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瑠璃の星☆彡

写真・イラスト・旅日記

『邪馬台国ラプソディ』 聖地巡礼 33 奴国の丘歴史資料館

318奴国の丘歴史資料館1

2018/3/14(水)~3/20(火)に旅してきた
小説『邪馬台国ラプソディ』 の聖地巡礼レポートです。

邪馬台国2

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3/18は、
大人の社会科見学ともいうべき
史蹟めぐりが中心の旅をしています。

吉野ヶ里遺跡~大宰府と探訪し、
春日市の奴国の丘歴史資料館へとやってきました。

318奴国の丘歴史資料館3

資料館のドアを開けると、
ガイドの方が出迎えてくださり
懇切丁寧に奴国(なこく)の成り立ちを語ってくださいました。

ここは、ふだんは小学生たちが見学しにくる場所なのだそうです。
その説明を私たちにも聞かせてくださり、
弥生時代の奴国は対外的にどんな場所だったのか
どんな国づくりが行われていたのか、など
とても分かりやすい説明をしてくださったので好感を持ちました。

ここも、掘ればなにかが出てきてしまう場所らしいです。
古墳とか・古墳とか・甕棺の古墳とかですね・・・。

318奴国の丘歴史資料館2

手作り感が満載の年表です。

古代に繁栄していた奴国
そこに注がれる愛国心

熱いわぁぁぁーーーーーー。 (≧▽≦)

318奴国の丘歴史資料館4

地図には書ききれないお話を、たくさんお聞きしました。

318奴国の丘歴史資料館5

当然、大きなお城も存在していたそうです。

318奴国の丘歴史資料館6

弥生時代は、現在の地形とはずいぶん異なっていたようです。

たとえば、畿内でも現在の奈良盆地の大半は、
かつては海だったように、古代の輸送手段は船が中心。

弥生時代の奴国もそれと同じで、
いまの博多方面の湾岸都市もまた
深い入り江で海に続く川底だったということがわかって、
ちょっと衝撃をうけました。(◎_◎;)

春日市は、城を築くのには
良い条件の揃った土地だったということですね。

周囲には池も多い奴国。
水城(みずき)システムというのも考案されていて
当時の奴国の土木技術の高さを垣間見ることができました。

663年に白村江の戦いで、唐・新羅の連合軍と戦って敗れます。

水城は7世紀に敵の侵入に備えるため、防衛施設として築かれました。
太宰府を護る防衛線・大防塁(土塁)です。
春日市の他にも、大野城市・太宰府市にもあります。

318奴国の丘歴史資料館7

水郷システムで水の流れを調整するのは
大変な土木技術だと思いますが、
土塁は版築(はんちく)という
朝鮮半島から伝わった高度な土木技術。

その内部には、導水管(木樋)が埋め込まれていて
木樋は土塁の内側で集めた水を
外側の濠に送り出す仕組みになっていたそうです。

お濠に水が溜められて
土塁が城壁となる・・・すごいシステムです。

これがその導水管(木樋)の一部です。

ヤマタノオロチにも例えられているシステム。

さまざまな語られ方をするヤマタノオロチ。。。。興味深いです。

318奴国の丘歴史資料館8

1929(昭和4)年に、日拝塚古墳が盗掘を受けた際に
出土したと伝えられている金製の耳飾
朝鮮半島の伽耶(かや)地方から舶載されたものだと考えられています。

318奴国の丘歴史資料館9

吉野ケ里遺跡でも、ブルーのガラスで作られたアクセサリーを見ましたが
奴国のネックレスもとても綺麗ですね♪ (^○^)

弥生女性も女子力が高そうです。

318奴国の丘歴史資料館10

私も翡翠の勾玉やネックレスを付けますが
弥生と現代、センスはそんなに変わらないんだなぁ~と思います。

そして瑠璃色には、やはり魅かれます。
好みが変化していないだけなのかもしれないけれど。 (^o^)

318奴国の丘歴史資料館11

文化水準も高いようです。
弦がたくさんある弥生琴も復元されています。

318奴国の丘歴史資料館12

奴国の繁栄を支えた生産工房群
周囲にたくさん発掘されています。

銅鏡、銅剣、銅矛、銅戈、銅鐸。

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318奴国の丘歴史資料館14

石を彫り込んでつくった鋳型をあわせて
その隙間に銅と錫の合金を流し込んでつくる青銅器。

奴国の須玖遺跡群からは青銅器の鋳型゛200点以上、広さが2000平方メートル
に及ぶ国内最大のものを含めた工房跡がいくつも発見されているそうです。

そして青銅器は西日本の各地へもたらされてゆきます。

318奴国の丘歴史資料館15

ここ福岡県春日市は、
奈良の春日大社周辺にある地名や史跡と
かなりの一致がみられます。
三笠川もあるよ。

奴国は、奈良時代の元春日と言えるのでは・・?

318奴国の丘歴史資料館16

こんな感じで作っているらしいです。 (/・ω・)/

318奴国の丘歴史資料館17

そして、吉野ケ里でもたくさん見てきた甕棺です。

甕棺は奴国のタイムカプセル

現在は人がなくなると火葬にしますが、
昔は土の下に埋める土葬をしていました。
日本は酸性土壌のところが多いので、
何百年もすると土に還り、跡形もなくなります。
しかし甕棺に埋葬された場合、割れたり壊れたりしなければ
人骨や金属製の副葬品などでも、約2000年を隔てた現代まで長く保存され、
貴重な情報を届けてくれることがあります。
まさに弥生時代からのタイムカプセルといえるのでしょうか。

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私には、最初、この発想が浮かびませんでした。
吉野ケ里で甕棺墓が大量に土中に埋まっていると知って、それを見てきて
正直なところ、気持ち悪いな~と思ったのです。

人間の肉体など、死後はすぐに土に還るのが一番の理想でしょ。
宝飾品をジャラジャラといっぱいくっ付けて、
何千年も自然に還らないものを作り続けるなんて。
まったく、弥生人たちの気が知れない・・・と思っていました。

タイムカプセルとはね・・・
それで現代まで変わらずに残るモノがあることで
歴史の流れを伝えてくれている。
そんな見方もあるのか・・・と、ちょっと甕棺を見つめ直したりしました。

それでも私の場合は、死んだらすぐに
跡形もなく消えて自然に還りたいと願うけれど。(^-^;

この時代の死生観をもっと知らないと
わからないことがたくさんありますね。

318奴国の丘歴史資料館18

甕棺内部も見せてくれています。
こんな感じで葬られます。

吉野ケ里と同じような甕棺墓が、奴国でも発掘される理由とは・・・?

318奴国の丘歴史資料館19

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ところで、金立山周辺に残された二〇〇〇人の徐福の家族や臣下は、
吉野ヶ里で環濠集落を大きくした。
徐福の故郷は中国の斉なので、吉野ヶ里では死者の埋葬は、
斉の埋葬方式である甕棺(かめかん)を用いた。
これは中国でも特殊な埋葬方法で、
江南の一般的な埋葬方法は支石墓だ。
甕棺墓は佐賀平野・筑後平野一帯に広がり、
福岡市、春日市等の遺跡でも甕棺が発掘されているが、
これは徐福の子孫と奴国の民が結婚して、
中国の斉と日本の地を引く子孫が
甕棺の埋葬方式を選んだものと推測される。


『邪馬台国ラプソディ』 P232 第六章 渡来人の道程 より
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318奴国の丘歴史資料館20

こちらは資料館の外にある住居跡です。

だいたい丸型の跡が発見されるそうですが
このように四角形の住居跡が見つかることは珍しいそうです。

318奴国の丘歴史資料館21

王墓の上石

貴重な発掘物ということで、現在地に移されたそうですが
もともとはここから約200m北西方にあった石なのだそうです。

この石の下から、約2100年前に中国で作られた鏡30面、銅剣
銅矛・ガラス壁・ガラス勾玉などの副葬品を伴った甕棺墓が発見されたそうです。

318奴国の丘歴史資料館22

単独の墳丘墓であったところで発見されたということで
当時の福岡平野一帯を治めていた、奴国王の墓と考えられています。

1899年(明治32)の、この一大発見のおかげで、
本格的な発掘調査が始まったそうです。

春日市一帯は、弥生銀座と呼ばれているそうですよ。
素敵な響きですね♪

とろで縄文銀座って、どこなのかなぁ・・・? (/・ω・)/







テーマ:心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル:心と身体

  1. 2018/04/04(水) 22:09:02|
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