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瑠璃の星☆彡

写真・イラスト・旅日記

英彦山★六甲山 修験道と山岳信仰 4 熊野権現

317英彦山23

英彦山 御本社(上宮)へと続く鳥居。
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『修験道と日本宗教』
三家準 春秋社

修験道と山岳信仰

山岳は死霊や祖霊がすむ他界と考えられもした。
古代の山稜をヤマと呼んだり、
葬式のことをヤマイキ、葬儀をヤマシゴト。

山近くに「埋め墓」、里近くに「詣り墓」をつくる両墓制など
山岳が死後の霊魂のいく他界と信じられていることを示す証左は数多く認められる。

死霊は山中で次第に浄化され、祖霊となっていった。
ただし不慮の死を遂げたり、聖者の供養が十分でない死霊は、
怨霊・幽霊とかして谷間や岩洞などに残留し、祟りをするとして恐れられた。
こうした場所は邪悪な霊や神がすむところとされてもいたのである。


p-6

半ば人間界に属し、半ば動物の世界に属する境界的性格をもつ
鬼・天狗などの怪物、妖怪などが、こうした場所にいるとされた。
狐・蛇・猿・狼・鳥など、人里にも現れる身近な動物も
神霊の世界と人間の世界を結ぶ神使として崇め恐れられた。


p-8

里から望見される山岳は、死霊・祖霊・諸精霊・神々のすむ他界、
天界や他界への道、それ自体が神や宇宙であると信じられてきた。


p-8

山岳は神霊魔物の住まうところとして恐れられ、
里人がそこにはいることは、ほとんど見られなかった。
わずかに狩猟者・・・
熊野の千代定、立山の佐伯有頼、伯耆大山の依道などのように、
山の神の霊に触れて宗教者となって山を開いたものもいた。

やがて仏教頭蛇行道教入山修行の影響を受けた宗教者や帰化人が
山岳に入って修行をするようになっていった。

彼らが修行した山岳は、一般の里人たちからは、
死霊、祖霊、邪霊、神々などの鎮まる他界として捉えられ
人々の一生、年間の行事などに超自然的な影響を与えるものとして畏怖されていた。

それ故、こうした山岳で修行した宗教者が
山岳の霊位を体得した宗教者として崇められたことは十分推測されるのである。

中世期・・・
東北の羽黒山、北陸の白山・立山、関東の日光、駿河の富士山
木曽御岳伯耆大山、伊予の石鎚山、豊前の英彦山など、
全国の修験霊山が発達した。

・・・仏教の霊山と次の点で相違している。

まず第一は、修験霊山の中心神格は、
金剛蔵王権現熊野十二所権現に代表されるように
山の神が示現した権現で、のちにその本地として仏菩薩が充当されている。

これに対して仏教の霊山では仏菩薩が本尊とされている。

第二は、修験霊山では、山内で主導権を握って一山の運営にあたっているのが、
仏教の霊山のように学侶ではなく、行人僧、なかんずく修験者・山伏である。

ところで地方の修験霊山を見ると、
羽黒。白山。日光。富士。彦山は熊野、
そして木曽御岳・伯耆大山は金峯というように、
中央の修験山の影響を受けている。

特に中世期には、
熊野の影響が日本全国のほとんどの霊山に及んでいた。

317英彦山28
英彦山神宮・龍神水
天之水分神 (あめのみくまりのかみ)

修験者は入峰時に必ず水筒に入れて
峰中の保健飲用とお守りとしていた。
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p-73

聖地における神道と修験道の関係には次の三つ

その第一は、古来の神社に神宮寺がつくられ、
中世以降、その神宮寺に修験者が入り込んだ・・・

第二は、比叡山や高野山のように、
高僧が籠山修行の場として山岳に寺院を開き、
その鎮守として地主神を祀って、一山を形成したところに、
のちに修験が入ったり、そのなかから修験が育まれたものである。
比叡山回峰行高野山行人方がこの例である。

第三は、猟師などの山人や民間の山林修行者が
山中のなどで山の神を感得し、
それを権現として祀ったとの伝承をもつもので、
熊野、吉野、白山、立山、羽黒、彦山など修験霊山に見られるものである。


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熊野三山の修験者は熊野権現を崇拝対象としているが、
長寛元年(1163)になる『長寛勘文』・・「熊野権現垂迹縁起」によると、
熊野権現は中国天台山の地主神・王子晋が日本に飛来し、
九州の彦山、四国の石鎚、淡路の諭鶴羽峰、紀州の切部山、
新宮の神倉・阿須賀をへて、本宮に到来したのを、
猟師の千代定が感得して祀ったとしている。

・・・この王子晋は、前漢末の・・・『列仙伝』に、
・・・の霊王の子で夭折して仙人となった王子晋である。
・・・熊野権現の本縁は中国の仙人とされているのである。


p-158

熊野十二所権現を総合的に見るとき、
阿弥陀・薬師・観音・大日などの浄土信仰
眷属護法童子信仰を加えた複雑なものであった。

・・・祭祀の教団側からすれば、
熊野信仰全体に権威と統一を与える上から、
何らか高遠な歴史的由緒を標榜する必要があった。

・・・修験行者のために本宮で読まれた大峰縁起は
おそらく密教教義に基づき、金峯・大峰を金剛界
熊野を胎蔵界とする両部曼陀羅の歴史的付会が
叙述の中心になっているのであろうが、
熊野権現自体については、別に天台的発想に基づく作為が行われ、
これをもって歴史的悠遠性による神秘的権威かがはかられた。

・・・ 『熊野権現垂迹縁起』(あらすじ) ・・・

昔甲寅の歳、の天台山の王子信が、
高さ三尺六寸の八角の水精となって
日本の鎮西日子の山(英彦山)に降臨した。

317英彦山1

英彦山 
花駅のスロープカー乗り場より。

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『山伏』
宮家準 評論社

p-63

熊野速玉大社(熊野新宮)は熊野川の川口にある。
熊野に葬られたイザナミ命の唾液から生まれた熊野速玉神を祀る。

最も、熊野神は豊前の彦山をはじめ各地を遍歴した末に
新宮に鎮座されたとの伝説も、広く人口に膾炙している。

現在新宮最大の行事である御船祭りの際にも、
熊野川口に着いた神が、
新宮に鎮座されることを示す神態がなされている。

こうしたことからも熊野新宮の神が
海の彼方から寄りきたる神としての性格を持っていることが推測されよう。

あるいは、熊野が常世的な性格を持つ場所であったこと、
実際に漂流者も数多くいたことなどが、
海に面した新宮の神に
渡来神的性格を付与せしめたのかもしれない。

熊野川3

こちらは熊野川です。 2009/12/14に訪れました。

熊野速玉大社21

熊野速玉大社 2009/12/14に参拝しました。

2015ゆづ1

我が町、六甲山系の麓に鎮座する
弓弦羽神社のシンボルは三本足の八咫烏。
手水舎も八咫烏なのです。

祭神は、根本熊野三所大神
・伊弉冉尊(那智大社)
・事解之男命(本宮大社)
・速玉之男命(速玉大社)

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ここ弓弦派羽神社は、
フィギュアスケート金メダリスト
羽生結弦くんの活躍で一躍有名になりました。
陰陽師「SEIMEI」がテーマでした。

陰陽道・修験道・山岳信仰は繋がっています。
彼の異次元の演技は、その縁起に起因しているのです。

「異次元の創造」
それは源へ繋がり、
現実世界でクリエイトしていくこと。

特別な人だけができるのではなく
誰にでもそれは可能なのです。
気付いていくことで出来るのです。

金メダルを手にした羽生君は
全世界にそれを示して見せてくれました。

脈々と伝えられた祖霊信仰の中で、
なにを大切にしたら繋がり合って共に成せるのか。

それを見極めて、内から外へ放出していくことで
人はみんな、それぞれの得意分野での金メダリストに成り得る。
私はそう思っています。

弓弦羽桜

2012年の春頃に
弓弦羽神社の桜を背景にした
瀬織津姫を描いていたことがありました。

以前upしたと思っていましたが
消してしまっていたようです。

弓弦羽桜5

六甲山=弓弦羽嶽

宇佐神宮六郷満山霊場 →→→ 六甲 ? 
宇佐 →→→ 摂津国・兎原郡「兎原」 ?

国東半島がオオヤマズミの領地だとしたら・・・
最近、そんな気がしてしょうがないんです。

教えて~偉い人! °˖☆◝(⁰▿⁰)◜☆˖°


テーマ:心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル:心と身体

  1. 2018/04/27(金) 12:03:12|
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