瑠璃の星☆彡

写真・イラスト・旅日記

京都大原・来迎院★ ~part.3~

三千院を出てから、呂川沿いの山道を300mほど登っていくと
来迎院(らいごういん)本坊への参道が見えてきました。

来迎院4

来迎院は、平安時代前期に、円仁が天台声明の道場として創建したのに始まると伝えられています。
1109年(天仁2年)融通念仏の祖とされる良忍がこの寺に入寺して再興。
たびたび焼失したそうですが、その度に再建され
現在の建物は天文年間(1532年 - 1555年)に再建されたものなのだそうです。

江戸時代には江戸幕府から朱印状を与えられていて
本堂内には、徳川歴代将軍尊霊も祀られていました。

来迎院1 来迎院3

来迎院5 来迎院6

本尊
・薬師如来
・釈迦如来
・弥陀如来
脇侍
・不動明王(左)
・毘沙門天(右)

音無の滝6

来迎院を出ると、さらに奧へと山道は続いていきます。

音無の滝11

この道は、比叡山への登山道へと続いています。

音無の滝14

来迎院は、声明(仏教歌謡)の修練道場として開山されたそうなので
この山道は、最澄さんや円仁さんも、頻繁に行き来されてきたことでしょう。

音無の滝5

円仁が、中国(=唐)に留学した際、五台山(山西省)の太原(タイユワン)を中心に
五台山念仏(声明)が流行していたのを学び、帰国後に比叡山に伝えたそうです。

音無の滝12

この大原の地形は中国の太原(タイユワン)と類似していたので声明の根本道場と定められました。
この声明は、後の邦楽(今様、浄瑠璃、謡曲、民謡など)に強い影響を与えたそうですよ。

音無の滝1

この滝にむかって声明を唱えると、滝の音と声明が一体となって
音がまるでかき消されたかのように無になったということから「音無の滝」と呼ばれるようになったそうです。

声明と水音が「和合」する・・・とても神秘的なお話ですね。

そして、この滝の流れをただ見ていても「和合」の象徴であるかのように見えますよね。

音無の滝13

三千院に繋がっている自然はみんな、
この三千世界の中で、昔から今まで、数多くのメッセージを伝えてきてくれていたのですね。

やはりこの世界は、神秘的なファンタジーワールドだったのです。

こうした山道で感じられる自然からのメッセージは、しっかりと受け止めて
私たちはしっかりと「弥勒の世」へと繋がっていきましょう。

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  1. 2010/04/19(月) 22:32:56|
  2. 神社仏閣めぐり(京都)

京都大原・三千院♪ ~part.2~

さてさて、大原三千院のつづきです。

天台宗開宗1200年、三千院開創1200年の記念イベントとして

春の特別展示『三千院の不動明王』
平成22年4月18日~5月17日


・・・が開催されています。
不動信仰、密教法要に関する仏画、資料などもこの時期に展示されています。

三千院48

この日は、4/18(日)
秘仏金色不動明王 特別御開扉・護摩供法要が執り行われました。

このお堂が、金色不動堂です。
智証大師作と伝えられる、秘仏・金色不動明王さんがこちらにいらっしゃいます。

法要中に、めったにお目にかかれない金色不動さんに、しっかりとお目にかかることができました♪
感激でした♪o(^^o)(o^^)o

~part.1~で紹介しました、辰殿にいらっしゃる秘仏・薬師瑠璃光如来さん。
こちらの秘仏・金色不動明王さんと、薬師瑠璃光如来さんとは、とっても仲がお宜しいようですよ♪

法要中、眉間がビリビリと痛みました。
十字のオレンジの光が見えたので、金色さんのオレンジだったのかなと感じます。
お堂の内部は寒かったのですが、温かい氣にふわりと頬が包まれました。
目を瞑ると、心地よい眠さに包まれました。

金色さんと瑠璃光さんの光のパワーでしょうか。。。

神仏さんたちの逢瀬に触れことは、人の生命エネルギーをも高めてくれるようです。
短い時間の出来事でしたが、長くこの心地よさに浸っていたい気分でした。

三千院49

空もスッキリとしてきました。

三千院52 三千院53

門主さんのお話しでは、
この時期にあわせて桜が満開なのはとても喜ばしく、宇宙の大きな作用であるかのようだ、、と。
例年では、すでに散ってしまっているので、とても珍しいことだったようです。

自然が送ってくれているタイミングは、いつでも完璧なんですね。

三千院51

こちらは観音堂です。

三千院54

観音堂横の、二十五菩薩庭園です。
不動明王さんと御縁を結ばれた石の菩薩さんたちが、あちらこちらにいらっしゃいます。
補陀落浄土(ふだらくじょうど)が再現されているそうです。

三千院41

枝垂れ桜も、あちらこちらに。

三千院39

弁財天さん。

三千院42

金色不動堂の近くにある
紫陽花苑の近辺です。

三千院43

三千院44

売灰翁石仏。

最近、石仏やお地蔵さんにオーブがたくさん写り込みます。
それだけ訪れる多くの方々に目を向けられてきたのだろうな、、と感じます。

三千院46

三千院の庭内はとても多くの光に満ちていて
弥勒の世界にも続いている三千世界の院でした。

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  1. 2010/04/19(月) 12:02:32|
  2. 神社仏閣めぐり(京都)

京都大原・三千院♪ ~part.1~

4/18(日)京都市左京区の大原三千院に行ってまいりました。

この日の京都も、晴天でとても気持ちが良かったです。

三千院1

JR京都市駅から京都バスC3系統に乗り終点まで。
(たいがいの京都市内の寺社仏閣巡りへは、市バスの一日500円乗車券が一枚あれば便利なのですが
大原行きの京都バスでは、それは使用出来ないので要注意ですよd(^-^))

バスから降りると、三千院への入口に菜の花畑がありました。
お花の良い香りに包まれました。

大原は、比叡山と鞍馬山にも近くて、トライアングルのような位置関係です。
伝説の大原女がひょっこり出てきても不思議ではないような清々しい里でした。

午前9時過ぎくらいに到着。
余裕で今日のお楽しみイベント・秘仏金色不動尊御開扉護摩供法要に間に合いました。o(^^o)(o^^)o

三千院10 三千院9

門の側には、茶店がいっぱいありました。
帰りがけに「湯葉そば定食」を食べました。
比叡山と言えば、生湯葉ですからね~。美味しかったです。

三千院12

御殿門です。
立派な表玄関ですね。

目映い光がいっぱいでした。初めて訪れたので歓迎されているようでした♪
今日はよろしくおねがいします♪

三千院は、天台三門跡の中でも最も歴史が古く、
最澄さんが延暦7年(788年)、比叡山延暦寺を開いた時に
東塔南谷(比叡山内の地区名)に自刻の薬師如来像を本尊とする「円融房」を開創したのがその起源なのだそうです。

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山号: 魚山(ぎょざん)
宗派:天台宗
本尊: 薬師如来
創建年: 延暦年間(782年 - 806年)
開基:最澄
別称: 三千院門跡、梶井門跡
札所等: 西国薬師四十九霊場第四十五番
文化財: 阿弥陀三尊坐像(国宝)往生極楽院阿弥陀堂、木造救世観音半跏像ほか(重要文化財)
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三千院27

御殿門をくぐると、客殿の入口です。
宸殿へと続いています。
こちらは、後白河法皇により始められた法要の道場です。

ここに秘仏・薬師瑠璃光如来さんがいらっしゃいます。
秘仏なので、直接お目にはかかれませんが、そっと手を合わせてまいりました。

三千院16

客殿・宸殿からのお庭の眺めがとても見事です。

眺めのよいお庭は、とても広くて

聚碧園(しゅうへきえん)地泉鑑賞式庭園
有清園(ゆうせいえん)地泉回遊式庭園

・・と言われているそうです。

こちらは客殿からの眺めで、聚碧園(しゅうへきえん)地泉鑑賞式庭園です。
ずっと座って見ていたい気分です。

三千院19

地泉の庭園といわれるだけあって、水も清く、地に植わる草木が潤っていますよね。

三千院24

こちらは宸殿からの眺めで、有清園(ゆうせいえん)地泉回遊式庭園です。
歩いていると気持ちの良い庭です。

三千院29 三千院30

三千院22 三千院31

弁天池のそばにある、わらべ地蔵です。
可愛い♪・・と、多くの参拝者さんの目をひいていました。

絵葉書なんかにもなっていました。ほんとうに可愛いもんね♪

三千院34

弁天池です。

三千院25

弁財天さんがお祀りされている場所から流れている水です。

三千院56

こちらは瑠璃光庭にある、往生極楽院(旧称・極楽院)です。

平安時代末期の12世紀から大原の地にあった阿弥陀堂であり(天台の門跡とは無関係)
1871年に三千院の本坊がこの地に移転してきてから、その境内に取り込まれたものなのだそうです。

国宝の阿弥陀三尊像さんがいらっしゃいます。
(阿弥陀如来、観音菩薩(聖観音)、勢至菩薩)

三千院57

一隅を照らす これ則ち国宝なり

三千院は、最澄さんが比叡山延暦寺建立の際に草庵を結ばれたのに始まります。

大原の地は、千有余年より、魚山(ぎょざん)と呼ばれ
仏教音楽(声明)の発祥の地であり、念仏聖による浄土信仰の聖地として今日に至っています。

自然いっぱいの聖地。大原。
その魅力を、写真とともにもう少し紹介してみたいと思います。

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  1. 2010/04/19(月) 10:26:57|
  2. 神社仏閣めぐり(京都)

広隆寺

4/10(土)京都詣でのシメに、太秦(うずまさ)へ。

蚕ノ社(かいこのやしろ)の三本足鳥居を拝んだ後、
この日の最後の締めくくりに、広隆寺へとやってまいりました。

広隆寺1

久し振りにやってきましたよ。

弥勒菩薩さん、こんにちは♪

前回の参拝は、去年の6月下旬か7月上旬だったかと思います。

広隆寺2

広隆寺の創建は、推古天皇11年(603年)または推古天皇30年(622年)で

開祖は、蚕ノ社(かいこのやしろ)や松尾大社と同様に、帰化人系の氏族である秦氏(秦河勝氏)とされています。

宗派:真言宗系単立
本尊:聖徳太子(上宮王院本尊)
別称: 蜂岡寺、秦公寺、太秦寺

広隆寺12

よく手入れされている境内です。

広隆寺3 広隆寺4

鳳凰さん。

広隆寺11 広隆寺5

創建当初は弥勒菩薩を本尊としていたそうですが、
平安遷都前後からは薬師如来を本尊とする寺院となり、
薬師信仰とともに、聖徳太子信仰を中心とする寺院となったようです。

こらは講堂(赤堂)です。

広隆寺8

本堂に当たる上宮王院です。

本尊は聖徳太子像です。

広隆寺7

弁天社です。

初夏には、この池に、白くて可憐な睡蓮の花が咲いていました。

広隆寺10

霊宝殿です。

広隆寺の文化財が収蔵展示されている施設で、1982年の建設なのだそうです。

納められているのは
国宝の弥勒菩薩像2体、十二神将像、木造阿弥陀如来坐像ほか(国宝)
絹本著色三千仏図、木造薬師如来立像、鉄鐘・・・などなど。(重要文化財)

ミロクさん1

弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかし(ゆ)いぞう)です。

豊かなアルカイック・スマイルで、訪れる人々を魅了してやまない仏像さまですね。

弥勒さんは、本当に不思議な魅力を秘めた仏像さんです。
ここへ会いに来ると、弥勒さんの魅力という魔力にやられてしまいます。。。

それはどんな感じなのかというと・・・

歓喜仏

こんな具合に。。。(*"Д")

生命の根源エネルギー・創造エネルギーを
身体の底から沸き立てられるかのような
あの感じでございます。(*.".*)

体感として、それがジワジワ伝わってくるのを感じてしまうという方は、
果たしてどれくらい、いらっしゃるのでしょうか・・・?

私だけかな・・・?

分かって下さる方は、分かって下さるかと思います。

弥勒さんは、なんとも不思議なエネルギーを持っていらっしゃる魅力菩薩さまなのです。

「弥勒の世」を象徴する仏様ということで
これからどんどん、この世界に顕現していらっしゃることでしょう。

それにしても・・・ほんとうに
身体の芯からホカホカに熱くなります。(*"Д")

ある意味、対面するのには心の準備という覚悟が必要なのでした。

広隆寺13

最後に、薬師堂に立ち寄って、手を合わせてきました。

ここにお祀りされていらっしゃるのは、

・阿弥陀三尊立像
・薬師如来立像
・不動明王
・道昌僧都
・弘法大師
・理源大師


次回の京都詣ででは、
薬師瑠璃光如来さんと金色不動明王さんにお会いしに行く予定です。

こちらの薬師如来さんと不動明王さんに
次回もよろしくお願い致します♪・・・と、お祈りいたしました。

こちらには、弘法大師さんまでいらっしゃるのですか・・・。(*"Д")

なんという、錚々たるメンバーでしょ・・・。
これは次回への、なにかへの伏線・・・?

なんだかシメに相応しい、広隆寺での仏さん方とのご対面でした。

次回の京都詣でが、今からとても楽しみとなりました。

京都・寺社物閣巡りは、今後も不定期に続いていきそうです。

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  1. 2010/04/12(月) 22:24:06|
  2. 神社仏閣めぐり(京都)

木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)=蚕ノ社(かいこのやしろ)

4/10(土)京都詣でのシメに、太秦まで足をのばしてみました。

太秦(うずまさ)には、帰化人系の氏族である秦(はた)氏の氏寺が多く点在しています。

(太秦の由来と秦氏の関係については、こちらの記事もあわせてご覧下さい→ルチルクォーツと弥勒のネットワーク

ここで紹介します、
木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)も、秦氏創建の神社のひとつです。
京都市右京区太秦にあります。
式内社で、旧社格は郷社。
祈雨の神として信仰を集めています。

通称・木嶋神社(このしまじんじゃ)

また、本殿東側に織物の始祖を祀る蚕養(こかい)神社があることから
蚕の社(かいこのやしろ)とも呼ばれています。

蚕ノ社1

こちらが参道と一の鳥居です。

弥勒菩薩半跏像で有名な広隆寺とは、目と鼻の先です。

蚕ノ社14

拝殿です。

蚕ノ社3

こちらが本殿です。

起源は不明です。
続日本紀の大宝元年(701年)4月3日の条にこの神社の名があることから、それ以前からの祭祀とされています。

現在の主祭神は・・・

・天御中主命(アメノミナカヌシノカミ) 天地創造に関わった五柱の別天津神(ことあまつかみ)の一柱。
・大国魂神(オオクニタマノカミ) 国魂神を大国主に習合させた、開拓の祖神。
・穂々出見命(ホホデミノミコト) 稲穂の神、穀物の神。
・鵜茅葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト) 農業の神、夫婦の和合、安産の神。

木嶋坐天照御魂神社は「木嶋に鎮座する天照御魂神の社」という意味で、
本来は「天照御魂神」を祀る神社ということになるようです。

太古では、太陽信仰の神社だったといえるのかもしれませんね。

蚕ノ社4

社殿は本殿、東本殿(蚕養神社)、拝殿で、明治以降の再建です。

蚕ノ社8

この鳥居の向こうは、摩訶不思議な世界へと続いています。。。

この森は「元糺の森(もとただすのもり)」と呼ばれています。
左京区にある下鴨神社(しもがもじんじゃ)の「糺の森(ただすのもり)」とも関連しているようです。

(下鴨神社・糺の森の画像は、こちらをご覧下さい→下鴨神社・糺の森(ただすのもり)


蚕ノ社12

鳥居を潜り抜けると・・・

見えてきました・・・

あれが世にも不思議な・・・

蚕ノ社10

三柱鳥居(みはしらとりい)です。

鳥居が3基、組み合わさっています。

正三角形平面に組み合わされていて、
隣り合う鳥居同士が柱を共有するため柱は3本となっています。

この三本足鳥居も、起源は不明で
現存しているもの(画像)は、天保2年(1831年)に再興されたものなのだそうです。

蚕ノ社7

ここ、蚕ノ社(かいこのやしろ)以外でも、
三本足鳥居は存在しているようです。

・三囲神社(東京都墨田区向島)・・・石造りの三柱鳥居。鳥居に囲まれるように井戸が設けられているそうです。

・大和町 (岐阜県)・・・三柱鳥居は標高1000メートルほどの場所に存在。鳥居がある場所に神社はないらしいです。

蚕ノ社11

本殿横から鳥居を見下ろすと、こんな感じです。

この三本足鳥居の一帯は、「元糺の池(もとただすのいけ)」と呼ばれています。

昔は、水中にこの三本足鳥居が建っている状態だったらしいのですが、
現在は枯渇していて、その面影はありません。

水面に建っている姿は、さぞや美しかったのでしょうね。。。

本当に、世にも不思議な三本足鳥居です。

いったい、なぜこのかたちで、なぜ水面に建てたのでしょうね。
太陽信仰と、水信仰にも関わる、太古のヒミツが数多く隠されているような気が致します。
謎は謎を呼びます。

そのヒミツが解き明かされる時が、近々くるのかもしれません。
その時が楽しみです♪

蚕ノ社15

「糺の池」は、広範囲でこのように整備されていたようです。
昔はかなり水源も豊富だったのでしょうね。

蚕ノ社16

こちらの「元糺の森」は、やはり下鴨神社の「糺の森」ともよく似た清々しさでした。

森の中の神社には、ミステリーがいっぱいでした。


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  1. 2010/04/12(月) 19:42:34|
  2. 神社仏閣めぐり(京都)

六角堂

微妙にタイムリーでなくてすみません。

4/10(土)の、八坂神社→長楽寺→晴明神社→京都御所→護王神社 の続きです。

京都御所から烏丸通りを京都方面へ歩いていくと、
聖徳太子さんゆかりの六角堂の前へと続きます。

せっかくですから、寄ってきました。六角堂。
15年くらい前に、西国33ヶ所観音霊場巡りの一環で、一度だけ訪れたことがありました。
久し振りでした。

六角堂2

寺号は紫雲山頂法寺(しうんざんちょうほうじ)です。
お堂が六角形なので、「六角さん」の名称で、京の町の人々から親しまれてきたようです。

創建:延暦13年(794年)の平安遷都以前といわれる。用明天皇2年(587年)?
開基:聖徳太子
宗旨:天台宗
本尊:如意輪観音(秘仏)
文化財:木造毘沙門天立像(重要文化財)

華道の家元・池坊の発祥の地としても知られています。


六角堂3

『六角堂頂法寺縁起』(頂法寺公式サイトより)

聖徳太子が幼い頃、淡路島の岩屋に小さな唐櫃が流れ着き、
太子が蓋を開けると中から黄金でできた一寸八分の如意輪観音の像が出てきました。

そこで太子は、自分の持仏として大切にしました。

そのころ太子は物部守屋と争っていたので、如意輪観音に勝利を祈り、
「勝たせていただければ、四天王寺を建立いたします」と誓いを立てました。

勝利をおさめた太子は、用明天皇2年(587年)、大阪四天王寺建立のための用材を求めてこの地に来られました。

ある日、泉のかたわらにある多良の木の枝に護持仏をかけて沐浴をされ、
終わって仏を手に戻そうとされたが、どういうわけか、枝から離れません。

その夜、「お前の守り本尊となってから、すでに7世が過ぎた。
これからは、この場所にとどまって衆生の救済に当たりたい」、という仏のお告げを夢で見られました。

信仰心篤い太子は、ここにお堂を建てようと決心しました。

そこへ一人の老翁がやってきたので、「この辺りに観音のお堂を建てるにふさわしい木はないか」と尋ねました。

老翁は「この近くに杉の巨木があります。毎朝紫の雲がたなびく霊木です。あの木を使うとよいでしょう」と言って去りました。

老翁に教えられた場所に行くと、一本の杉の木があったので、
それを伐ってこの地に六角の御堂を建てて護持仏を安置されたと伝えられます。

六角堂4

ひんやりとした空気が漂います。。。

六角堂13

へそ石です。(頂法寺公式サイトより)

ここが京都の中心地だったそうです。
惜しいことに寺は創建されて以来、しばしば火災にあい、現在の建物は明治初期の再建ですが、
寺地は往古のままで、「へそ石」は発展した京都の中心として、今でも古都と華道の要となっています。

六角堂6

確かに、商業ビルに挟まれて、京都の街のど真ん中にあるのですが
小さいお堂なのに、堂々とした佇まいです。
縁結びの柳や、松、枝垂れ桜が、お堂を囲むように配されていて、その存在感は見事です。

ビルの谷間なのに、こんなに光が・・・!

六角堂8

太子が沐浴されたと伝えられる池跡です。

六角堂9

結構な数のアヒルさんがいました。
狭い人口池ですが、優雅に泳いでいましたよ。

六角堂10

お地蔵さんがいっぱいです。

六角堂11 六角堂12

なんでも願いを叶えてくれるお地蔵さんのようです。
このような可愛い姿だったら、お願い事がなくても思わず両手を会わせて微笑んでしまいますよね。

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  1. 2010/04/12(月) 16:16:10|
  2. 神社仏閣めぐり(京都)

護王神社

さてさて、前記事のつづきです。

京都御所から出てきて、烏丸通りをてくてく歩き京都駅方面へ。
途中で市バスのバス停を見つけたら、そこから乗り継いで、太秦方面へと向かう計画でした。

蛤御門の横に差し掛かったときに、ふと右手を見ると、そこに神社が見えてきました。

護王神社1

護王神社(ごおうじんじゃ)というそうです。

御祭神は、
和気清麻呂公命(わけのきよまろこうのみこと)
和気広虫姫命(わけのひろむしひめのみこと)


えぇぇーー!(@@)
眼が飛び出そうになりました。

和気清麻呂さんとは、ここ最近、いろいろとシンクロが多いのです。

例えば、去年訪れた六甲山系のひとつ、再度山の大龍寺に、お参りしてきたのですが
ここは空海さん繋がりのお寺なので導かれたのかなと思いきや、、、
創建したのがこちらの御祭神、和気清麻呂さんだったということでした。

他には書ききれませんが
私とソウルメイトとの間に、多くのシンクロをもたらしてくださったりして
それが光のネットワークとして機能していっている・・・

こういうことは後になってから、あぁ、、あの時のあの行動が
すべてはここに繋がっていたんだな、、、と、判明していくのですが
直感と閃きは、そんな感じで
自ら行動してこそ、そこに意味がうまれてゆき
自分の中にドラマチックな展開がもたらされていくのです。

見えない世界からのサポートは確かに存在致します。
私たちが本気で行動を起こせば、
それに必要なだけの、叡智と、パワーと、閃きを、そのつど与えて頂けます。

護王神社4

和気清麻呂さんは、天皇家ともゆかりの深い、日本の国造りに尽力した人物です。

天平5年(733)、現在の岡山県和気町でご誕生、
長じて都へ上り、朝廷にお仕えしてきたそうです。

奈良時代から平安時代にかけて宮中に仕え、皇統の守護・平安京遷都
我が国初の私立学校の設立に命をかけて尽力されました。

ある時、光の中から宇佐八幡の大神が現れ、
和気清麻呂さんに、次のような御神託を下されたそうです。

「我が国は開闢以来、君臣の分定まれり。臣を以て君と為すこと 未だあらざるなり。
天つ日嗣ぎは必ず皇儲を立てよ。無道の人は 宜しく早く掃い除くべし。」


この御神託の意味は、以下のようになります。

(我が国は始まって以来、君主と臣下との区別がはっきりしている。
臣下の者を君主とすることは未だかつて無いことである。天皇の後継者には必ず皇族の者を立てなさい。
無道の者は早く追放してしまいなさい。)


清麻呂公は都へ帰ると、このことを堂々と時の天皇である、称徳天皇に報告し
真摯にその姿勢を貫かれたのでした。

途中で姉弟共々に、時の権力者のに失脚させられ、地方に流され、
再び中央に復帰するまでは、大変な紆余曲折の物語があったようですが、
その後は、平安京の造営や、民部省の長官として「民部省例」を整備したり、
我が国初めての私学「弘文院」の創設に力を入れるなど、晩年まで世のため人のために尽くされたようです。

そのお人柄と功績が偲ばれ、正一位護王大明神と呼ばれるようになったそうです。

大和魂、ここに極まれりですね。

私は、日本の政治家にいま求められる姿は
和気清麻呂さんの魂にみることが出来ると感じています。

護王神社19

皇統を守るということは、いつの時代も命がけであり
日本全体の存亡にも関わることであったのですね。

日本の真実の歴史を、私たちは過去のこうした偉人さんたちに
どれだけ学ぶことが出来るのでしょうか。

護王神社21

護王神社7

護王神社5

護王神社17

さざれ石です。
「君が代」で歌われていますよね。

護王神社8 護王神社16

和気清麻呂さんが、宇佐へ配流の際に、道鏡から送り込まれた刺客に襲われたのを、
突如現われた300頭の猪によって難事を救われたとの伝説があるそうです。

明治23年(1890年)からは、狛犬の代わりにこちらの神社では「狛猪」が置かれるようになったそうです。
「いのしし神社」の俗称もあり、亥年の参拝者が多いそうですよ。
境内には、狛猪のほかにも多くの猪に因むものがありました。

護王神社11 護王神社18

姉君の、和気広虫姫さんです。

慈悲深く、4代の天皇にお仕えし、厚く信頼されたそうです。
数多くの孤児を養育されたことから、子育明神として崇敬されているそうです。
その姿勢には、私も同じ日本女性として見習っていきたいものです。

護王神社12

なんと和気さん、お金の顔にもなっていらっしゃいます。

護王神社13

今まで知りませんでした。。。

護王神社14

護王神社15

日本の真実の歴史の中には、まだまだ多くの方が埋もれていらっしゃいます。

和気清麻呂さんのような万世一系の皇統を護っていらっしゃった英雄さん。
建国や、国防に、命をかけて尽力されてきた英霊さんたち。

そうした数多くの偉人さんたちが、
真実の歴史の中には、たくさん存在していらっしゃるはずです。

もっともっと、生きてこの時代に存在している私たち日本国民が
いまこそ力を合わせて結集し、過去の偉人さんたちとともに、
新しい時代を築き上げ、新しい国造りをはじめ、
新しい「弥勒の世」へと共に移行していけるよう、
私はこれからも行動を起こし、これからも意図しつづけていく所存です。


たまたま立ち寄った護王神社でしたが、
思いがけない和気清麻呂さんと広虫姫さんとの出逢いの中には、
今回もとても多くのことを学べたような気が致します。

お招きいただき、ありがとうございました。(-人-)

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  1. 2010/04/12(月) 01:42:45|
  2. 神社仏閣めぐり(京都)

京都御所

晴明神社を出て一条戻橋をわたり
京都御所へと向かいました。

京都御所9

観光客でいっぱいでした。

観光バスで訪れる団体さんが多いようです。
さすが御所ですね。
寺社仏閣巡りをしていて感じる空気とは、ひと味もふた味も違います。

そして、やっぱり東京の皇居の雰囲気とも、とてもよく似ていると感じます。

京都御所5

人が入らないように撮るのは難しいです。

それにしてもこの晴天・・・♪

以前に訪れた皇居にしても、
この日の御所にしても、
いつもお日様に照らされていて、気持ちの良い日に参拝させて頂いています。
天皇は、いつだって太陽の神様に護られているんだなぁ、、、そう感じずにはいられません。

京都御所6

承明門から眺める紫宸殿です。
この眺めは最高ですね。
気持ちが引き締まります。

京都御所7

紫宸殿の前に来ました。
厳かな気持ちになります。

京都御所8

紫宸殿の横には、
右近の桜が咲いています。
反対側には、左近の橘があります。

お雛様の飾りはこの紫宸殿からの眺めがモチーフになっているんですね。

京都御所2

京都御所4 京都御所3

菊の御紋があちこちに。。。

京都御所10 京都御所11

五節の舞(ごせちのまい)の舞姫には、とても憧れます。

源氏物語にも出てきますよね。
十二単を着て舞ってみたいです。
自分で言うのもなんですが、こういった平安装束は割と似合うと思うのです。

京都御所15

京都御所14

御池庭です。

京都御所16

京都御所17

しばしの間、雅な世界を堪能いたしました。

ダイナミックな御殿です。
まるで別世界に来たようでした。

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  1. 2010/04/11(日) 23:44:02|
  2. 神社仏閣めぐり(京都)

晴明神社

京都「裏」結界・守護魔方陣巡りは、
めでたく五芒星にあたる5ヶ所の寺社仏閣を、すべてまわりきりました。
(詳しくは過去記事をご覧下さい)

京の町にこの結界を張ったのは、平安時代の陰陽師・安部晴明さんであり
その晴明さんが御祭神である晴明神社が、その五芒星結界の中心の眼にあたるということで、
この晴明神社に訪れて、晴れて満願といたしたいと思います。

晴明神社1

さっそく、訪れてみると、一の鳥居の社号額には、五芒星が・・!
期待を裏切りませんね。(*"Д")

★←このマークに護符としての力があることの証明のようにも思えますね。
社紋が入っているのは、全国的にも非常に珍しいそうですよ。

晴明神社3

二の鳥居です。

晴明神社5

晴明井です。
こちらも★マークですね。
山城名泉の一つで病気平癒の御利益があるそうです。

立春になると、神職が井戸の上部を回転させ
取水口がその年々の恵方を指す仕組みになっているそうです。
徹底されていますね。
やはり期待を裏切りませんね。(*"Д")

晴明神社6 晴明神社9

晴明さんの銅像です。
神社も銅像も、京都御所の方角に向いていることに、大きな意味があるように思えます。
夜空の星をみて遠く天体を観測し、手を衣装の下で印を結ばれている様子をあらわしているのだそうです。

晴明神社10 晴明神社11

桃は厄除けの果物といわれているそうです。
そういえば、今まで巡ってきた観音霊場の瓦屋根に、桃が形作られていたのを不思議に思ったことがありました。
その寺も、厄除けの御利益があったのでしょうね。

晴明神社12 晴明神社13

上)晴明神社の境内に再現されている、旧一条戻り橋です。
下)現在の一条戻り橋です。晴明神社のすぐ側に存在しています。

源氏物語では「ゆくはかへるの橋」と書かれ、
また、晴明が式神を封じた場所で、文章博士三善清行が蘇生した話で有名なのだそうです。
現代でも、嫁入りや葬列には使われないのだそうです。

でも、「ゆくはかえる」という言葉の中には様々な解釈が隠されているようでもあり
地球と人類のアセンションにも通じるようなコードが隠されている気がしてなりません。

どんなふうに感じますか?

晴明神社7

本殿です。
本殿にも五芒星があちこちに。。。

晴明神社8

御神木は、樹齢推定三〇〇年の立派な楠です。
虫除けの樟脳の原料でもあります。
手で触れると、温かい生命エネルギーの流れを感じました。

晴明さんはどんな思いで、この日本の行く末を見守っていらっしゃるのでしょうね。
天気がよい日でしたので、眩しい弥勒の世の顕れを指し示してくださっているかのようでした。

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  1. 2010/04/11(日) 23:04:23|
  2. 神社仏閣めぐり(京都)

円山公園と長楽寺

4/10(土)京都の祇園へ。
八坂神社へ参拝した後、隣接している円山公園内を散歩いたしました。

円山公園2

円山公園を象徴する、枝垂れ桜です。とても見事です。
この日もお花見の観光客でいっぱいで、たいへん賑わっていました。

円山公園3

もともとは、円山公園は、八坂神社の境内の一部だったそうです。
回遊庭園や野外音楽堂などもあります。

この池の前でベンチに座り、ぼーっと水面を眺めながらお弁当を食べたこともありました。(遠い目)
なんとなく、ぶら~っと立ち寄って、一息入れてホッとしたくなる場所であります。

円山公園4 円山公園5

亀さんがいつも岩の上に・・・これは作り物の亀さんかな。
アヒルさんが、そこかしこで泳いだり、羽を休めたりしています。
この子たちがいるから、ぼーっと座っている時間も、とっても楽しいものになるんですね。

円山公園10 円山公園11

カラスさんの多いこと!
その数に驚きました。
公園中で、カァ~カァ~カァ~・・・と、大合唱が響いていました。

円山公園6

坂本龍馬さんと、中岡慎太郎さんの銅像です。

このお二人の像が象徴するのは・・・・やはり近江屋事件(おうみやじけん)ですね。
幕末の慶応3年11月15日(1867年12月10日)に、坂本龍馬と中岡慎太郎が
京都河原町・「近江屋」井口新助邸において暗殺された事件です。

これは、帰ってきてから調べて分かったことですが、
ここ東山には、幕末の志士を招魂する霊山護国神社(りょうぜんごごくじんじゃ) がありました。

京都東山霊山(りょうぜん)にある、明治維新史蹟「旧霊山官修墳墓」にも
明治維新の誕生につくした志士たち1043名の霊(みたま)を祀(ま)つってあるらしいのです。
そのおもな志士のひとりが、今をときめく坂本龍馬さんですね。

次回の京都詣での折には「維新の道」と呼ばれる坂を登って、霊山護国神社にもぜひ参拝したいと思いました。
もしかして、この日の円山公園の賑わいも、龍馬さん人気のせいだったのかもしれませんね。


尊皇攘夷と明治維新・・・
京都と東京は、この時代においての、歴史の「表」と「裏」舞台だったということですね。

東京が「表」ならば、京都は「裏」。

平安の時代に安部清明さんによって張られた、京都「裏」結界・守護魔方陣巡りですが
「表」の結界は、現代の東京(皇居を中心)に張り巡らされて機能しているということですから

現代と明治維新の歴史の流れにおいても「表」と「裏」で共振共鳴していて
これまで過去に起こった事件のすべてが
現代に次々とオーバーラップしていく多次元世界の収束を感じ取ることができるのではないでしょうか。
(こういったイメージは、なかなかうまく言葉にできませんが)

すべてがこの時代に、ひとつに。
歴史の流れも、人の意識も、より進化してひとつに。

そうなればもう「表」も「裏」もないのかもしれませんね。

面白い時代に突入していってると感じます。


円山公園8

銅像の側にも見事な桜の大樹がありました。

--------------

円山公園から、さらに東山寄りに坂を登っていくと
長楽寺というお寺へ続いていました。
初めて訪れるところです。

長楽寺1



長楽寺3

相阿弥作の園池です。

室町時代に、相阿弥が足利八代将軍・義政の命によって銀閣寺の庭を作る時に
試作的に作ったと伝えられる庭なのだそうです。

そういわれてみると、銀閣寺っぽい雰囲気があります。

前回の裏結界巡りでは、銀閣寺にも訪れ、その広大な庭もよく眺めていたので
この素敵なシンクロには驚喜いたしました♪

ここの大きな池は、紅葉の時期などに訪れると
きっと周りの木々も色づいて
水面にその色を落とし込んで綺麗なのではないかと想像します。

長楽寺4

御縁起によると、延歴24年(西暦805)桓武天皇の勅命によって、
伝教大師を開基として大師御親作の観世音菩薩を本尊として創建されたそうです。

御本尊は、准胝観世音菩薩(じゅんていかんぜいおんぼさつ)

インドでは「仏母(ぶつも)」としてすべての菩薩の母という位置づけになっていたことから、
安産や子宝の仏という信仰もあるそうです。

長楽寺5

建礼門院御塔です。

建礼門院は、平清盛の娘でした。
壇の浦の戦いで平家は破れ、建礼門院は入水されるも助けられ、この長楽寺にて出家されました。
御年29才。
高倉天皇との間にお生まれになった安徳天皇は、三才で即位。
壇の浦の合戦で祖母に抱かれて入水され、わずか八年のご生涯でした。

私は、やはり女性として、また母親としての目線で、建礼門院の歩まれた人生とそのお姿を見てしまいます。
辛く悲しい思いを、その時代に、長い間抱かれて歩まれたことと感じます。

その時代、その時代に生を刻まれた、それぞれの立場の女性の生き方に、
現代の私たちも多くのことを学べることと思います。

そっと静かに合掌いたしました。

長楽寺6

こちらは平安の滝です。

澄んだ水が山肌から流れていました。
東山は青龍の山ということですから、龍神さんの御神徳で溢れているのでしょうね。

長楽寺10

尊皇攘夷派で活躍した、水戸藩列士の名碑です。
徳川慶喜さんゆかりの尊攘苑です。

この長楽寺は、慶喜の弟である松平昭訓の墓をはじめ、
藩士・大場一真斉、原市之進、鵜飼吉左衛門父子の墓などがありました。
儒学者・頼山陽のお墓もありました。

幕末の頃、尊皇攘夷運動で最も先鋭的だったのは水戸藩であったようです。

この場所に来ると心が震えました。

あぁ、、そういえば、、!

先週行ってきた鳥取県が誇る、伯耆富士・大山。
その麓にある、大神山神社「冬宮」に立ち寄った時、その神社にあった社号額は、
徳川慶喜の兄であり、水戸藩主・徳川斉昭公の子息である、池田慶徳公の書であったなぁ・・・
ふと、そんなことを思い出しました。


そして、この画像(右)の名碑にみられる「尊攘」の二文字は、水戸藩主・徳川斉昭公の真蹟であります。


水戸藩烈士、、、徳川斉昭、池田慶徳、徳川慶喜、松平昭訓、、、、、父と三兄弟。

うーん、、、繋がっている、、、

繋げられてしまっているなぁ、、、。

これは震えるわけですね。

もう当時の敵も味方も、いまこの時代にあっては関係なく
日本防衛維新の新しい風となって、列島各地に吹き荒れているようです。

ここ京都でも、明治維新、地球維新の、維新の嵐が吹き荒れているようです。

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  1. 2010/04/11(日) 22:00:24|
  2. 神社仏閣めぐり(京都)
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