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瑠璃の星☆彡

写真・イラスト・旅日記

サルタヒコの道標 part.1 狭山神社(さやまじんじゃ)

狭山神社1

日付が前後していますが、8/7(水)のことです。

この日は、ブログ「火(ホ)と「ニワ」と鍋釜」の執筆者、武部正俊さんと
南海高野線・金剛駅で9時頃待ち合わせして
畿内の神社仏閣へと出かけていました。

武部正俊さんのブログはこちら↓

「火(ホ)と「ニワ」と鍋釜」
http://blog.livedoor.jp/omtakebe/

境は、摂津国・河内国・和泉国の「境」で、「左海」でもあります。
つまり三国の中心。まるで臍のような重要な場所に違いありません。
そんな大事な場所にいらっしゃる武部さんは、
まだ知られざる、歴史に埋もれた磐座への道先案内人としてご活躍中です。

私は長年、武部さんのブログを拝見してきましたが
そこで紹介されている場所が、とても気になっていました。

同じ場所に立って同じ眺めを見てみたい、と思うようになり
お願いして連れて行っていただきました。

ありがとうございます。 (^o^)
念願がかないました~!

狭山神社2

・・・ということで、
最初に向かったのが、狭山神社でした。
南海高野線の金剛駅の近くです。

狭山神社3

こちらの武部さんの
狭山神社と三輪山とを結ぶラインについての記事も
あわせてご覧ください。

「火(ホ)と「ニワ」と鍋釜」
狭山神社と三輪山


この日は8月7日。

ホツマツタヱの33アヤには、こんな記述があります。

はつきなか とはやかちはら
めくはしめ おおみなくちと
いせをうみ みたりみかとに
つけもふす ゆめにかみあり
たたねこお おおものぬしの
いはひぬし しなかおいちお
おほやまと くにたまかみの
いはひぬし なさはむけへし


これは、以下の「日本書紀」の記述と同じことが伝えられています。

8月7日。倭迹速神淺茅原目妙姫(ヤマトトハヤカミアサヂハラマクハシヒメ)と
穗積臣(ホヅミノオミ)の遠祖の大水口宿禰(オオミクチスクネ)と
伊勢麻績君(イセノオミノキミ)の三人が同じ夢を見て、天皇に報告した。

『大田々根子命に大物主を祀る主として
市磯長尾市を倭大国魂神を祀る主にすれば必ず天下太平となる』


ここ、狭山神社は
大田々根子命と三輪山に関わる重要ラインらしいです。

狭山神社4

台風の影響はほんの少し。
風が少し強いかなと思う程度の、夏空でした。

丸い雲がプカプカ浮いてて、
そのかたちが可愛くて面白かったです。

狭山神社5

この茅葺屋根。
なにげに目立っています。

散歩途中に腰かけるには丁度良い場所かも。
ここでお茶など振舞われていたこともあったのかもね。

狭山神社6

手水舎の龍。

狭山神社7

紫色に近いピンクのカーネーションを背負っています。
女子力高いな。

狭山神社8

盃状穴がたくさん作られていて、
どんな意味が込められているのか気になります。

めずらしいことなのかと思ってたら、この地域では結構普通のことらしい・・
そして、この後も、手水舎の盃状穴をあちこちで見かけました。

これまで真ん中の龍とか、水の流れにばかり注目していたけれど
杯や盃になる受け皿的な部分にも
なにか意味が込められているってことなんですね。

武部さんが教えてくれるまで
こんなとこには注目したことが無かったので
ちょっと見方が変わってしまいました。

狭山神社9

「牛頭天皇・御神前」と彫られています。

(´・∀・`)ヘー

牛頭天皇(素戔嗚)は
紫ピンクのカーネーションが好き♪

狭山神社11

狭山神社の主祭神は、天照皇大神と素盞嗚命。
臣狭山命(狭山連の祖神)・天児屋根命も配祀されています。

狭山神社12

狭山神社の本殿は立派だけれど、
なんとなく横の社も気になりました。

狭山神社13

こちらは、狭山堤神社(さやまつつみじんじゃ)
祭神は、入色入彦命。

狭山神社の近くには、日本最古の溜池の一つとされる狭山池という池があるそうです。
記紀によると、第11代垂仁天皇の皇子・印色入日子命(五十瓊敷入彦命)が
狭山池を作ったと伝えられていて、鎮守の神としてここに祀られているようです。

狭山神社14

わわわ・・・
虹色の光がいっぱい。

入色入彦命には個人的に注目してみたいと思いました。
とても気になる人物です。

『日本書紀』(wiki)によると・・・

垂仁天皇30年1月6日条
垂仁天皇が五十瓊敷命・大足彦尊兄弟に望むものを聞いたところ、
五十瓊敷命は弓矢を、大足彦尊は皇位を望んだ。
そこで天皇は五十瓊敷命には弓矢を与え、
大足彦尊には皇位を継ぐように言った。

垂仁天皇35年9月条
五十瓊敷命は河内に遣わされ、高石池(大阪府高石市)
・茅渟池(ちぬいけ:大阪府泉佐野市)を造った。

垂仁天皇39年10月条
五十瓊敷命は菟砥川上宮(うとのかわかみのみや:
大阪府泉南郡阪南町の菟砥川流域)にて剣1千口を作り、
石上神宮(奈良県天理市)に納めた。
そして、以後五十瓊敷命が石上神宮の神宝を管掌した。

同条別伝によると、五十瓊敷命は菟砥河上で大刀1千口を作らせ、
この時に楯部・倭文部・神弓削部・神矢作部・大穴磯部・泊橿部・玉作部
・神刑部・日置部・大刀佩部ら10の品部を賜った。
また、その大刀は忍坂邑(奈良県桜井市忍坂)から移して石上神宮に納めたという。

垂仁天皇87年2月5日条 五十瓊敷命は老齢のため、
石上神宮神宝の管掌を妹の大中姫命に託した。
大中姫命は、か弱いことを理由に神宝を物部十千根に授けて治めさせた。
これが物部氏による石上神宮での神宝管掌の起源という。


石上神宮の神宝を知るためのとても重要な人物みたい。

狭山神社15

九曜紋。

この〇は9つの星神で、
平安時代の神仏習合では「九曜曼荼羅」として信仰されていたようです。

・土曜星・凶星(土星)-聖観音
・水曜星(水星)-弥勒
・木曜星(木星)-薬師
・火曜星(火星)-虚空蔵
・金曜星(金星)-阿弥陀
・月曜星(月)-勢至
・日曜星(太陽)-千手観音
・計都(けいと)星・凶星(月の降交点・月の遠地点・彗星・流星)-釈迦
・羅睺(らごう)星・凶星(月の昇交点)-不動明王-日食-スサノオ-道祖伸


日食と月食に関わる凶兆の星だから、
羅睺(らごう)星を司る、素戔嗚(牛頭天皇)が
ここでも祀られているんでしょうね。

土星=西洋ではサタン・ルシファー
クリスマス=五芒星シンボルのサタン信仰でもあるらしい。

そんな多岐にわたる土星は
九曜紋のど真ん中の大きな〇に位置します。
真ん中は聖観世音でもあります。

神聖・聖書の「聖」

占星術・インド神話・キリスト教・仏教・・・ぜんぶ繋がり
カタカムナでも、しっかりと繋がりますね。

土地の開拓、治水、田畑を豊かにすること、海上貿易など
人々の生活に関わることのすべては、
天空の星々の巡りを見ながら、
自然と対話していくことで成り立ってゆく。
9で整うこと=ゼロ点・ゼロ磁場を産み出す事に繋がるのだと思う。

土曜・聖観音菩薩の種子は、サ(स、sa)
だからここも「狭山」なのかもしれないですね。

太陽・月・星への信仰は、古代からずっと今日まで
かたちを変えて伝えられてきているんだなと実感できます。

狭山神社16

お稲荷さんにも手を合わせました。

狭山神社17

ひときわ光が降り注いでいるのは、
岳主社(大山祇神・猿田彦大神)でした。

歓迎されているみたいで、
とても嬉しくなりました♪ \( 'ω')/

狭山神社18

こちらは末社の岐社
祭神は伊弉諾命と塞神

塞の神とは、堺の神。
塞=狭山でもあると思います。
これは武部さんもそう仰っていたような。。

九曜曼荼羅の信仰よりもまえの
縄文古代の陰陽和合の結び神。

境って、分離されていることを表しているけれど
結ばれるための場所でもあるんだよね。

狭山神社19

ここに蝉が留まっているのも、
宇宙のサイクルの中ではほんの一瞬である
私たちの成長・脱皮・変容の生まれ変わりサイクルを
身をもって教えてくれているように思いました。

結びは回転し続ける事でもあるんだね。

狭山神社20

狭山ということで、「狭」がつく人物を挙げると、

・垂仁天皇の別名も、活目入彦五十狭茅尊(いくめいりびこいさちのみこと)
・皇后は狭穂姫(さほひめ)
・狭穂姫の兄の狭穂彦(さほひこ)

三者には悲しい結末の物語があります。



「狭山」の名からは、他にもいろいろ連想しました。

たとえば、埼玉県にも狭山市があります。
ここは武蔵国のはじまりの地でもあると思うのですが
狭山の由来は、武蔵丘陵からであると伝えられています。
なだらかな景色の地を想像します。きっとこの近辺に似ているはず。
武蔵国にも古墳はたくさんつくられていて、
埼玉の県章は8×2=16の陰陽勾玉で出来ています。
豊かな文明が築かれていた土地だったはずです。

また、九州の西都原古墳群には、
・男狭穂塚古墳(おさほづかこふん)-帆立貝形古墳(被葬候補者:瓊瓊杵尊)
・女狭穂塚古墳(めさほづかこふん)-前方後円墳(被葬候補者:木花開耶姫)
ともに長さ176m。5c前半に作られています。

ヒミコがいた九州王朝時代と、武蔵国の古墳群を知ることで
知られざるヤマトが見えてくるかもしれません。

大田田根子の出生地とされる、
須恵器がつくられる陶邑(スエムラ)も近くである
・・・ということで、ここから次は、陶荒田神社へ移動しました。

須恵器も、埴土・水・火の産物ですもんね。
狭山と名付けられる場所だからこそ、産み出せるものなのです。

狭山神社10

掲示板に貼られていた神社からのメッセージです。

8月15日は終戦の日
護国神社にお参りしましょう


あぁ、そんな時期なのね、、と思いながら見ていました。

ちょうど今回、堺の地域の神社巡りをしているタイミングで
マリア・グラチア・縷衣香(るいこ)さんの書かれた
「マリア・コード―私体験による聖母マリアの秘号」という本を読んでいました。
2006/12/01 に、たま出版から出された本です。

ちょうどマリアさまと戦争についての記述があり、
その意味深さについて考えていました。
少し引用します。

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1974年夏、私は広島、長崎を訪ねた。
長崎でなく本当は小倉の軍事工場の上空から
原爆が投下される予定であったことことをタクシーの運転手より教えられた。
その予定が、曇って視界がきかず風の都合もあり思いあぐねた時、
一瞬長崎の上空が晴れ、浦上天主堂という
マリア様のために捧げられた聖堂の正面に落下することとなった。
浦上は過去400年、激しい迫害のもとに信仰を持ち続けた聖なる地である。
だからこそ、神の怒りをなだめる犠牲として、ふさわしい子羊の役を果たしたのであろう。

太平洋戦争は昭和16年12月8日、聖母マリアの無原罪のお宿りの祝日に始まり、
昭和20年8月15日、聖母マリアの被昇天(帰天)の祝日をもって終結した。
そして、サンフランシスコの平和会議の調印式は昭和26年9月8日、
マリア様のお生まれになった誕生日である。

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どうして、あの日、あの場所で、あの出来事が起こったのか・・・
そこには仕組みがあり、全てに意味があると思っています。

マリアさまの女性原理の働くところは、
聖なるウツワ(杯)として、設定されている場ではないかと感じています。

たとえば、月が描かれている旗をもつ国々の受難を見ていてもそれを感じます。
月信仰・月の暦で生きる国々の人・太陽の国で生きる人。それも現われています。

たとえば、女性が祭祀の中心として社会を築いていた琉球なども、
戦争で激しい本土戦の場となって、いまも基地問題に揺れていますが、
でも、だからこそ、どんな出来事であっても、強く、逞しく、しなやかに、愛をもって、
すべてを引き受ける役目を背負っているから
大調和のために、なにをすべきかが見えてきます。

そこで生きる人たちの心には、「みつ」が
光・密・水・允・実が・・・溢れているはず。

どんな理不尽も、大きな宇宙の仕組みとして
俯瞰した目で見つめていくことで
愛と赦しと調和に向けて進んで行けるはずだから。

耐え忍んで生きて来られたのだと思います。

倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭しうるはし

そのヤマトタケルの想いを、
私たちは新しい大調和の時代に実現していくために
ここに立って、一緒に背負って、生きているのだから!

狭山神社22

裏参道にある祠にもご案内してくださいました。

狭山神社23

牛滝社

なんだか、真打が登場しそうな社の名です。

ここは、地元の人たちも
あまり立ち寄らないような雰囲気を醸しています。

狭山神社24

太神宮夜燈は、これからなにを語ってくれるのでしょうか。

これから楽しみです。


テーマ:心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル:心と身体

  1. 2019/08/10(土) 22:44:30|
  2. 神社仏閣めぐり(大阪)