瑠璃の星☆彡

写真・イラスト・旅日記

天燈山/奥武山の心海上人

心海上人1

2/9那覇に着いてから、ひとりでぶらぶらと
天燈山(てんとうざん)/奥武山(おうのやま)の周辺を歩きました。

ここは沖縄県営奥武山公園

沖縄県初の運動公園として1959年(昭和34年)6月に開設されたそうです。
毎年10月には「那覇まつり」「産業まつり」の主会場であるそうです。

心海上人2

琉球八社・沖宮~護国神社へと参拝した後、
招き猫さまがご登場。

心海上人3

ブルーの瞳がキラリと光る猫さま。

「こっちだよ 付いてきな」

って言われてるような気がしました。

心海上人4

ブチの猫さまもご登場。

心海上人5

ここは猫公園でもあるのか。。。

心海上人6

そして、猫さまに導かれて向かった先には・・・

心海上人7

心海上人(しんかいしょうにん)のお墓。

お墓を護っている猫さまでしたか。

心海上人とは、いったい、どんな人物なんだろう・・・?

心海上人8

沖宮(おきのぐう)の由来に
心海上人のことが書いてありましたので、引用します。

現在は、橋や埋め立てにより陸続きになっている奥武山は
その昔、漫湖の入江に浮かぶ島でした。

琉球王国時代の奥武山は、美しい景勝地で、
江戸時代の有名な絵師
葛飾北斎「琉球八景」のひとつとして描いているほどです。

琉球八景

1710年頃には、心海上人(しんかいしょうにん)が
護国寺の隠居寺である龍洞寺(りゅうとうじ)
奥武山に創建したという記録があります。

弁財天堂の蓮池と浮見堂があったという記録から
花鳥風月が麗しい趣ある寺社であったことが想像されます。

心海上人9

1721年の「中山伝信録」には

「奥武山は、もと蛇のすみかであったが、僧心海がここを開いてから
蛇は海を渡って逃げてしまった。
堤を築いて潮をせき止め、泉をひき松を植え、五・六軒の家を構えた。
前に沼があり、小亭が二つ。
仏桑花やソテツなどをたくさん植えてある」


との記録があります。

心海上人10

また、こんな民話もあるそうです。

琉球のその昔、ミミズは奥武山にのみ棲んでいたという。
ある十五夜、ミミズが揃って月見を楽しんでいたところ、
長老ミミズが涙ながらにこう言った。

「奥武山のミミズは増えすぎた。このままだと、食べる土が絶えてしまう…」と。

これを聞いた若ミミズたちが悲しみのあまり、一斉に泣き始めた。
この騒動を聞き付けた青大将が言った。

「渡地(わたんじ)に渡れば土はたくさんある」。

これは渡りに舟と、ミミズたちはフクギの葉を舟に漕ぎ出した。
それから、土を求めてミミズは琉球のすみずみにまで広まったそうな。

心海上人11

奥武山が公園になったのは明治34年(1901年)
東宮(皇太子殿下)のご成婚を記念して、沖縄初の運動公園として開設されたそうです。

琉球では、シーサーもよく見かけるけれど
龍のモニュメントもあちこちで見かけます。

シーサー=猫さま
ミミズ=龍

なのかなぁ・・・?

そんなことを考えながら、ぶらぶらと散歩してました。

散歩するにも退屈はしません。

招き猫さまのお導きに感謝します。

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  1. 2018/02/14(水) 08:08:41|
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