瑠璃の星☆彡

写真・イラスト・旅日記

再度山・大師道 part.2 縄文の森

大師道1

前記事の続きです。

諏訪神社から大師道へ入り、大龍寺を目指して歩きました。
途中でヴィーナスブリッジ(金星台)への分岐などがあって面白いハイキングコースです。

市街地からガラリと景色も空気も変わっていきます。
あっというまに森の中へ。。。

大師道2

植樹が行われて100年を得た再度山の原生林です。

大師道3

再度山周辺も、六甲山全体も、甦った再生の森なのです。

江戸時代末期頃は、六甲山はハゲ山でした。

いまではその片鱗さえも見当たらない風景ですよね。
信じられない想いで歩いています。

でも、ほんとうに、徳川幕府の崩壊と相前後して
国際貿易港として神戸が開港した1868年当時の絵には
山裾など一部を除いてほとんど草木が描かれていないのです。。。

当時の人々は、いまの景色を想像することができたのでしょうか・・・?

信じられないかもしれませんね。
(*"Д")

明治時代に植樹された木々が生い茂ります。
とっても神秘的ですよね。


ちらほら石仏が点在していて
小川の流れと鳥の声が響く縄文の薫り漂う鎮守の森です。

大師道5

ハゲ山の頃の六甲山系では
あちこちで大雨のたびに山地から流れ出す土砂が堆積していったそうです。
土砂は扇状地に形成されて
山麓の川は周辺の土地よりも高い位置を流れる天井川になっていたそうです。

明治7年(1874年)に開通した東海道線は
これらの河川の下にトンネルを掘って建設されました。


そういえば・・・

登山道の入口付近には、水害の碑が建てられているのをよく見かけますよね。
昔から、山と水との関わりを、神戸に住む人々は大事にされてきたんですね。


大師道の入口付近ですが、ここからの展望は素晴らしかったです。

大師道6

大師道9

水音が心地良いんです。

大師道10

クロアゲハが待っていてくれました。
大龍寺で出逢えるかな・・・と、なんとなく感じていたのです。

かなり手前の大師道で出逢えて嬉しかったです。

大師道11

大師道12

石垣トカゲたんも、この日は何匹見たんだろう・・・
数え切れないくらいに出逢いましたよ。

大師道13

大師道14

途中で、いくつかお茶屋さんや、古いお堂があったりも。。。

無縁仏さん。。。(-人-)

無人で朽ちていく姿。
これもまた自然の姿ですね。

大師道15

外国船で賑わう神戸では
毎年、夏になると
赤痢やコレラが発生するようになっていたようです。

その衛生環境を改善するために
上水道や貯水池が整備されました。

あちこちでこんなダムを見かけます。

水源保全と土砂災害。

その防止を目的に
明治神宮の森などの造営に関わったことで知られる
本多静六博士の指導をもとに
再度山付近で、大規模な計画的植林が1902年にはじまりました。

当時は、一大事業だったんですね。。。

大師道16

諭鶴羽堰提

w(*・o・*)w

淡路島の諭鶴羽山が由来かしら。。。
弓弦羽神社も、もともと諭鶴羽だったのかな。

六甲山=弓弦羽岳と呼ばれていたし。
淡路はイザナギ&イザナミさんたちが、国生み神話で最初に生んだ島。
そんな淡路の山と繋がっているなんて
ここ六甲山はやはり日本の中心と言い切っても良いのかもしれませんね。

しかも、空海さん縁の大師道で見かけるなんて感激でした。

大師道17

白龍さんや白蛇さんに見える滝の流れ。。。

立ち止まって、しばらくボーっと眺めていました。
私の汗も滝のように流れていました。(;´Д`)

大師道18

猩々池(別名・鯛池)に来ました。

ここで、ふと思いました。
先日出逢った猩々トンボって、この池への誘いのサインだったのだな~・・・と。

猩々蜻蛉
http://ruri87.blog18.fc2.com/blog-entry-791.html

この池の前で、真っ赤な猩々トンボが亡骸になっていて、たくさんの蟻がたかっていました。
すぐ側には、国蝶、オオムラサキの亡骸もいて、ちょっとドキリ。Σ(゜д゜lll)

池の中には、マムシの死骸が2匹、プカプカと浮いていました。
それは、それはもう、かなりシュールな光景でした。(-_-;;)

みんな死んでる。。。

池の側で呆然と佇んでいると
通りすがりのお父さんが

「あっちで毎日マムシ退治してるおっちゃんがおるで!」

・・・と教えてくれました。

池に巡らされた遊歩道のベンチに
2~3人のおっちゃんが談笑中でした。

毎日、マムシを。。。(-_-;;)

たくさん出るらしいので
気をつけて歩きましょう。

猩々・・・観音様に化身したという大蛇(=龍神)とは別の
和気清麻呂さんが退治したという、おっかない大蛇が出現していたのかもしれませんね。。。

猩々=大蛇(ヤマタノオロチ的な?)は
国際貿易港で栄えた神戸の猩々朱の歴史を見つめ
今に活かせと伝えてくれているのかもしれない・・・そんなことを感じました。

私たちが対峙している大蛇(のような恐ろしい存在)は
自然と共に生きる野生生物ではなく
人の皮を被って生き血を啜るヒトモドキたちです。

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ここに書かれていた「猩々池」の由来ですが・・・

文化13年(1817年)村上五郎兵衛、橋本藤左右衛門によって、
下流の花隈村など4つの村に水を送るためにつくられた池で
この池の完成を祝い、池の管理をする代官を招いて
「猩々」の曲を謡ったことからその名が出たものです。

当時の池の大きさは、深さ8丈(24m)南北65間(117m)東西38間(68m)あったといわれています。
大正3年(1914年)には、面積3反3畝(3300m2)あったといわれていますが現在ではほとんど埋まっています。



「森の移り変わり」

むこうの森林を見て下さい。
モコモコっとした緑の林の中から背の高いマツが突きだしています。
そして、枯れたマツも何本も見えます。
これはかつての松林が、その下に育ったシイやカシの林に移りつつある姿を示しています。

といっても、このあたりの森林には人の手が多く加わっているので
まったく自然な移り変わりとはいえませんが、基本的には裸地から
草や明るい土地に生える木(マツなどの林)、そして暗さに耐える木の林へと
森林は移り変わるといわれています。


自然の姿は、どんどん変わっていきますね。
そこに住む生物たちの生態系も、自然に移り変わっていくんですね。

大師道29

猩々トンボと国蝶・オオムラサキの亡骸には、ちょっとショックでしたが
(オオムラサキは大きくて綺麗なまま亡くなっていました・・・(T-T))

瑠璃色のイトトンボが、目の前を飛んでいきました。
黄緑色のイトトンボもいて、水辺で泳いでいました。

ちょっと気分はホッコリしました。

大師道21

「猩々池の碑」

摂津の国八部郡福原荘四ヶ村の地は
みな土地が高く水が乏しいので、日照りの年はいつも村民は苦労した。

花隈村長の村上尚善これを心配して
寛政2年(1790年)村民を集めて相談し貯水池を造ることにした。

しかし意見が一致せず、数度の請願にも役所の許可が得られなかった。
正しい筋道を好み、慈愛深く、国に役立つ志の強かった二ツ茶屋村長の橋本邦直は
文化12年(1815年)村民の意見をまとめ代官の許可を得て6月に着工した。
翌年8月、水深約24m、南北約117m、東西約68mの池が完成した。
直善の建議以来26年が経っていた。

老人たちは池の完成を喜び酒樽を用意し
池のほとりに代官を迎え、猩猩の謡曲で宴に興をそえた。

これによって代官はこの池を猩々池と命名し
荒井公鹿に銘をつくるようにいわれ公鹿が事業を讃える詩文をつくった。

文政元年 戌寅(1818年)秋8月

大師道23

現在の六甲山の森林の原型は
6000~5000年くらい前の縄文時代に出来たのではないかといわれています。
当時の地層に含まれる植物化石を調べることで明らかにすることが出来るようです。

大師道25

たくさんの人の手によって甦った原生林。

たったひとりの人が撒いた小さな種や細い苗であっても
時間はかかっても同じことは起こせるんだと思います。

最適な場所を選んであげたら
植物たちはこんなにも活き活きと
わずか100年で縄文の森に再生できてしまう。

ここでは、あらためて
水が人に与えてくれる豊かさも知りました。

すごいね!
自然の生命たち!

そんな中で深呼吸できるなんて
有難いことです。

いろいろなことを伝えて下さった大師道は
やはり縄文の神々が宿る森でした。

大師道26

毎日登山発祥の碑

ここを日頃から登っている市民の方々も
登山道の植樹を長い間行ってきたそうです。

毎日登ることができるなんて、ちと羨ましいですね。。。

大師道28

再度山・大龍寺までは、あともう少しです。

テーマ:スピリチュアル・ライフ - ジャンル:ライフ

  1. 2012/07/06(金) 10:39:51|
  2. 自然(六甲)