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瑠璃の星☆彡

写真・イラスト・旅日記

『邪馬台国ラプソディ』 聖地巡礼 37 志賀海神社 

319志賀海神社39

2018/3/14(水)~3/20(火)に旅してきた
小説『邪馬台国ラプソディ』 の聖地巡礼レポートです。

邪馬台国2

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3/19の旅のレポートです。
私たちは博多から志賀島を訪れました。
金印公園に行って、その後に志賀海神社へ参拝しました。

この日もどんよりとした空模様で雨が降り続いていましたが
だいたいこんな時は、出雲のよくある天気と同様、
龍神さんの歓迎であると、私は勝手に思っています。

319志賀海神社1

ここ志賀島は、志賀海神社
古来より「海神の総本社」「龍の都」と称えられる島です。

319志賀海神社2

鳥居の横には、御潮井(清めの砂)がありました。
砂で身を清めてから進みます。

319志賀海神社4

石段を上って、それから長い参道が続いていました。
きっと、見晴らしの良い海が眺められるんでしょう。

周囲の島も見渡せるように。

319志賀海神社5

石造宝篋印塔 (有形文化財)

上部から
宝殊・八葉の花台
九輪・八葉の請花・八角の伏鉢からなる塔です。

8の数はどうやらとても重要らしいです。

東南西北に対応するように
「ウーン 阿閃如来」」「タラーク 宝生如来」
「キリーク 阿弥陀如来」「アク 不空成就如来」


金剛界四如来の種字を薬研彫りされています。

319志賀海神社6

参道には、山の神様も祀られていました。

特殊神事として、「山ほめ祭」とも称されるお祭りがあるからかな?

神功皇后による三韓出兵の際、
対馬豊浦に滞在中に志賀の海士がもてなしたという伝説に因むそうです。

神事では、志賀三山(勝山・衣笠山・御笠山)を祓い、三山をほめる。
次いで鹿を射る所作(狩の行事)、鯛を釣る所作(漁の行事)を行う。

319志賀海神社7

そして、なぜか、この山の神様には、
参拝者が財布を奉納するという・・・こちらも特殊ですね。

どうしてこうなった??

319志賀海神社20

志賀海神社は創建不詳。

古くは志賀島北部の勝馬に「表津宮」「仲津宮」「沖津宮」の三社が建てられ
それぞれ「表津綿津見神」「仲津綿津見神」「底津綿津見神」が祀られていました。

319志賀海神社8

2世紀~4世紀のあいだに、現在の場所に遷座し
併せて仲津綿津見神、表津綿津見神が奉祀されたと伝えられています。

綿津見三神を祖神とする
阿曇族が代々奉斎してきました。

319志賀海神社9

平城天皇の大同元年(八〇六年)に阿曇神に神封八戸が寄進され、
清和天皇の貞観元年(八五九年)に従五位上の神階が授けられました。

319志賀海神社22

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越人は長い間、朝鮮に暮らしていたが、
奴国が繁栄するようになると、越人のシマツヒコ(嶋津彦)は対馬に辿り着き、
安曇(あずみ)族を興して海人として対馬や壱岐を支配した。
その後、シマツヒコの息子のオキツヒコ(沖津彦)が粕屋に進出し、
粕屋の地を切り開いて面土国の貿易拠点とした。そして、
オキツヒコの子のシカヒコ(志賀彦)が帆ワニ船を考案した。
シカヒコは志賀島で祭祀を始めた。

安曇族は後に宗像族と婚姻による血縁関係を築き、
安曇族と宗像族は一つになって鉄の道を制した。
そしてその子孫が住吉族となる。

越のトーテムは鹿だ。安曇族を祀る志賀海神社は鹿を祀っている。
また藤原家に続く中臣家の神社の春日大社や鹿島神宮でも
鹿を大切にしているので、安曇族や藤原家は越人の末裔といえる。

『邪馬台国ラプソディ』 P215 第六章 渡来人の道程 より
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磯の香りが漂ってくるようなお社です。

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左殿:仲津綿津見神(なかつわたつみのかみ)
左殿相殿:神功皇后(じんぐうこうごう)


中殿:底津綿津見神(そこつわたつみのかみ)
中殿相殿:玉依姫命(たまよりひめのみこと)


右殿:表津綿津見神(うはつわたつみのかみ)
右殿相殿:応神天皇(おうじんてんのう)


ワタツミ(海・綿津見・少童)三神

海 = ワタ・ワタノハラ

海=宇美=産み

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拝殿にも、御潮井の砂がありました。

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社務所にも、御潮井があります。

319志賀海神社14

御神木の下には、亀や海の生物っぽい石がたくさんありました。
可愛い。(^O^)

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【鹿角堂(ろっかくどう)】

鹿角堂とは・・・鹿の角です。

京都の聖徳太子ゆかりの
「六角堂」とは無関係なのだろうか・・・とふと、思いました。
真相はいかに。。。

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越のトーテムは鹿、ということで
安曇族のシンボルでもあるのね。 (^O^)

関連する神社がいくつあるのか、見つけてみたくなります。

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鹿角堂にはなんと、
1万本以上ともいわれる多くの鹿の角が奉納されていました。

これにはびっくりでした。 (@_@;)

319志賀海神社28

今宮神社(いまみやじんじゃ)

御祭神
・宇都志日金拆命
・住吉三神
・阿曇磯良丸 神孫阿曇諸神


【志賀島に残る数々の神功皇后伝説】

神功皇后は三韓出兵に際して、志賀島の阿曇磯良を召されました。
そして龍神より干珠満珠を授かり、無事に三韓を平定して帰還されました。
志賀海神社にはその様子を描いた神功皇后出兵絵巻が残されています。
志賀島には神功皇后伝説にちなんだ地名が多く残っています。
阿曇磯良を海国から召し出そうと7日7晩神楽を奏したところが舞能ヶ浜、
志賀島にお着きになり願いがかなったと仰せられたところが叶ヶ浜、
皇后が馬から下りられたところが下馬ヶ浜、
志賀大明神に奉賽した際に馬が喜びいなないたので勝馬となったといわれています。
また志賀海神社裏手の山を勝山と称され、そこに櫂を奉られました。

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319志賀海神社29

こちらは、遥拝所。

沖津宮(おきつぐう)見えるかな?

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遥拝所には、石が祀られています。

319志賀海神社31

「亀石(かめいし)」と呼ばれる石で
神功皇后による三韓征伐の際、
阿曇磯良が亀に乗って皇后らの前に現れたという伝承に因んで
後世に奉納された霊石ということです。

浦島太郎の伝説がありますが、
阿曇磯良もそのモデルのひとりなのかもしませんね。

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境内末社も多くて
志賀に12社、勝馬に5社、弘に1社、大岳に1社
計19社が鎮座するそうです。

319志賀海神社13

漁猟に関する例祭も多いみたいですが
「七夕祭り」も気になります。

私は8/7が誕生日ですが、
ちょうど例祭日の「七夕祭り」に生まれています。

そして志賀海神社の所在地は、 福岡県福岡市東区志賀島877
日田の有王社は、 〒877-0000 日田市夜明、でした。

なにかと今回の旅では
87のナンバーが目についていて
ちょっと気になってしまいました。

私自身も、87に因む海や川辺とは
切っても切れない縁があるみたいです。

ぜひ七夕の時期に訪れてみたいものです。(^O^)

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お魚天国の志賀島。

こんな可愛い看板も♪

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絵馬だって目出度いんです。
愛でタイ。。。

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拝殿の前で、カタツムリさんにも出会いました。
ずっと雨が降っていたので、出てきてくれたのでしょう。

陸の生き物だけれど、水辺の生き物でもあるよね。

319志賀海神社37

鹿さんと

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龍さん。

319志賀海神社3

こちらは末社です。 

【印鑰社】

御祭神  ・久那土神  ・天磐楠船神  ・迦具土神

雁の巣の航空隊にあった奉安殿の移築とともに
合祀された社ということです。

航海航空がひとつに。

319志賀海神社40

フトマニの歌の中にも、海の真砂に関するものもあります。

もやまとの  みちはつきせし  ありそうみの  はまのまさこは  よみつくすとも

安曇族のお祭りや、
神宮皇后のお姿が浮かんできそうです。
景観と歌が、見事にはまっていると思いました。

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君が代<だい>は 千代に八千代に 
さざれいしの いわおとなりてこけのむすまで
あれはや あれこそは 我君のみふねかや
うつろうがせ身骸<みがい>に命<いのち> 千歳<せんざい>という
花こそ 咲いたる 沖の御津<おんづ>の
汐早にはえたらむ釣尾<つるお>にくわざらむ
鯛は沖のむれんだいほや

志賀の浜 長きを見れば 幾世経らなむ
香椎路に向いたるあの吹上の浜 千代に八千代まで
今宵夜半につき給う 御船こそ たが御船ありけるよ
あれはや あれこそは 阿曇の君のめし給う 御船になりけるよ
いるかよ いるか 汐早のいるか 磯良<いそら>が崎に 鯛釣るおきな

—山誉祭 神楽歌—








テーマ:心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル:心と身体

  1. 2018/04/06(金) 17:19:40|
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