瑠璃の星☆彡

写真・イラスト・旅日記

大御食神社・御影杉 ヤマトタケを迎える赤須彦と押姫

大御食6

【名 称】  
美女ヶ森  大御食神社 ( おおみけ神社 )

【御祭神】  
日本武尊
宮簀姫  またの名を 厳郎姫・五郎姫 (イツイラツヒメ)
八幡大神 (譽田別命・応神天皇)

【由 緒】 
景行天皇の御代、日本武尊東征の帰途、里長赤須彦の饗を受け三夜を同地に過ごし、赤須彦に御食津彦の名を賜る。
景行天皇48年(118)、赤須彦が日本武尊を祀り、大御食ノ社(おほみけのやしろ)と名付る。
応神天皇36年(307) 7月22日、熱田の草薙の剣の霊代と 美女社の宮簀姫とを迎え地名を 『 美しの社 』 とする。
元慶 3年(873) 石清水八幡宮から八幡の神を迎え、日本武尊と宮簀姫(五郎姫)を相殿に奉斎。
明治五年 郷社に昇格
昭和42年 神社本庁より 献幣使 参向指定神社となる。

【施 設】  
本殿
景行天皇 48年(118) 創建
久安 5年(1149) 本殿建替 吾道直賢木代
応永 2年(1395) 本殿建替 吾道狭称麿代
寛文 7年(1667) 本殿建替 小町谷摂津守代
享保18年(1734) 本殿造営 
元治元年(1864) 本殿建替 小町谷筑後守代
         諏訪の名匠 立川流 立木音四郎 作。
         (現在の本殿)
拝殿
大正 9年(1920) 大工小口平四郎・矢崎貞之

【境内社】
御渡社 建御名方命・橘姫命・上古地主神(産土神)
御継社 伊弉諾命・伊弉冉・
      天之御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神
御食津彦社 八意思兼尊・御食津彦・他
植継社(植継大明神) 吾道赤須彦
二木社
山神社
山の鼻社
富士社
真澄神社


【御神木 御蔭杉】

上古の時代 建御名方命が国造りの時 奇杉なりと愛で給い、
景行天皇の御代、日本武尊東征の帰路、赤須彦この杉の大樹の元 仮宮を設けて尊を迎え
酒餞を饗せし時 尊 大に悦ばれ、この杉の樹陰 清々しく弥栄えて丈高く 奇杉なりと 愛で給いぬ。

以来 この杉を 御蔭杉と称せしと 神代文字社伝記に 記しあり。

神功皇后4年(204年) 杉枯れたにで 翌5年春 中枝の大虚に育った実生の杉の植継を行いたり。

文徳天皇斉衛三年五月 御蔭杉枯れたりしたため 同天皇天安二年(858年)春
上下伊那より氏子百数十人により 杉の植継行われ 七日七夜 歌い舞の宴を張り大祭を行いしと記され伝えられる。

現在の御神木 御蔭杉は その時植えられたもので 樹齢千百年余りを経ている。

大御食全体(web用sin)

大御食神社(おおみけじんじゃ)のこと

信濃國 伊那郡 赤須ノ里に、 鎮守の森・美女ヶ森があります。
森には景行48年(西暦117年)創立の大御食神社が、二千の歴史を込めて佇んでおり
古代文字で書かれた社伝記を伝えています。

社伝記「大御食ノ社 年代記」を解読した落合直澄は 「美社神字」とし、
また近年 吾郷清彦氏はこれを「美しの社物語」と題して著書で紹介、全国に知られるようになりました。


大御食ヤマトタケ(web用sin)

日本武(ヤマトタケ)尊

大御食神社は、日本武(ヤマトタケ)尊の名付けたお宮です。 

ヤマトタケの東征の足取りは、神社伝承からかなり明確に分っています。

ヤマトタケは、出雲の神々や高皇産霊神ファミリーを従えて
文字通り「蝦夷等言向け平和(やわし)給ひ」て来たのです。

大御食神社には境内にご神木の「御蔭杉」があります。
ヤマトタケが訪れたとき、
「この杉は清清しく、丈高く、弥栄へ奇しき杉なり綾杉なり」と愛でたのでした。

大御食押姫(web用sin)

赤須彦の娘・押姫

社伝記「大御食ノ社 年代記」の内容は・・・

・日本武尊が東征の帰途、赤須彦から接待をうけ、娘の「押姫」と三日三夜過ごしたこと
・大御食神社の創立の様子
・植継ぎされている御蔭杉のこと
・千年前の農事「稲虫送り」の様子など

景行41年(AC111)から村上天皇(943-956)の御代までの約840年間の出来事が
神代文字の『阿比留草文字』で記されており、
これに則って神社の行事祭典等が行われています。

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大御食押姫2(web用sin)

東征の岐路のを、里人は御影杉の下に仮宮を設けて迎えました。
そして湯奉の沢の清水で大御湯、栗餅を奉り、尊に従うことを誓ったのです。
また、中沢の熊鰐が採った山の物、野の物、川の物をもって大御酒、大御食でおもてなしました。

赤須彦(御食津彦)の娘の押姫と三夜お過ごしになり、別れに詩を残してゆきました。

「二夜三夜二人寝哉 飽ぬかも 美くし少女愛哉 居立 愛哉少女」


押姫答えて曰く

「愛哉 我大君の御手に纏く 玉持日根子不忘 玉持つ 日根子不忘 吾夫標延  吾夫標延」

赤須彦(御食津彦)は、赤津の里人と共に尊をお送りし、
尊の御座した所の小石を「御手掛石」または「皿石」と言ったのです。

村人は尊を称え、景行天皇五十八年、神殿を建て鎮祭し「大御食神社」と称しました。

応神天皇八年、五郎姫(宮簀姫)を尾張の国より迎え同殿に合祀し「美女ヶ森」と称しました。

大御食赤須彦(web用sin)

赤須彦(御食津彦)

赤須の里長。

ヤマトタケは東征の帰途、赤須の里に立ち寄り、饗を受けます。
赤須彦は、そのとき、ヤマトタケより御食津彦の名を賜ります。

社伝記では以下のように記しています。

「吾はこの国の魁師、阿智ノ宮に齊い祀る、思兼ノ尊の子 表春の命の裔、阿知の命の御子阿知山の裔の別裔、赤須彦なり。」

古事記によると、

『天地初發之時。於高天原成神名。天之御中主神。次高御産巣日神。次神産巣日神。』
「天地が初めて分かれた時、高天原に成り出でた神の名は、天之御中主(アメノミナカヌシ)神。次に高御産巣日(タカミムスヒ)神。次に神産巣日(カムムスヒ)神。」


二番目に成り出でた神・高御産巣日神(高皇産霊神)の息子が『八意思兼尊』で、
その子が手力雄命、表春命です。

そして、赤須彦は自ら、思兼尊の子・表春命末裔であると言っています。

すなわち大御食神社は、神々の系譜に連なる、由緒あるお宮なのです。


大御食従者(web用sin)

古代文字

大御食神社の社伝記に書かれた古代文字は、「阿比留草文字」に分類(一部「阿波文字」が混在)されています。 
この「阿比留草文字」は、甲骨文字が発達する過程の金文の草書体であり、解読も出来ているそうです。


伊那谷から見える古代史

古代文字で書かれた社伝記・美社神字録からは、多くの史実が読み取れます。
その史実を読み解くと、真実の古代史が見えてきます。


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このイラストは、
・伴崎史郎さんのサイト「伊那の谷から古代が見える」と、
・大御食神社総代会(発刊)「美女ヶ森 大御食神社の社宝」を参考にして、描いています。

社宝2

大御食神社の詳しい歴史、伊那・駒ヶ根周辺の探訪、古代文字解読などについて、
上記の史郎さんのサイト「伊那の谷から古代が見える」で詳く研究されています。

ご興味のある方は、ぜひご覧ください。

この記事の中でも関連する内容を一部転載させて頂いています。
ありがとうございます。


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今回のイラストを描くきっかけとなったのは
2015年12/3(木)~12/4(金)に
伊勢神宮神代文字奉納文・保存会代表の大下伸悦先生、
金沢の櫻井さん、駒ヶ根の史郎さんとともに出かけた、岐阜・長野の旅でした。

過去の記事で、南木曾~中津川~恵那~阿智~駒ヶ根 周辺の神社参拝をレポートしています。
ご興味のある方は以下のリンクをご覧ください。

●恵那神社
http://ruri87.blog18.fc2.com/blog-entry-1534.html

●胞山で見つけた磐座神社
http://ruri87.blog18.fc2.com/blog-entry-1535.html

●天照大神の誕生伝説 恵那の血洗池
http://ruri87.blog18.fc2.com/blog-entry-1536.html

●阿智神社(あちじんじゃ) 前宮
http://ruri87.blog18.fc2.com/blog-entry-1537.html

●阿智神社(あちじんじゃ) 奥宮
http://ruri87.blog18.fc2.com/blog-entry-1538.html

●安布知神社(あふちじんじゃ)
http://ruri87.blog18.fc2.com/blog-entry-1539.html

●大御食神社(おおみけじんじゃ)
http://ruri87.blog18.fc2.com/blog-entry-1540.html

●駒ヶ根 大宮五十鈴神社
http://ruri87.blog18.fc2.com/blog-entry-1541.html

●ヒルコ姫(ワカ姫) 恵那・阿智への御成り
http://ruri87.blog18.fc2.com/blog-entry-1542.html

大御食全体木漏れ日(web用sin)

イラストを描いていくと、この地がとても深い歴史を秘めていることに気付かされました。
今後も、大御食神社や伊那谷周辺のイラストを描いていきます。

テーマ:心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル:心と身体

  1. 2016/01/01(金) 12:17:54|
  2. イラスト