瑠璃の星☆彡

写真・イラスト・旅日記

恵那山 (恵那神社と安岐郷の歴史)

恵那1

ゴールデンウィーク後半の5/3(火)~5/5(木)
再び岐阜~長野の旅へ出かけてきました。

今回一緒に旅したメンバーは(敬称略です)

大下伸悦さん、宮﨑貞行さん、伴埼史郎さん、櫻井康子さん、
サラ・シャンティ清水正博・和子夫妻、私の7名です。

恵那2

恵那山周辺は、去年2015/12/3に歩いてきました。
その時のレポートはこちらです。↓
恵那山
http://ruri87.blog18.fc2.com/blog-entry-1534.html

季節が変わって、新緑の山々を眺めながらの参拝も
また違った趣があってイイもんだなぁ~と感じました。

恵那3

しゃくなげの花が咲いていました。
今が見ごろで、とても綺麗です。

恵那4

しゃくなげの花言葉とその由来を調べてみました。

「威厳」「荘厳」・・・原種は高山地帯に分布するので「高嶺の花」であり、
花の美しさから「神々しい木」としてのイメージが形作られたことから。

「警戒」「危険」・・・葉に有毒成分を含むこと、採取には、
危険な高山地帯に足を踏み入れる必要があることから。

中国原産の花のようです。

恵那5

たしかにこの場所自体が、「威厳」「荘厳」です。

恵那山はイザナギとイザナミの子
アマテル神の胞衣(えな=へその緒)を納めた山と云われています。

いまは車で参拝することが容易ですが、
岐阜と長野の奥深い山の中です・・・
昔の中山道を利用して東西を移動していく人たちにとっては
ここまで来るのはかなり厳しかったことでしょう。

恵那6

イザナギとイザナミの夫婦杉。

ちょうど5か月ぶりの再会でした。

恵那7

こんなに短期間のうちに、また会うことができるとは。。。

嬉しいやら 懐かしいやら 温かいやら (´;ω;`)ウゥゥ

恵那8

この杉の御神木は、大下先生の「言霊百神」の表紙にもなっています。

実物はやっぱり「威厳」「荘厳」という名がふさわしく感じられて
そばには高値の花がやっぱり似合うんだなぁ~と感じました。

恵那10

同じ場所に立っても、ちがう空気が漂ってくる。

巡る季節が感じられる、日本の四季。

素晴らしいよね。

恵那9

今回は、宮﨑貞行さん、伴﨑史郎さんと
一緒に参拝できたこともうれしかったです。

ここであわうたを響かせると
スーッと清々しい気持ちになりました。

恵那14

恵那11

恵那12

恵那13

その後、再び恵那山麓の「血洗池」(胞衣を洗った場所)のほうにも訪れました。

恵那15

途中の道で、旧蹟「龍泉寺・山祇神社」の石碑が建っています。
隣には、本尊の馬頭観音さんの石碑も。

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補陀山龍泉寺(ほださんりゅうせんじ)について
(安岐郷誌サイトより)

室町時代に建立され戦国の世に焼失した保古山の寺院。
現在は石碑と観音堂、池、井戸の遺構のみが残っている。

兵火を免れた寄木造りの馬頭観世音菩薩は江戸時代に再建された観音堂に祀られていたが、
現在は根ノ上観音 (岐阜県重要文化財) として萬嶽寺が管理している。
今は根ノ上観音は秘仏となっており
恵那三十三観音参りの時期に合わせて4月と10月の12〜18日の間のみ開帳している。

恵那16

龍泉寺は浦陀山と号し文亀年中の創建と伝えられ馬頭観音を本尊とし天台宗に属す。
天正二年武田勢の兵火により僧堂悉く灰燼に帰したが
本尊は難を逃れ後に萬嶽寺へ移祀され昭和四十四年岐阜県指定文化財とさる。
山祇神社は祭神に大山祇命を奉斉し龍泉寺及び近隣山林の守護神として祀られ
同寺焼失後境内境外山林に同神社所属の官有地となっていたが、
明治四十四年一部を残し民間に拂下げられ同神社は昭和九年村社血洗神社へ遷座合祀された。
昭和十七年松下開発株式会社並に株式会社大地…此の地域…当たり両社の協力により…
拝を永久に保存し古暦を偲び碑を建てる。

昭和四十七年五月吉日 山祇神社氏子一同

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(以下も安岐郷誌サイトより)

浦陀は一般には通じず、後述の巖邑府誌からも補陀ほだの誤字か当て字と考えられる。
補陀山は補陀落とも呼ばれ、南海にあり観音が浄土する山を意味している。
チベットのポタラ宮と同じサンスクリット語のポタラカを語源としている。

1501年頃(文亀年間)〜1574年(天正2年) は室町時代の後期、
つまり龍泉寺は日本が戦国時代へ突入しようという時に建立された
(現在萬嶽寺に納められている馬頭観世音菩薩が室町時代のものと言われているのはこれが根拠だろうか)。

天正2年は武田軍の手に落ちた岩村城に武田勝頼が入城した年。
この時勝頼はまだ遠山勢の手にあった遠山十八子城を全て落とし、
周辺の神社仏閣などを手当たり次第に焼き払ったと伝えられている (岩村城の戦い参照)。

向かって右には馬頭観世音の石碑が建てられている。
背面の碑文によればこれは 1978年 (昭和53年) に
山祇神社氏子総代の方の遺言によって建立されたものである。

恵那17

碑文
昭和四十六年頃此の地方一帯は開発造成され旧龍泉寺跡 (山祇神社所有地) も売却処分する事となり
西尾鍚雄氏は当時氏子総代会長として補償交渉に当られました。
生前氏は往時を偲び同寺本尊馬頭観世音の建碑を望んで居られたが
昭和五十二年七月志し成らずして不帰の人となられました。
遺言により金壱拾萬圓也を寄進せられ昭和五十三年五月三日之を建立す。氏子一同

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岐阜と長野の県境の街をドライブしていると、
やたらとチベット・インド料理店の看板が目につきました。
ポタラ宮殿のイメージを彷彿とさせるような宣伝文句が並んでいます。

このあたり一帯は、明治のころには、
廃仏毀釈の影響が最も濃かった地域だったようです。
天台宗寺院がこの場所にはたくさんあったようです。

街並みを見ていると、目まぐるしく様々な色に塗り替えられていくような
世界の中のアジアの歴史が垣間見れるような気がしました。
この山間の町でもいろいろなカラーがあることが分かります。

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この旅の最後の締めくくりに5/5(木)、笠置山のピラミッドを見に行ったとき
途中で宮﨑さんおススメの「日天月天」というカフェに立ち寄りました。

日天月天
そこで頂いたランチが、まさに太陽のカレー。\(◎o◎)/
「姫栗ベジタブルカレー」です。 ライスが笠置山ピラミッドかな。 
おぉぉ 交合・・・じゃなかった 神々しいです。
チベット・インドと、またしても出会えました。

大下先生はマヤの農法を実践していらっしゃったので、
そっちの太陽信仰とも通じているのでしょうね。

太陽と月がこのプレートにも描かれています。

岐阜・長野の旅は、どこへ行っても
太陽・太陽・太陽~がテーマの旅といってもイイのかもしれません。

・・・いきなり、旅の最初と最後を繋げてしまったレポとなりました。(^-^;

間にもイイところをいっぱい訪ねてきたので
追々またレポしていきたいと思います。

・・・・再びの阿智村へと、つづきます。

テーマ:心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル:心と身体

  1. 2016/05/06(金) 09:30:55|
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