瑠璃の星☆彡

写真・イラスト・旅日記

英彦山★六甲山 修験道と山岳信仰 5 法蓮と弥勒信仰

317高住神社24
英彦山 豊前坊高住神社 御神体の磐座


『八幡信仰と修験道』 
中野幡能  吉川弘文館

p-5

神社神道の問題で、いつ社殿が建立されるようになったかということは
神社によって異なるし、またこれが明確になっている神社も数多くはない。

ただ、偶像崇拝のなかった神道に社殿建立が始まったのは
仏教伽藍に影響されたことだけは認めなければならない。

宇佐八幡の場合でいうと、それは僧法蓮の時代の前であった。

・・・僧法蓮について、・・・
『続日本紀』大宝三年九月二十五日。
養老五年六月三日・・・
雄略天皇の豊国奇巫、用明二年の豊国法師の流れとしての僧法蓮・・・

弥勒寺伝では「開祖法相宗」とあり、
であるとすると道昭に関係があることになる。

法蓮についての第一の問題はその「醫術」である。
当時の医事については典薬寮の職員構成に全容がみえるが、
医師呪禁師がその中心である。

これらの医師関係の技術者は
六世紀頃から朝鮮半島・大陸から招いていた。

大宝令では僧尼で小道巫術による
「療病」ものは還俗させることにしている。

すでにそのころ、大陸の医術の効用を重視しいたのである。
そのこととあわせて、大和では文武三年に役小角が流されている、
それから四年目、法蓮は医術で賞せられた。

しかものちには前者は大峰修験
後者は彦山修験の開祖といわれる人物である。

・・・このことは役小角と法蓮の持つ宗教的行為の違いと、
もう一つは、大和と東九州の社会情勢、
社会的要求に大きな異質性があったのではないかということである。


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新羅に仏法が行われたというのは、
法興王二十二年(528)であるというが、
『三国史紀』新羅本紀によると六世紀の頃、
呪術宗教的試練を経て戦士的訓練をする若者集会ができて
花郎(はらん)と呼んだ集会には司霊者が居て
はじめは原花という美女二人であったが
真興三十七年(576)に事件が起こって美貌の男子が花郎となった。

花郎
韓国では「花郎ファラン」というドラマが放映されていたらしい。

弥勒菩薩

花郎・・・弥勒菩薩・・・

『彦山流記』
「彦山の岳も石も木もこれ弥勒の化身」

・・・平安時代にかかる信仰が行われていた・・
これらがそれ以前の古伝とすれば、法蓮らもまた新羅の日本的花郎?


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『豊前国風土記』によると、
香春岳神社・・・「新羅国神」・・・
香春岳は銅山でその麓には採銅所があり、
採銅鋳造などの仕事に従事する多くの渡来人がいた。

ここは彦山の麓の近くである。
彦山を支える母胎の祭祀集団は香春神社の祭祀集団・・
八幡祭祀集団には渡来系の辛嶋氏という氏族・・先ほどの鍛冶翁・・・

明らかに鍛冶集団から出た聖職者であるということを伝えている。

320香春神社2
福岡県田川郡香春町 香春神社

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九州の霊山の中でも最も著名な山は彦山である。
「彦山三千坊」・・明治七年の檀家三十二万九千二百九十八戸
世に現れるのは延喜十九年(916)豊前守惟房が幣帛を・・・
十二世紀に本家職を新熊野に寄進していることからすると、
すでに相当の山岳宮寺を末寺末山として持っていたに違いない。

武士が登場する頃、源氏の棟梁が、九州の彦山に祈るということは、
すでに彦山の験者が日本の中で、
隠密的な役割を演ずる実力を有していたのであろう。


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「彦山縁起」・・・
継体二十五年(521)北魏善正が開いた山であるとある。
要するに日本の霊山は原始的には神社の祭神であり、
いつか固有の神名を持つ神社になることが多い。
そんなわけで、著名な霊山はほとんど、式内社になっていることが多い。

ところが、これほど九州の中で偉大な力を持ち、
多くの末寺を持った彦山は、延喜式にはみえない。

最も彦山の麓に近いところには、式内社香春神社があるが、
それにしても、彦山が式内社にならなかったことには
大きな理由があったにちがいない。


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「彦山流記」・・
三所権現とともに白山権現ならびに守護の「天童」を安置・・・
天童とか白山神というのは、九州の各地に・・・
筑前大宰府の宝満山にも対馬から天童が飛来し、
のちに京都に・・・


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天童信仰・・・和歌森太郎・・
対馬の天童は、今日本人一般に薄れた日天(太陽)信仰と、
山岳信仰一般に見られる祖神信仰とが結びついたものだという。

五来重によると、白山妙理権現の信仰は
熊野信仰の衰えたあとに入った信仰であるといわれている。
しかし、九州の白山信仰は、白山妙理権現・白山天童とも
対馬では「天童」とも「天道」とも。・・・「白山天童」はない。

北陸地方には白山神社は多い。
しかし白山天童を祀った神社はない。

対馬の「天ドウ」は「天道」に近く、
九州の「天ドウ」はいわゆる「天童」に近い


☆九州修験の代表的霊山である彦山の開発者については
以上のように諸説があるが、
豊後国日田郡戸山の藤山恒雄
(または藤原恒雄ともある)であるという伝えは注目すべきであろう。

韓国にも山岳信仰は強い。
ことに新羅が韓国を統一するのに大きい力を示した花郎道は、
慶州の霊山南山の信仰や弥勒菩薩の信仰とともに根深いものである。

しかしこの信仰の起源は、紀元前に千年の昔、
太白山上に天降った天神として、
桓因・桓雄・桓検の三神を祀る信仰であったという。

太白山の源流は中国にあり、
その一峯に天童山があり、そこに天童寺もできている。
この太白山が、朝鮮の慶尚北道と江原道の境の
太白山・小白山として伝わったのだという。

このように見ると九州英彦山の「恒雄」というのも、
実は太白山の恒雄のことで、
九州の白山信仰の源流も韓国白山、
さらに中国太白山、および天童に由来する物ではないだろうか。


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修験道というと役小角を思い、それを開祖とするのが普通である。
彦山の場合も「神社諸願伺届」には大宝元年(701)
役小角が彦山に登り 「彦山修験伝法血〇・・えい?月に永」
・・・など慶雲二年(705)に役小角が修験道を伝えたという。・・・

法蓮は、『続日本紀』に見える宇佐八幡宮宇佐市の出身の僧とされ、実在僧で、
当時は沙門だが、のちに俗僧になったとも考えられ、その坊は所司になっている。
すでに純然たる仏僧ではなく、多分に密教や道教に関係の深い僧で、
その三親等に宇佐君を受けた。

しかも役小角と同時代の人物・・・『宇佐託宣集』など。
・・・法蓮は、彦山最初の聖地とおぼしき、般若窟(玉屋)で修業していたが、
八幡に宝珠を請われ、八幡宮に参じたという。

314宇佐神宮5
宇佐神宮 弥勒寺跡

・・・これらのことをみると彦山を実質的に霊山として発展させた宗教者たちは、
法蓮を代表とする宇佐地方の霊山を開いた覚満・太能などには
豊国法師といわれる在家の沙門もあったようで
それに源をひく宗教者たちもあったようである。

しかも豊国法師といわれる宗教者たちは、在家の僧で
その信仰の内容には、密教的というより、むしろ民衆道教
夜分に融合した在懸想であったようである。

山の多い日本では、山の信仰はいつまでも続いた。
ことに山中で修業するという信仰は修験道として成立した。

修験道の中心は、大和の大峯を中心に発達し、
聖宝により、教理が整理され、金胎両部の峯入という修行法ができた。
・・・全国では、禅定型・練行型の二種類。


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北部九州をはじめとする西日本の白山の山には三つの種類。

・一つは「太白山」と「小白山」というの二つの白山神が祀られている山。
・もう一つは「太白山」だけか、あるいは「小白山」だけが祀られている山。
・残る一つが、ただ白山神だけが祀られている山

白山だけをお祭りしている山の神は、
白山神白山権現・白山大行事といった
日本的神々の名で呼ばれていますが、
白山神だけでなく、必ず地主神があるのです。

英彦山にも在地の神を相殿の神として
この白山大行事・白山権現という上に当たる祭神が
別に白山の神として祀られております。


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檀君神話よれば、天神(帝釈天)である桓因の子桓雄は、人の世を救うため、
三千の神々を率いて太白山山頂の神檀樹の下に降りて参ります。
桓雄は風伯、雨師、雲師を従え、穀・命・病・刑・善悪など、
人間界の三百六十余事を司ったという、
実に多くの社会救済能力を持った神である。

この恒雄に人間になることを願い出たは、
洞窟でニンニクとヨモギを食べて修行し、
これを成し遂げた熊が桓雄と結婚、檀君が生まれる。

この中で桓雄が降臨したという三国遺事にあります山が太白山ですが、
これは現在の北朝鮮・平安北道にある妙香山のことであろうと思われます。

この妙香山には十三世紀になって、北朝鮮第一といわれる普賢寺が建てらている。
山岳霊山に寺を建てるという発想は初期のインドには多くはありませんでしたが、
仏教が中国にはいってからのちには、広くみられるようになりました。

韓国江原道慶尚北道の境にある高峯は太白山と呼ばれていますが、
その支脈にあたるところに、678年に浮石寺ができております。

また慶尚北道の北境にある山が小白山といわれ、
802年には韓国三代巨刹の一つである海印寺が創建された。
これが太白山、小白山と呼ばれる道場・韓半島における
このような山岳霊山の寺というのは、
それぞれ有名な開山の建てた寺院なのですが、
高麗時代の十三世紀に妙香山に寺ができたのは、
十三世紀以前から山神と仏教が習合していたからであります。

まず、妙香山という名称そのものも
法華経の須弥山のことで帝釈天の所在地であり、
すでに韓国に神仏習合がなされていたということであります。

高麗時代に一然によって書かれた三国遺事に、
天神、桓因を帝釈天として注書しているところをみましても、
そういった記述自体が、韓国での神仏習合がすでにはじまっていたことを示し、
三国遺事にみる太白山というのは妙香山のことであるともうしましたが、
これは桓因の子・桓雄が妙香山に天降ったので、
妙香山が太白山になったと観るべきであろうと思います。

桓雄は三千の神々を率いて降りてきました。
桓雄は世界救済の山神でありますから、
熊というトーテム部族の地母神から強烈な支持を受けます。

こうして、神を祀る山神地母神とが同体視されて、
太白山という神格が生まれ得たのではないか、
慶尚北道と江原道にある太白山、小白山も、
このようにして成立したのものでは・・・

このような山岳崇拝の習慣は韓国では・・
五~六世紀の頃、新羅において発達をし、
ついに「花郎道」になったのではないかといわれている

日本の習慣では、こういう場合は、神々が降りてきた山そのものが神格化されます。
英彦山で言えば、優れた霊力を持った峰に坐す神が仏と習合すると、彦山権現と称したり、
宝満山では「宝満山大菩薩」と称して、「山」そのものが仏神と同体視される。
これが日本の習慣であります。

ですから日本の山岳宗教の山は、その山の名が祭神となるのが普通なのだ
日本におけるこうした山岳修験道は、
新羅に起こった「花郎(はらん)」といわれる花郎道と言われる
花郎道から大きな影響を受けるようになると思われます。


p-381


英彦山最古の記録・・・十三世紀に書かれた「彦山流記」
・・・英彦山には49ヶ所の窟と呼ばれる末寺・・・
これは行基が畿内に設けた49院と同様に
弥勒菩薩浄土兜率天の内院を意味する・・


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「彦山流記」・・・「峰に三千の仙人あり」という記述・・
「三国遺事」の檀君神話からの引用・・


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日本の修験道霊山はほとんど修験道開山として役小角を祀っている。
ただ英彦山だけは、檀君神話の影響下に檀君を善正上人として、
修験道開山に供養している。



『役行者の謎』
銭谷武平 東方出版

p-18

「役行者本記」の系譜の部には、
誤った説としてこんな話が書いてある。

第二十五代仁賢天皇の頃、大臣平群真鳥は
国政を奪ったために最後に謀反人として殺された。
その子孫が葛城山の麓に住んでいた。
小角の母は真鳥の孫娘に当たるために男がいなかったけれども
野合して生まれたのが小角であったという・・・


「鎮西彦山縁起」の中に・・・

小角の先祖は高賀茂神十一世の孫、小角は母に父の居所を問うた・・・
母は天から小さな牛の角が口の中に飛び込んだ夢を見て妊娠し、
生まれるときには臍から光明が出て南方の紀州牟呂郡備里にとまった。
そこに父がいると・・・小角が父に会いたい孝心から熊野に赴いた・・・

317高住神社9
英彦山 豊前坊・高住神社  役小角 ・・・法蓮?

法相宗(ほっそうしゅう)は、
インド瑜伽行派(唯識派)の思想を継承する、中国の時代創始の大乗仏教宗派の一つ。
645年(唐代、貞観19年)中インドから玄奘が帰国し唯識説が伝えられることになる。
その玄奘の弟子の慈恩大師基(一般に窺基と呼ぶ)が開いた宗派である。
唯識宗・慈恩宗・中道宗とも呼ばれる。
705年に華厳宗が隆盛になるにしたがい、宗派としてはしだいに衰えた。

日本仏教における法相宗は、玄奘に師事した道昭が法興寺で広め、
南都六宗の一つとして、8-9世紀に隆盛を極めた。

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六甲白山姫観音

さて、ここからは神戸の六甲山の話です。

摂津国・播磨国・英彦山周辺の弥勒信仰との関わりは?

六甲山の山頂近くには、白山姫観音さんがいらっしゃいます。
こちらは石の宝殿・六甲山神社(白山の宮)です。
巨大磐座があり、分水嶺になる場所です。

宝殿6

その石の宝殿・六甲山神社の本殿奥には、白山水天宮

全国の水天宮の総本宮は久留米水天宮。 やはり九州です。
日田市の、夜明けの有王社も水天宮でした。
六甲山から、そちらを遥拝しているのでは・・・?

ここまでまとめてきた話を見ているだけでも、
英彦山と六甲山の繋がりを示しているものがたくさんありますよね。
こんなにも深かったとはビックリです。。。


そして、法蓮さんは、ホウレンソウ? (^O^)

じつは、以前にメーメーさんと姫路の町を散策したときに
「播州皿屋敷のお菊伝説」 
その有名な怪談の謎解きをしていました。

この記事は、とても深く関わっています。
以下のリンク先を、あわせてぜひお読みください。

姫路~千姫の足跡をたずねて~ 6 お菊神社・十二所神社
http://ruri87.blog18.fc2.com/blog-entry-1926.html


お菊神社=菊理姫命 
ヨモギがシンボル
十二所権現 =十二所神社
英彦山 =男山

豊国と播磨国・摂津国
そこに絡む法相宗・法蓮との関わりが
クリアに見えてくると思います。

六甲山は山脈にかけて。
姫路は城下町に。
英彦山周辺をひな形にして
修験者たちに仕掛けられてきたのです。
他の日本の山々も。

雲や霧が晴れるように、明るみになってゆくのでしょうね。




テーマ:心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル:心と身体

  1. 2018/04/28(土) 22:30:56|
  2. 英彦山☆六甲山 修験道と山岳信仰