国城下郡の式内社。
この地に居住した鏡の鋳造を業とした鏡作部の氏神である。
鏡作部は倭鍛冶の祖としての天津麻羅の物部氏に関係がある。
特に保津は穂積であり、物部氏の一族である。

カガミのカガは物部の伊香我色男や天香具山のカガ・カグと同様に
銅、もしくは溶けた銅が凝り固まるコリも同じである。

さて何故「伊多」であるのか、石凝姥命と伊多とはつながるのであるか。
鋳形の中で凝り固まった状態を「板」にみた社名との見解があるが、語呂合わせ的なコジツケに思える。

石見鏡作神社で述べたように、
石見地方にゆかりのある五十猛命と宇間志麻遅命の関係で、
金属鋳造に必要な木炭などの調達にからんだ
「木の神、植林の神」の五十猛命をも祀った故の「伊多」であろう。

石見の鏡作神社と保津の伊多神社を底辺とする直角三角形の頂点に
黒田の地域の孝霊天皇の宮の伝承を持つ<孝霊神社があった。
偶然の一致とは思われない、重要である云々と大和岩雄氏も述べておられる。

孝霊天皇は、鳥取県日野町近辺のタタラ師が祀った
楽々福神社(ササ=砂鉄、フク=タタラを吹く)の伝承にこの地で鬼退治を行ったとされる。
伯耆のタタラ師と鏡作の鍛冶とのつながりを示す説話である。

神奈備にようこそ! さんより引用)

鏡作伊多神社(保津)4

玄松子さんのサイトでは、
「伊多」というのは、一説には、鏡製造の過程で
金属を板状にすることによるとされているが、
他説では、湯立て・伊達からの転訛・・・との考察をされています。

私も、伊多=板 とすぐに連想してしまいました。

真っ直ぐで綺麗な板にするのは技術がいるけれど
それがあってこそ、
丈夫な製品にするための紋様やカーブを刻んでいく後の加工も
美しく活きていくのだと思います。

宮古と保津の「伊多」神社は、そのハズせない大事な行程を司る、
ふたつの重要な神社だったのかも。。。

鏡作伊多神社(保津)5

イチイガシの大きな木。
この神社の中心にある女神のような木です。

鏡作伊多神社(保津)6

セミの抜け殻がたくさん付いていました。
たくさんの命が、生まれては旅立っていきます。

イチイガシの大きな木は、この夏も
たくさんのドラマチックな生命の誕生を見守ってきたのかもしれません。

鏡作伊多神社(保津)7

すぐそばには、三本のキノコが。。。

鏡作伊多神社(保津)8

狛犬さんたちの表情が、とっても可愛かったです。

鏡作伊多神社(保津)9

鏡作伊多神社(保津)10

鏡作伊多神社(保津)11

今回は、たくさんの鏡作神社をめぐっていきました。

そしてこれから
太安万侶さん、オオタタネコさんの縁の神社へ行ってきます。

つづく。

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  1. 2015/09/12(土) 23:27:40|
  2. ニギハヤヒの軌跡旅

鏡作伊多神社(かがみつくりいたじんじゃ)(宮古)

鏡作伊多神社(宮古)1

次に訪れたのは、鏡作伊多神社(かがみつくりいたじんじゃ)です。

写真は、すぐそばにある宮古池です。

鏡作神社最大の鏡池?
・・・いえ、私が勝手にそう思っているだけですよ。。。

神社のすぐそばにある池で、
この風景が目に焼きついてしまっています。

こんもりと緑の樹木が生い茂っているところが、
きっと、鏡作伊多神社に違いない・・・
そう思って、サクサク進んでいきました。

鏡作伊多神社(宮古)2

池の水気に育まれてきた樹木たちは
やはり生き生きとしていて、他の場所より元気な感じです。

鏡作伊多神社(宮古)3



鏡作伊多神社(宮古)5

所在地は、奈良県磯城郡田原本町大字宮古字補屋60

鏡作伊多神社(宮古)4

祭神
石凝姥命

摂社 春日神社「天兒屋根命」

由緒

大和国城下郡の式内社。
鏡の鋳造を業としたこの地に居住した鏡作部の氏神である。
鏡作部は物部氏の一族である。

何故この地域で鏡が造られたのか。
原材料はどう調達したのかが問題である。
古代、大和平野の中央(国中)は湿地帯であった。
この地域も当然湿地帯であり、ところどころに微高地があった。
町の名前の田原本も低地の表す古語トオから来ているとされる。
もっともタタラからとの説もあるが。

真弓常忠氏の名著「古代の鉄と神々」によれば、
湿地に繁茂する葦や薦の根元にスズがなると言う。
これを鍛造して鉄製道具を造ったと推定されている。
氏は銅鐸を埋めてスズの成るのを祈ったと推定される。
今も赤土の多い穴師や三輪山からの水流は当時には相当な鉄分を含んでいたであろう。
スズが良く取れたようである。
古代から倭鍛冶としてスズから鉄製品を取ってきた技能者集団が居たのであろう。
この集団はまた新たに伝わってきた砂鉄から
鉄を採取する韓鍛冶をも取り入れたようであり長く栄えたと伝わる。
物部氏が配下におさめたのであろう。

保津の鏡作伊多神社のサイトで紹介したのだが、
この宮古の伊多神社かた八尾の鏡作天照御魂神社と
小坂の麻気神社とは一直線上に位置するとの事であるが、
互いに関係があるのだろうが、意味はする所は解らない。
鎮座地の字は補屋である。
ホヤはオホヤで大屋、大屋毘古命は伊太祁曽神であり、
伊多の名がここから来たと想定できる。

-------------

神奈備にようこそ!さんより引用
http://kamnavi.jp/index.htm

鏡作伊多神社(宮古)6

お稲荷さんです。

鏡作伊多神社(宮古)7

住吉の神様も祀られていました。

鏡作伊多神社(宮古)8

鏡作伊多神社(宮古)9

本殿が西向きになっていて珍しいね・・・と西原さんが仰っていました。

そういわれてみれば、そうかもしれない、と思いながら聞いていました。

これまで参拝してきた鏡作神社の中では
ちょっと地味な印象の神社です。

鏡作伊多神社(宮古)10

鏡作伊多神社(宮古)11

鏡作りを象徴するような、なにかは見つかりませんでしたが
屋根に聳えるクロスの神剣が、ここが一番カッコ良くみえました。

鏡作伊多神社(宮古)12

w(*・o・*)w オォォ 
カッコ良いですね♪

神域は狭いのに、
それに似つかわしくない大きさの
遥拝所を示す石柱が建っていました。

遥拝所。その先はどんな場所?
どんな存在を拝むの?

・・・ということで、
宮古池の向こう側にはなにがあるのか?
その位置関係が皆、気になっていました。

もしかしたら、ここの御祭神が、春日神社の「天兒屋根命」さんだから、
春日の神様がそこにいらっしゃるのでしょうか?

池の向こうには、龍王山があります。

鏡作伊多神社(宮古)13

戦没者の慰霊塔も建ってました。

鏡作伊多神社(宮古)14

だから光が強かったのだなぁ・・・

ここにも手を合わせてきました。


さて。

向かい合わせにある、
もうひとつの鏡作伊多神社(保津)へも向かいます。


つづく。


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  1. 2015/09/12(土) 22:55:42|
  2. ニギハヤヒの軌跡旅

鏡作麻氣神社(かがみつくりまけじんじゃ)

鏡作麻気神社1

9/11(金) 関西ホツマのメンバーさんたちと、「ニギハヤヒを巡る旅 part.5」へ行ってきました。

鏡作神社(かがみつくりじんじゃ)(石見)
鏡作坐天照御魂神社(かがみつくりにますあまてるみたまじんじゃ)

・・・に、つづいて
三箇所めの鏡作神社へ参拝いたしました。

今回は、鏡作麻氣神社(かがみつくりまけじんじゃ)です。

鏡作麻気神社2

鏡作麻氣神社(かがみつくりまけじんじゃ)

所在地は、磯城郡田原本町小阪244
鏡作坐天照御魂神社からは、北東へ300mの位置です。


祭神
天糠戸命(天目一箇命の説もある。)
摂社 白山社、的場社

由緒

鏡作部の氏神である。
祭神につては天糠戸命説と天麻比止都命説があり、
社記は天目一箇命と天津麻羅を同一神と見て、天麻比止都命を採っている。

鍛冶を職業とする部を配下に持つのは古代氏族の多くがそうであったが、
この地域は物部氏の支配が及んでいた所であり、
また物部氏の一族に鏡作部がある事から天目一箇命とは思えない。

鏡作部の祖神は天糠戸命であり、
その子として石凝姥命が系譜つけられているが、
この神は鏡の製作の守護神の性格がある。

さて天津麻羅のマラへの解釈であるが、マレビトであり客人で、
婦人のためのマレビトとしての男根に通じる。
後に皇族のマロに使用された。
ほかにマラを真裸とも理解できる。

タタラを吹く作業や鍛造の作業はまさに焦熱地獄の中での作業である。
男達はおそらく真裸になっての作業を繰り返したものと思われる。

またこの姿は女神である石凝姥命の守護を多く得られるとの信心もあった。
マラでマラを出していたのであろう。同じ語源である。

倭鍛冶は5世紀始めに新羅から持ち込まれた技術とされ、
5世紀後半には韓鍛冶の技術が百済より渡来した。
この地の鏡作部はこれを学び、長くこの地で栄えたと言う。

播磨国風土記に「昔、但馬国の人伊頭志君麻良比、此の山に家居しき」とある。
出石である。天日矛の終焉の地である。矛もまた男根の異称である。 

式内の麻気神社は、越前丹生郡、足羽郡に麻気神社、近江高島郡に麻希神社、
丹波船井郡に麻気神社、隠岐知夫郡に真気命神社があり、
多くは隣接して製鉄遺跡、金属精錬の伝承がある。
*1 この配置は兵主神社や天日槍命に重なっているように思えます。

神奈備にようこそ!さんより引用)

鏡作麻気神社3

ここにも鏡の池がありました。

鏡作麻気神社4

ここは手水舎の水がとても綺麗です。
鏡っぽい水面の一枚が撮影できて、それだけでも満足です。

鏡作麻気神社5

拝殿です。

鏡作麻気神社6

ちらりと覗くと、金龍の絵画が奉納されていました。

この金龍さんは、金毘羅さんかな?

本殿は、三輪山の神=金比羅さんとは、
向き合う方向に設置されているようです。

鏡作麻気神社7

鏡作麻気神社8

延喜式内社 旧 城下郡 小阪 鏡作麻気神社

祭神 麻比止都称命

祭神麻比止都称命 は、
日本書紀に「作金者」と記される「天目一箇神」であり、鍛冶に関わる神とされる。

この事は、弥生時代、唐古・鍵遺跡で、銅鐸など、金属鋳造技術集団が、
古墳時代になり鏡作部に継承され、この鏡作郷の地で、金属鋳造が行われてきたのであろう。

現在、大阪府の東大阪を中心とした小阪・今里・八尾で金属加工業界が多いが、
この金属加工の人々の先祖は、大和の田原本付近だと伝えられ、
田原本町にこれら小阪・今里・八尾の地名が共通することと関係するかもしれない。

鏡作麻気神社の建築について

元「子安大明神」であったが、神仏分離後の明治2年 (1869)社名を変更したと伝えられる。
1間社 隅木入り春日造り 銅板葺,千木・勝男付の社である。
基壇上に建ち、土台を廻し、身舎丸柱、柱上部粽付、大斗、三ッ斗組、向背、柱方柱面取り、
柱天端大斗、連三ッ斗組、虹梁、象鼻、中備蟇股、身舎とは海老虹梁で繋ぐ。
軒廻り1軒垂木、三方に縁を設け、背面に脇障子、跳高欄、昇高欄、宝珠柱付、木階9級、
正面中央には、格子戸両開きの建具を用い、他面は板壁である。
拝殿奥の一段高い所に建築されているが、隅木入り社殿は珍しく、
全体に成りの高い社殿で、明治頃の建設かも知れない。

文 田原本町文化財
  保護審議委員会
  会長 林 清三郎

------------

金工は片目を閉じて一つ目で面や曲や直を調べる=天目一箇神
倭鍛冶等の租神=天目一箇神(麻比止都称命)


・・・と、解説されているサイトもあります。

職人さんの仕事ぶりや、その仕草などが由来で
神名が生まれていくなんて、目からウロコです。

私もなにかを描いている時に、
精神集中しつつ、片目で見つめながら
アートボードにイノチを吹き込んでいることがあります。

なるほど~と思いました。

鏡作麻気神社9

ここは、十一面観音さんの巡礼地でもあるようです。

鏡作神社の鏡には、
様々な表情を映し出す鏡であるように・・・との願いが込められていたのでしょうか。

鏡と観音様と、どう結びつけて拝んでこられたのか?
いろいろと想像を掻き立てられます。

鏡作麻気神社10

ここにも、灯篭が。
鏡作神社に共通した形の格子・・・

8ぼうせい

八芒星の鏡形だと想っていたけれど、違っています・・・!

これは、パッチリと啓いた、瞳の形です。

こちらの神社の由緒を知ってから、
片目を閉じた天目一箇神の、
もう一方の啓いた瞳の形じゃないかなぁ~?! と気がつきました。

どう思いますか?
私には、そうとしか思えません。

鏡作麻気神社11

やはり、金毘羅さんの石碑もありました。

鏡作麻気神社12

御神木の窪みにも、昨日のにわか雨の水が溜まっています。
こちらも鏡のように見えますね。

樹木に包まれた雨水は
土の上とは違ったなにかを生み出せる力を持っていそうな感じ。
なんとなくですけれど、そう思います。

鏡作麻気神社13

的場神社と白山社。

鏡作麻気神社14

本殿と向き合うように配されています。

本殿とは陰陽の関係を成しているのかな。

写真を見ていると
ここだけ違う空間のように見えますよね。

鏡作麻気神社15

鏡作麻気神社16

「山之辺の道」は、見所がいっぱいです。

鏡作麻気神社17

川沿いの遊歩道をまっすぐに歩いて巡礼していきましたが
とても心地の良い場所が続いていきました。

鏡作麻気神社18

鏡作麻気神社19

鏡作麻気神社20

素朴な感じの「みはる食堂」さん。

ここでお昼ごはんを頂きました。

昭和の匂いが漂う、外国のバッグパッカーさんたちが
いかにも好んで立ち寄りそうなお店だね~、なんていいつつ、
丼物を頂きました。

鏡作麻気神社21

後で気がついたのですが、虹色の玉響が窓辺に出現していました。 w(*・o・*)w
ここにも神様仏様が・・・?

そうそう、そういえば、この玉響が映っている先の座敷には、
懐かしのブラウン管テレビや、ナショナルのエアコンが稼動している上に
大きなえべっさんの笊と笹飾り、伊勢神宮の御札などが掲げられていました。

お店は御神霊や仏様の寄りどころになっているのかもね~。

鏡作麻気神社22

卵とじになっている天丼です。
たくさん歩いた後で頂くお昼ごはん。

満足度Maxでした。
ご馳走様でした。

鏡作麻気神社23

川沿いをひたすら歩きました。

いい眺めです。


つづく。

テーマ:心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル:心と身体

  1. 2015/09/12(土) 22:01:52|
  2. ニギハヤヒの軌跡旅

鏡作坐天照御魂神社(かがみつくりにますあまてるみたまじんじゃ)

鏡作坐天照御魂神社1

奈良県磯城郡三宅町石見にある、鏡作神社(かがみつくりじんじゃ)からスタートした
関西ホツマの皆さんと行く、「ニギハヤヒをめぐる旅 part.5」です。

次に訪れたのは、鏡作坐天照御魂神社(かがみつくりにますあまてるみたまじんじゃ)です。

所在地は、磯城郡田原本町八尾816
最寄りは近鉄奈良線田原本駅です。

鏡作坐天照御魂神社2

鏡作坐天照御魂神社(かがみつくりにますあまてるみたまじんじゃ)

祭神
神社の説明では
中央 天照国照日子火明命(旧事本紀では天照国照彦火明櫛玉饒速日命とする)
右  鏡作伊多神・石凝姥命
左  鏡作麻気神・大糠戸命(石凝姥命の父命)
摂社 鏡作坐若宮神社「天八百日命」

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由緒
この地に居住した鏡の鋳造を業とした鏡作部の氏神である。
記紀によると、崇神6年、
皇居内の天照大御神を畏れ多いとして笠縫の地に遷座せしめたとある。
八咫鏡を皇居から出したと言う事である。
その代わりの神鏡を鋳造した際の試鋳の像鏡を御祭神とした。

本物は現在の皇居の内待所に祀られているのであろう。
この神社の御神体は確かに三角縁神獣鏡であるが、
これは土が付いており、古墳から掘り出されたものと思われる。
同笵鏡が愛知県犬山市白山平の愛知県最古の東の山古墳から出土しており、
この地は、天照国照彦火明櫛玉饒速日尊の12世建稲種命の子尻綱根命を祖とする
尾張氏の系譜につながる丹羽県主の支配地である。

よく似た話であるが、和歌山市の日前国懸神宮も
天岩戸の前で使った鏡の前に作った鏡を御祭神としていると伝えられている。
「磯城郡誌」等からの推測すれば、この試作鏡は
紀の国の日前国縣神宮に持って行かれたとも理解できる。

中央の祭神は天照御魂神であり、天照国照日子火明命とされる。
尾張氏の遠祖である。

さらに右座の石凝姥命は伊多神と言われる。
穴師神社の御神体にもこの神社の鏡を祀った伝承があり、
金属生産にからむ古代のせめぎ合いがうかがわれる。

隣接する唐古・鍵遺跡からは石製の銅鐸鋳型の破片やフイゴなどが出土している。
銅鐸作成の技術者が住んでいたが、これらの技術者は
銅鐸の需要がなくなって後には銅鏡の製作に従事したものと思われる。
大和への外部勢力の侵入の物語は神武、崇神、応神天皇などが代表的であるが、
銅鐸から銅鏡へ、また倭鍛冶から韓鍛冶への技術や製品の推移に対応して行っている。

唐古遺跡からは、河内、吉備、北摂、近江、伊勢湾などの土器が出土している。
弥生時代から連綿と途切れる事がない遺物が出ている。
政治的思惑よりは技術の伝承を優先した古来からの日本人的技術者のありようを彷彿とさせる。

神奈備にようこそ! さんより引用
http://kamnavi.jp/mn/nara/kagami.htm
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鏡作坐天照御魂神社3

由緒の中に、

立春の前の日の節分に三輪山頂上から朝日が出、
立春と立冬の夕日は二上山の鞍部に落ちるとの事で、
立春と立冬の観測地であったと推測されている。


・・・とありました。

三輪山を中心に、鏡作神社も規則正しく配されているようです。

鏡作坐天照御魂神社4

鏡の役割とは、なんでしょう。

・身だしなみを整える
・表情を映したり
・メイクをなおしたりする

・誰もが持っている私たちの鏡の役割は、
日常的に使う必須アイテムでありながら、
見てくれや上辺を写し見るためだけの道具でしかない
、、、と、多くの人が思っているでしょう。

でも、本当はそれだけではなくて

顔相から、心身や精神バランスまで
そこに映る人の見えないサインを
細部まで読み取る能力に長けた、セラピストさんのように

縄文人にとっての鏡というのは、
人の心模様を、精妙に読み取るためのアイテムとして
存在していたのだと思います。

田原本町には、たくさんの鏡作神社が存在していて
ここ鏡作坐天照御魂神社(かがみつくりにますあまてるみたまじんじゃ)には
周辺集落の鏡作神社の神様が習合されています。

とても大きな神社で、
現代でも、硝子製品加工会社からの寄進も厚いです。

心を映す

物質文明に恵まれ、そこに浸りきって生きてきた私たちの心は、
縄文人の鏡には、いったい、どんなふうに映るのでしょうか。

想像してみたことはありますか。

これから製作される鏡は、めぐりめぐって
縄文自然回帰の、人のありのままを映す鏡となっていくでしょう。

また、それを製作できる人たち
鏡にいのちを吹き込める人達との出逢いで
いま、リアルタイムにそれを確信させられてもいるところです。

彼等彼女等はきっと、縄文&弥生の融合文化を、
後世に伝えてきた人たちの末裔なのかもしれません。

鏡作坐天照御魂神社5

ほんとうに、この一連の鏡作神社めぐりはタイムリーで
現代の鏡作りプロジェクトは平行し同時進行しているのです。

その製作が順調にいきますように・・・と、御祈りいたしましました。

新しい時代の鏡に光あれ。

鏡作坐天照御魂神社6

鏡作坐天照御魂神社7

鏡作神社の灯篭は、
このようなかたちの格子になっているのも特徴的でした。

◇と□が合わさっていますが、
大きさと長さのバランスが変わったら、
八芒星となります。

こんな感じです。↓
8ぼうせい

三種の神器のヤタノカカミとなりますね。

こういう部分も見逃せません。

鏡作坐天照御魂神社8

鏡作神社には、鏡の池もありました。

鏡作坐天照御魂神社9

こちらは、昨日の雨でできた、水たまり。

水たまりだって、鏡なのです。

必ず何かが映り込んで見えますよね。
この模様には、なにが見えるかな。

鏡作坐天照御魂神社10

鏡の池の前に、石がありました。

鏡作坐天照御魂神社11

この石を土台にして、鏡を磨いていたようです。

大変な力仕事だと想像してしまいます。
とても重要な、仕上げ的な作業で使われていたのでしょうね。

鏡作坐天照御魂神社12

鏡作坐天照御魂神社13

鏡作坐天照御魂神社14

本殿の奥の鏡は、遠くにありましたが、
輝いてるように見えました。

鏡作坐天照御魂神社15

さりげなく、絨毯にも、八芒星が織り込まれています。

8ぼうせい2

鏡作坐天照御魂神社17

横に設置されているおみくじにも、八芒星があります。

鏡尽くしですね。

鏡作坐天照御魂神社18

こちらの羊の絵馬は、ふたつの勾玉が描かれています。

鏡と勾玉
三種の神器が、ふたつ揃いました。

鏡作坐天照御魂神社19

古事記の編纂者、太安万侶さん。

田原本は、彼の縁の地でもあります。

鏡作坐天照御魂神社20

こんなところにも、鏡を見つけました。

私もこんなデザインの鏡が欲しくなるなあ。。。

鏡作坐天照御魂神社21

本殿が見えるところまでまわってみました。

鏡作坐天照御魂神社22

ここの屋根も、もしかして・・・

鏡作坐天照御魂神社23

やはり、鏡作神社では、
すべての社の屋根に
クロスしている神剣が掲げられています。

出雲大社の屋根造りにも似ています。

出雲や石見との関わりの深さを伝えているように感じられます。
鏡や神剣の創り部であった、物部氏の象徴なのかもしれません。

そして、羊の絵馬には勾玉が描かれていて、
三種の神器は、ここに見事に揃っていました。

う~ん、面白いですね♪

鍵の神様が祀られています。

鏡作坐天照御魂神社24

こちらは、摂社の狭依姫神社です。

鏡作坐天照御魂神社25

台風が通り過ぎ、
昨日は、にわか雨。

天からの水が、参道を綺麗に洗い流していました。

鏡作坐天照御魂神社26

古代・鏡作りに纏わる「山辺の道」を散策していると
異空間に迷い込んだような感覚になりました。

鏡作坐天照御魂神社27

縄文と弥生の移行期
大和建国
万葉の時代
奈良
鎌倉
平安
現代まで

様々にミックスされた時代の匂いを
感じ取れるような気がしました。

鏡作坐天照御魂神社28

人通りが少なくて、貸し切り状態の小路が続いていきます。

鏡作坐天照御魂神社29

ボーっと町の景色に溶け込もうとしながら歩いていると、
アストラルトリップできるんじゃないか?
・・・と意識が入りこみそうになるのですが
車の往来があるので、
そのタイミングでハッと我に返るのです。

田原本駅の近くで、
自転車に乗った見知らぬおじさんが
私たちに「ようこそ」と笑顔で呼びかけて下さいました。

そんな嬉しい歓迎も、
閑静なこの町ならではなのかもしれませせん。

人の少ない道の途上で
目立ってしまっていた私たちは
どこからみても現代から過去の都へと旅する
おのぼりさんそのものだったから。。。

鏡作坐天照御魂神社30

レトロな外観の文房具屋さん。

鏡作坐天照御魂神社31

教科書の販売店でした。

鏡作坐天照御魂神社32

ウインドウには、たくさんの昔懐かしの
そろばんや電卓の計算道具に、
書籍類やメジャーなどが、並べられていました。

鏡作坐天照御魂神社33

瑠璃色の蝶の標本もあつたりして・・・
骨董市を覗くような、ワクワクの楽しさでした。

鏡作坐天照御魂神社34

コクヨの文房具を売るお店かな。

シャッターのロゴがレトロで、引きつけられました。

日の丸と桜です。
カッコいいな♪

鏡作坐天照御魂神社35

町の教会です。

プロテスタントだったか、カトリックだったか、
看板に説明書きがあったけれど、忘れてしまいました。

あまりキリスト教には詳しくないので・・・。

窓枠がねこれまたレトロで趣があって、懐かしい雰囲気を醸しています。

寄り道するのも楽しい、鏡作りの神社巡りです。


つづく。



テーマ:心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル:心と身体

  1. 2015/09/12(土) 17:37:32|
  2. ニギハヤヒの軌跡旅

鏡作神社(かがみつくりじんじゃ)(石見)

鏡作神社(石見)1

9/11(金) 関西ホツマのメンバーさんたちと、「ニギハヤヒを巡る旅 part.5」へ行ってきました。

前回の7月末には、ニギハヤヒさんと同一視されて語られたりする、
ホアカリさん(兄弟)の縁の地を訪ねるのがメインでした。
大阪茨木市の新屋坐天照御魂神社(にいやにますあまてるみたまじんじゃ)を中心に巡っていきました。

その模様はこちらです。ご興味のある方はご覧ください。↓
新屋坐天照御魂神社(にいやにますあまてるみたまじんじゃ)
http://ruri87.blog18.fc2.com/blog-entry-1476.html

さて。

今回は、「鏡」にまつわる神社です。
「鏡」・「鏡」・「鏡」尽くしの旅でした。

鏡作神社(石見)2

古代の鏡作りの職人は、鏡作部(かがみつくりべ)と呼ばれていて
古代・鏡作造 (天武朝以後は連) に率いられ大和朝廷や貴族に隷属し
漢鏡や唐鏡をまねた 仿製鏡 (ぼうせいきょう) の製作に従事した工人集団であったとされています。

縄文~弥生の移行期にタタラの製鉄技術が磨かれて、
渡来の文化との融合で、民衆の創造性や生活形態はどう変化していったのでしょうか。
今回の旅には、そんな部分に想いを馳せながら巡っていきました。
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最初に訪れたのは、奈良県磯城郡三宅町石見にある
鏡作神社(かがみつくりじんじゃ)です。 

近鉄石見駅から東へ300m。

御祭神は

石凝姥命
白鬚神社「白鬚明神」

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由緒

この地に居住した鏡の鋳造を業とした鏡作部の氏神である。
冬至の日に三輪山頂上から朝日が出る。夕日は二上山鞍部に沈む。
真南に畝傍山山麓、多神社がある。

神社の南方に石見遺跡が発見されている。
ここからは埴輪、木製品が出ている。人物、家、盾などの形象埴輪や円筒埴輪である。
直径30m程度のおおまかには円形の周囲にさまざまな埴輪を並べ
さらに木製品を立ててその周囲に幅6mの堀を巡らしていた。
これはきわめて特異な祭祀遺跡ではないかと推定されている。
5世紀末から6世紀初頭の遺跡と推定される。
「祭天の儀を背景とする天的宗儀の色彩を持つ」とされる。
この様な事から石見の神社の地は古代祭祀の聖地であったと言われる。

石見の鏡作神社が八尾(鏡作坐天照御魂神社)に遷座したものとの説があるが、
鏡作坐天照御魂神社の社叢は2,000年の歴史があると言われ、
これから見ると逆の場合も考えられる。
その場合には、祭神は火明命、石凝姥命、大糠戸命の三柱とも考えられる。

出雲国の隣の石見国の人々がこの地に住んだ可能性がある。
石見は五十猛命の上陸の地の伝承や物部神社が鎮座し
物部氏の祖神の宇間志麻遅命が祭神である。

金属生産に大いにからむ物部氏がこの地に住むにあたって
これらの神々を勧請しないはずがない。
神社は三本殿を持つ。三柱の神が祀られているはずである。
石凝姥命に加えて五十猛命と宇間志麻遅命と考えるのが
地名である石見からの連想として成り立つ。

この石見の鏡作神社からの分社とされる宮古と穂津の鏡作伊多神社には
摂社として宇間志麻遅神社があり、また神社の名は伊多である。
石見、宮古、穂津の鏡作神社は一直線に並ぶ。
この位置関係からも石見が起点である。

由緒は神奈備にようこそ!さんより引用)

鏡作神社(石見)3

私は島根県の出雲生まれです。
島根には、出雲国と、石見国のふたつの国がありました。

古代からも、きっと私は出雲人。

島根県の石見国には、「石見国一宮・物部神社」が存在します。
御祭神は、饒速日命(ニギハヤヒ)の御子神・宇摩志麻遅命です。
物部氏の御祖神として知られています。

物部神社の由緒には、
饒速日命は十種神宝を奉じ、天磐舟に乗って大和国哮峯に天降り、
御炊屋姫命を娶られ御祭神を生まれました。
御祭神(宇摩志麻遅命)は父神の遺業を継いで国土開拓に尽くされました・・・と記されています。

神武天皇御東遷のとき、忠誠を尽くされましたので天皇より神剣韴霊剣を賜りました。
また、神武天皇御即位のとき、御祭神は五十串を樹て、
韴霊剣・十種神宝を奉斎して天皇のために鎮魂宝寿を祈願されました。(鎮魂祭の起源)

その後、御祭神は天香具山命と共に物部の兵を卒いて尾張・美濃・越国を平定され、
天香具山命は新潟県の弥彦神社に鎮座されました。
御祭神はさらに播磨・丹波を経て石見国に入り、
都留夫・忍原・於爾・曽保里の兇賊を平定し、厳瓮を据え、
天神を奉斎され(一瓶社の起源)、安の国(安濃郡名の起源)とされました。

次いで、御祭神は鶴に乗り鶴降山に降りられ国見をして、
八百山が大和の天香具山ににていることから、
この八百山の麓に宮居を築かれました。(折居田の起源)

ひおい鶴

石見一宮物部神社
http://www.mononobe-jinja.jp/

鏡作神社(石見)4

今回始めて奈良の石見を訪れたのですが、
周囲の空気に包まれていると、
出雲国の隣の石見国の人々が、この地に住んだ可能性がある。
・・・という由緒には、納得できるものがありました。

大和国の鏡作りの中心は田原本町

その一方で、私の生まれ育った出雲では、三角縁神獣鏡が出土しています。↓

三角縁神獣鏡と神原神社

そこは神原神社と呼ばれています。
所在地は、島根県雲南市加茂町神原1436

神原神社には、大国主命の御歌が掲げられています。
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ありがたや松井の里の神遊び
これぞみくにのまもりなるらん

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(今回の一連の旅では、神社を訪れるたびに「松井」という姓名を多く見かけていました)

出雲の「神原」と、大和の「田原本」

ここを繋ぐラインも、上記のように関連しているので、とても無視できません。

製造元が田原本で、
出雲の神原へと届けられたのかもしれません。

あるいは、逆なのでしょうか?

どちらにしても、物部氏から広がる新しい時代の技術交流は、
想像以上に盛んだったのかもしれません。

今に存在している「鏡作りの鏡に纏わる神社」は、
物部氏を中心とした鋳造工業技術集団の活気や勢いを感じさせられます。

鏡作神社(石見)5

鳥居をくぐりながら、私の頭の中は

島根の石見~出雲の神原~大和国~奈良の石見~田原本

・・・と、ぐるぐると周辺の町への想像が止むことはなかったのです。

鏡作神社(石見)6

ここにも三柱の神が祀られているしねぇ・・・

石見国には、三刀屋という地名があります。
石見銀山や物部神社とも近いです。
そちらの刀の神もまた三柱で対になっているのかもしれません。

ここの本殿の屋根にも、神剣がクロス十字になって掲げられています。
これはどうみても刀です。

今後、そういうところも検証できたらいいかもしれませんね。

鏡作神社(石見)7

防火のバケツがたくさん並んでいます。

消防の神様と言えば、秋葉のカグツチの神です。
ここには書かれていないけれど・・・

鏡作りに、川の水と火は欠かせないですよね。
火の神様だって、書かれていなくても、とても大事に祀られていたのだと思います。

鏡作神社(石見)12

こちらは御稲荷さん。

鏡作神社(石見)8

鏡作神社(石見)9

鏡作神社(石見)10

低湿地帯だった石見の町。

奈良の中心地ほどは、
その歴史を知られていない様子の石見の町。

私は地元の空気を久しぶりに嗅いだような気分になりました。
なにか山陰地方と似ているんです。

鏡作神社(石見)11

また訪れてみたい石見周辺と鏡作神社でした。

つづく。


テーマ:心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル:心と身体

  1. 2015/09/12(土) 07:50:13|
  2. ニギハヤヒの軌跡旅