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瑠璃の星☆彡

写真・イラスト・旅日記

英彦山★六甲山 修験道と山岳信仰 9 龍灯伝説

317英彦山32

『秦氏の研究』
大和岩雄 大和書房

p-166

小宮八幡宮のある香春の山を『豊前国風土記』
「新羅国神」を祀る山と書くことからみても
鍛冶翁伝説は渡来工人の伝承である。

『魏志』東夷伝弁辰伝(弁辰は加羅地方をいう)に、
「国、鉄を出す。韓・減・倭、皆従って之を取る」とあり、
秦の民の故郷は鉄の産地だから、採鉱技術をもって渡来し、
香春岳の鋼・鉄を採り、鋳造をおこなったのであろう。
それが、八幡宮の鍛冶翁伝説になったのである。

三晶彰英は「鉱山が神聖な不入の地となっている例」をいくつかあげ、
「豊前の英彦山には金山彦・金山姫という名で金神が祀られており、
古くは神像を鋳ることが重大行事であったという。

そして英彦山の聖域がアジールとしての性質をもっていたことは
『重科ノ者二テモ彼山へ逃入テ頼ヌレバ、一人モ山ヲ不レ出助置ケリ』
とあるので知られる」と書いている。

採銅所のある香春ノ岳も、同じアジールである。
香春と八幡の神の元宮が、
いずれも香春三ノ岳の採銅所にあるのも、
採銅地が聖地であったことを示している。
こうした鉱山を白山ともいう。

p-181

大仏を作った工人の別君広麻呂も、
天平勝宝元年八月に、陰陽頭になっている。

陰陽師と鋳造工人が同一人物であることは、
中世の漂泊する陰陽師や修験者と共通するものがある。
修験者は鉱山師でもあった。

317高住神社28

八幡神の「犬」や、空海の「犬」は、
「別部の犬」と同じ意味があった。
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「民族学伝承ひろいあげ辞典」さんより 引用
https://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/53470994.html


■別部の犬(『播磨国風土記』讃容郡)

この鉄を生ずる「十二の谷」を発見したのが
「別部の犬(わけべの・いぬ)」だと風土記は書いている。
別部(わけべ)も部民の名である。
人でありながら犬を自称し、
犬の子孫であり、鉱物を探し出す部民である。
犬を祖先とする氏族とは隼人たちである。
→書庫・犬祖伝承
によれば犬を祖とする部族は中国少数民に顕著だが、
その多くは長江文明が黄河文明により南下、四散するときに南方、
インドシナ半島北部の越国(ベトナム)から
船によって南シナ海を北上して、列島の南部に辿り着く。
つまり南九州の熊襲や隼人が呉王や太伯を祖とし、
犬の遠吠えをする風習に見事に合致してくる。

■和気清麻呂の祖

別部の出身地のひとつが備前国和気郡の和気町である。
和気氏の大元は磐梨別公(いわなし・わけの・きみ)という。
別公の部民を別部といいそれが犬と自称していた。
つまり佐用の鹿庭(神庭)の鉄を発見したのは、
和気清麻呂に関わる部民たちである。

磐梨別公の祖は垂仁天皇
(10代崇神の子・イクメイリヒコ・イサチノ・ミコト)の
皇子である「鐸石別命(ヌデシワケノ・ミコト)である。

このヌデシの「ヌデ」は銅鐸の「鐸(たく・ぬで)」を指しているので、
銅鐸氏族とはつまり和気氏の先祖を指すこととなり、
しかもそれは三輪王朝二代目を祖としている。
つまり纒向に入った氏族であろう。
吉備王家、大和の吉備氏とは和気氏の祖であろうか?となる。要証拠品。

岡山県の和気町からはちゃんと銅鐸も出ており、
さらに和気清麻呂の先祖には鐸石別の名前が書かれている
(『日本書紀』)。

従って考古学的にも、文献的にも、和気清麻呂を出した和気氏が、
銅鐸を大和に持ち込み、祭祀し、
それを地中に埋めさせられたことが推測可能であるうえに、
吉備と出雲と播磨の関係から、出雲荒神谷の銅鐸もまた
吉備の和気氏先祖たちが埋めたことが推測しうることとなるだろう。

■ここ掘れワンワン

この別部の犬とはいわゆる「花咲じじい」の犬である。
「ここ掘れ」=鉱脈を掘ること。
宝が出てくるとは鉱物が出ること。

たから=宝来=蓬莱=西=いぬ・さる・きじの方角=風水・道教・陰陽五行の金気。
「気」=和気である。

「ワケ」王朝という文献史学者たちの既成の天皇家血脈を
大きく区分けした古代大王分類理論がある。
つまり吉備王=ワケ=和気=大和の吉備氏
・・・葛城氏との共立された王家。

従って和気、別部、別所には
そもそも鉱山がある場所という意味があったと思われる。
転じて、中世の地名とされる別府にも、
そもそもは別部がいた場所に近い意味があったと思う。
府とは別の大事な場所。

つまり武家には欠かすことのできない鉄の産地が別府ではあるまいか?

こうした場所に必ずあるのが地下式横穴、装飾古墳、線刻古墳、
そして隼人・海部の伝承と記録。
さらには蝦夷、エビス、浦島、桃太郎、鬼、追儺となってつながってゆく。

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修験者は一方鍛冶にもすぐれていた。
英彦山の修験者の中には、
中世刀鍛冶として高名な行者もいた。

和気(別)氏にシャーマン的性格があるのは、
棄民にシャーマン的要素があるのと同じである。

したがって、棄民や和気氏がをシンボルとするのも、
その鍛冶神的性格だけでなく、
鳥にシャーマン的要素があったからであろう。

鳥は天と地の間を飛び、神と人を仲介する。

320香春神社11

香春神社 拝殿の鳳凰


鍛冶職にも鳥的性格があり、「鳥=鍛冶屋=巫」である。
「弘仁官符」によれば、辛島与曽女が「中間」になったとあるが、
「中間」とは媒介者・仲介者のことで
巫は神と人の「中間」におり、鳥である。

「祝」とは、「羽振り」である。

棄民の童子・童女が「火炬童子」として、
宮廷神事に奉仕したと『延書式』などに述べられているが、
神事(祭事)は火を炬くことからはじまる。

火は地から空に煙となって昇る。
また、天と地を結び、

夜(暗)の世界(神の世界)を明るくし、
昼(明)の世界(人の世界)に近づける。


火には鳥・巫と同じ要素がある。

火は鳥によって運ばれたとか、
火を制御するのは鳥とする説話が、
世界中に共通してあり、
鍛冶屋と火に関する伝承も世界中にあるのは、
火を使うのがシャーマンだからである。

神にもっとも近いのが童子で、
七歳までの子供は、神と人との間にいる存在と、
我が国ではみられていた。

朝鮮ではそうした子供を「太子」といった。

こうした性格を持つ「火炬童子」に、
特に秦氏童子・童女が選ばれ、
伊勢の斎宮の神事にも、
京都からわざわざ出向いていることからみても、
秦氏の性格が推測できる。

鍛冶や採鉱にかかわる人々の祀る神は、
「金屋子神」といわれ、
特に「子」がつくのも、
朝鮮太子信仰の影響とみられる。

そうした鍛冶・採鉱にかかわる非農業民の信仰が
聖徳太子の太子信仰と習合したから
太子信仰は、主に非農業民の信仰になっている。

秦氏が祭祀していた信仰は、
八幡信仰、稲荷信仰・白山信仰などといわれて、
一般庶民に普及・浸透しているが、
この信仰も、秦王国鍛冶信仰と根は同じである。

320香春神社21
福岡県田川郡  香春神社  空海さんと不動明王像。


p-186

太子没後の飛鳥・奈良時代に、
太子は、神仙・菩薩とみられているが、
平安時代に入って、太子信仰をひろめたのは、最澄である・・・

法華経の大きな功徳の一つは、
この弥勒の「功徳利益」であった。
たぶん最澄は、法華経の弥勒信仰を通して
太子を信仰したのであろう。

当時、弥勒信仰のもっとも盛んであったのは、
かつての秦王国のあった豊前であり、
彦山・香春岳などがそのメッカであった。

最澄は延暦二十三年(八〇四)七月、
入唐する前に、香春岳に登り、渡海の平安を願い、
香春岳の麓に寺を造って読経したので、
石山に草木が繁茂したという

(『続日本後紀』承和四年十方十一日条。
『叡山要記』『叡山大師伝』などは、
香春岳入山を延暦二十二年のこととする)。



p-195


空海が彦山・香春山・八幡宮に、
九州滞在中に遊行したらしいことは、
空海と稲荷の神との関係を示す伝承からもいえる。
空海が遊行した山・神社は、
すべてかつての秦王国の人々の信仰に関わる山・社である。
稲荷の神も秦氏が祭祀する神社である。


p-197


但し、前述の伝承が載る文献は鎌倉時代のもので、
平安時代中期の『弘法大師伝』や
『空海和上伝記』などの伝記類にはみえないから、
鎌倉時代になって東寺系の僧たちが
大師伝説として創作したものと前田夏蔭は批判しており、
伴信友は『験の杉』で、空海自らの「貯智」による妄説としている。

江戸時代の国学者としての信友の感情的批判は別として、
前田の批判は無視できない。

しかし、創作であったとしても、火のない所に煙は立たない。
『彦山縁起』を下敷にし、空海が筑紫で秦氏の神に会ったとする伝承は、
帰国後二年余の筑紫での行動の空自を埋めるなんらかの伝承があり、
その伝承を下にして、このような話が創作さりたとみるべきだろう。

「創作」といわれる小説やシナリオも、モデルがある。

前述したように、空海と棄民系の勤操との関係、
棄民と和気氏にかかわる高尾山寺を空海が居住寺にしていること、
東寺の鎮守の二神が棄民が奉斎する神であることなど、
秦氏空海の関係からみて、東寺系の稲荷伝承が創作であっても、
無視してしまうことはできないのである。


p-206

棄民と太子信仰・大師信仰


虚空蔵菩薩が自力による智恵増進・福徳・災害消除なのに対し、
弥勒信仰は弥勒の上生・下生を待つ他力の信仰である。

これをミックスしたのが空海密教である。

空海の最初の著書である『三教指帰』は、
仏教を代表する仮名乞児の口を借りて、
「慈悲の聖帝(釈迦)が滅するときに印璽を慈尊に授け、
将来、弥勒菩薩が成道すべきことを衆生に知らせた。
それゆえ私は、旅支度をして、昼も夜も都史の宮
(兜率天)への道をいそいでいる」と言わせており、
『性霊集(巻八)』も弥勒の功徳を述べている。

また、空海が弟子たちに自分の死後のことを諭したという
『御通告二十五ヶ条』の第十七条には、

「私は、眼を閉じたのち、かならず兜率天に往生し、
弥勒慈尊の御前で待ち、五十六億余年ののちには、
かならず慈尊とともに下生して、弥勒に奉仕し、私の旧跡を訪ねよう」とある。

平岡定海は、「平安時代における弥勒浄土思想の展開」で、
「空海には高野山をもって弥勒浄土に擬せんとする思想も存在したらしい」と書くが、
秦王国の彦山が、弥勒の浄土の兜率天とみられていたように、
空海も高野山を兜率天に往生する山と見立てていた。

したがって、後に、高野山は、兜率天の内院に擬せられたり、
空海は生身のまま高野山に入定し弥勒の下生を待っている、
という信仰も生まれ、更に空海は弥勒の化身とされた。

これは彦山法蓮と同じである。



『山の宗教』
五来重 角川選書

p-211


考えてみれば、そういう〔寄り来たる神〕のおるところには聖なる火が焚かれる。
〔寄り来たる神〕が火となって飛んでくる話は、〔龍灯伝説〕というものにあります。

常世国のことを竜宮といいますが海の彼方です。
そこから竜王が海岸の霊験なる神や仏のところに灯を献ずる。

主にお盆とか大晦日に献ずるという伝説が龍灯伝説です。
常世からお盆とか大晦日という霊祭り(たままつり)の時に去来するわけです。

ちょうどお盆に、霊がお墓なり山なりから迎えられて家で祀られるように、
霊の去来を現すのが竜灯である。
そしてそういう場所には、その目印になるような聖火を焚く。
聖火は航海の安全目的にも焚かれます。これが灯台です。



ウップルイ(十六島)

そこで火を焚くのは、じつは目的は聖なる火を焚くことで
そこへ神や霊を招き寄せるのですが、
二次的に航海目的になり、灯台の役目をする。

日御碕の方は、熊野修験が守っていた。
だから島根半島の西は日御碕、東の端は美保関です。
どたらも聖なる火を焚く場所です。
日御碕の東に位置するのが十六島(ウップルイ)です。

どうして十六島をウップルイと読むのか、
不思議でたまらなかったのですが、
偶然、二十年くらい前に、英彦山の方へ調査に行きました時、
英彦山の山麓で集められたお札を別府在住の
松岡実という民俗学者が持っておりました。

じつはその中にウップルイの謎を解くものがありました。
ようするに、ウップルイとは、日御碕の下の方に磯に生えた海苔です。

その海苔を紙包みにして、ここの山伏は配って歩いた。
英彦山の山麓あたりまで配って歩いた。
この海苔を食するものはすべての病、災いを打ち振るうべし、と書いて
打ち振るう=ウップルイになった。

みんな振るい落としてしまう。
それを、十六善神影向の地にちなみ、
前二文字の十六を採ってウップルイと呼んだというのです。

十六島海苔は、超高級品です! (^o^)

垂水1
出雲(旧平田市)の十六島(ウップルイ)港。 私の実家近くです。

そういうふうに〔神の寄り来たる〕場所に生えている海草まで
非常に神聖なので、いま平田市の一畑薬師にも、
眼の悪い人は毎朝、海岸まで行って、海苔を拾ってきてあげていた。
そのうちに目が見えるようになる。

一畑16
一畑薬師(薬師瑠璃光如来) 目に良いといわれるお薬湯

そういう常世からの贈り物のひとつの幸いが、そういうことに現れている。
そういうところに火が焚かれ、またそういうところほど
波が荒くて灯台がないとなかなか通れない。

出雲半島隠岐島の間は、
連絡船でいっても真ん中で揺れるところですが、
向こうの方の西の島には焼火山(たくひ)というのがあり、
江戸時代からこの沖を通る時には、
必ず松明に火をつけて海に放り込むという信仰があって、
絵馬がたくさんあがっております。

ここで焚いている火と日御碕が、ここを航海する船の目印だったのです。
同時に、大山(だいせん)もやはり見えた。

それで『大山寺縁起』の中には、難破して数日漂流しているうちに、
どことなしにぼやーっと光が見えたので、その方向へ進んでいったら、
それは大山の火であって助かった、という話も出ています。

大山火祭り
「火神岳」と崇められた 伯耆富士大山
大山火祭り(たいまつ行列の祭り)

今年は1300年の記念祭ですね♪

大山自身の火や、それを管理している美保関なり、
日御碕なりの火が大変漁民の信仰を集めたと思います。

ほくら11
神戸市東灘区 六甲山系 保久良神社 (標高189m)
「灘の一つ火」と呼ばれている灯籠です。


ほくら17

保久良神社のすぐそばに、
弥生時代の住居跡や遺物が多数出土しています。
カタカムナ文献が見つかったことで知られる金鳥山もすぐ近くです。

韓竈神社12
十六島(うっぷるい)の近く・・・
出雲(旧平田市唐川町)韓竈神社(からかまじんじゃ)です。

出雲国風土記(733年)には 韓銍社(からかまのやしろ)
延喜式神名帳(927年)には 韓竈神社(からかまのかみのやしろ) と記されます。

竈=朝鮮渡来の釜 
周囲は銅山で、岩は青銅色に光っています。

浮浪の瀧4
出雲   鰐淵寺・浮浪の滝 (がくえんじ・ふろうのたき) 
弁慶さんが修行したとされる滝。落差18m。
岩肌の岩窟には蔵王堂が作られています。

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英彦山★六甲山 修験道と山岳信仰 のまとめ記事です。

古代の中国大陸・朝鮮半島・日本列島には
日本人の祖先がいて、その山々には
仏教伝来以前から
古神道の中で生きてきた
修験者たちが繋いだ縄文ネットワーク。


そこに弥生文化が融合して
現代文明は築きあげられてきました。

私自身の縁の深い出雲・六甲を中心にして
英彦山周辺の文明遺産から
経済発展の歴史を紐解いてみました。

弥生の社会を縄文の心で生きる。
そんな人たちが日本を支えています。

龍・鳥・犬などの、これまで描いてきた神使たちと
私たちとの関わりを大切にしながら
古代の叡智に学び
新しい文明にふさわしい創造を
これからも広げていきましょう。

青谷道の瀬織津姫4



テーマ:心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル:心と身体

  1. 2018/05/02(水) 20:12:45|
  2. 英彦山☆六甲山 修験道と山岳信仰