瑠璃の星☆彡

写真・イラスト・旅日記

愛媛の旅 part.7 秋山兄弟生誕地

秋山1

2日目は、松山市駅の近くにある国際ホテルに宿泊しました。

そして、ここから秋山兄弟生誕地までは、目と鼻の先でした。

秋山兄弟生誕地
松山に着いたら、ぜひ行ってみたかった場所です。
こんなに近くに宿泊できて、嬉しかったです。

川上会長、御世話くださりありがとうございました。(*´∀`*)


ここは、外から見た感じでは、お寺のようにしか見えなかったのですが・・・

秋山14

ちゃんと案内が貼られています。
松山城も近いですよ。

場所は、松山市歩行町2-3-6

秋山2

本日天気晴朗ナレドモ波高シ

ロシアバルチック艦隊発見の電報の末尾に
眞之さんが加筆した有名な電文です。

秋山20

銅像がありました。

こちらは、兄の秋山好古さん(1859~1930)

日露戦争で日本の騎兵隊に世界で初めて機関砲を常備して
世界最強といわれたロシアのコサック騎兵隊を撃退した。

敵の猛撃にも一歩も退かなかったその勇名は天下に鳴り響き
陸軍大将に栄進したが退役後、井上要達から
松山の北予中学校の校長に就任を要請されるとすぐに承諾した。

青年時代に教師を志し、日本の騎兵隊を育て、陸軍教育総監になったときが
「最も嬉しかった」と伝えられるほど、生涯を通して「教育」に情熱を注いだ。

秋山21

こちらは、弟の秋山眞之さん(1868~1918)

近所の子供たちを率いて暴れ回った。

あまりの腕白に母・貞に短刀を突きつけられ
「お母さんも死ぬるから、お前もこれでお死に」と諫められたこともあった。

その反面、人に優しいところがあり、
長じては家族・親族を大切にし、海軍では部下をいたわっていた逸話が多い。

眞之の合理的科学的な思考は
生来の素質に加えアメリカ留学や欧米出張で磨き上げられた。

日本海海戦で大勝利をおさめた後も冷静に国力を分析し、国の将来を憂いていた。

空軍と潜水艦隊の強化を説き、中国革命の父・孫文を支援。

また、アメリカと戦うことの非を唱えた。

秋山3

好古:

人間は貧乏がええよ、艱難汝を玉にすと云うてね
人間は苦労せんと出来上がらんのじゃ

苦しみを楽しみとする心掛けが大切じゃ


秋山4

原型に近い形で復元された生家です。

ほんとうに質素で清貧な感じの佇まいですね。

江戸末期の天保年間から現地にあった秋山家は
昭和20年、空襲により焼失してしまったそうです。

昭和初期の写真や、秋山家子孫の聞き取り調査によって復元されたそうです。

秋山7

玄関・居間・土間 どこを見ても
澄んだ風がよく通っていて、気持ちの良い家でした。

秋山5

好古:

弟は例え秒分の片時でも「御国のため」という概念を捨てなかった
この事だけは兄としてはっきり言いうることです


秋山6

秋山12

眞之:

細心焦慮は計画の要能にして虚心平気は実施の源力なり

事の成敗は天にありといえども
人事を尽くさずして天、天と言うことなかれ


秋山8

眞之:

日本海海戦の勝利は英雄の力ではなく
全員がその責務を存分に発揮したからであります


秋山9

眞之:

神明は、唯平素の鍛錬に力め
戦わずして既に勝てる者に勝利の栄冠を授くると同時に
一勝に満足して治平に安ずる者より直ちにこれを奪う

古人曰く、勝って兜の緒を締めよ、と


秋山10

秋山11

眞之:

年少の時より志を堅くし遊情に流れず
一意将来の目的に向かって邁進するよう致されたく


秋山13

秋山15

玄関に「坂の上の雲」で秋山兄弟を演じた
ふたりの役者さんのサインが飾ってありました。

秋山16

秋山好古役の、阿部寛さんです。

この写真がすでに好古さんのように見えました。

秋山17

秋山眞之役の、本木雅弘さんです。

とても達筆なサインで驚きました。
本木さんの几帳面そうなイメージが大好きです。

秋山18

秋山19

見えないけれど、今回ちゃんと
秋山兄弟に出逢えたように感じました。

私も日本を護って行きます。



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  1. 2013/06/21(金) 15:19:12|
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