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英彦山★六甲山 修験道と山岳信仰 2 神仏融合・山界曼陀羅

317高住神社5

『修験道の本』 
神と仏が融合する山界曼陀羅より

p-65

『英彦山縁起』・・・
継体天皇
二十五年(531)に
北魏渡来僧・善正(ぜんしょう)が始めて英彦山に入ったという。

そこで岩屋に籠もって修行中に、
豊後国日田郡(大分県日田市)の猟師・藤原恒雄と出会う。

恒雄は善正の弟子となり忍辱と改名、
ついには山頂に阿弥陀、釈迦、観音の本地仏を見る。

つまり、英彦山の開祖は善正、第二世が忍辱とされている。

当時、北魏は仏教のほか、道教が隆盛しており、
日本海ルートを通じて北九州でもそれらが
新しい思想潮流として受容されていたことは間違いない。

また、恒雄の名も
朝鮮の檀君神話恒雄に由来するのではないかという指摘もある。
(中野幡能「英彦山と九州の修剣道」)

恒雄は人間界を救うために太伯山に降臨した神人で、
檀君は恒雄と熊の間に生まれた朝鮮民族の始祖とされる。

中野氏は、恒雄という民族の救済心としての古俗の名残が藤原恒雄であると見る。


p-91

英彦山、伯耆大山、早池峰山など修剣道の山の多くは、
いずれも猟師が開山と深くかかわっている。

これは修剣道が狩猟民系の文化状況の中に浸透していったことを物語る。

山伏は狩猟民だけでなく、産鉄民系の踏鞴(たたら)師などの金属加工者とも関係があった。

鉱山の発掘は戦国大名が本格的に採掘に乗り出して盛んになるのであるが、
それ以前には、山伏が鉱山経営にあたり、その下には、採掘者や金属加工者、
さらに金属を精錬するための木材調達者らの存在があった。

修験道では護摩などの火のパフォーマンスが不可欠であるが、
その古層には産鉄民系の火を中心とした文化体系が織り込まれている。


317高住神社21

3/17(金) 英彦山山麓の、高住神社に参拝した時に
春季大祭の準備が進められていました。
「柴燈大護摩修法」というそうです。
まさに火のパフォーマンスが始まる前日でした。
大きな祭礼は季節ごとに年4回あるそうです。

英彦山の修験道霊場は、
全国に広がる山岳信仰の出発点、原点ではないかと思いました。

そして、六甲山へ伝えられたのだと思います。

2013護摩20

こちらは、六甲比命大善神の護摩法要の様子です。


・太古の磐座信仰
・修験道の山岳信仰
・神仏習合 山界曼荼羅

いつも私たちにとって身近に思えた山の神。
様々な次元・歴史の層の神々とともに生きてきて
その都度、拝してきました。

これからも大切に。。。

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  1. 2018/04/25(水) 10:01:32|
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