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瑠璃の星☆彡

写真・イラスト・旅日記

英彦山★六甲山 修験道と山岳信仰 3 修験道と日本宗教

317高住神社20
英彦山 豊前坊・高住神社の天狗杉

『修験道と日本宗教』
三家準 春秋社


縄文時代
(一万年以前~紀元前三世紀)
日本人は日本列島の九割を占める山や森林で、
採集、狩猟の生活を営んでいた。
彼らの間では獲物を与えてくれる山の神の信仰が認められた。


弥生時代
(紀元前三世紀~三世紀)
人々が里に定住して水田稲作をするようになると、
山の神は農耕や生活に欠かせない水を与えてくれる
水分神と考えられるようになった。
里人は山を山の神をはじめとする諸神、
諸魔の住まう聖地として畏敬し、山麓にをつくって、
豊作祈願の春祭と感謝の秋祭を行った。
これが神道の淵源である。
こうした祭りでは、神意を聞く託宣が中核を占めていた。
この託宣は当初は巫者に神霊が憑依する受動的なものであった。
けれども積極的に自己または他者に神つけをする必要もあって
北方シャーマニズムの精霊操作の技法が導入された。


古墳時代
(4~7世紀)
山は死霊の赴く他界とされ、
古墳時代になると山麓に豪族の墓がつくられた。
ちなみに里に授けられた天皇の墓も山稜と呼ばれている。


古墳時代から飛鳥時代
(592~710)
大陸からの帰化人が多かったが
彼らによって道教仏教がもたらされた。
道教は入山修行して仙人になることを目指しており、
仏教も山林などでの夏安居を重視している。
ただ仏教は欽明天皇三年(538)百済の聖明王から
仏教や経論が献じられた公伝以来、審神もしくは学問として摂取された。


奈良時代
(710~794)
律令体制の奈良時代には国家仏教となっていった。
もっとも僧侶の中には、
吉野などの霊山に籠って修行するものも多かった。
こうした山林修行者は里人からは
山の神の霊力を得たものとしてその験力が期待された。
なかでも葛城山で修行した役小角(-699-)、
行基(668~749)、道鏡(772没)などは広く知られている。
比叡山で天台宗を開いた最澄
高野山を開いた真言宗の祖師空海
こうした山林修行者の流れをひいている。


平安時代
(794~1185)
遺族の間で密教による加持祈祷がもてはやされ、
験者と呼ばれる密教僧の多くが、大峰などの霊山で修業した。
彼らは山で修業することから山臥・山伏
験力を納めたものという意味で修験者と呼ばれた。
吉野川に渡しを設け、大峰山の峰入を再開した醍醐寺の開基聖宝(832~909)
比叡山の回峰行を始めたとされる相応(918没)などは修験者として広く知られている。
当時は菅原道真の霊をはじめとする怨霊の祟りが恐れられ、
修験者にこれを鎮めることが期待された。
また彼らは牛頭天皇などの行疫神の祭祀にも関わっていた。


平安中期
末法の到来が説かれ、浄土信仰が盛行した。
そして弥勒の浄土とされる御岳(金峰山)詣が行われた。
また院政期には阿弥陀の浄土とされた熊野詣が盛んになった。
そして金峰山や熊野には一山組織が形成され、
数多くの修験者が集まるようになった・・・


鎌倉時代
(1185~1333末)
熊野では諸国から先達に導かれて、熊野詣でをする檀那の宿泊、
祈祷に携わる御師が成立した。
先達は各地の霊山や社寺に依拠した熊野山伏がつとめることが多かった。


室町時代
(1336~1573末)
熊野三山検校職は、園城寺末の聖護院の重代職となった。
聖護院では京都に熊野三山奉行(院家若王子乗乗院、重代職)や院家を擁して、
諸国の熊野山伏を掌握して本山派と呼ばれる教派を形成した。
一方近畿地方の法隆寺、高野山、根来寺、近江飯動寺、伊勢世義寺など
三十六余の寺社に依拠した修験者は金峰山のおくに位置する小笹に拠点を置く、
当山三十六正大先達衆と呼ばれる結社を形成した。
また大和の金峯山、日光、白山、富士、木曽御岳、
伯耆大山、石鎚山、彦山など各地に修験霊山が成立した。

本山派では役小角、当山三十六正大先達衆は聖宝を派祖とした。
また金峰山の修験は金剛蔵王権現
熊野は熊野十二所権現を主導とした。
本・当両派の修行道場である金峰から熊野に至る大峰山は、
吉野川半分は金剛界、熊野側は胎蔵界曼陀羅になぞらえられた。
また葛城山系には法華経二十八品のそれぞれを納める経塚がつくられた。
山中では斗藪(とそう)とあわせて
地獄・床堅、餓鬼・懺悔、畜生・業秤、修羅・水断、人・閼伽、天・相撲、
声聞・延年、縁覚・小木、菩薩・穀新、仏・正灌頂というように
十界のそれぞれに充当された十界修行を行って即身成仏がはかられた。
これらの修行によって験力を獲得した修験者は
人々の現世利益的な希求に応えて卜占、巫術、加持祈祷、符呪などの活動を行った。
この卜占には陰陽道、巫術にはシャーマニズム
加持祈祷には密教、符呪二は道教や陰陽道の影響が認められる。


江戸時代
(1600~1867)
幕府は慶長十八年(1613)修験道法度を定め、
諸国の修験者を聖護院を本山とする本山派
醍醐三宝院が統轄した当山十二正大先達衆
(正大先達寺が十二に減少した)
を中核とする当山派の両派に分属させた。
もっとも吉野修験や羽黒修験など霊山の修験には
天台宗に属するものも多かった。


明治時代
明治政府は慶応四年(1868)に神仏分離令を出し、
明治五年(1872)修験道を禁止した。
その結果、熊野、羽黒、白山、立山、英彦山などの修験霊山は神社化し、
在地の修験者は還俗したり、氏神鎮守の神職となった。
もっとも修験道禁止令では修験者を本寺所轄のまま
本山派は天台宗
当山派は真言宗に所属させた。
また富士講は扶桑教・実行教、御岳教というように
教派神道
として公認された。

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2013六甲比女5
こちらは六甲山頂付近の、
六甲比命神社・磐座群(花山法皇・熊野権現・佛眼上人)

六甲イワクラ4
石宝殿(六甲山神社) 白山宮の磐座

山の神は
幾重にも張り巡らされた仕掛けだらけです。


私は山を登るのが好きです。

行き当たりバッタリでなにも知らないまま、
よく調べないままで出かけます。

でも、ふと気が付くと、
これまでどんな人たちがこの山に道標を遺してきたのかな・・・と
先達さんたちの想いに寄り添いながら歩いていることが多いです。

自分も、後からやってくる誰かの為に
道標を遺していってるのかな。

ここには、これまで登ってきた山々を想いつつ
覚えておきたいと思ったことを纏めてみました。

英彦山・六甲山、そして富士山、各都道府県の地方富士も・・・
日本中の山という山ではキリが無いくらい
たくさんの道標を見つけられます。

2016大山2

こちらは伯耆富士・大山


テーマ:心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル:心と身体

  1. 2018/04/26(木) 08:50:11|
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