唐櫃 「布土の森」 黄金の鶏伝説

11/17(日)河野典子先生のカタカムナと組紐講座の全4回講座が終了しました。
翌日の11/18(月)は、河野先生&お弟子さんたちとともに、裏六甲の散策に出かけました。
六甲比女大善神とも関わりの深い唐櫃台の多聞寺へ参拝して、
その後は、神戸市立唐櫃小学校の裏にある市民の森へ。

この市民の森には、なんと唐櫃石神社という、石の祠がありました。
知らなかったです。ビックリでした。(◎_◎;)

六甲周辺には、神功皇后伝説がたくさんありますが、ここにもありました。

多聞寺のご住職に、唐櫃に残る伝説をお聞きしたら
唐櫃小学校で発行された冊子を紹介され、ここに辿り着きました。
ここは、「布土の森(ぬのどのもり)」というそうです。

こちらの「はらはらのブログ」さんの記事に
布土の森に纏わる伝説が紹介されていましたので
引用させていただきます。
唐櫃の布土の森
これからのお話は,神戸市北区唐櫃台の、
唐櫃小学校の裏側にある、布土の森のお話です。
布土とは、「野のお堂」という意味のようで、
別れ道に立っていた「地蔵堂」をさしていると考えられます。
また、もう一つ「布土」とはあたり一面、
広々とした田が布のようだという意味だそうです。
また、唐櫃の地名の由来は神功皇后説からすれば、
八幡神(弓矢、武道の神)をまつった社のある土地から由来したと考えられます。
この布土の森の中に、神功皇后を祭った石造りの祠があります。
大和時代、神功皇后が三韓(新羅、百済、高句麗)から持ち帰った武器、
甲冑と雌、雄の一対の黄金作りの鶏を唐櫃にいれて埋められたと伝えられ、
それが唐櫃の地名のおこりであると言われています。
この布土の森には、大きな石があります。
この石には一つの謂れがあります。
「この森でいくら遊んでも、石の上に上がったり、腰掛けたりしてはいけない。」
と厳しく言いつけられていました。
この石に腰掛けたりすると、必ず、バチがあたったからです。
夜になると、激しい腹痛を起こし、苦しまなければならなかったのです。
だから、どんないたづら子でも、この言いつけにはしたがったそうです。
布土の森の周りには、たくさんの田畑があり、
村の人々が汗を流しながら、働いていました。
仕事の合間に、骨を休めたり、昼飯を食べたりする良い場所でもありました。
また、旅人が涼しい森の中の木の根を枕に、
昼寝をしたりするのどかな風景がみられました。
にわか雨が降ると、田畑で働く人たちが森に駆け込み、
小降りになるまで、一休みしました。
大きな傘の役目もしたのです。
しかし、頭にかぶっていた濡れ手ぬぐいや
汚れた手甲やきゃはんを石の上に干したりはしなかったそうです。
これを守らない人は、やはり、腹痛を起こしたりしたからです。
また、布土の森の石の下には
神功皇后が埋めたと言われる「黄金の鶏」があります。
この「黄金の鶏」は唐櫃村がほろびる時でなければ、
掘り出してはならない。と言う伝えがありました。
明治の中頃、それが本当かどうかを確かめようと村人が集まり、
相談をしたあげく、とうとう石の下を掘ることに決まりました。
村の長老の中には、最後まで反対し続けた人もいましたが・・・・。
おおぜいの村人がみまもる中で
地下10数尺(1尺は30cm)まで掘られましたが、
何も出てきませんでした。
穴の下には、平らな石があっただけでした。
村人たちは土をかぶせて、元のようにしました。
その時は、何もほり出しはしなかったのに、
その後、村の中に思いがけない病気がはやったり、
怪我人が続いたり、不思議なことが相次ぎました。
村人は、これを神様のたたりだと信じ、それから後は、
再び、この秘密を探ろうとする人は現われませんでした。
地元では「石の荒神」と呼んでいます。
これからも、布土の森は唐櫃の心として、守り続けられていくでしょう。

黄金の鶏は、六甲山中の金鳥山にも繋がるのかもしれません。
市民の森ということで、子供たちの遊び場でもあり
憩いの場でもあったのでしょう。
石の祠の正面は、六甲山に向き合っていて
多聞寺のうしろにある山々に手を合わせるかたちになります。
正確には、どこを向いているのかな?
多聞寺の背景の山は水の宝庫らしいのですが
境内に組まれた不動明王・愛染明王・愛宕権現などの行場は
現在は水枯れして荒れ果てていました。
阪神大震災で揺らいだ断層が水の流れを変えてしまったようですが
もっと昔から、地層が揺らぐ度に、水の流れは
少しずつ変化していったのではないかという話です。
この石の祠は、要石的な役割があるのかもしれません。
唐櫃=神功皇后の宝物
それもそうかもしれないけれど、
「野のお堂」と呼ばれるならば
もともと素朴な陰陽二対の賽の神・道祖神なのかも。
ここは山間だから。
この一帯の人たちは、野良仕事をしながら
ここを祈りの場として大事にしてきたのでしょうね。
「石の荒神」さんと言われるだけあって
祠のほかにも、いろいろな石が転がっていました。

ふだんは表六甲ばかり眺めていて
裏六甲には何が有るのか、まだよく知りません。
今回、ほんとうに訪れる事が出来て良かったです。