瑠璃の星☆彡

写真・イラスト・旅日記

黒塚古墳と三角縁神獣鏡

黒塚古墳1

1/26(火)
最後に行ったのは、史跡・黒塚古墳と天理市立黒塚古墳展示館です。

ここの竪穴式石室から、大量の三角縁神獣鏡が出土しているそうです。

黒塚古墳2

小規模ながら、
鏡のことを調べるのにはとてもお役立ちの施設でした。

黒塚古墳3

黒塚古墳の石室の内部が、忠実に復元されています。

鏡の配置や、ほかの副葬品の配列など
多少の自然の影響を受けつつも、
きちんとこの時代まで遺されていることに新しい感動を憶えました。

黒塚古墳は古墳時代前期(3世紀後半から4世紀)の古墳と推定されています。
古墳の規模は現状で全長約130mの前方後円墳とのことです。

現在は柳本公園の一画にあり周辺は池に囲まれていて
古墳が作られた当初の姿をほぼ良好にとどめているようです。

大和古墳群学術調査委員会が中心となり、
平成9~10年の2ヵ年をかけて調査が行われたそうです。

そして、後円部では長大な竪穴式石室の存在が明らかになり、
副葬品も三角縁神獣鏡を中心として多数出土しました。

黒塚古墳4

竪穴式石室は、後円部の中央に前方後円墳の主軸に直交して作られていました。

全長約8.3mの長大な規模で、
川原石と板石を用いた合掌式の特殊な石室であることがわかっているそうです。

石室中央には長さ6m、直径1m以上のクワの巨木をくり抜いた木棺が使用されていました。
現在、木棺は腐り、粘土の棺台が残っています。

黒塚古墳5

黒塚古墳からは33面の三角縁神獣鏡が出土しました。

この型式の鏡は、背面に神獣を配し
周縁が山形に鋭く尖る形をしているために
このように呼ばれています。

鏡は直径が平均して22cm、重さは1kgにもなり、
鏡の裏側には中国の吉祥句を記した文章や
神仙、霊獣などが表現されています。

古代の首長たちが、鏡に表現された不老不死や
神仙思想という中国の思想を受け入れたと考えられています。

また黒塚古墳が出土した三角縁神獣鏡は、
初期ヤマト政権のあり方や邪馬台国の所在地論争とも無関係ではなく、
これからの解明が待たれます。

(・・・以上、黒塚古墳展示館の資料から引用しています)

黒塚古墳6

微細で美しい模様は、いつまで見ていても飽きない感じです。
写真okの展示館だったので、
鏡をたくさん撮影してきました。

黒塚古墳7



黒塚古墳8

鏡の鋳造と鋳型

現代の鋳造では、原料である銅が約1600度まで熱せられ、完全に流動化している。
これを湯と呼んでいるそうです。

青銅の原料は銅が70パーセント、錫25パーセント、鉛5パーセント程度の合金である。
展示品は鏡の周辺に漏斗状の湯口(鋳込み口)と、
鏡にまんべんなく原料が流れるようにした湯道がパリとして付着している。

鏡の仕上げではバリはすべて取り払われ、表裏とも磨き上げられる。
鋳型は鋳流した時に発生するガスを抜けやすくするため、
主として砂型により作られている。

内面には型抜きをしやすいように炭素が吹きつけられている。

黒塚古墳9

こちらは小さい鏡です。

「画文帯神獣鏡」というそうです。

黒塚古墳10

「画文帯神獣鏡」を大きく写してみました。

棺内の頭部付近に、文様面を南に向けて立った状態で出土したそうです。
中国の後漢末から三国時代にかけて盛んに制作され
日本にもたらされた鏡とされています。

三人の神仙のうち両手の裾をたくしあげて、
膝に琴を置くのは、琴の名手である伯牙(はくが)であろう。
左右の神仙は東王父西王母であろう。

文様の外側には「吾作明鏡自有紀□□公宜子」の文字がある。

黒塚古墳11

神仙と霊獣

三角縁神獣鏡の主要モチーフは、神仙と霊獣の織り成す世界観を
直径20cmの空間に表現していることである。

奈良県新山古墳の鏡には、
「西王母」「東王父」という文字が神像の傍らに鋳出され、
これから崑崙山に住む不老長生の神々であることがわかる。
獣も虎や龍など、神仙世界に住む霊獣であり、
こうした鏡の持つ霊力が現実の王権により強く意識されていたのであろう。

倭王権は、地域支配の一環として、このような霊力の宿る三角縁神獣鏡を、
列島各地に配布した説が有力である。

黒塚古墳12

神のポーズ・獣のポーズ

鏡に鋳出された神像は、顔を正面に向けた座像で
両手を襟の前で合わせている。
服の袂は大きくふくらんで威厳を表している。
頭には三連の山形をした冠や、両端から内側に蕨のように巻き込んだ冠がみられる。
三山形は東王父をあらわし、蕨型は西王母をあらわしている。
衣服の肩付近から伸びるのは、神仙世界の象徴ともいえる雲気が表現されている。

獣は顔が正面で胴体は横を向く。
主文様の獣は虎と龍が表現されるが、
胴体に刻まれた体毛と鱗の文様により区別される。

黒塚古墳13

規則性と自由な表現が絶妙なバランスの三角縁神獣鏡。
こうして見つめていると
やっぱり美しいな~と感じました。

黒塚古墳14

周囲が公園の黒塚古墳。
古墳のてっぺんは、こんな感じです。

黒塚古墳15

私たちが立っている地面の下にも
まだまだ、たくさんの思いがけない宝物があるのかも。

黒塚古墳16

いつか探しだされる時期を待ちながら
静かに眠っているのかもしれませんね。

そう思っていたら
とても楽しいですね。

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  1. 2016/01/28(木) 16:55:49|
  2. ニギハヤヒの軌跡旅

景行天皇陵と崇神天皇陵

景行天皇陵1

1/26(火)に出かけてきた、三輪山周辺のニギハヤヒを巡る旅。
さらに続きます。

・他田坐天照御魂神社 (おさだにますあまてるみたまじんじゃ)
・箸墓古墳
・桧原神社

・・・と山の辺の道をてくてくと歩いて
すでに15時頃になっていたでしょうか。

今回は、やたらと道に迷ったり
行きつ戻りつしながらの珍道中となりました。

年明け最初の旅で
みんな調子が狂っていたのでしょうかね?
まぁそんなことも、たまにはあっても良いのかも。

あとで振り返ると、そういうことが記憶に強く残るってもんです。
失敗の数だけ成功が生まれるんだから。

波の無い人生にはドラマなど生まれないのだ。
そんなのツマラナイのだ。
ねぇ?そうでしょ。

景行天皇陵2

そんなこんなで、
グダグダになりながらも
やっと、たどり着いた景行天皇陵です。

大きいなぁぁぁ~~~~。

あの鳥居の向こうに、美しの森が。。。

景行天皇陵3

二羽の青鷺が木々に止まっていて、
私たちの上空をぐるぐる旋回してくれていました。

ヤマトタケをより身近に感じられるような気がしました。

景行天皇陵4

ここには現在地を示す地図がありました。

向って左側の前方後円墳が、崇神天皇陵。
向って右側の前方後円墳が、景行天皇陵。

このふたつの巨大な古墳を見つめる先には(視線を山側へ)
ヲガタ塚という水領と桜の名所に辿りつくようです。

とても気になります。
ちょっと行ってみたくなりました。
それこそ、桜の時期にでも。。。

崇神天皇陵と、景行天皇陵。

こうして見るとふたつの古墳は
ヲガタ塚への桜並木を境にして
まるで鏡あわせのように向かい合っていますよね。

両者の歴史的な背景を、
もっと私たちは知っていくことが大事なのでは・・・?
そんな気持ちにさせられました。

崇神天皇陵1

こちらが、崇神天皇陵です。

崇神天皇陵2

さきほどの平坦だった景行天皇陵とは対照的に、
こちらは丘への階段が続いています。

崇神天皇陵3

崇神天皇陵4

なみなみと水を讃えた堀には、
たくさんの鴨たちが群れて泳いでいるのが象徴的でした。

こっちはたくさんの鴨。

青鷺と、鴨かぁ・・・

ふたつの古墳の印象は、
地図で見ている限りではそっくりだけれど
足を踏み入れると、そのフィーリングはまるで違っていました。

崇神天皇陵5

崇神天皇陵6

最後に、鏡がたくさん出土している黒塚古墳へと向かいます。

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  1. 2016/01/28(木) 16:00:39|
  2. ニギハヤヒの軌跡旅

2016 桧原神社

桧原神社1

今回も三輪山周辺・ニギハヤヒを巡る旅のつづきです。

1/26(火)巻向駅から降りて、
他田坐天照御魂神社 (おさだにますあまてるみたまじんじゃ)を参拝し
箸墓古墳へと歩いていきました。

これから桧原神社へと向かいます。

桧原神社2

途中の井寺池で、ちょっと一休み。

ここの付近ですれ違った、軽トラに乗った地元のおとうさんが
摘みたてのフキノトウを見せてくれました。

もう土手にいっぱい出てきているそうです。

w(*・o・*)w  へぇ~ びっくり。

この日は水溜りが凍るほど寒かったのですが
2016年1月は暖かい日も続いていたからかな。

三輪山周辺も
春と冬が交互にやってきていたんですね。

井寺池の周辺でフキノトウを探してみようと思いましたが
もっと奥の湿地へ入っていかないと見つからないみたいです。

ここにも歌のモニュメントがありした。

桧原神社3

川端康成の直筆で
ヤマトタケの詠んだ歌が綴られています。

景行天皇陵から三輪山に繋がるこの位置に。。。

後の世まで、ここで大和の国を見つめてきたのかな。

ふたりの魂は、いまは何を想うのだろう。。。

桧原神社4

池は自然も私たちも天の心も
すべてを映す鏡だと思います。

ヤマトタケの心も、この池から読み解けるような気がしました。
ここに自分の姿を映すことで繋がりあいたいとも思いました。

桧原神社5

桧原神社に到着しました。

桧原神社6

お昼どきに訪れたので
太陽の光が心地よかったです。

桧原神社7

過去に何度も紹介してきているので、
桧原神社の詳細は省きます。

桧原神社8

前回訪れたのは、2015年8月でした。

桧原神社と箸墓古墳周辺
http://ruri87.blog18.fc2.com/blog-entry-1491.html

前回は、一番暑い時期に参拝していたんですね。
今回は、一番寒い時期となりました。

桧原神社9

桧原神社10

桧原神社11

桧原神社12

近くの御茶屋さんが出している無人販売の農産物。

山之辺の道を歩いていて、
いろいろなお店をみていくのも
たのしみのひとつです。

桧原神社13

橘が木の幹に盛られています。

寄り集められている姿がなんだか可愛く思えました。

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  1. 2016/01/28(木) 08:25:02|
  2. ニギハヤヒの軌跡旅

箸墓古墳

箸墓古墳1

今回も三輪山周辺のニギハヤヒを巡る旅です。

巻向駅から近い
他田坐天照御魂神社 (おさだにますあまてるみたまじんじゃ)を参拝して、
次に向かったのは、箸墓古墳です。

箸墓古墳2

いつもの私のパターン・・・それは、
三輪山が御神体の大神神社を参拝し
山之辺の道を歩いて桧原神社まで辿りつくと、
もう半日経ってしまいます。

箸墓周辺までくると、いつも夕暮れ時になってしまうので、
今回は、はじめて日が高いうちに
じっくりと歩いてみる機会に恵まれました。

嬉しいなぁ・・・♪

たまには逆周りに進んでいくのも
新しい発見が待っているので良いもんですね。

箸墓古墳3

おぉぉぉ w(*・o・*)w

こんなふうになっていたのかぁ。。。

ちょっと想像と違っていたけれど
堀の大きさにビックリでした。

箸墓古墳4

ぜんぜん水を湛えていない・・・

しかも時期が時期だけに、凍ってるし。

こんなものなのかな・・・? (@_@;)

箸墓古墳5

実際は、こんな感じらしいです。

そうそうそう

これを期待していたのでした。

来る時期を間違えていたのかもしれないです。

湖面に映る、逆さの三輪山。
きっと、綺麗に違いないです。

それをみたら、たぶん
私の中でモモソ姫とヤマト姫のイメージが固まるかも。

いつかまた見にこよう。

こんどは夏が良いかな~。

箸墓古墳6

それにしても、箸墓古墳は大きいです。

ヤマトトトモモソヒメ

どんな存在だったんだろうね・・・?

私がもっとよく知りたいと想っている人物のひとりです。
三輪明神との関係が謎な伝わり方をしているだけに、
いろいろな想像を掻き立てられます。

この箸墓古墳には、
とてつもなく大きな秘密が隠されている気がしてなりません。

箸墓古墳7

箸墓古墳8

足元には、タンポポの綿毛がいっぱい。

私の着ているマウンテンジャケットよりも
あったかそうに見えました。

箸墓古墳9

和歌が刻まれているモニュメントが
あちこちに立っています。

三輪山や大和三山の歌が、たくさん残されていますが
その山が存在している本当の意味が
もしかしたら歌のなかにも隠されているのかもしれませんよね。

ピラミッド山の配置も意味深だけれど、
大規模な古墳が突然出現した背景も気になるのです。

なにかニギハヤヒさんの旅の途中で判ってくるといいな・・・と思っています。

箸墓古墳10

この干上がっている堀の中を見ていて、ふと気がつきました。

砂の川。

出雲の斐伊川っぽいな・・・と感じました。

私の生まれ故郷・雲州平田の中心を流れている斐伊川は、砂の川なのです。

ソサノオのヤマタノオロチ伝説と重なる風景です。
ちょっと懐かしく思いました。

なんだかモモソ姫がなにかを伝えたがっているようで
ちょっと見逃せない気もしました。

出雲地方から、ここ大和朝廷へ
鏡がたくさん運ばれてきた経緯が、
この一連のニギハヤヒ旅の中でも見えてきつつあります。

斐伊川のヤマタノオロチ=タタラ製鉄から川に流れる赤い鉱物
それも本当なのかもしれません。

モモソ姫も、鏡を通して大和と山陰を結ぶ役割をしていたのかな・・・?
モモソ姫さんは吉備津の神社で祭られていることもあって、
三輪にきて箸墓古墳を見ていると、
そのあたりのことが
いつもとても気になってしまいます。

いまは想像の域を越えることはできませんが
いろいろ考えさせられます。

箸墓古墳11

箸墓古墳12

倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の御陵
箸墓古墳の正面へ辿りつきました。

箸墓古墳13

ここで手を合わせて、
皆で「あわうた」を歌いました。

太陽の光に包まれながら歌っていると
とてもすがすがしい気持ちになりました。

モモソ姫さん
ありがとうございます。

しばらくここに佇んでいたいと感じたりしましたが
まだまだ歩いていく予定です。

今度は桧原神社へと向かいます。


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  1. 2016/01/27(水) 08:50:12|
  2. ニギハヤヒの軌跡旅

他田坐天照御魂神社 (おさだにますあまてるみたまじんじゃ)

他田坐天照御魂神社1

1/26(火)、関西ホツマの会の皆さんと
2016年最初のニギハヤヒ旅に行ってきました。

今回は、奈良の三輪山、巻向、箸墓周辺を歩いてきました。

ここのところずっとPCでの細い作業に没頭していたので、
久しぶりに自然の中に出かけることができて、良いリフレッシュとなりました。
明日からもがんばろう。。。

さてさて

最初に参拝した場所は、
桜井市太田字堂久保にある
他田坐天照御魂神社
(おさだにますあまてるみたまじんじゃ)
です。

他田坐天照御魂神社2

今回、こちらに向かうまでは、この神社の存在を私はまったく知りませんでした。

古墳に囲まれた小さな神社です。

初めて歩いてみて、地味だけれど、
とても重要な場所であることがわかってきました。

私が知らないだけで、ホツマのメンバーさんはしっかり勉強されていて
いろいろ教わることが多いです。

御祭神の天照御魂大神
=天照大神荒魂
天照国照火明命、志貴連祖天照饒速日命
とする説があるようです。

ニギハヤヒさんの父にあたるホノアカリさんのようです。

天照御魂神社と呼ばれる神社は
過去に行ってきた、茨木の新屋坐天照御魂神社
京都太秦の、木島坐天照御魂神社があります。

茨木の新屋坐天照御魂神社もホノアカリさんでした。

・・・ということで、次回はいよいよ
太秦の木島坐天照御魂神社(蚕ノ社)かな!?
広隆寺の弥勒菩薩像を拝むのも良いかも~と、思い巡らせていました。

ずっとニギハヤヒさんの足跡をたどっているつもりでしたが
この旅を通して感じることは、
ほとんど文献では語られていない
ホノアカリさんの存在の大きさです。

似ている名前の神々がごっちゃになってしまっていて、
それが親族間のあいだの話だと、
さらに区別がつかない状態で、頭が混乱していきます。

歩いてみて初めて確信できることばかりです。

毎回、驚くことが多すぎますね。。。

他田坐天照御魂神社4

雨樋が、光っていると思ったら、
寒さで氷柱ができていました。

ハートの形がいっぱい。

クリスタルでできているアクセサリーみたいで、素敵だなぁ~と思いました。

貴金属加工の技術も、ホノアカリさんの時代に花開いたのかな・・・などと
想像させられてしまいますが・・・真相はいかに・・・。

他田坐天照御魂神社3

小規模ながら、素敵なスポットがありました。

他田坐天照御魂神社7

ここから明治神宮を拝むのです。

最近設置されたのでしょう。
ここから神宮神宮を繋ぐラインに、いくつの古代の旧跡を見つけられるのかな。
きっと、シンボルとなる山や古墳群や磐座など、たくさんあると思います。

他田坐天照御魂神社5

岩に彫られた天照御魂神社

他田坐天照御魂神社6

文字の横の窪みが、まるで耳のかたちに彫られているように見えます。
おもしろいですね。

他田坐天照御魂神社8

拝殿の横には、大きな楠木。

他田坐天照御魂神社9

本殿は、木々に囲まれていてよく見えません。

他田坐天照御魂神社10

寒さで凍っていました。

他田坐天照御魂神社11

クリスタルの鏡みたいですね。

冬に行くと、なにかと記憶に残るかたちで
自然が姿を変えています。

また、あったかい時期にも訪れてみたくなります。

他田坐天照御魂神社13

他田坐天照御魂神社15

三輪山との距離感。。。

山が青いわ。。。

他田坐天照御魂神社12

太田公民館が横にあります。

太田・・・

タタネコさん?

他田坐天照御魂神社14

その後、箸墓古墳へ向かいました。

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  1. 2016/01/27(水) 00:10:52|
  2. ニギハヤヒの軌跡旅

HARRY山科さん最新動画 「皆神山の謎 第五部 スサノオの風篇」

皆神山の謎 第五部 スサノオの風篇 第一章 大和三山・新たな謎



2016/01/13 に公開

アニメの演出家、小阪春女さんを迎え、大和三山の新たな謎に挑みます。
彼女の説を聞いたとき、日本史の最も謎とされている古墳時代から奈良時代が今まで考え­られていたものとまったく違うのではないか?、と感じました。
今回のシリーズはその周辺をとりあげながら、宇宙的な生き方と歴史の関わりを探って生­きたいと想います。
http://www.good-weather-studio.com/
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グッドウェザースタジオのHARRY山科さん製作「皆神山の謎 第五部」が公開されました。
このブログをご覧の皆さんにとっても、きっと、とても興味深い内容だと思います。
そのうち六甲近辺のイワクラ郡も出てくるかもね。
楽しみだなぁ♪


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  1. 2016/01/14(木) 21:32:24|
  2. 動画

美女ヶ森  押姫と宮簀姫   

美女が森1(web用sin)

大御食神社 ( おおみけ神社)  イラストのpart.2です。

こちらのイラスト記事の続きです。↓

大御食神社・御影杉 ヤマトタケを迎える赤須彦と押姫
http://ruri87.blog18.fc2.com/blog-entry-1545.html


前回は御影杉が主役でしたが
今回は美しの森を主役にして描いてみました。

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大御食5

【名 称】  
美女ヶ森  大御食神社 ( おおみけ神社 )

【御祭神】  
日本武尊
宮簀姫  またの名を 厳郎姫・五郎姫 (イツイラツヒメ)
八幡大神 (譽田別命・応神天皇)

【由 緒】 
景行天皇の御代、日本武尊東征の帰途、里長赤須彦の饗を受け三夜を同地に過ごし、赤須彦に御食津彦の名を賜る。
景行天皇48年(118)、赤須彦が日本武尊を祀り、大御食ノ社(おほみけのやしろ)と名付る。
応神天皇36年(307) 7月22日、熱田の草薙の剣の霊代と 美女社の宮簀姫とを迎え地名を 『 美しの社 』 とする。
元慶 3年(873) 石清水八幡宮から八幡の神を迎え、日本武尊と宮簀姫(五郎姫)を相殿に奉斎。
明治五年 郷社に昇格
昭和42年 神社本庁より 献幣使 参向指定神社となる。

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神社についての関連記事はこちらです。↓

大御食神社(おおみけじんじゃ)
http://ruri87.blog18.fc2.com/blog-entry-1540.html

美女が森2(web用sin)

地名の話

宮簀姫のふるさと、 「美女ヶ森」

大御食神社のある鎮守の森を 古来から 『美女ヶ森』 という。
ではなぜ 『美女ヶ森』 なのか? その名称を考える。

阿比留草文字で書かれた社伝記には、
「 応神天皇38年(307)6月9日 朝未だ暗きときに、上穂の里足彦の弟子『ヤオトリ』に 日本武尊(の霊)が懸かり、イツイラツヒメと共に草薙の剣の霊代を迎えよ と告げた 」
「 その秋7月20日、熱田ノ宮より草薙の剱の御霊代、また 『美しの杜と御名する 熱田ノ杜』 より、宮簀姫 またの名をイツイラツヒメ(厳色姫)を迎え奉る 」
と記されている。。

社伝記 「美社神字」 を解読した 落合直澄は、イツイラツヒメを 「厳色姫」 と表したが、現在は 「五郎姫」 と記されている。
では、『宮簀姫 またの名を イツイラツヒメ』 と社伝記に書かれている 「イツいらつひめ」 とは どういう意味なのでしょうか?
                         
例えば、沖縄の八重山地方には その昔、島の女性が愛する男性に
“いつ(五)の世(四)までも どうか一緒に” との思いを込めた、
五と四の柄が並ぶ 「ミンサー織」 という 「絣模様の織物」 があり、現在でも 伝統工芸として伝わっている。

このように、「イツ」 は、いつも(何時も)という意味。

それに、上代には 若い女性を親しんで呼んだ語で、『いら‐つ‐め【郎女】: いらつひめ』 という言葉があり、
「イツイラツヒメ」 とは、「いつも美しい若い姫」 という 「愛称」 であり、
その姫の宮簀姫 がおわします熱田ノ杜を 「美しの杜と御名する 熱田ノ杜」 と呼んだのではないだろうか。
それ故、大御食神社も「美しの杜に坐す宮簀姫」をお迎えして、地名を 『美女ヶ森』 と呼ぶようになった。

【参考】
『尾張国吾湯市群火上天神開始本伝』 には ”小止女命”(おとめのみこと)、
『熱田祠官略記』 には ”小止女命 またの名を宮簀姫” と記されている。
また 「ミヤスというのは、元来は 『宮主(みやす)』 であり、”神剣を祀る 宮の主” という意味である」 という。
【通説】
宮簀媛は 尾張国造 乎止与命(オトヨ)と 母 眞敷刀婢命(マシキトベ)との子。


↑上記は、 地名は第一級の歴史資料 
http://homepage3.nifty.com/utukusinomori/newpage3-3.html
(「伊那の谷から古代が見える」伴崎史郎さんのブログより引用)

美女が森3(web用sin)

押姫

熱田ノ杜より宮簀姫をお迎えする以前に
この美しの森には、もうひとりの美女が存在していました。

赤須彦(御食津彦)の娘・押姫です。
オモイカネワカ姫に繋がる子孫のようです。

美女が森4(web用sin)

日本武(ヤマトタケ)尊


社伝記「大御食ノ社 年代記」を解読した落合直澄は 「美社神字」とし、
また近年 吾郷清彦氏はこれを「美しの社物語」と題して著書で紹介、全国に知られるようになりました。

「大御食ノ社 年代記」には以下のように記されているようです。

・日本武尊が東征の帰途、赤須彦から接待をうけ、娘の「押姫」と三日三夜過ごしたこと
・大御食神社の創立の様子
・植継ぎされている御蔭杉のこと
・千年前の農事「稲虫送り」の様子など

景行41年(AC111)から村上天皇(943-956)の御代までの約840年間の出来事が
神代文字の『阿比留草文字』で記されており、
これに則って神社の行事祭典等が行われています。

--------------

東征の岐路の尊を、里人は御影杉の下に仮宮を設けて迎えました。
そして湯奉の沢の清水で大御湯、栗餅を奉り、尊に従うことを誓ったのです。
また、中沢の熊鰐が採った山の物、野の物、川の物をもって大御酒、大御食でおもてなしました。

は赤須彦(御食津彦)の娘の押姫と三夜お過ごしになり、別れに詩を残してゆきました。

「二夜三夜二人寝哉 飽ぬかも 美くし少女愛哉 居立 愛哉少女」


押姫答えて曰く

「愛哉 我大君の御手に纏く 玉持日根子不忘 玉持つ 日根子不忘 吾夫標延  吾夫標延」



美女が森5(web用sin)

赤須彦(御食津彦)は、赤津の里人と共に尊をお送りし、
尊の御座した所の小石を「御手掛石」または「皿石」と言ったのです。

村人は尊を称え、景行天皇五十八年、神殿を建て鎮祭し「大御食神社」と称しました。

応神天皇八年、五郎姫(宮簀姫)を尾張の国より迎え同殿に合祀し「美女ヶ森」と称しました。

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「美女ヶ森」は、押姫宮簀姫 
ヤマトタケが愛した、ふたりの美女がいる森なのです。

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  1. 2016/01/08(金) 23:20:10|
  2. イラスト

大御食神社・御影杉 ヤマトタケを迎える赤須彦と押姫

大御食6

【名 称】  
美女ヶ森  大御食神社 ( おおみけ神社 )

【御祭神】  
日本武尊
宮簀姫  またの名を 厳郎姫・五郎姫 (イツイラツヒメ)
八幡大神 (譽田別命・応神天皇)

【由 緒】 
景行天皇の御代、日本武尊東征の帰途、里長赤須彦の饗を受け三夜を同地に過ごし、赤須彦に御食津彦の名を賜る。
景行天皇48年(118)、赤須彦が日本武尊を祀り、大御食ノ社(おほみけのやしろ)と名付る。
応神天皇36年(307) 7月22日、熱田の草薙の剣の霊代と 美女社の宮簀姫とを迎え地名を 『 美しの社 』 とする。
元慶 3年(873) 石清水八幡宮から八幡の神を迎え、日本武尊と宮簀姫(五郎姫)を相殿に奉斎。
明治五年 郷社に昇格
昭和42年 神社本庁より 献幣使 参向指定神社となる。

【施 設】  
本殿
景行天皇 48年(118) 創建
久安 5年(1149) 本殿建替 吾道直賢木代
応永 2年(1395) 本殿建替 吾道狭称麿代
寛文 7年(1667) 本殿建替 小町谷摂津守代
享保18年(1734) 本殿造営 
元治元年(1864) 本殿建替 小町谷筑後守代
         諏訪の名匠 立川流 立木音四郎 作。
         (現在の本殿)
拝殿
大正 9年(1920) 大工小口平四郎・矢崎貞之

【境内社】
御渡社 建御名方命・橘姫命・上古地主神(産土神)
御継社 伊弉諾命・伊弉冉・
      天之御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神
御食津彦社 八意思兼尊・御食津彦・他
植継社(植継大明神) 吾道赤須彦
二木社
山神社
山の鼻社
富士社
真澄神社


【御神木 御蔭杉】

上古の時代 建御名方命が国造りの時 奇杉なりと愛で給い、
景行天皇の御代、日本武尊東征の帰路、赤須彦この杉の大樹の元 仮宮を設けて尊を迎え
酒餞を饗せし時 尊 大に悦ばれ、この杉の樹陰 清々しく弥栄えて丈高く 奇杉なりと 愛で給いぬ。

以来 この杉を 御蔭杉と称せしと 神代文字社伝記に 記しあり。

神功皇后4年(204年) 杉枯れたにで 翌5年春 中枝の大虚に育った実生の杉の植継を行いたり。

文徳天皇斉衛三年五月 御蔭杉枯れたりしたため 同天皇天安二年(858年)春
上下伊那より氏子百数十人により 杉の植継行われ 七日七夜 歌い舞の宴を張り大祭を行いしと記され伝えられる。

現在の御神木 御蔭杉は その時植えられたもので 樹齢千百年余りを経ている。

大御食全体(web用sin)

大御食神社(おおみけじんじゃ)のこと

信濃國 伊那郡 赤須ノ里に、 鎮守の森・美女ヶ森があります。
森には景行48年(西暦117年)創立の大御食神社が、二千の歴史を込めて佇んでおり
古代文字で書かれた社伝記を伝えています。

社伝記「大御食ノ社 年代記」を解読した落合直澄は 「美社神字」とし、
また近年 吾郷清彦氏はこれを「美しの社物語」と題して著書で紹介、全国に知られるようになりました。


大御食ヤマトタケ(web用sin)

日本武(ヤマトタケ)尊

大御食神社は、日本武(ヤマトタケ)尊の名付けたお宮です。 

ヤマトタケの東征の足取りは、神社伝承からかなり明確に分っています。

ヤマトタケは、出雲の神々や高皇産霊神ファミリーを従えて
文字通り「蝦夷等言向け平和(やわし)給ひ」て来たのです。

大御食神社には境内にご神木の「御蔭杉」があります。
ヤマトタケが訪れたとき、
「この杉は清清しく、丈高く、弥栄へ奇しき杉なり綾杉なり」と愛でたのでした。

大御食押姫(web用sin)

赤須彦の娘・押姫

社伝記「大御食ノ社 年代記」の内容は・・・

・日本武尊が東征の帰途、赤須彦から接待をうけ、娘の「押姫」と三日三夜過ごしたこと
・大御食神社の創立の様子
・植継ぎされている御蔭杉のこと
・千年前の農事「稲虫送り」の様子など

景行41年(AC111)から村上天皇(943-956)の御代までの約840年間の出来事が
神代文字の『阿比留草文字』で記されており、
これに則って神社の行事祭典等が行われています。

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大御食押姫2(web用sin)

東征の岐路のを、里人は御影杉の下に仮宮を設けて迎えました。
そして湯奉の沢の清水で大御湯、栗餅を奉り、尊に従うことを誓ったのです。
また、中沢の熊鰐が採った山の物、野の物、川の物をもって大御酒、大御食でおもてなしました。

赤須彦(御食津彦)の娘の押姫と三夜お過ごしになり、別れに詩を残してゆきました。

「二夜三夜二人寝哉 飽ぬかも 美くし少女愛哉 居立 愛哉少女」


押姫答えて曰く

「愛哉 我大君の御手に纏く 玉持日根子不忘 玉持つ 日根子不忘 吾夫標延  吾夫標延」

赤須彦(御食津彦)は、赤津の里人と共に尊をお送りし、
尊の御座した所の小石を「御手掛石」または「皿石」と言ったのです。

村人は尊を称え、景行天皇五十八年、神殿を建て鎮祭し「大御食神社」と称しました。

応神天皇八年、五郎姫(宮簀姫)を尾張の国より迎え同殿に合祀し「美女ヶ森」と称しました。

大御食赤須彦(web用sin)

赤須彦(御食津彦)

赤須の里長。

ヤマトタケは東征の帰途、赤須の里に立ち寄り、饗を受けます。
赤須彦は、そのとき、ヤマトタケより御食津彦の名を賜ります。

社伝記では以下のように記しています。

「吾はこの国の魁師、阿智ノ宮に齊い祀る、思兼ノ尊の子 表春の命の裔、阿知の命の御子阿知山の裔の別裔、赤須彦なり。」

古事記によると、

『天地初發之時。於高天原成神名。天之御中主神。次高御産巣日神。次神産巣日神。』
「天地が初めて分かれた時、高天原に成り出でた神の名は、天之御中主(アメノミナカヌシ)神。次に高御産巣日(タカミムスヒ)神。次に神産巣日(カムムスヒ)神。」


二番目に成り出でた神・高御産巣日神(高皇産霊神)の息子が『八意思兼尊』で、
その子が手力雄命、表春命です。

そして、赤須彦は自ら、思兼尊の子・表春命末裔であると言っています。

すなわち大御食神社は、神々の系譜に連なる、由緒あるお宮なのです。


大御食従者(web用sin)

古代文字

大御食神社の社伝記に書かれた古代文字は、「阿比留草文字」に分類(一部「阿波文字」が混在)されています。 
この「阿比留草文字」は、甲骨文字が発達する過程の金文の草書体であり、解読も出来ているそうです。


伊那谷から見える古代史

古代文字で書かれた社伝記・美社神字録からは、多くの史実が読み取れます。
その史実を読み解くと、真実の古代史が見えてきます。


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このイラストは、
・伴崎史郎さんのサイト「伊那の谷から古代が見える」と、
・大御食神社総代会(発刊)「美女ヶ森 大御食神社の社宝」を参考にして、描いています。

社宝2

大御食神社の詳しい歴史、伊那・駒ヶ根周辺の探訪、古代文字解読などについて、
上記の史郎さんのサイト「伊那の谷から古代が見える」で詳く研究されています。

ご興味のある方は、ぜひご覧ください。

この記事の中でも関連する内容を一部転載させて頂いています。
ありがとうございます。


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今回のイラストを描くきっかけとなったのは
2015年12/3(木)~12/4(金)に
伊勢神宮神代文字奉納文・保存会代表の大下伸悦先生、
金沢の櫻井さん、駒ヶ根の史郎さんとともに出かけた、岐阜・長野の旅でした。

過去の記事で、南木曾~中津川~恵那~阿智~駒ヶ根 周辺の神社参拝をレポートしています。
ご興味のある方は以下のリンクをご覧ください。

●恵那神社
http://ruri87.blog18.fc2.com/blog-entry-1534.html

●胞山で見つけた磐座神社
http://ruri87.blog18.fc2.com/blog-entry-1535.html

●天照大神の誕生伝説 恵那の血洗池
http://ruri87.blog18.fc2.com/blog-entry-1536.html

●阿智神社(あちじんじゃ) 前宮
http://ruri87.blog18.fc2.com/blog-entry-1537.html

●阿智神社(あちじんじゃ) 奥宮
http://ruri87.blog18.fc2.com/blog-entry-1538.html

●安布知神社(あふちじんじゃ)
http://ruri87.blog18.fc2.com/blog-entry-1539.html

●大御食神社(おおみけじんじゃ)
http://ruri87.blog18.fc2.com/blog-entry-1540.html

●駒ヶ根 大宮五十鈴神社
http://ruri87.blog18.fc2.com/blog-entry-1541.html

●ヒルコ姫(ワカ姫) 恵那・阿智への御成り
http://ruri87.blog18.fc2.com/blog-entry-1542.html

大御食全体木漏れ日(web用sin)

イラストを描いていくと、この地がとても深い歴史を秘めていることに気付かされました。
今後も、大御食神社や伊那谷周辺のイラストを描いていきます。

テーマ:心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル:心と身体

  1. 2016/01/01(金) 12:17:54|
  2. イラスト