瑠璃の星☆彡

写真・イラスト・旅日記

多神社(おおじんじゃ)

多神社1

関西ホツマのメンバーさんたちと行く「ニギハヤヒさんをめぐる旅 part.5」

今回の旅は、朝から晴天に恵まれて、サクサクと歩きたい場所を歩き
全行程を難なくこなす事が出来た、とても充実した旅でした。

だいたい、私が余計なチャチャを入れつつ、寄り道しながら歩いていきます。
いちいち気になるものが出現して、真っ直ぐに歩けない・・・
そのためいつも遅れ気味になってしまい、申し別けないな・・・と気にかけつつ。

今回はとっても、良かった~よかった~と、思えた旅でしたぁ。

皆さんも、そう思ってくださっているはず。です。たぶん。


最後に訪れたのは
多坐弥志理都比古神社(おおにますみしりつひこじんじゃ)です。
多神社(おおじんじゃ)とも呼ばれている神社です。

多神社2

所在地は、奈良県磯城郡田原本町大字多字宮ノ内569

多神社3

多神社(おおじんじゃ)=多社、多坐神社、太社、意富社

・・・とも書かれるようです。

多神社4

多神社5

いい青空です。 爽やか♪

これまでの鏡作神社とは、明らかに違う。
小杜神社の森に包まれた空気ともちょっと違う。

秘められた場所から、オープンな場所へ躍り出たという感じです。

多神社6

御祭神

第一社 神倭磐余彦尊(神武天皇:神八井耳命の父)
第二社 神八井耳命
第三社 神沼河耳命(綏靖天皇:神八井耳命の弟)
第四社 姫御神(玉依姫命:神八井耳命の祖母)


このほかに、『古事記』を編纂した太安万侶も祀られています。
当地は多氏の拠点であり、多氏の祖神である神八井耳命を祀ったものとみられる。

『延喜式神名帳』には「大和国十市郡 多坐彌志理都比古神社二座」と記されている。

久安5年(1149年)に当社禰宜多朝臣常麻呂が国司に提出した『多神宮注進状』では以下の2座とし、
また、社名より水火知男女神(みひしりひこひめのかみ)が『延喜式神名帳』の2座であるとも書かれている。

珍子 賢津日霊神尊(うつのみこ さかつひこのみこと) 皇像瓊玉坐 河内国高安郡春日部坐宇豆御子之社と同神
天祖 賢津日孁神尊(あまつおや さかつひめのみこと) 神物圓鏡坐 春日部坐天照大神之社と同神


元文2年(1737年)の『多大明神社記』では現在の四座になっているが、
明治時代の『神社明細帳』では本殿の第一社・第四社は摂社の扱いとなっており、
主祭神は神八井耳命・神沼河耳命の二座としている。

社名の通りであれば弥志理都比古(みしりつひこ)を祀る神社ということになるが、
これは神八井耳命のこととされる。神武天皇の長子でありながら弟に皇位を譲ったので、
「身を退いた」という意味で「ミシリツヒコ」とも呼ばれる。

古くは春日宮と称し、現在の社領地は約1万m²余を有するが、
『大和志料』によると、天文21年(1552年)、当地の領主・十市遠勝より
周囲6町四方の土地(約42万m²)を寄進されたとあり、四方に鳥居があったという。

(wikiより引用)

多神社7

こちらの多神社は、訪れる前から、ホツマのメンバーさんの中では
「なぜかとても引き付けられて気になる・・・」といったフィーリングがあったようです。

きっと、奥深くからの魂のひびきが
今日は皆で参拝しようと、向かわせたのだと思います。

そんなことを聞いているうちに
私の中には、その中のメンバーに加えていただけることになって
とてもありがたいな~♪という気持ちが湧き上がっていきました。

本当にうれしいです。

この気持ちを、この旅の最後の記事に記しておけることも、とても幸せです。

多神社8

まろちゃんがふたりいる・・・

狛犬さんのように、並んでいて
ちょっとほほえましいな~と思いました。

私はどこであっても
こういうノリがやっぱり好きなんだなぁ~と実感しました。

多神社9

手を合わせて、多氏のこれまでの御功績を称えていたら・・・

中で笛の練習をしていたグループの音に呼ばれていたのか、
フワフワと漂う、たくさんの玉響が、音にあわせて踊っているかのようにみえました。

多神社10

御神霊さんが、扉の向こうから、コンニチワ~~。

多神社11

なんだかどんどん、神社仏閣の御神霊さんたちと
宇宙的な対話になってきていますね。

こんなふうに
ちゃんと顕現されていくのだもの。。。

私は、素直な心で応えていくだけ。
一緒に歩いて行くだけ。

それだけで、とってもたのしいな~と感じます。

多神社12

記紀神話には、「神八井耳命は皇位を弟に譲り、自らは神祇を祭る」とあり、
それが当社の始まりであるとしている。

綏靖天皇2年(紀元前580年)、神八井耳命は春日県(後の十市県)に邸宅を造り、
そこに神籬磐境を立てて自ら神祇を司り、春日県主の遠祖・大日諸神を祭祀者として奉祀せしめた。

崇神天皇7年(紀元前91年)、その神祠を改造し、天津日瓊玉命・天璽鏡劔神を祈賽したと伝える。

『正倉院文書』の天平2年(730年)大和国正税帳に
「太神戸稲壱萬伍伯伍拾弐束伍把 租壱伯参拾捌束肆把 合壱萬陸伯玖拾束玖把」と記され、
太(多)神社の神戸が有する稲は、田租用の138束4把と合わせて1万690束9把という、
他社と比べて大きな経済力を持っていた。

『延喜式神名帳』では「大和国十市郡 多坐彌志理都比古神社二座」と記され、
名神大社に列し、月次・相嘗・新嘗の幣帛に預ると記されている。
永治元年(1141年)の『多神宮注進状草案』では神階正一位となっており、
「正一位勲一等多大明神」の扁額が一ノ鳥居に掲げられていた。

明治時代に多村の郷社に列格し、大正12年(1923年)に県社に昇格した。

多神社13

多神社14

多神社15

多神社16

多神社17

多神社18

多神社19

太陽のように輝くコスモス。
周辺の畑にたくさん咲いていて、とても綺麗でした。

多神社20

稲穂も、実ってきています。

もうすぐ実りの秋。

種まき~成長~実りを迎えて、収穫し、きちんと刈り取って、味わう秋。

これからどけだけ充実した秋を迎えることが出来るでしょうか。

魂のみぞ知る、ですね。

ちゃんと見えてくるまで、しっかりと歩き続けたいです。

テーマ:心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル:心と身体

  1. 2015/09/13(日) 00:56:43|
  2. ニギハヤヒの軌跡旅